水槽の中で亀がゆるりと泳いでいる。
 ソムド博士はその緩慢な動きに見入っていた。幼い時分より変わらない、考え事をする時の博士の癖である。
 水槽の中の亀の寿命は良く分からない。
 物心がついた頃には家の水槽で生きていた亀であるから、今年で七十を超えた博士よりも年上なのは間違いなかった。
 亀はゆったりと水槽を泳ぐ。何十年も同じ場所をぐるぐると。この世界に何の意味ももたらさないその動きが、博士の頭脳を活性化させ、様々な発見を導いてきた。
(私に与えられた様々な栄誉は、この亀にも分けてあげるべきだろうかな)
 つらつらとそのようなことを考える。
 と、部屋がノックされ、書類を抱えた若い男性が現れた。
「博士。続報が届きました」
「待っていた」
 博士は水槽の前から離れると、部屋の真ん中に設置されたソファーに座った。
 どうやら部下らしい若い男は一礼すると、博士と向かい合うようにして座り、手にしていた書類を渡した。
「まずは流星/紬(ツムギ)についてですが。紬の出向先の部隊から地上戦闘テストについての報告がありました」
「結果は上々だったようだな。君はずいぶんと機嫌が良さそうだ」
「恐れ入ります。ご指摘通り、テストの結果は良好でした。すぐにでも実戦投入したいとの要望が来ております」
「望むようにしたまえ。あれは、ある意味で一番安定している。問題なかろう」
 言いながら博士は書類のページをめくる。
「流星/結(ムスビ)の稼働テストは延期とあるな」
「パイロットの調整不足でしょう。テストは途中で中断されたとあります。担当者が慌てて出ていきました」
「ふむ……」
「――お言葉ですが、博士。結のパイロットはあの娘で良いのですか? あれは少々不安定に過ぎるかと」
「それは大きな問題ではない」
「……しかし」
「過程よりも結果でものを考えるべきだ。あの娘は他よりも遥かに大きな力を秘めている。その一点だけでパイロットに任じるだけの価値があるだろう。感情その他は圧倒的な破壊の前では些細な問題だ」
「そう言うものでしょうか。――そう言えば、流星/流(ナガレ)はさっそく実践に使われているようですね」
「うむ。辺境のテロリストが相手だ。程好い実験となる」
 書類を置くと、博士は再び水槽に目を向けた。
 亀はまだ悠々と水槽を泳いでいる。
「カナタ、でしたか。あの娘――シリーズの中では最も能力が低かったように思いますが」
「出来損ない――何度そう呼ばれたかわからぬな」
「ですが、博士はあの娘を流のパイロットに指定された。何故です」
「――説明してもわからんだろうな」
 博士は呟くように言うと、水槽の前にまで歩いていく。
「身体能力でコナタに並ぶ者はいない。戦闘センスでソナタに並ぶ者もない。だが――最も祝福を受けているのは他でもない、カナタだ」
「…………」
「『時の神』はあの娘を好いておるのよ。時期にそれは明らかになるだろう」
 博士は愛おしげに水槽を撫でると。
 深く走ったしわを歪ませて、愉快そうに笑った。



カラクリオー外伝-Shooting Star-

第四話 孤高のテロリスト(後編)




「こちら八号機、敵機を追い詰めた! 誰かフォローをくれ! こちら八号機! 早くしないと逃げられる!」
「こちらは五号機、一号機を援護する! そこを動くんじゃねぇぞ、このクソテロリストォッ!」
「うわあ! 三号機、被弾! 戦闘続行不可能! 戦闘域を離脱――できないッ! 誰か、助けてくれェ!」
 本来ならば音のないはずの宇宙空間には、絶叫が響き渡っていた。
「クソッ! どいつもこいつも、功を焦るな! 一つ一つ確実に行くんだ!」
 第三八七辺境警備隊隊長は、飛び交う火線の中で叫んでいた。
 まさに突然の奇襲だった。近くの宙域から慌てて駆け付けた第三八七警備隊は、ほとんど準備を整える間もなく戦場に到着し、浮足立ったまま戦闘を開始する。手練れ揃いのテロリストたちは彼らの隙を見逃さず、たちまち羅甲一機と戦闘機『星影』一機が落とされた。
 その時点ですでに劣勢は決まっていた。警備隊隊長は何とか部下たちを統制し、反撃を試みようとするが、テロリストたちは狡猾だった。警備隊の面々を嘲笑うかのように、敵母艦の貨物船が突然戦場を迂回するようなルートを取り始めたのだ。
 警備隊は敵が自爆テロを起こしてターミナルを突破したことを知っている。故に、敵母艦は何としても落とさなければならない相手だった。それが、目の前で方向転換し、別の方向へ向けて動き出したのである。警備隊はそれを追わざるを得ず、従って戦場は完全にテロリストのペースになった。
 追い縋ろうとするその先に敵の火線が集中する。羅甲二機が被弾し、星影一機がさらに沈んだとき、警備隊隊長は敵母艦を追うことをあきらめ、せめて残った敵部隊の掃討に努めようと目的を変更する。
 だが――決まってしまった情勢を覆すことは、困難なことである。
「隊長、助けてくれ! こちら三号機、助け――ッ」
 叫びが途切れ、大量のノイズが入り込んでくる。
 一呼吸遅れて、モニターの半分が白い光で染まった。敵機の弾丸を体内に吸い込み、メインエンジンが火を吹いてマテリアルオーブが砕け散る。その瞬間に放出されるエネルギーが光となり、周囲の者の目を焼いた。
 地上ならば大爆音に聴覚が麻痺しているところだろう。だが、ここは宇宙空間。音の伝播はほとんどなく、かわりに衝撃波によって起こる振動が耳障りな音を立てる。高音とも低音ともつかぬその物音は、聞きようによっては人の悲鳴のようにも思えた。
「三号機、撃沈!」
「言われなくとも分かっている! クソ――残った連中は俺のところに集まれ! 一機に集中して攻撃を仕掛けるぞッ!」
「了解ッ!」
 半数を落とされ、部隊にはようやく危機感が訪れていた。否、危機感自体はかなり前からあったのだが、仲間内で共有できてはいなかった。それ故に無駄な動きで余計な損害をこうむることになったのだ。
 羅甲三機に星影一機。戦闘機を中心とし、羅甲三体で周りを固める布陣で、第三八七警備隊は敵陣を突き進む。
 アムステラ軍の逆襲の動きに、初めてテロリストの動きに綻びが生じた。系統立っていた攻撃が散発的なそれに変わる。
 つけいる隙はそこしかない――隊長は一気に加速をかけると、マシンガンで牽制をかけていた敵機――倒羅に急速接近する。
 倒羅の持つ青色のモノアイが忙しなく動いた。一瞬、命令と援護を待ったのだ――下の立場であるがこその空白の時間だっただろう。それが戦場では死に繋がる。
 羅甲隊長機の振り下ろすヒートアックスが倒羅のボディに食い込んだ。衝撃で倒羅の動きが止まる。他の敵機が援護しようと動いたが、羅甲二体が牽制の射撃で動きを封じた。
 ヒートサーベルやヒートアックスなどのU.H.W.(Ultimate Heated Weapons/超熱兵器)は、打ち込んだ瞬間にはその威力を完全に発揮しない。温度には伝播する時間というものがある。すなわち、打ち込まれた刀身がその威力をいかんなく発揮するまでには、敵の身体に食い込ませたままコンマ何秒間かの時間が必要ということになる。
(今ッ!)
 時間が短すぎると刀身は食い込んだまま動かない。かと言って、長すぎては敵の反撃を食う恐れがある。一秒に満たぬその時間を、戦場の兵士は感覚で知らなければならない。
 隊長が選んだタイミングは実に適切だった。食い込んでいた斧を無造作に振り下ろす。熱を受けて柔らかくなった装甲は呆気なく引き裂かれ、全身を流れるオイルと血管の役目を果たす各種の駆動系が宇宙空間にパッと散った。
 さらに、別の羅甲が横合いからマシンガンを打ち込む。近距離からの銃撃は外れようもなく、倒羅の装甲をズダズダに引き裂いた。そのうちの一つの銃弾が隊長機の作った傷跡に打ち込まれ、オイルに引火して小爆発を起こす。それがとどめとなり、力を失った敵機はそのまま宇宙空間を漂った。
「よしッ! これで――また一機!」
「次はどいつだ、隊長!」
 敵機を撃破したことで味方の士気は上がっている。
 今しかない――と、隊長は敵機の奥に佇む操兵の姿を睨みつけた。
 戦いが始まってこの方、大きな動きを見せていないその操兵は、他の操兵と違って頭に角を生やしている。泰然と構えるその姿は警備隊隊長の闘争心を刺激する。恐らくヤツが隊長機――乗機するヤツこそがジェダ・フリークスだ。
「総員、構えろ! 次はあの奥の操兵を撃つ! ヤツさえ倒せばテロリストは瓦解する――」
「た、隊長! 敵機、まだ沈黙していない!」
 五号機からの突然の通信。敵機に気を取られていた隊長は、慌ててレーダーを確認する。
 その瞬間、衝撃がコックピットを揺らした。致命傷を受けたと思われていた敵機が一つだけ残ったブースターを吹かし、隊長機に組みついたのだ。
 周りの羅甲が銃口を向ける。しかし、隊長機が盾になっており射撃することができない。
「クッ、死に損ないが! すぐに振り切ってとどめを――ッ」
 そこまで言って隊長は気づいた。己に向けられている銃口が、味方からのものだけではないことに。
「まさか――まさか貴様ら!」
 テロリストの銃口が全て隊長機に向けられている。
「仲間ごと撃つ気かッ!」
「デシセントに光をッ!」
 不意に強制通信が割り込んだ。周囲にいたすべての機体に無差別に届いた電波の中、男の声が叫んでいる。
「デシセントに永久なる光をッ!」
「止めろォォォッッ!」
 隊長が叫ぶ。それと同時に――。
 幾条もの光が羅甲隊長機に突き刺さり、組みついていた倒羅と共に光の中に消えた。
「ば、馬鹿なッ! 仲間ごとだと! 隊長ォーッ!」
「うろたえるな! 攻撃が来るぞ!」
 誰かの叫びはすぐさま実現する。
 生き残った三機に敵の一斉射撃は標的を変更し、咄嗟に反応できなかった一機の羅甲が光の中に消えた。
 もう片方の羅甲は巧みに左右に動いて火線をやり過ごしたが、その隙に近寄った一機の倒羅のヒートブレードの一撃を受けて片腕を損傷。体勢を崩したところに集中砲火を浴びてあえなく撃墜される。
「ク、クソォッ! こんなの勝てるわけがねぇ!」
 一機だけ残った戦闘機星影は迷うことなく撤退の道を選んだ。エンジンを限界まで吹かして戦闘宙域の脱出にかかる。
 テロリストたちは羅甲の動きに気を取られていたため、星影に対する反応が遅れた。その隙をついて突破を図る。散発的な射撃があったが、本気で動き出した戦闘機を捉えられるものではない。
 戦闘機のパイロットがほっと息を吐こうとした、その瞬間――。
 目の前にツイと現れた一つの影がある。
「敵の――隊長機!」
 禍々しくねじれた角を生やす倒羅だ。緑色のモノアイがギラリと光る。反射的に寒気を感じ、パイロットはレバーを倒していた。
 星影が進路を変更する。スピードはほぼマックスに近い。直線運動でさえなければ射撃など当たらないはずだ――。
 弧を描くような動きで星影は突破を図った。対する倒羅は身体の向きを変えただけ。
(行ける――)
 倒羅と並び、その横を駆け抜ける。
(卑怯者と罵られてもいい! 俺は家に帰れるんだ!)
 目の前には黒い宇宙だけがある。誰もいない場所に向かって全速で駆け抜ければ、身の安全は保障される。とりあえずのところは――それでいい。
(俺は帰れる――)
 光。
 それはほんの一瞬のことで、パイロットは何が起こったのか理解できなかったに違いない。
 それは幸運か、それとも不運か――。
 倒羅の狙い澄ました一撃をコックピットにまともに受けた星影は、一瞬の沈黙の後、激しい爆発を起こして四散した。
「すまんな。死への旅路には一人でも多く道連れが欲しいのだ」
 ライフルを下ろすと、ジェダ・フリークスの乗る倒羅隊長機は仲間たちのほうへと戻った。
「相変わらず素晴らしい腕前ですね」
「そうかな」
「そうですよ。宇宙空間の戦闘機ほど厄介なものはない。そいつが全速で動いてるのを撃ち落とすんですからね、恐ろしいものです。さすがジェダ・フリークス」
 茶化すような調子にジェダは苦笑を浮かべた。
「そんなことより、だ。皆、調子はどうだ?」
「大破したロウウェル機以外は無事です」
「……残るは六機、か」
 宇宙空間に散らばる残骸を見て、ジェダは呟いた。
「ジェダさん、感傷に浸ってる時間はないぜ。ロウウェルのヤツは立派にジェロハラへ旅立ったんだ」
「ああ、わかっている。皆、進路を指定のポイントに取れ」
「了解!」
 六機の操兵が動き出す。
 ――アムステラの支配の象徴、デシセント管理衛星に向かって。
(ずいぶん時間を食った。防衛部隊に先回りされていてもおかしくはないな)
 バーニアを全力で吹かしながらジェダたちは進む。
(まあいいさ。アムステラの兵士たちよ――我らを止められるものならばやってみせるがいい)



