アムステラ王国首都。
 その中心地に――アムステラの現在を支える科学者たちが集まる研究棟がある。
「くふふっ……この星、この国にもはや未練などない」
 照明が落とされた広い部屋、その中央。青いモニタに向かって一心にタイピングを一人の男がいる。
「くふふっ……この私の頭脳は、このような辺境に収まる器ではないのだ」
 カタカタと小刻みに鳴動するキーボード。モニタに映し出されていく膨大な量のアルファベット。それらはまるで意思を持つ生き物のように、青い画面をじわじわと埋め尽くしていく。
「何もかもが煩わしい。予算だと? 収益だと? 倫理だと? 道徳だと? 馬鹿者どもめッ!」
 バンと一際大きくタイプすると、男は立ち上がった。
 男が手を離しても、モニタの中の文字は狂ったようにアルファベットを叩き出す。まるで狂人がでたらめにタイプしているかのように、モニタ全体が文字に埋め尽くされる。
「馬鹿者どもめ、凡人どもめ! "常識"に制限されたお前たちには理解できぬのだ! 見ることすらかなわぬのだ! 道徳を、倫理観を、ましてや自他にもたらす利害すら超越した美しさを!」
 男はつかつかと部屋を歩き回る。
 そこは――異様な部屋だった。たった一つの出入り口を除いた全ての壁に、等身大もあろうかというカプセルがぎっしりに詰まっている。
 一つ一つのカプセルには緑色の液体が充満し、中には何かがゆらゆらと揺らめいていた。形も大きさも様々だが、一つ共通することは――それらは四肢を持ち、ヒトに近しい形をしているということである。
「お前たちだけには見せてやろう。全てを超越した世界を。神となれる力を。故に――私に従え。その命燃え尽きるまで私に従い、私に尽くせ!」
 狂ったような笑い声が部屋に響く。
 それはいつまでも、途切れることがない――。



カラクリオー外伝 -Shooting Star-

第一話 彼女の名はカナタ



「隊長ッ! どこにいるんですか、アルバート隊長!」
 格納庫に女性の声が響いた。
 作業者たちが何事かと手を止める。その中を、大きなカバンを手にした軍服の女性が駆け抜けていった。
「隊長ーッ! アル隊長ーッ!」
「おう、エレナちゃん。あんたんトコの大将だったら、いつもの場所で見かけたぜ」
「あ、シェムフ作業長! いつものところって……俺式のところ?」
「そうだ」
「……まった仕事サボって! 馬鹿隊長!」
 女性は毒づくと、また駆け出していった。
 作業着に身を包む作業員ばかりの格納庫にあって、軍服を着た女性は浮いている。道行く人々は何事かと振り返るが、女性の顔と叫んでいる内容を聞いて、いつものことかと所定の作業に戻っていった。
(ううっ……もうやだ! こんな仕事ばっかり!)
 女性――エルミナは走りながら泣きそうな顔をしていた。
 彼女の本来の仕事はメカの設計と調整――すなわちメカニックなのである。であるのに、部隊に人手が足りないのと、何となく要領が良さそうだから――という極めて納得しがたい理由によって、彼女は部隊長の秘書の役割も請け負っていた。
 ――今にして思えば。部隊に入ってきた当初、彼女は右も左もわからぬ新人だった。であるから、部隊長の秘書に抜擢(という表現がなされていたが、要するに押し付け合いだったようだ)という言葉は彼女の自尊心をいたく刺激し、身に余る光栄と良く考えずに引き受けてしまったのだ。
「――ああ、もうっ! 当時の自分を殴ってやりたい!」
「虚空に向かって毒づくのは良くないぞ、エルミナ」
「放っておいてくださいよ! って、あー! 隊長!」
 いつの間にか、目的の人物が呆れ顔で見つめていた。エルミナは慌てて足を止める。
「あんま作業場で走るなよ。あとヘルメットちゃんとしろよ。危ないだろ」
「どのクチがそんなこと言いますかッ! 隊長だってヘルメットしてないじゃないですか!」
「でもバンダナしてるし」