 空戦使用に限りなく近いチューンアップをされた羅甲ラッシュ機が、バーニアを灼熱させて敵機に突撃する。
「うおおおおっ!」
 散発的に返される牽制射撃を速さでかわし、接近後、手にしたマシンガンで弾丸をばら撒く。先頭を進んでいた一機が被弾して体勢を崩すが、大きな損傷には至らない。逆に勢いの枯れたラッシュ機を討つべく、後続の倒羅と共に左右に散って射撃を開始する。
「おっと、っと!」
 危ういところでそれをかわし、お返しとばかりに両肩の多段ミサイルを発射する。威力こそ大したものではないが、追尾性があるので敵から見れば脅威に映る。周囲にいた四機が回避のための運動に入り、その間にラッシュ機はブレードを抜いてさらに奥に控えていた倒羅に切りかかる。
「だあーッ!」
 単騎で突っ込んできた羅甲一機にさんざんに掻き乱され、敵も動揺していた。本来ならば冷静に銃撃で対処できるはずの攻撃に、反撃を忘れ、左腕に備え付けのシールドで攻撃を受けようとする。
 ガッと大きな衝撃があり、敵パイロットからすれば信じられないことが起こった。強固な金属でコーティングされているはずのシールドが、あっさりと砕け散ったのだ。ブレードはそのままの勢いで倒羅の左腕を切り落とす。
 続く返す刀で胴を狙うが、敵操兵からの援護射撃で狙いが逸れた。ラッシュは舌打ちし、バーニアを吹かして敵陣から距離を取る。
(――よし。この高周波ブレードだったら相手の装甲を無視できる!)
 追撃をかわしながら、ラッシュは右腕に装着した新兵器に確かな手応えを感じていた。
 熱の伝播と物理的な破壊を両立させて初めて威力を発揮するU.H.W.(超熱兵器)と違い、高周波ブレードは刀身より発振する超高密度・超高周波の震動波で対象を物理的に破壊する。理論的な最高破壊力ではU.H.Wのほうが上だが、U.H.W.が相手方の装甲の質などによって威力が左右されやすいことを考えると、より簡素により高威力を実現できる兵器と言えるだろう。
 この高周波ブレードはアルバートが兵器開発部に直接注文して調達したものだった。発注まで多大な苦労があっただけあって、その威力は申し分ない。ラッシュ機が旋回をかけて次の標的を探し始めると、敵機はその高威力のブレードを警戒するように距離を取った。
「落ち着け! 所詮は格闘武器だ、近寄らせなければなんとかなる!」
 敵テロリストの小隊長はそう叫びながら手にしたマシンガンでラッシュ機を狙う。高機動力を誇るだけあってなかなか被弾はしないが、ラッシュ機は思うように攻撃に移れない。その間に乱れていた敵陣が回復し出し、包囲網を形成しようとする。
「――よし、今だッ! ミラ、派手なのを頼むぜ!」
 敵の空気が変わりつつある――敏感に察したアルバートは、即座に命令を下していた。
「おうよ! 任せておけ、隊長!」
 距離を取り、散発的な援護射撃を行っていたミラ機が、バーニアを吹かして敵機との距離を詰める。やや遠めのミドルレンジといった距離まで接近すると、ミラ機は後ろに引いていた巨大な兵器を構えた。
 巨大な兵器――それは銃身が羅甲の慎重ほどもあるガトリングガンである。このサイズでは収納することなどできるはずもなく、ミラ機はブースターの機能をいくらか犠牲にしてこの巨大な兵器を背負ってきていたのだ。
 ラッシュ機を取り囲もうと動き出した、その矢先のことである。出鼻をくじかれた形となって敵機の間に動揺が走る。
「よおし! くそったれども、そこを動くなッ!」
 発射――と同時に90ミリの弾丸が所狭しとばら撒かれ、宇宙空間に漂う老廃物を蹴散らしながら展開する敵機に襲いかかった。
 回避に移れなかった一機がまともに被弾し、背のブースターが引火して爆発を起こす。敵機はそれでも何とか持ちこたえていたが、続く第二波をもまともに食らい、メインエンジンが爆発して大破する。
「ようし! まずは一匹ッ!」
 ミラは固く拳を握り、モニターに向かって突きつけた。
「だが、まだだ! どんどん行くぞコラ! 銃弾が枯れるまで撃ち続けてやるッ!」
 秒間に数十発という速さで発射されるガトリングガンは、当然大きな反動を機体にもたらす。反動を殺すためにはバーニアを常に吹かし続け、バランスを取らなければならない。足場のある地上と違い、宇宙空間では背に付けたバーニア以外に頼れるものはないのだ。
 ミラはバランス調整の半ばをマニュアルに切り替え、持ち前の勘を総動員して、ガトリング砲を撃ち続けながらも体勢の維持を実現していた。このような真似は、部隊の中ではミラにしかできない。
「そらそらそらッ!」
「って、うわわっ! ミラさん、こっちに来てるって!」
「避けられるモンならやってみろやァッ!」
 途中でラッシュの悲鳴が聞こえたがおかまいなしである。バーニアの方向を巧みに操作し、ミラ機は一点集中の射撃から左右への掃射に移った。
 弾丸が宇宙空間に散らばる残骸に当たって小さな爆発を起こす。それに巻き込まれた敵の一機が、大きく体勢を崩した。
「来たよ来たよ。絶好のエサだよ。僕は左だと思う、ウル」
「僕は右だ、アル。それじゃあ――やっちゃおう」
 ミラ機に追随するアルカム・ウルカムの双子が駆る羅甲が構えるのは、長大な射程を誇るスナイパーライフルだ。
 一度だけ交わした会話の後、二人は体勢を崩した羅甲に向かって各々に狙いをつける。その動きは奇妙なほどに揃っており――ほぼ同時に、両操兵はライフルの一撃を放った。
 敵機は動きを察し、避けようと動く。向かって右側へ――しかし、ウルカムの放った一撃はその動きを正確に察していた。弾丸は倒羅の胴体を打ち抜き、一瞬遅れて光の花を咲かす。
「へっへー。まずは僕のポイントだね、アル」
「まだまだ始まったばかりさ。負けないよ、ウル」
「テメェら! くっちゃべってんじゃねぇ、ヤツらが来るぞ!」
 怒鳴り声と同時に、ミラ機は撃ち尽くしてしまったガトリング砲を投げ捨てた。
 援護射撃が途切れたのを敵機も機敏に察している。ラッシュ機に群がっていた敵のうち、数体が進路を変更してミラ機のほうへ突っ込んできた。
「ミラ、左から三体、上から一体だ。やれるか?」
「ヘッ。わかってるって、隊長」
 操縦桿を握る手に力がこもる。ぺろりと唇を舐めると、ミラは吠えた。
「接近戦なら負けないってつもりってか? そいつは甘いンだよな、敵さんよッ!」
 両肩のミサイルを存分に吐き出しながら、バーニアを吹かして突撃する。相手が遠距離専門の機体とタカをくくっていた敵機は、自ら踏み出してくるその動きに動揺した。
「アル公にウル公! 援護しろ!」
「わかってるってば、ミラさん。カッコいいとこ見せてよー」
「そうそう。後ろは任せてねー」
 操兵は砲撃用のカスタマイズを施されているが、性格は突撃タイプのミラである。あっと言う間に距離を詰めると、ラッシュ顔負けの動きで敵機からの攻撃をかわし、右腕に装着したロケットランチャーでゼロ距離からの射撃を狙う。
 敵は体勢を立て直そうとするが、ミラの動きを知り尽くしたアルカム・ウルカム両機の支援射撃がなかなか思うような動きをさせない。
 ――交戦開始と同時に、ミラたちは数で上回る相手を圧倒していた。
「クソッ! たった五機相手になんてザマだ!」
 敵部隊を率いるテロリストの小隊長は、飛び回るラッシュ機にマシンガンを乱射しながら罵った。
 暗礁領域には操兵が隠れるくらいの巨大な障害物が数多くある。その上、奇妙な磁場が発生してレーダーがほとんど役に立たない。だからこそモニターによる直接視界で戦うしかなく――数で上回り、攻め手である自分たちのほうが有利だと確信していた。
 しかし、実際に始まってみれば全く逆の結果だった。敵は異常磁場など苦にもせず、通常宇宙空間のように正確にこちらを捉えてくる。一方的に不利なのはこちらだったのだ。
(何故だ。ヤツら、見たところそれほどのレーダーを積んでいるようには見えない。通常機ならば条件は五分のはずだ。何故ヤツらは――)
 その時、小隊長の視界を一機の羅甲が掠めた。マシンガンの銃口がこちらに向けられている。小隊長は倒羅の進路を切り返し、銃撃をやり過ごした。
「この――ちょろちょろと小賢しいッ!」
 反撃の銃撃を、羅甲はぎりぎりのタイミングで避けた。さらなる追撃に移ろうとして、小隊長はふと気付く。
 他の四機と違い、この一機だけが妙に浮いている。それぞれ突撃用、支援用と明確に機体のカラーがある中で、この羅甲だけは何のカスタマイズもされていない。どころか、通常の羅甲よりも運動性能が劣っているように思える。古い型のものを無理に使い回しているのだろうか。
(いや、違う。あの機体は――)
 背中に負った大きなバックパック。そうだ――初めにあれを見たとき、彼は一つの違和感を抱いていた。
 それはブースターのように見えた。だから、彼はもう一機の羅甲と共にあの羅甲も突撃用にカスタマイズされているかと思ったのだ。しかし、蓋を開けてみれば距離を取っての牽制射撃しかできないような性能しか持っていない――。
「となれば――あのお荷物はシステム強化のためのものか!」
「ちっ、そろそろカラクリがバレたような感じだな」
 船の残骸を盾にしながら、アルバートは舌打ちした。
 アルバート機に向かってくる銃弾の量が、ある時を境に増えた。距離を取っても執拗に狙ってくる。こうなってしまうと、いくらアルバートの腕前が優れていても堪えきれるものではない。
「隊長! 大丈夫ですかッ!」
 ラッシュからの通信にアルバートは苦笑した。ほとんど叫ぶようにしている彼のほうが、よほど余裕がないように思えたからだ。
「大丈夫、って言いたいところだがね。このままここに留まっちまうとちょいとキツいか……」
 言ったそばから、アルバート機が身を潜めていた残骸が砕け散る。衝撃に翻弄されながらも機体を操り、アルバートは何とか体勢を整えた。
 三機、こちらに突っ込んでくる倒羅の姿が見える。先頭を切るのは、アルバートが指揮官ではないかと目を付けていた機体だ。
(そろそろ動かなきゃまずいな。今なら――こっちが動けば敵もついてくる。敵指揮官自らが戦列を離れるなら、俺がここから消えても悪くない)
 アルバートはちらりと視線を落とし、レーダーを確認する。群がる敵機とは別に、この宙域を動いていく大きな赤い点。敵機の母艦となっている輸送艦は、倒羅たちがこちらと交戦している間に暗礁領域を突破しつつある。
「うし。決めた!」
 アルバート機は迫りくる敵に背を向け、バーニアを吹かして逃げるように前進する。
「お前たち! ここは任せるぞ! 俺はこいつらと一緒にデートしてくる!」
「おいおい、マジかよ! 一人で行く気かッ!? せめてラッシュでも連れてけよ! そいつ一機じゃ戦えないだろ!」
「大丈夫だ。伝えてる暇はないが、考えがある。それよりもミラ、ラッシュや双子を頼んだぞ。距離が離れればしばらく音信不通だ」
「待てって! 隊長ッ! ぜってぇ無事で戻って来――」
 ザザッと不意にノイズが混じり、続いて通信が途切れた。システムの強化を行ってるとは言え、距離ができると暗礁領域に阻まれて通信が不可能となる。
 こりゃあ、帰ったらどやされるな――そう思い、アルバートは苦笑した。
 と、目の前のモニターに危険の文字が灯った。反射的にアルバートは羅甲の進路を右に変える。
 追いすがる倒羅から放たれた銃弾が足元をかすめ、その先にあった残骸を打ち抜いた。
「クソ! なんで当たんねーんだ!」
 標的を外し、追いすがるテロリストの一人が悔しげに叫んだ。
「落ち着くんだ。焦っては向こうの思うつぼだぞ」
 小隊長は冷静にそう言って、右腕に構えたマシンガンの引き金を引いた。
 レーダーが効力を失う暗礁領域ではシステムのサポートは望めない。映し出されるモニターを見ながら、己の勘に従って引き金を引くのみだ。
 劣悪な状況下で、放った銃弾たちは狙い違わず敵機に向かっていった。命中する――そう思う瞬間に、わずかに機体が左右に動き、着弾を回避する。
「やはり向こうのレーダーは効いている。でなければ、あんな動きができるはずがない」
 口調は冷静だが、やはり忌々しいと思わざるを得ない。思い返してみれば、あの機体のせいで自分たちは数の有利を生かせず、劣勢に回ってしまったのだ。
 こちらにもあのようなシステム専用の機体がいれば。そう考え、すぐに首を振った。テロに必要なのは迅速さ、それが第一だ。そのコンセプトに沿わないあのような機体を連れてこれるはずがない。
(要するに、あの暗礁領域を戦場に選んだ時点で我々はこうなる運命だったのか)
 見事なものだ――思いながら、小隊長は目前を行く羅甲を睨みつけた。
 あの羅甲に乗る人物こそが指揮官だと、彼はすでに確信を抱いていた。最初は真ん中に陣取った砲撃戦用羅甲がそうかと思ったが、一連の動きを経て彼の考えは変わる。敵部隊の的確な動きは、誰かから指示されてこそのものだ。とすれば、指揮官の乗機はシステムの統括を務めるあの羅甲こそが相応しい。
 最初の突撃で陣を乱し、ガトリングガンによる銃撃で相手を分断、狙撃用ライフルで確固撃破を図る。こちらが奥の支援用機体を撃破しようと動けば、まるで見越したかのようにあの重装備の羅甲が突っ込んできて出鼻をくじかれた。
 万事が万事、相手に先手を取られている。まるで戦場を支配されているかのように――。
「各員、逸るなよ。どちらにしろヤツはもう動きが取れん」
 どちらにしろ我々の勝ちは揺るがない。小隊長はそう確信していた。
「このまま追い詰めてヤツを仕留める。そうすれば歴戦の猛者たる我らの同志が連中に後れを取るはずがない。否、それ以前に――」
 言いかけて、小隊長は気づいた。
「ヤツの進路――これは、輸送艦の進行方向か」
「――本当だ。間違いない、ヤツは輸送艦の方向を目指しているぞ!」
「なるほど。向こうも切羽詰まっていると言うわけか」
 小隊長は思わず口の端に笑みを浮かべた。
 あの羅甲に輸送艦を止められるほどの戦闘能力があるとは思えない。それでも、一人戦列を離れて輸送艦の動きを止めに行かねばならなかった。すなわち――向こうにはもう余計な戦力はないと言うことだ。
「各員! ヤツを落とし、このまま管理衛星をぶっ壊すッ! 確実に――確実に、だッ!」
「了解ッ!」
 散発的な射撃をやめ、テロリストたちはただただ無言で羅甲を追う。
 右に左に、巧みに障害物を利用して羅甲は進む。バーニアの性能も落ちているから、まともに直進したのではあっと言う間に追い付かれてしまう。三機の倒羅は焦ることなく鬼ごっこに付き合った。行き着く先に壁しかないことを彼らは確信していたからだ。
(もうすぐ終わる……)
 革命。多くの同志がその半ばで散っていった。
 この戦いもまた過程に過ぎない。管理衛星が破壊されてもアムステラの支配は続く。
 だが、それでも良い。この一事がデシセントに住む人々の心に何かを残せたのならば――それで良いのだ。
 モニターに映る羅甲の背中。左右に浮かぶ無数の残骸。まるで迷路のような風景だ。
 出口のない迷路――そう、革命とはまさしくそう表現するに相応しい。かつては一つの出口に向かって続いていたものが、さまざまな困難と思惑によって歪んでしまった。誰のための革命なのか。何のための革命なのか。そもそも――革命とはどのような行為を指すのか。
 ジェダ・フリークス率いるテロリストたちはその現状を打破するためにここまでやってきた。過激な計画に尻込みするデシセント独立党の古株幹部に失望し、彼らは限られた仲間だけでここまでの計画を練り上げ、用意を周到に行い、そして実行した。
 ジェダの立てた計画はもうすぐ終わる。デシセント管理衛星――アムステラによる支配の象徴の破壊によって。
 それが終われば、あとは華々しく散り、皆でジェロハラへの旅路を開始すれば良い。罪深き我らにとって旅路は長く厳しいものになるだろう。だが、超えられる。偉業を成した友と共にならば、必ず越えることができるはずだ。
「隊長。もうすぐ暗礁領域を抜けるぞ」
 通信が入った。小隊長は頷き、言葉を返す。
「各員。暗礁領域を出たら速やかにあの羅甲を撃破する。そして輸送艦と合流し、突撃を援護するぞ」
「おう、了解だ」
「管理衛星にも多少の迎撃機能があるからな。それを沈黙させる。確実に任務を遂行するんだ」
 周囲の残骸の数が減ってきた。いよいよこの暗礁領域を抜けることができるのだ。
 システムが復旧すればあの程度の羅甲は物の数ではない。単騎で飛び出すからには何か考えがあるのだろうが、実行に移す前に撃墜してやる。そして、管理衛星を火に包み、それを横目に見ながら我々はジェロハラへの旅路を開始するのだ。
(シルビア。エレモス。ガルネロ。お前たちはもう向こうに着いているか? それともまだ旅路の途中かな。お前たちは祝福してくれるだろうか、この戦いの結末を)
 かつての友の名を呼び、小隊長は操縦桿を前に倒した。障害物が少なくなったため、遠慮なくスピードを出すことが可能になったのだ。バーニアが灼熱し、倒羅隊長機が加速する。他の二機もその後に続く。
 目前の羅甲との距離はどんどんと狭まっていく。単純な追いかけっこならば、やはり時間の問題だ。
 残骸の数が見る見るうちに減っていく。もうほとんど通常の宇宙空間と変わらない。システムも半ばまで復旧してきているようだ。モニターに忙しく文字と数字が躍っている。
「さあ、クライマックスだ!」
 残骸の海を抜け、暗礁領域を抜ける――。
 不意に視界が開けた。何一つさえぎる物のない漆黒の宇宙。そこには一機の羅甲と三機の倒羅だけ。
 システムが復旧完了を告げるメッセージを発する。小隊長はすぐさまレーダーを確認した。そばに大きなエネルギーを示す丸い点が一つある。テロリストたちが強奪した輸送艦だ。彼らを理想郷ジェロハラへと導く巨大な方舟――。
 ――待て。小隊長の全身から冷たい汗がにじむ。
 近場に位置する輸送艦。それは良い。それは良いが――輸送艦と倒羅三機を挟んで反対側、デシセント管理衛星の方向にある巨大なエネルギー反応はいったい何なのだ?
 モニターを巡らす。そこに――。
 駆逐宇宙戦艦『招雷』の雄々しき姿がある。
「これを――狙っていたのか」
 うめき、小隊長は目の前の羅甲の背中を睨みつける。
 直後。
 駆逐艦『招雷』の誇る長径ビーム砲が火を吹き、小隊長の駆る倒羅を一瞬のうちに消し飛ばした。



 アルバートはジェダ・フリークスを希代の策士と評したが――。
 彼自身も負けてはいないと、ダロウズ艦長は敵輸送艦を前にして思っていた。
 暗礁領域に入られると全てのレーダー射程が制限され、特に暗礁領域外からの索敵はほぼ絶望的だった。敵の最終目的がデシセント管理衛星にあると言うのはわかっていたからある程度ルートの予測はついたが、それでもベストな位置取りは難しい。相手の正確な位置をつかめなければ、万が一にでも撃ち漏らす危険がある。
 そこで、アルバートは自らの機体を『招雷』のレーダー探知システムとリンクさせ、輸送艦の動きを追うことを提案した。輸送艦と距離の近い彼の機体ならば、おぼろげながらその動きを追える。アルバート機が途中で戦列を離れたのも、輸送艦の動きを追うためなのだ。
 逐一もたらされる情報により、『招雷』は余裕を持って位置取りを行うことができた。
 さらに――敵輸送艦が暗礁領域から現れる直前。
 羅甲アルバート機が、倒羅三体を引き連れて敵輸送艦と『招雷』の間に現れる。
「まったく――空恐ろしい男だ」
 ダロウズ艦長はそう言って、艦長帽を目深に下げた。
 そして――号令を下す。
「主砲発射! ってぇーッ!」
 長径ビーム砲がまずは唸り、一条の光の線となって宇宙を切り裂く。
 その一撃は延長上にいた敵機を巻き込み、輸送艦に突き刺さって大爆発を起こした。
「命中ッ! 主砲、再チャージ開始しますッ!」
「他の砲も休まず続けェッ! 敵をこちらに近づけるな!」
 『招雷』の武装は、ビーム砲は主砲一基だけで、他は実弾兵器である。砲弾が次々と発射され、敵輸送艦を火に包む。
「敵輸送艦、なおも健在! こちらへ向かってきます!」
「艦長! 距離が遠過ぎて主砲以下は威力が発揮できないようです!」
「そのようなことはわかっている」
 上ずったオペレーターの声に、艦長は冷静に返した。
「主砲、七〇パーセントまでチャージ完了! 以後は発射可能です!」
「ん」
 頷くが、発射の指示はない。ダロウズ艦長はただじっとモニターの先の敵輸送艦を見つめている。
 デシセント独立党――彼らの執念は本物だ。炎に包まれながらも特攻をかけてくるその姿からは、何か禍々しいオーラのようなものを感じる。
 闇雲に撃つだけでは倒すことはあたわない。狙い澄ました一撃でなければ――かの執念を断ち切るには至らないのだ。
「敵、近付いてきます! 直線にして距離六〇〇!」
 輸送艦は一直線にこちらへ向かってくる。攻撃を受けてもはや舵は効かなくなっているだろう。もしかすると、敵パイロットももう死んでいるかもしれない。それでもこちらへ向かってくる。
「撃ち方、止め」
 艦長は静かに指示を出した。
 砲撃が止み、輸送艦のシルエットだけがどんどんと大きくなる。
 最早誰も口を開かなかった。炎を背負って迫りくる輸送艦をただただ見つめている。
(落ち着け。突破口は必ず開ける)
 敵輸送艦の影が大きくなる。距離四〇〇、距離三五〇、距離三〇〇――。
(必ず、だ)
 ――それはほんのわずかな動きだった。
 わずかに、輸送艦の船首が向かって右下の方向に傾いだ。
「今だッ! 主砲以外は一斉射撃ッ! ってぇッー!」
 ごく近距離に迫った敵輸送艦に向かい、『招雷』の全砲門から渾身の砲撃が放たれる。
 命中。爆炎。そして衝撃。
 今までにないほどに火に包まれた輸送艦は、わずかに傾いたところに砲撃を受け、その行く先をねじ曲げられた。
 間近で起こった爆発に『招雷』のほうも無事ではいられない。衝撃波が襲いかかり、船体を大きく揺らす。誰もが体勢を崩しそうになる中、艦長席に立つダロウズだけは微塵も揺らがず、冷静に次の命令を下していた。
「主砲、発射ッ! ってぇーッ!」
 発射されたビーム砲は、敵輸送艦の船腹を貫き、止めを刺した。爆発を起こし、完全に軌道が逸れる。
 それを見届けて、艦長は全速前進の指示を出した。
 致命傷を受けた輸送艦は、小爆発を繰り返しながらふらふら進む。が、やがては力尽きたように勢いを落とし、一瞬の沈黙の後、大爆発を起こして四散した。
 爆発の衝撃は大きい。『招雷』は大きく縦に揺れ、さすがの艦長も席にしがみつかざるを得なかった。デシセント管理衛星のほうにも少なからず影響があったことだろう。
「――敵輸送艦、完全に大破。我々の勝利です!」
 オペレーターの声に、その場にいた皆がわっと騒ぐ。
「まだです。まだ終わってはいませんわ」
 その中で、臨時にオペレーターを務めるアウローラだけは冷静だった。
 彼女の眼はレーダーに映る二つの赤い点を見つめている。砲撃の中を生き残っていた倒羅二体だ。それらが、一直線にこちらに向かってくる。
「艦長! そっちに二体向かってる!」
 アルバートからの通信に、勝利ムードだった指令室が一転して慌ただしくなる。
 巨大な機動戦艦であるならともかく、駆逐艦レベルでは羅甲程度の操兵でも大きな脅威となる。標的が小さいためにこちらの砲撃が当たらず、うかうかしている間に司令室をピンポイントで狙われたりすれば、一瞬で無力化してしまうのだ。
「迎撃態勢を取れッ! 敵機を近づけるな!」
 アルバート機も援護に向かおうとしているが、出足は倒羅のほうが早い。砲撃手が狙いを変更している間にどんどんと距離を詰める。
「迎撃開始します!」
 砲撃が始まる。まさしく雨あられと降り注ぐ砲弾の中、二機の倒羅は巧みに機体を操作して迎撃をやり過ごす。
「敵機、第二種防衛ラインを突破!」
「敵攻撃、来ます!」
 モニターの中の倒羅が右手に携えたバズーカを構える。狙いは『招雷』胴体部。
「各員、衝撃に備えろ!」
 ダロウズ艦長が叫ぶ。その時だった。
 一条の光が、戦場を駆け抜けた。