「そんな布っ切れで何を守ると!? 隊長の頭蓋は鉄のボルト入りですか! だったら仕方ないですけどねぇ!」
「いや、もう少し落ち着けよ」
 息を切らしながらまくしたてるエルミナに、部隊長――アルバートは眉をしかめてみせた。
 今年で二十八になる男だが、長く伸ばした髪と童顔気味なせいで二十代前半にしか見えない。並んで立つと二十歳のエルミナと同い年くらいに見えてしまうのである。
 加えて階級意識に無頓着な口の利き方、敬礼すらまともにできない怠け者体質とあっては、秘書役を申し付けられたエルミナの苦労の程は推して知るべしだった。
「で、何。なんか用があったんじゃないの?」
「あったりまえでしょう! 用がなければ隊長のコトなんて探しません! だぁれが探すモンですか!」
「厳しいなぁ。もうちょっとラフに行こうぜ、ラフに。日ごろからツンツンしてるからいけないんだよ。もっとおおらかに生きれば、ほら、育つところも立派に育つってモンで――」
「セクハラ発言禁止!」
「おごはっ!?」
 カバン振り回しの一撃によってアルバートは見事に吹っ飛んだ。
「じ、上官に暴力を振るうのもナシだと思うんだ……」
「隊長だからいーんです。――って、こんなことしてる場合じゃないんですよ! 鼻血出してる場合じゃないんです!」
「おま、誰のせいだと」
「今日午後二時から中央研究所のお偉いさんが訪問予定! 合わせて配属予定の新人との初顔合わせ!」
「……あー」
「あー、じゃないです! 今何時だと思ってるんですか!」
「何時?」
「え? えっと……」
 腕時計に視線を向けたエルミナの顔からざっと血の気が引く。
「二時二十八分……」
「アウトーッ!」
「わーっ! だめ! 諦めたらそこで試合終了!」
「だってもう間に合わないし。約束の時間過ぎてるし。しかもお前がここにいるってことはだ、お偉いさんその他は出迎えもなくエントランスで待ちぼうけってコトだぜ! あっはっはっ、無礼なことこの上なし!」
 下手なウィンクの上にぐっと親指を立て、隊長はヤケクソな笑顔だった。
「そんなに力強く状況確認しなくていいです! ああ、ああああああ! もう! いつもいつもどうしてこうなるのー!」
「だからそうピリピリすんなって。あんまりストレスばっかり溜めてると身体の変調きたして生理の周期とかが」
「セクハラ発言禁止ー!」
「おぶほっ!?」
 再び吹っ飛ぶアルバート隊長。
 ぜーはーと荒く息を吐きながら、
(このままどさくさにまぎれて、二三発追撃しても大丈夫かしら……)
 ――などとエルミナが物騒なことを考えているうちに、ピンポンパンと館内放送の合図が流れた。
『第三〇五辺境警備隊隊長アルバート、および隊員のエルミナの二名。お客様が正面エントランスでお待ちです。至急連絡を取った上でエントランスに向かってください。繰り返します。第三〇五辺境警備隊隊長アルバート、および隊員のエルミナ……』
「あう……」
 ――確実に減俸処分だ。
 打ち所が悪かったのか、床に転がって悶絶する隊長の横で、エルミナは思わずへたり込んだ。



「軍人は時間に厳しくあるよう教育を受けていると聞いていたが」
 厳格を絵に描いたような顔つきのソムド博士は、そう言って片手を差し出した。
「どこにでも例外はいるものでしょう。でなければ人生面白くありません」
 にこやかに手を握り返し、アルバートはソファーへの着席を促した。
 結局――現在午後三時。約束の時間を大幅に上回って登場したアルバートとエルミナは、しれっとした顔で客人を応接間に通した。
 エルミナは相当にビクビクしていたが、アルバートのほうは自分の非礼をどこ吹く風、『いやぁ遅れました』の一言で弁解を済ませてしまった。
 待たされたほうとしてはたまったものじゃないだろうが、博士は冒頭の一言以降は文句を口にする気をなくしたようだった。問題の解決にはなっていなかったが、余計な気苦労をしなくてすむと、エルミナはホッと胸を撫で下ろした。