 それがいつからそこに存在していたのか。
 忽然と姿を現したその機体は、倒羅に向かって迎撃を開始する『招雷』の傍らを、何かを確かめるように緩やかに飛んでいた。
 ある時。
 機体は突然動きを変える。
 身体を完全に前に倒したその機体を、包み込むように、マントのような形をした外装部が包み込んだ。
 まるで長大なマントに身を包んだ怪人がごときその姿。
 もしその姿を見る者がいたならば、思わず目を疑っただろう。
 白いマントのような外装部が、見る間に青く着色していったのだ。
 機体が、中に沸いたエネルギーに耐えかねるように震え出す。
 ドン、と。
 何の前触れもなく機体は爆発的な加速によって前に進み出した。
 否――進み出す、と言うような生易しいレベルではない。
 火薬の爆発によって、銃弾が銃身から弾け出るのと同じように。
 瞬きをするそのわずかな間に、機体はトップスピードに乗り、漆黒の宇宙を駆け抜けていた。
 そう、それはさながら――。
 流星のように。



 一条の光が、バズーカを構えていた倒羅を貫いた。
 倒羅のパイロットには何が起こったのか分からなかった。
 撃墜を確信して一撃を放とうとしたその瞬間、ごく軽い衝撃が走り、モニターの一面に赤い文字が躍ったのだ。
 どうやら、何かに、撃たれた、らしい――。
 彼の思考はそこで永遠に止まった。爆発が機体を包み、宇宙にまた一つ無情の華を咲かせる。
「――来たか、流星ッ!」
 アルバートは拳を握り締めて叫んだ。
 一瞬にして倒羅を葬り去ったあの光は、ビームライフルの一撃だ。いつの間にか出撃していたカナタの駆る流星が、『招雷』の援護に現れたのだ。
 モニター上に映る流星の姿は、彼の感性を超えている姿をさらしていた。まるで頭から突っ込むような体勢で宇宙空間を飛び回っている。両手を前に突き出していたら、まるで空を飛ぶスーパーマンのような格好だ。
 何とも云えぬ体勢だが、流星の周りを追うようにして展開したマント型のブースターを最大限活用するためには、確かにこの恰好が一番似合っている。脚部に重点的にブースター機能が付けられているのも、この体勢での運用を想定しているからこそなのだろう。
 だが――と、アルバートは戸惑った。あの体勢から、どのようにして射撃体勢に移るのだ?
 両手はマント型のブースターの中に隠れている。このままでは唯一の武装であるビームライフルが使えない。
 と、考えていたところで、不意に流星の姿がモニタから姿を消した。
(加速したッ!?)
 レーダーを見れば、確かに流星の姿はある。が、動きが速過ぎてカメラが捉えきれていないのだ。
 カメラの倍率を三つ下げて、ようやく加速する流星の姿を捉える。
 向かう先には一体残った倒羅がいた。流星の速度にまるで対応できていない。弧を描くようにして接近する流星に、常にワンテンポ遅れて機体の向きを変えている。先程のアルバートと同じで、カメラが流星の姿を捉えきれていないのだ。そのため、レーダーから与えられる情報との同期が上手くいかなくて、機体の動きが遅れてしまう。
 そんな倒羅を嘲笑うように、流星はさらに速度を増して倒羅に接近する。相手はやみくもに牽制射撃を行うが、そもそもが見当外れの方向だった。
 流星は倒羅のすぐ傍を駆け抜ける。大気のある地上ならば衝撃波でダメージを受けるところであるが、ここは宇宙空間のため倒羅には何の影響もない。ただ、傍を駆け抜けていった流星を追うため、機体を巡らせた。
 振り向き、マシンガンを構える。牽制のための射撃を再び行うために。だが、機体を反転させるその半ばで、倒羅パイロットは信じられぬものを見た。

 今しがた超高速で飛び去って行ったはずの流星が――。
 ライフルを構え、こちらに狙いをつけている。

 言葉を発する間もなかった。放たれた光は一瞬にして倒羅のコックピットを貫く。
 続いて爆発が起こり――。
 二機の倒羅は、わずか二分の間に撃破されていた。
「とんでもねぇな……」
 羅甲を止め、アルバートはうめくようにして言った。
 あの交差の一瞬後――。
 流星はマント型ブースターを解放し、ほんの短時間、加速を弱めた。その直後、片方だけのマント型ブースターを吹かし、強引に方向転換をする。
 ほとんど直角に近い動きだ。普通の人間があの加速の中で、その動きに耐えられるはずがない。どのような重力緩衝剤をしきつめたところで――限界というものがある。
 それを可能にするための――人体強化施術というわけなのか。
「カナタ。応答しろ、カナタ!」
「――はい、隊長。こちらカナタ機、流星です」
 視界の中の流星から、平時と変わらぬカナタの声が聞こえてきた。アルバートはひとまずほっと息を吐く。
「さすがだな。びっくりしたよ」
「何か至らぬ点はございましたでしょうか」
 淡々とした口調で聞いてくる。
「――、いや。うん。良くやってくれた」
 あんな無茶な動きはもうするな――。
 口元まで上がってきていた言葉を押さえ、アルバートはそう言った。
 あれが今のカナタの戦い方なのだ。否定をするのは容易い。だが、それだけでは何も与えられない。彼女を導くことはできない。
(まだ――始まったばかりなんだ。焦ることはないさ……)
「隊長! アルバート中尉ッ!」
 通信が入ってきていた。聞き覚えのある女性の声だ。
「ん、この声はリカちゃんか」
「その呼び方はおよしなさいと何度言えば――いいえ、もうこの際どうでもいいですわ! それよりも、どうです? 流星の実力は。素晴らしいでしょう!」
「お、おう。まあな……」
「ふふん、そうでしょうそうでしょう! わたくしが設計したんですもの。羅甲を改修したくらいの操兵になんてやられるはずが――」
「ああ! アーシェリカさん、私的な通信でここの機能使っちゃダメですってばッ!」
 エルミナの慌てた声が聞こえてくる。
 やれやれと苦笑しながら、アルバートは緩やかに羅甲を前進させた。
「アルバート隊長。戦いはまだ続くのでしょう?」
「恐らくは。まだ別動隊の情報が入ってこないから何とも言えないけどさ」
「それでは、わたくしはこれから一室を借りて流星専用のオペレーターとなります。既に艦長にも許可を取っておりますわ」
「リカちゃんが?」
「何か不都合でもありまして?」
「いや、別に……」
 なんだか妙な話になった。アルバートが頭をかいていると、通信が入る。
「こちら『招雷』オペレーター。アルバート機、応答願います」
 アウローラの落ち着いた声が聞こえてきた。
「ミラ軍曹から連絡がありました。敵機を三機撃破。残り一機。他三名、全員健在とのことです」
「――うしっ。あいつら、よくやってくれた!」
 向こうの勝負はほぼ決したと言うことだ。これで残すところはあと一つ。まだこの宙域に現れていないジェダ・フリークス率いる部隊だけである。
「アウローラさん、第三八七の連中からの連絡はないのか?」
「ございません。交戦区域付近の基地は、十五分前に第三八七警備隊から交戦中との報告を受け取っているそうです」
「十五分前……以後、連絡がないのか?」
「そのようです」
 アウローラの声は心なしか沈んで聞こえた。
 交戦時の定時連絡は、交戦中の機体の設定にもよるが、最長でも五分ごとに行われる。十五分の沈黙という事実はいくらなんでも長過ぎる。恐らく、第三八七辺境警備隊は壊滅か、それに近い打撃を受けているのだろう。
(しかし、それにしても……妙だ。十五分前に戦闘が終わったとして、なぜ今になってもジェダたちは現れない?)
 障害さえなければ、暗礁領域を抜けるのにも十分とかからない。あの領域はせいぜいがその程度の大きさなのだ。もしかするとミラたちが交戦しているのかもしれないと思ったが、それならそれで必ず連絡があるはずだ。
 ――まさか。
 アルバートは一つの結論に辿り着く。
 その結論を裏付けるかのように――。
「て、敵機出現ッ! デシセント管理衛星の方向! は、反対側に敵機が現れたッ!」
「クソ、やられた! そっちから来やがったか!」
 アルバートは舌打ちした。
 敵は防衛部隊の撃破後、ルートを変えてきたのだ。暗礁領域を迂回し、こちらのレーダーが届かない範囲を見越して管理衛星の裏側に回る。
 アルバートたちは輸送艦に気を取られていたため、レーダーの索敵範囲をそちらの方向へある程度絞っていた。その隙をジェダたちは突いたのである。レーダー網をぎりぎりでかすめるようにして、テロリストたちは衛星の背後に回った――。
(そんなバカなことがあるかよ!)
 己の滑稽な想像に、アルバートは思わず吐き捨てた。
 レーダーの索敵範囲など視認できるものではない。それを、こうも都合良く掻い潜れるものなのか。
(何かが憑いてやがるのか。デシセントの亡霊が手助けしてるとでも言うのかよ!)
「面舵一杯! 船首を回せ!」
 ダロウズ艦長が叫ぶようにして指示を出す。『招雷』は緩やかに迂回運動を取ろうとするが――動きが遅すぎる。
「くそっ、間に合うかッ!?」
 羅甲アルバート機も加速に移った。が、『招雷』を介したレーダーに移るテロリストたちの動きは速い。どう足掻いても間に合いそうもない。
「アルバート中尉、カナタ少尉に命令を!」
「え? あ、ああ……」
 ふと気付けば、羅甲の周りをカナタの駆る流星が緩やかに追従している。緩やかに、と言ってもそれほど遅いスピードではないのだが、先程の爆発的な加速力を目にしていると、そう表現せざるを得ない。
「カナタ少尉に敵機を撃破するよう命令してください。流星ならば敵が衛星に取りつく前に追いつけますから」
「リカちゃん、それは確かにそうだろうけど……」
 幾ら強大な力を持っていようと、何の援護もなしに六機の倒羅と戦えるものなのか。しかも、相手の内の一機はおそらくあのジェダ・フリークスが乗っている――。
「迷っている時間はありません! 流星とカナタ少尉ならば必ずやり遂げてくれます。絶対に、絶対ですわ!」
「――わかった。カナタ!」
「はい」
 感情のこもらぬ声。まるで人形のように――。
 アルバートは首を振った。何が人形だ。彼女はカナタだ。カナタは人間だ。ただの女の子だ。そして軍人であり、ここは戦場なのだ。
「カナタ。敵がデシセント管理衛星に迫ってる。一足先に行って連中の足を止めてくれ」
「――それは敵を撃破するなと言うことでしょうか。足止めに専念せよと」
「そういう意味じゃない。可能なら撃破してくれてもいい。だが、深追いは――」
「了解しました、隊長」
 カナタはあっさりと、
「全機、撃墜します」
 そう宣言する。
「カナタ、無茶は――」
「無茶ではありません。流星がある限り、カナタは空っぽではありません。空っぽでないカナタには、大きな力があります。その力が言うのです。全機葬ることも容易いと」
「カナタ――」
 淡々と述べられる言葉にアルバートは絶句する。
 大きな力――とは、何だ? 何かがカナタの中に棲んでいるとでも言うのだろうか?
 流星。あの機体には――まだ何かがあるのか?
「出撃します」
 宣言と同時に。
 流星は、文字通り流星のように宇宙を切り裂いて管理衛星に向かう。
「……クソッ! 意味わからねぇ! わかんねぇが――放っておけるかよ!」
 アルバート機もまた、その後を全速で追いかけた。



 重圧が全身に圧し掛かる。
 ぎしぎしと身体が軋む。
 操縦桿を握る手が震え、視界がぼんやりと滲んだ。
 ただ、それはほんの一瞬のこと。
 超高速が生み出すGに耐えるべく、カナタの身体は変調する。強固な重圧に耐えるため全身の筋肉が硬化し、血液が忙しく身体中を巡る。小さな心臓が臨界ぎりぎりにまで動き始めたその時、カナタの身体に仕込まれた人為的な薬物が反応を見せ、カナタの身体をより強固に作り替えていく。
 常人ならば気を失っていてもおかしくないほどの重圧の中、カナタはしっかりと操縦桿を握りしめ、いつになく意志の籠った瞳は目の前に映る巨大なモニターを一心に見つめていた。
(たたかい)
 その時――何かが語りかけてくる。

(たたかいが、はじまるの)
 だれ。あなたは、だれ。
(ひとをころすの。たくさん。ころすのね)
 たたかい。ひとを、ころす?
(あなたはにんぎょう。かなしい、かなしい、からくりにんぎょう。いとしい、いとしい、さつじんにんぎょう)
 にんぎょう。
 ちがう。
 かなたは、にんぎょうじゃ、ない。
(いいえ。あなたはにんぎょう。さびしい、さびしい、まねきんにんぎょう。くるしい、くるしい、ろうにんぎょう)
 ちがう。
 ちがう。
(たたかいが、はじまるの)
 どうして。
(たたかうたびに、うしなっていくの)
 なにを。
(あなたはにんぎょう。あなたは、たいせつなものをなくしてしまった、がらすの、にんぎょう。くだけて、とびちる、そのひまで。あなたは、せんじょうで、おどりつづける)
 そんなの――。
 そんなの、いや。

「カナタ! 聞こえるか、カナタッ!」
 声。声がする。
「――隊長?」
 囁くように呟いてみる。
 その瞬間、カナタの意識は戦場に舞い戻った。
「聞こえてるのかッ!?」
「はい、隊長」
「……そのスピードの中で、よくもまあ普通に喋れるよな。ま、それでこそ頼りになるってもんなんだけどさ」
 声に苦笑が混じっている。
 ――ああ、何故だろう。何故か、その声を聞いていると、張りつめていたものが緩んでいくような気がする。ざわついていた気持ちが収まっていく。
「カナタ、俺の操兵ではお前に追い付けない。けど、それは今だけだ。すぐに駆けつけるから、決して無茶をするんじゃない。いいか、お前が今までどんな戦いを経験してきたかは知らないけど」
 アルバートはそこで一つ言葉を切る。
「お前はもう一人じゃない。一緒にこの戦いを勝ち抜こう。んで、ミラたちと一緒においしい飯でも食いに行こうぜ」
「――隊長」
 カナタは束の間、目を閉じた。
 胸の中に何かが滲んでいる。それをゆっくり確かめたい。けれど、今はそれが許されない。
 だから――後で考えよう。そして、アルバート隊長やエルミナお姉さまに聞いてみよう。
 この気持ちの正体を。
「隊長。カナタ、征きます」
「おう。テロリストの連中に目に物見せてやれ!」
「はい」
 流星がさらに加速する。
 強化されたカナタの身体が再び悲鳴を上げる。けれど、それには意味がある。隊長が与えてくれた意味がある。
(カナタはヒトリじゃない)
 さらなる加速。ブースターが灼熱し、機体が軋み始める。それでも止まらない。
「――カナタ少尉! 一体何が起こったの?」
 部屋を移り、ノート型パソコンで流星のモニタリングをしていたアーシェリカは、思わず声を上げた。
 シミュレータや試作機テストでは見たことのないレベルにまでパラメータが動いている。それらは次々と最高値を更新していた。
「カナタ少尉! それ以上は機体が保たないわ! スピードを落としなさい!」
「いいえ、アーシェリカ中尉。流星はまだ大丈夫です」
 はっきりとした声が返ってくる。
「流星がそう言っているのです」
「――ッ」
「敵、目視レベルで確認。掃討に移行します」
 流星が不意に軌道を変化させる。直進から左へ方向転換。再び直進。再び方向転換。それを繰り返して進んでいく。
 まるでガラスの管を通っていく光の軌道のように。宇宙というキャンバスにジグザグの軌道を描き、流星は管理衛星に接近する敵機に接近していった。



「なんだ――これは?」
 管理衛星までもう数十秒で辿り着くというその時だった。不意に目の前を過ぎ去った光にジェダ・フリークスは呆然と言葉を漏らす。
 レーダーの敵機反応が示すあり得ない速度と運動軌道。それがまぎれもない事実であったと知った時、彼の心は警鐘で満ちた。
「総員、敵機だッ! 気をつけ――」
 その言葉が終わるより先に。
 ジェダの傍らにいた一機が、ビーム光に貫かれて爆発を起こした。
「クッ。この――ビーム兵器だとッ!? それに、このでたらめな速度は!」
 レーダー反応は背後。敵は一瞬のうちに死角へ移っていた――否、今も旋回運動をしながらこちらに接近してくる。
 倒羅のバーニアを全力で吹かし、ジェダは出来得る限りの速さで持ってその場を離れた。
 部下たちも同じように前後左右へ散らばり、武器を構える。――が、敵の姿が捉えきれない。レーダー上の敵の姿がぼやけ、ロックオンシステムが有効に動いていない。
(なんだこれは――ジャミング機構を持っているのか!? くそ、厄介な!)
 あてずっぽうの銃弾は敵機に掠ることすらなく、宇宙の屑となって虚空に消えた。
「――足を止めるな! 撃たれるぞ!」
 一機がバーニアによる前進を止め、マシンガンを構えて敵機の姿を追っていた。
 ジェダの警告の叫びに、しかしその倒羅は従わない。青色のモノアイが飛び回る流星の姿を追う。
「止めろッ! 早くこっちへ来い!」
「隊長! こんな敵、動きながらじゃ相手できない。足を止めて撃ち合わなければ!」
 倒羅のモノアイが敵機の姿を捉える。
 ほら見ろ。このくらい距離を取れば、いくら早く飛び回ったところで、どうってことないんだ。すぐに落としてやる――。
 レーダーとカメラの情報が一致する。ターゲットにロックオンサイトを合わせる。そして、マシンガンを発射――。
 その瞬間。流星のバーニアが火を吹き、ターゲットサイトからその姿が掻き消える。
(――そんな。あれでスピードを"落として"いたのかッ!?)
 心中の叫びを最後に、倒羅が光に包まれる。
 正確無比なビームライフルの一撃は、無理なく無駄なく的確に相手を葬り去った。
「――クッ! 総員、管理衛星の方向へ進め! こちらから動いて敵の攻撃を制限するぞッ! 決して止まるな!」
「り、了解!」
 部下の声には畏怖が滲んでいる。規格外の相手に気持ちがしぼんでしまっているのだ。
(まさか――最後の最後でこんな化け物が現れるとはッ!)
 ちらりと見た限りでは、あの機体は羅甲のような量産機をモチーフにしたものではないようだった。もっと新しい設計デザインをしている。すなわち、アムステラの新型というわけだ。
(ここに来て新型! そんな情報はまったく入ってきていなかった――帝国め、最後まで我らの前に立ちはだかるか!)



「リカちゃんッ! 状況はどうなってんだ!」
 アルバートの切羽詰まった声が聞こえる。
「順調に敵を撃破していますわ」
 アーシェリカは努めて冷静を装い、返答した。
 場所は『招雷』の一角にある通信室。主に通常業務時に使われる部屋のため、今は誰の姿もない。アーシェリカはノート型パソコンをこの部屋に持ち込むと、アウローラから回してもらった回線に繋げて流星のモニタリングをしている。
 流星の多くは――特にシステムに関する多くはオープンできない極秘事項である。できることならばオペレータールームでモニタリングをしたかったが、人の目がある現状ではそれもかなわない。故に、事情を説明して回線だけ回してもらい、アーシェリカは一人っきりのこの部屋で流星のシステムを監視している。
 順調――そう、順調だ。何が引き金になったのか、カナタは普段以上に調子良く、流星のスペック以上の性能を引き出すことに成功している。流星が接敵してからわずか一分で二機の敵機撃破――誇るに足る戦績だ。
 だが、状況は依然として困難である。生き残った敵は五機であり、自分たちは敵機撃破だけでなく衛星の防衛も視野に入れて戦わなければならない。
「リカちゃん。流星が敵を撃破したのはわかる。こっちからもモニターできた。けど、肝心の流星の状況が、こっちからじゃモニターできないんだ」
 アーシェリカの予感が正しいことは、アルバートの態度からも窺い知れた。それなりの戦線を潜り抜けてきた隊長は、新型機の示した戦果にもさほど感情を動かした様子がない。むしろ深刻な口調だ。
「まるでノイズがかかっているように、流星だけが捉えきれない。こいつの索敵範囲を考えれば十分なはずなのに!」
「状況は理解しています、アルバート中尉。しかし、こちらの回線をあなたのところに回すわけにはいきません。使っている通信言語が違い過ぎるのです」
「……くそっ! こっちからじゃ通信も繋がらないんだ。どうにもならないのか!」
 レーダー機能を強化した羅甲でも流星の動きを捉えきれない――。
 当然のことだ、とアーシェリカは口に出さずに思った。
 流星にはステルスシステムが搭載されている。自機の周りだけに妨害電波を発し、レーダー波の位相を散らしてしまう。と言っても完全にレーダー上から姿を消すのではなく、あくまでこちらの情報をぼやかすことができる、と言ったレベルの話だ。
 しかし、それだけでも爆発的加速力を誇る流星ならば有効に活用できる。敵がこちらを認識する前に接近し、対策を練る前に葬り去る――究極のヒットアンドアウェイが、流星ならば実現できるはずなのだ。
「パイロットの生還率を少しでも上げるため、ステルスシステムを解除することはできませんわ」
「……ああ。わかってる。わかってるけど」
 システム強化を施した羅甲ならば、ある程度以上の距離に近寄りさえすれば流星とコンタクトを取ることも可能だろう。しかし、まだ距離は遠い。概算で見積もっても五分はかかる。
 ――五分。それは敵機が管理衛星に打撃を与えるに十分な時間だ。
「通信を切ります、アルバート中尉」
 宣言し、アーシェリカはモニターに映し出された流星の情報に目を落とした。
 様々な数値はいまだに高い水準を保っている。だが、このまま戦い続けたところで無事に終わるだろうか。余すところなく力を出し切らねば、この状況は乗り切ることができないのではないだろうか。
(――『時の神』の封印)
 その言葉がアーシェリカの両肩に重くのしかかる。
 できればあんな不可解で不安定な使いたくない――彼女は祈るような気持ちでモニターを見つめ続けた。



 ジェダの部隊は、全員が突撃用のカスタマイズをされている、完全に一撃離脱型の部隊だ。
 流星ほどではないが、スピードはかなり出る。彼らが全力でバーニアを吹かすと、さすがの流星も簡単には追いつけない。
(確かに加速と攻撃力は大したものだ。しかし、拠点防衛向きの操兵とは言えないな)
 わずかな時間の攻防の中で、ジェダは流星の特徴を大雑把につかんでいた。
(ならば、手の打ちようはいくらでもある!)
 最高速度に達してから十秒とたたず、ジェダの目の前にあるモニターは管理衛星外周部の映像でいっぱいに埋まった。
 黒く、巨大な質量感を持った物体。間近で見るそれは一つの星のようだ。
(まずは――そちらに状況を把握していただこうかッ!)
 高速で移動しながら、ジェダ機は手にしていたバズーカを構える。対操兵用ではなく、建造物破壊や対戦艦を想定して作られた、巨大な砲弾を打ち出すためのバズーカだ。
 狙いは管理衛星。
 ジェダは躊躇なく引き金を引く。
 巨大な衛星相手にバズーカの砲弾は外れようがなく、衛星の外殻に着弾して大爆発を起こした。
 ジェダに続いて左右にいた二機もバズーカを発射する。狙いはジェダと同じ箇所。二つの大きな爆発は、管理衛星の外郭を破壊し、大きな穴を穿った。
(三発撃ち込んでこの程度。やはりこの距離では大した打撃は与えられん――が)
 ちらりとレーダーを確認すると、ジェダたちを追いかけていた敵機の動きに変化が出ていた。大きく外を迂回するようにしてジェダたちの前に回り込もうとしている。
(よし。どうやらイニシアチブがこちらにあることを理解してくれたようだな)
「全機、臨戦態勢! これで敵機の動きは制限された。取り囲んで撃破する!」
 あの機動力を攻撃に回されると厄介この上ないが、防御に回るならば大きな脅威ではない。反撃に転じられる前に一気に囲んで撃ち落とす――。
「……ん?」
 武器を持ち替えたところで、ジェダは訝しげに声を上げた。
 レーダーに映る敵機の速度が著しく落ちている。
「ふむ。我々の前に立ちはだかるつもりか」
 その予測通り。速度を落とした敵機はジェダたちの前に回り込むと、緩やかに速度を落とし続け、やがて静止した。
(……なんという姿だ)
 その異形の姿にジェダたちは息を飲む。
 長く激しい運動は装甲表面の塗装を剥がし、一面純白に近かったであろうその機体には無数に赤黒い線が走っている。まるで出血でもしているかのようなその様子は、目の前の操兵が生き物であるかのように錯覚させる。
 敵機は先程までの動きが幻であったかのように静かだった。
 戦場にあるまじき静かな時が、一見無為に流れていく。
 だが――ジェダは感じ取っていた。
 次の交差こそが、最後の攻防となることを。
「総員――」
 ジェダは命令を下す。一抹の予感を胸に刻みながら。
「かかれぇッ!」



「FTシステムの起動許可をください」
 ジェダたちの前に流星が回り込む直前。
 カナタから入った通信に、アーシェリカは大きく深呼吸し、ゆっくりと時間をかけて吐いた。
 ノート型パソコンに添えた両手が震えている。
 予感していたものがついにやってきた。
 一つ指示を出し、一つボタンを押す。それでいい。本当に、たった、それだけのこと。それなのに――。
 アーシェリカは恐れている。畏れている。
 この言葉を紡いでしまうことで――人は一つ、神の領域へ踏み込んでしまうのではないかと。
「アーシェリカ中尉」
 カナタの声がする。
「このまま衛星を守りながら、ターゲットを撃墜するのは難しいと判断せざるを得ません。衛星に攻撃する間もなく撃墜することが必要です」
「そうでしょうね。それが一番ですわ」
 アーシェリカは頷いた。
「カナタ少尉――覚悟はよろしいのですね」
「はい」
 返答に迷いがない。声には決意が滲んでいる。その事実が、アーシェリカの胸を痛ませる。
「――FTシステムを起動します。カナタ少尉、あなたのシステムへのシンクロ率は八〇%を超えている。今ならば、きっと、システムは実行される」
「はい」
(……何故、迷いがないのです)
 アーシェリカはノート型パソコンに添えた自分の手に視線を落とした。
(何故、迷いを見せないのです。あなたは――これから成功の保証が一切ない世界に突入すると言うのに)
 ソムド博士の構築した超行動原理学。状況を構築するデータから有意と無為、有用と無用を究極的に取捨選択し、最良の行動を導き出す仮想理論――。
 博士の能力を疑うわけではない。アーシェリカは、あの人付き合いが下手そうな学者肌の男を、むしろ尊敬の対象と捉えている。彼の作り上げた理論についても疑問の余地を挟むことなく理解できている。
 しかし、それでも。流星に搭載されたFTシステムの目指すところを考えると、不安に心が押しつぶされそうになる。
「アーシェリカ中尉。時間がありません。今を逃せば、システム発動のタイミングは失われます」
 カナタの声がアーシェリカに最後の決断を下させる。
 迷う時間はない。状況を突破するには、FTシステムを起動させるしかないのだ。
「――FTシステム起動」
 厳かに宣言し――。
(カナタ少尉。無事に帰ってきてください)
 祈りに似た気持ちを抱きながら、アーシェリカは最後のボタンをクリックする。
 ――こちらのモニターで何かが変わるわけではない。ただ一言、システム立ち上げ中の文字が浮かぶだけだ。
 流星の外観にも今は何ら変化は起こらない。だが、カナタの騎乗する流星のコックピットでは明確な変化が起こっているはずである。
「FTシステム起動確認」
 カナタの声に頷き、アーシェリカはパソコンを操作して別のパラメータを確認する。
「現在の総合シンクロ率八五%。FTシステム、実行可能です」
「ターゲットを宣言してください」
 カナタの声から急に感情の色がなくなった。
 その時、アーシェリカはようやく気付く。戦いが始まってからずっと、カナタは他の人間と同じように――昼間までとは違う、人間味のある言葉で話していたことに。
 だが、今となってはその事実を確かめることもできなかった。
 ――既に『時の神(ファーザー・タイム)』の封印は解かれてしまったのだから。
「ターゲットは目の前に展開する羅甲型敵機七機」
 カナタの変化に合わせるように、アーシェリカの声からもまた感情の色が薄れていった。
「了解しました。ターゲットは敵機七機。すべて殲滅しますか」
「――敵首謀者の乗る隊長機は戦闘不能に留めること可能でしょうか」
「可能です」
「では、そのように」
「了解しました。入力を完了。作戦を実行します。完了は八四秒後を予定」




[F.T. SYSTEM START]



[THE FATHER TIME...AWAKEN(時の神、目覚める)]



 倒羅と対峙する流星のコックピット。
 システム開始宣言とコックピット内の全ての照明が落ち、カナタの周囲は完全な闇に包まれた。

[OPERATION: G.O. START TO LOAD...]

 闇の中に浮かぶ緑色の文字。
 カナタは静かに前を見つめ続ける。
 一つ。緑色の線が走り。
 一つ。また一つ。直線が増えていき、闇の中に交差する。

[READING ALL SETTINGS...]

 無数の緑色の線は三つの軸に沿って伸びる。XYZの三元系。何もない闇の中、線で構成された物体が次々と浮かぶ。

[MAKING THE RECONSTITUTION MODEL FROM THE SETTINGS...]

 管理衛星。漂う破片。表面の些細な傷すら逃さずに。流星を包むすべての情報が闇の中に構成される。

[READING THE INFORMATION OF THE TARGETS...]

 それはターゲットたる五機の倒羅とて例外ではない。温度など各種のエネルギーレベルと同時に全機がスキャニングされていく。

[RECONSTITUTION RATIO: 80%...]

「再現率八〇%……」
 虚ろな声がカナタの口から洩れる。

[RECONSTITUTION RATIO: 90%...]

 いつの間にか――彼女の瞳は、場を構成する無数の線と同じく緑色に染まっていた。

[RECONSTITUTION RATIO: 95%...]

 そして。

[RECONSTITUTION RATIO: 100%...COMPLETE]

 流星の真の姿が解放される。



[OPERATION: G.O. START]



[Welcome to... the "Ghost Opera"]



 流星のモノアイが再び赤く灯った。
 同時に頭部から伸びたアンテナ部が伸び、背にあったメインブースターが歪に広がる。
 ほとんど白色がはげ落ちた機体のあちこちを、緑色の燐光を発するラインが包み、マント型のサブブースターが翼のように虚空に展開された。
「総員――かかれェッ!」
 ジェダ・フリークスの号令一下。
 五機の倒羅は、動き出そうとした流星に向かい、一斉にマシンガンの乱射を開始した。
 ジェダだけは銃撃に参加しない。その間に彼は迂回気味に流星へ近づき、回避に移って敵の動きを追って追撃を加える。
 倒羅が手に携えるは徹甲用ライフル。戦艦だろうが何だろうが、当たれば貫く代物だ。
(さあ、避けてみろ、新型機! お前がどんな動きをしようとも、このジェダ・フリークスは外しはしない!)
 部下も心得たもので、ジェダの細かい指示がなくとも、それとなく銃撃の軌道をずらして敵の回避方向を限定させるような攻撃を加えている。
 無言のうちに成立したコンビネーション。信頼が生んだ奇跡。負けるはずがない――勝てぬはずがない!
 ジェダ・フリークスは勝利を確信する。
 ――その確信が。
 一瞬にして驚愕に凍りついた。
 流星が動く。そこまでは誰もが予想していたことだ。当然、回避する。問題はその方向だった。
 左右上下に移動して避けることが当然と思われていた。しかし、流星の動きは違う。雨あられと降り注ぐ銃弾の中を、白い機体は前方に向かって突進したのだ。
 当然、蜂の巣になる。一瞬のうちにそう思ったテロリストも多かったろう。
 だが、彼らにとって信じられぬことに――。
 劉生は傷一つ負わず、平然と、彼らの前にまでやってきた。
「ば――馬鹿な! 貴様は亡霊であるとでも言うのか!」
 驚愕に襲われながらも、テロリストたちの戦士の本能は攻撃に移ろうとする。
 超至近距離からのマシンガンの射撃。当たらぬはずのない射撃。
 それが、ことごとく、当たらぬ。
「止めろ! 来るな! 止めろー!」
 どんな逆境にも負けぬ心を持つ戦士たちのはずだった。そんな彼らも、人知を超えた動きで襲い来る魔物相手では正気を保つことは難しい。
 乱射されるマシンガン。銃弾は宇宙に漂う漂流物に当たり火花を散らす。それでも流星には当たらない。緑の燐光を放つ魔物は弾幕をすり抜けて――。
 一瞬の停止。放たれる一条の光。直線上に散るのは――二つの閃光。
 動きながらマシンガンを乱射していた二機の倒羅、それらが一瞬だけ重なり合った。その瞬間を、コンマ数秒以下にも満たぬほんの一瞬を、流星の放つ光の槍は射抜いたのだ。
(冗談だろう――?)
 仲間が撃破されたことで倒羅の動きに乱れが生じる。
 そこに殺到する流星。吐き出されるマシンガン。人間の限界を超えた速度で飛来する銃弾を、流星は人知を超えた動きでもってかわす。
 そして――また一つ、二つ、続けて宇宙に光の花が咲く。
(たちの悪い嘘だろう――?)
 ジェダは方向転換をかけ、倒羅を敵のほうへと向ける。その間にまた一機が沈む。バーニアを全力で燃やして敵の方向へ進む。
 モニターが仲間の無事な姿を捉える。
 ――が、それもほんの刹那のこと。ビームライフルに撃ち抜かれてさらに一機が宇宙の藻屑となる。
 ジェダ・フリークスが一旦決めた襲撃ルートを修正し、仲間のいた場所に戻ってくるまで、時間にしてわずか三十二秒。
 その間に、六機の倒羅が跡形もなく消えた。
 ――それは迅にして侭にして塵たる殺戮。
 人を超えた魔の所業。
 すっぽりと身体を覆うマントのような形状のサブブースター。背から歪に伸びたメインブースター。身体のあちこちをのたうつように伸びる緑色の燐光。右手に提げるビームライフルは、まるで悪魔が携える魔槍のごとく。
 異形の姿は、ジェダの前に静かに佇んでいた。
「くふふっ……ふははははっ!」
 まさしく。まさしく相応ではないか。
 己の所業を断罪するのは天使ではなく悪魔に限る。白く清らかな手より、赤く血塗られた手に貫かれるほうが相応しい。
「だがな、悪魔よッ!」
 倒羅隊長機のブースターが唸る。バーニアを灼熱させ、ヒートサーベルを抜き放ち、一直線に突進する。
「私を裁くのは私自身だッ! 貴様の手を借りずとも、ことが終わればすぐに逝くッ!」
 声を限りに叫びながらも、ジェダは決して激情に駆られていない。
 敵機の動きは見ることはほとんどかなわなかったが、仲間の断末魔の内容からある程度は推察できる。どういう理由からかはわからないが、敵機には銃器が通用しないのだ。ならば近接格闘武器に活路を見出すしかない。
 加速に次ぐ加速にシステムが警告音を発する。短期間の加速ではエネルギー残量よりもオーバーヒートのほうが問題だ。しかし、そんなものは後でどうとでもなる。"現在"以外を考えてはあの化け物を殺すことはできない。
「新型機のパイロットよッ! 私の殺気を感じているか! 仲間の無念を感じているかッ! 跳ね返せるものなら――やってみせるがいいッ!」
 臨界を突破する。縦揺れが一層にひどくなり、画面の表示が真っ赤に染まる。
 それでも駆けることをやめない。それでも戦うことをやめない。ヒートソードを片手に一心不乱に敵を目指す。
「性能の差など、デシセントの執念でッ!」
 必殺の一撃は――空を切る。
 だが、それもジェダの計算のうち。交差の一瞬、体勢を崩しながらも左腕だけを敵機に向ける。
 左腕の中に仕込まれたバズーカ。撃てば片手が使えなくなるリスクがあるが、今ならそれも悪くない。この悪魔を倒せるのなら――本望だ。
「喰らえ!」
 自らの肘から先が吹き飛び、放たれた一撃が流星に殺到する。この近距離ならば射撃も何も関係ない。当たる――。
 モノアイが。赤い瞳が。揺れるのを、ジェダは見た。
 違う。モノアイが揺れたのではなく機体が揺れたのだ。
 揺れた――そう、その程度にしか認識できない動きで――。
 流星はバズーカの一撃をかわしてみせた。
「――ッ」
 ジェダは思わず凍りつく。その瞬間に、モニターから消える敵機の姿。
 外したことを認識し、自機の体勢を整えようとする。その瞬間に、衝撃。
 右腕損傷。ヒートソードが虚空に漂い――。
 続けて頭部をレーザー光が薙ぐ。右足、左腕と攻撃は続く。そして――。
 目の前に現れる敵機。胴に突きつけられるビームライフルの銃口。
「――これが」
 悪魔の槍を喉元に突きつけられ、テロリストは呆然と呟いた。
「私の終幕か」
 戦い続けた男は、大きく息を吐き――。
 目を閉じた。
 光が満ちる。
 ビームが発射され、倒羅の胴体を貫く。
 ――震動があった。確かに貫かれたはずだった。
 しかし、ジェダの世界はまだ終わっていない。
「――なんだと」
 薄く眼を開くと、目の前の世界が闇に染まっていた。倒羅のシステムが全て落ちている。
「まさか――今の一撃で?」
 モニター上に手を伸ばしてシステムを再起動しようとする。が、エラーが出るばかりで何も始まらない。基幹システムが損傷を受けているようだ。
(ビーム径を絞った射撃で基幹システムの干渉部位だけを打ち抜く。そのようなことが――可能であるのか)
 絞ったと言っても倒羅の胴には半径一〇センチメートル以上の穴が空いているはずなのだ。まるで迷路のように配線が入り組んだ場所を、敵機はピンポイントで打ち抜き、ジェダ・フリークスから完璧に戦闘力を奪ってみせた。
(とどめすら刺されず――か)
 全身から力が抜けていく。
 ジェダ・フリークスはシートに深く背を預けると、虚空に向かって皮肉げな笑みを浮かべた。



[Operation: G.O. ...COMPLETE]



[F.T.SYSTEM SHUTDOWN ...GETTING BACK TO NORMAL MODE]



[THE FATHER TIME...SEALED(時の神、封印さるる)]



 流星のコックピットの中。
 FTシステムが解除されたその瞬間、カナタは操縦桿から手を離し、頭を抱えた。
 頭の奥で何かがのたうっているような感覚が頭から離れない。頭痛というような生易しい痛みではなく、頭の中を直接掻き混ぜられているような激痛である。
「ううっ……ああああっ……」
 呻き声が口から洩れる。涙が浮いて視界が滲んだ。痛みはどんどんと増している。耐えるしかない。歯を食いしばって、耐えるしかない。
「あう……ううう……」
 コックピットの中はいつだって孤独だった。誰も手助けしてはくれない。これは代償。とほうもなく大きな力を使ってしまったその代償。だから仕方ないのだ。カナタが独りで耐えるしかないのだ。
(失いたくない……)
 また、消えてしまう。
 カナタは今、ようやく気付いた。
(また……消えてしまう)
 自分が何度も失っていたことに。
(消えて……しまう……)
 自分がどのような存在で。
 自分がどのような過去を経て。
 自分がどのように苦しんで。
 そして、どうやって生き延びてきたのか。
 おぼろげながら思い出せる。それはとても大切なことだった。とても大切なものだった。けれど、いつだってカナタはそれを失って、新しいことを自覚しないままに次の人生を歩んでいた。
(隊長や……エルミナ姉さまが教えてくれたこと。とってもとっても大事なこと。なくしたくない。なくしたくないのに)
 頭痛が耐えがたい痛みに成長していく。
 早く捨てなければ。早く切り捨てなくては。
「隊長……カナタは……」
 アルバートはすぐ側まで来ているはず。手を伸ばして通信をオンにして。あの人の声を聞くことができれば――また、あの時みたいに、穏やかな気持ちになれるだろうか。
 涙で滲んだ世界の中、頭を押さえていた手がゆるゆると前方へ伸ばされる。
 あと少し。あと少しなのに。
 小さな手は虚空を掴み。
 カナタの意識は闇に沈んだ。



(また、うしなっちゃったんだね)
(また、にんぎょうに、あともどりなんだね)
(そして、また、うしなってしまうの?)
(こんなこと、おわりにしなきゃ)
(おわりにしなきゃ、いけないのに……)



 ……。



 誰かに呼ばれたような気がして。
 カナタの意識は覚醒する。
「カナタちゃん!」
 揺さぶられる。手を握られる。
「おい、エルミナ。落ち着けって」
「うう、隊長。でも……」
「命に別状はないって聞いてるだろ。呼びかけるならもっと優しくしてやれって」
 瞼の裏が明るい。どうやら自分は仰向けに寝転がっているらしい。
 聞き覚えのある声がしていた。聞いたことのある、懐かしいような、そんな声。誰だろう。思い出せない。この声は――誰のものだろう。
 カナタは目を開く。明るい世界が視界に飛び込んでくる。
「――カナタちゃん!」
 視界いっぱいに飛び込んでくるのは、黒髪をショートヘアにした女性の顔。
 大きな瞳をうるませて、泣きそうな顔をしている。
「良かった。気が付いたのね」
 女性の顔が視界から消えた。と思ったら、抱きしめられていた。
 布越しに感じるやわらかな身体の感触。温かみ。強く抱きしめられて少し痛いけれど、同時に心地良くもある。
「ああ、もう。しょうがないやつだなー」
 もう一つ顔が覗く。こちらも見覚えのある顔だ。バンダナをした長髪の男。口元に優しげな笑みが浮かんでいる。
「気分はどうだ、カナタちゃん。なんか痛いところとかないか?」
 言われて自分の身体を意識してみるが、特におかしなところはなかった。強いて言えば、女性が強く抱きしめてくるせいで身体が痛かったが、それはなんとなく言わないでおこうと思った。
 ゆるゆると首を動かすと、男は口元に浮かべていた笑みを強めた。そして手を伸ばしてくる。
 ごつごつした手が額に触れる。そして、男は、
「おかえり、カナタ」
 そう言った。

「――隊長」
 その言葉を起点に。
 カナタの記憶が再構成される。
「隊長。エルミナお姉さま」
 何かを確かめるように、カナタは呟いた。

「そうだよ、カナタちゃん!」
 ふたたび視界にエルミナの顔が映る。眼の端に浮いた涙をぬぐいながら、エルミナはアルバートと同じように笑みをみせて言った。
「おかえり。本当に……無事でよかった!」
 そして、優しくカナタの頭を撫でた。
「ふん。ま、口だけのことはあるじゃないさ」
 また一つ顔が増える。仏頂面をした女性の顔。
「こんなチンチクリンがひとりで戦えるとは思えなかったけどねぇ」
「ミラ軍曹」
「ま、こんだけの戦果をあげられちゃ認めないわけにはいかないか。次はあたしの隣で戦えよ。いろいろ教えてやるからさ」
 女性にしては大きな手がぐっと伸びて、カナタの頭を乱暴になでる。
「……あれだけ一方的に毛嫌いしてた割に、あっさり手の平返すんですねぇ」
 ミラとは反対側からツンツン頭の男の顔がひょっこりと増える。
「まあいつものことですけど」
「っるせーな、ラッシュ! カナタよりもお前のほうがチンチクリンだ。今回お前だけだぞ、敵機を撃墜できなかったヤツは。恥を知れ!」
「そ、それはしょうがないじゃないですか! 今回僕はそういう役割だったんだから! 立派に攪乱役は勤めましたよ!」
「バーカ。十の仕事をもらって十しかできないからお前はいつまでもバカラッシュなんだよ! たまには十五も二十も働いてみせろってんだ!」
「む、無茶言わないくださいよー!」
「やだねーやだねー。病人の前で言い争いなんてさー」
「ホントだよ。このヒトたちデリカシーなさ過ぎ。困っちゃう。ねー、カナタちゃん?」
 視界の両側から同じ顔が二つ現れた。少年の面影を残す整った顔立ち。まるで彫刻のように左右対称の二つの顔は、にこにこと笑っていた。
「アルカム伍長とウルカム伍長」
「わ。僕らの名前覚えててくれたんだ。うれしいなぁ」
「ね、ね。僕はどっちかわかる?」
「アルカム伍長です」
「わーっ! すげぇや! 偶然じゃないのよね? 隊長に続いて僕らを見分けられるの二人目だよ、ウル!」
「そうだね、アル。これは貴重な人材だ。カナタちゃん、君はきっと偉くなるよ。僕たちが保証してあげよう。とりあえずなでなでしてあげる」
「僕もなでなでするよ」
 双子が手を伸ばしてきて、わしゃわしゃと動かした。撫でると言うよりもかき混ぜると言った感じだ。
「駄目だよ、二人とも。もっと優しく撫でてあげて」
「そんなこと言って、エルミナさん隊長に怒られてたじゃんかー」
「そ、それはもう気をつけてるの! ああもう、こんな髪をぐちゃぐちゃにしちゃって……」
 エルミナの手が伸びてカナタの髪を撫でつける。
「ううっ、何故かカナタさんの頭をなでなでする展開に! ぼ、僕もなでなでしたほうがいいんだろうか!」
「ラッシュはしなくていいよ」
「ラッシュはもっと空気読みなよ」
「っていうかラッシュくん近いです。距離が。もっと離れて」
「酷過ぎる! 特にエルミナさんの発言が昨日あたりから痛烈なんですけど!」
「……おいおい。なんか変な流れになっちまってるぞ」
 カナタを囲んで騒ぐ三人を、ミラは一歩離れた位置から呆れたように眺めている。
「仲が良いのは良いことだよ」
「……いや、まあ、あんたがいいならいいんだけどさ」
「あの、アルバート中尉? そろそろカナタ少尉を医務室にお連れしたいのですが」
 控え目な医師官の発言に、アルバートはおおと手を打った。
「そういや運ぶ途中だったな。おーい、お前ら! そのへんにしておけ。カナタちゃんを医務室まで運ぶぞー」
 言われて騒いでいた四人はしぶしぶと引き下がる。
 その段になって、カナタはようやく自分が担架に寝かされていたことに気が付いた。
 正面を見上げると天井が高く、視界の隅には羅甲の姿が見える。どうやらここは格納庫らしい。
 白衣を着た男が二人現れ、それぞれ頭側と足側に回って担架を持ち上げた。浮遊感が何となく居心地悪い。
 左右を見回すと、先程まで騒いでいた面々の顔が映った。
 エルミナ。アルカム。ラッシュ。ウルカム。ミラ。アルバート。
 カナタの――仲間たち。
「隊長」
 すれ違い様にカナタは小さく呼んでみる。
 漠然と予測していた通り、アルバートはその小さな声を聞き洩らさずに穏やかな表情をこちらへ向けた。
「――ただいま、です」
「ああ、おかえり。カナタ」
 それだけで、何かを確かめられたような気がして。
 カナタは安心して目を閉じ、すぐに眠りの中へ引き込まれていった。



「アルバート中尉。ダロウズ艦長がお呼びです」
 通信を受け取った作業員が声をかけてくる。カナタを見送ったアルバートは頷き、出入り口に向かって床を蹴る。
 ――と、その途中でこちらを見つめる一対の視線に気づいた。アーシェリカだ。
「よう、リカちゃん」
 その視線に何となくただならぬ切羽詰まった空気を感じ、アルバートは声をかける。
 と、その瞳が大きく揺れた。また泣いちゃうか――と思ったが、そこまではいかない。ぐっと堪えるような顔をして、アーシェリカは顔を背ける。
「カナタちゃんに声をかけそびれちゃったな」
 近くに着地し、アルバートが言うと、アーシェリカはフンと鼻を鳴らした。
「別に――声をかける必要性なんでありませんもの。あの子は自分の仕事を果たしました。その事実だけで十分ですわ」
 言葉だけ聞いてみれば冷たい印象である。が、震える声が無理に強がっていることを如実に示していて、アーシェリカは自分が思っているほど傲慢な女を演じきれていない。
「そっか。まあ、今回は本当に助けられたよ。カナタちゃんと流星がいなけりゃどうなってたことか」
 それは掛け値なしにアルバートの本音である。そして同時に悔しくもあった。
 ジェダ・フリークスの動きは把握していたつもりだった。それでも捉えきれていなかったのは、己の力量不足に他ならない。
「……"もし"についてあれこれ考えるのは時間の無駄ですわ」
 アーシェリカは言って、出口のほうへ身体を向けた。
「過程はどうあれ、あなたは結果を出しました。今はそれで充分ではなくて?」
「リカちゃん……」
「勘違いしないでください。流星は今この時に門出を迎えたばかりなのです。隊長のあなたにはしゃんとしてもらわなければならないのですわ」
 タンと床を蹴ると、アーシェリカはさっさと格納庫を出ていった。
(……なんか気を遣わせちゃったなー)
 アルバートは頭を掻きながらアーシェリカの後ろ姿を見送った。
(色々聞きたいことがあったんだけど……ま、後でもいいか)
 一つ頷いて気分を変えると、アルバートもまた格納庫から出て艦長室へと向かう。
 部屋にやってくると、オペレーター用のモニターの前からアウローラがやんわりとした笑みを向けてきた。
「お疲れ様でした、隊長。お見事な勝利でしたわ」
「ははっ、ありがとう。アウローラさんもお疲れ様」
 手を振って返答しながら、アルバートは部屋の中央で仏頂面をしている艦長のもとへ歩を進める。
「ダロウズ艦長。何かあったのかい?」
「何もないな」
「……そっか」
 艦長の横に並ぶと、アルバートはふうと溜め息を吐いた。
 ――ジェダ・フリークスが行方不明になっている。
 機体はカナタの流星が確かに撃破した。動力ラインを撃ち抜かれ、一歩も動けぬ状態である。しかし、中にはジェダの姿はなかった。彼はコックピットの扉を破壊し、パイロットスーツのまま宇宙に飛び出したようなのだ。
 流星が敵を撃破し、アルバートの羅甲が駆けつけるまでわずか五分ほど。その間にジェダは姿を消してしまっていた。
「性能の良いパイロットスーツならば、十時間以上活動は保証される。今はまだせいぜいが二時間経つかどうかだ。ヤツはまだこの宙域で生きているはず」
「……それに関しちゃ、俺のミスだ。すぐに敵のコックピットを確認しなかった」
 駆け付けたアルバートは、まず通信の途切れていたカナタの無事を確かめようとした。流星のコックピットを開き、中で意識を失っていたカナタを助け出す。ひとまずは羅甲に乗せ、『招雷』に帰還するつもりだった。
 その過程で、アルバートはふとジェダの操兵が気になったのである。コックピットが閉まっていることだけ確かめようと近づいてみると、内側からひしゃげた形で扉は開かれていた。
「お前が先に敵機を調べていたとしても何も変わらんよ。ほんの五分かそこらの時間だ」
「…………」
「中年のテロリストなんぞよりも、あのお譲ちゃんを救い出したほうが圧倒的に正しい。そうだろう?」
「……へっ。ありがとな、艦長」
「心配せんでもすぐに見つかるさ。捜索隊が出ているし――これで見つからなければ、あの宙域のどこかでヤツはのたれ死んだんだ」
 艦長はそう締めくくると、アルバートの肩をぽんと叩いた。
「今日はご苦労だったな。後の面倒でしかない仕事は年寄りに任せるといい。お前たちは基地に帰ってゆっくり休め」
「……だな。そうするよ。さすがに今回は疲れたし」
「三日後には地球に向かって出発だったろう? あのパイロットたちには休日でも与えてやれ」
「ん、そうするつもり」
 返事をしながら、アルバートは頭上を見上げた。
 『招雷』正面の映像を映し出した大スクリーン。そこには黒い宇宙が星々を瞬かせながら映っている。
 ――このどこかにジェダがいるかもしれない。
 アルバートは視線を放し、ふうと溜め息を吐いた。
(やめやめ。もうあいつとは終わったんだ。いつまでも負けを引きずるなんて俺らしくないぜ……)
 大きく伸びをすると、アルバートは艦長に挨拶をして指令官室を出ていった。



 ……。



 ライトをつけた偵察艇がゆっくりと間近を通り過ぎていく。
 無数に散らばる残骸。その一つ一つを照らし出しながら、慎重な看守のようにゆっくりとした動きで、偵察艇はその宙域を進んでいく。
 ――物陰に。一つの姿があった。
 黒いパイロットスーツに身を包み、膝を抱え、ぴくりとも動かない一人の男。
(生き延びる)
 男は小さく小さく呼吸をしながら、ただこの状況が過ぎ去るのを待ち続ける。
(俺は生き延びる)
 革命。夢。信念。家族。仲間。愛。憎しみ。
 抱いた感情のすべてが、彼を取り巻いた感情すべてが、光のない宇宙空間の中、色褪せては消えていく。
(俺は……)
 全てが終わった。
 革命は失敗に終わり、仲間は全員死んだ。自分だけが生き残った。生き残ってしまった。
 何をしようとしている。ジェダは自問する。パイロットスーツ一つで宇宙に潜み、自分はまだ生きようとしている。
 コックピットの中で自決するつもりだった。そのための爆薬も持っていた。なのに、気づけば爆薬はコックピットから抜け出すために使われており、酸素の供給を最小限にしてジェダは宇宙に漂う破片の隙間に隠れている。
 一個の彫像のようになりながら、ジェダ・フリークスは目を閉じる。
 愛しい人が。友の顔が。闇の中に浮かんでは消えていく。
 心が壊れていくのが分かる。そうだ。この宇宙は、矮小な人間が一人で飛び出すには広すぎる。過酷に過ぎる。
 ――ヒト以外の何かにならなければ生き抜くことは不可能だ。
 ジェダ・フリークスは目を開く。
(それでも、俺は……)
 闇の中。
 魔にならんと欲した男は、静かに時を待ち続ける。



TO BE COUNTINUED…