「ええっと、ソムド博士。中央研究では主に人体の強化研究にいそしんでおられるとか」
 今回の訪問について、アルバートたちは何も聞かされていなかった。博士のプロフィールについても、わざわざエルミナが中央研究所に問い合わせて取り寄せたのだ。
「その通りです、アルバート部隊長殿」
 失礼――と断って、博士は手にしていたカバンからノート型パソコンを取り出した。
「メモを取りたいのでね。打ちながら話すことになるが、構わんだろうね」
「もちろん構いませんが」
 アルバートは首を傾げた。パソコンをメモ帳代わりにする人間は珍しくないが、今日はメモが必要なほど話し込むとは思えない。
「これはちょっと旧式でね。立ち上がるまで待っていただきたい」
「それも構いませんがね。そうそう、それじゃあ暇つぶしに――差し支えなければ、博士の携わっている研究の内容をお聞かせ願えますか。ああ、我々素人がわかる範囲でいいのですが」
 にこやかな笑みを浮かべながら、アルバートは軍服の襟元をいじっていた。めったに着ないので着心地が悪いのだろう。信じられないことに、この隊長は一年の勤務のうち半分以上を私服で過ごし、四割を作業着で過ごす。
「それをすることに何か意味がありますかな」
 博士の態度は崩れなかった。表情をピクリとも動かさない。
「我々の今後に役に立つのではないですかね。特に――そちらの子と仲良くやってくためには必要なんじゃないかなと」
 アルバートはちらりと視線を動かし、博士の横に座っている人物を見つめた。
 綺麗な――まるで人形のような少女である。白い肌に切れ長の瞳はブルー、髪は青みのかかった銀髪だった。長髪を後ろでまとめ、ポニーテイルにしている。
 スーツ姿の博士と違い、彼女は軍服をつけていた。まだ少女と言える年頃でありながら、表情なく微動だにしないその姿は、軍服の持つ威厳に負けてはいない。
「紹介しよう。カナタだ。本日付で君たちの部隊に世話になる」
「あれ、本日付でしたっけ? もうちょっと間があったような気がするんですけど」
「多少事情が変わったのでね。どちらにせよ、通達は一ヶ月前からしてあるはず。宿舎等の準備くらいはできているでしょうな」
「それはもう」
 あっはっはっと空笑いする隊長の横で、エルミナは小さく嘆息した。『受け入れ準備なんぞ直前でいいだろ』とは昨日の夕食時、隊長殿自らが言い放った言葉である――要するに、準備など何もしていない。
「それで、研究の内容ですけど――」
「ふむ、完全に立ち上がったようだ。必要なことを話し合うとしようか」
 なにやらキーボードを打ちながら、博士はちらりと視線を上げてそう言った。アルバートは肩を竦めて了解の意を示す。
「こちらの……ええっと、カナタちゃんだっけ?」
「カナタ少尉です」
「合ってるじゃんよ」
「ちゃん付けで呼ばないでください!」
 小声でエルミナに怒られ、アルバートは面倒くさそうな顔をする。
「あー、カナタ少尉ね。彼女の経歴はどのようなもので?」
「経歴はない」
「はあ?」
「この娘は強化人間だ。それだけで説明は十分ではないかね」
 博士は淡々と喋りながらタイピングをしている。その横で、精巧な人形のようなカナタは表情を動かさない。
「ち――ちょっと待ってください。強化人間って、まさか」
 さすがのアルバートも、何気ない言葉に含まれた思いがけない単語に動揺する。
 薬物等を用いて人を強化する技術――それを用いられた人間を強化人間と称する。と言ってもごく一部でしか使われない単語であり、末端の前線部隊隊長にとってはまったく馴染みのない言葉だ。
 強化人間の研究は、検体となる人間がいなければ始まらない。故に非人道的との指摘を受けることは必至であり、研究は必ず水面下で行われ、関係する諸々の施設の機密レベルは跳ね上がる。
「もうちょい詳細な説明をお願いします」
 ソファーに深く掛け直し、アルバートは慎重な態度を見せた。
「……彼女はもともとパイロットだった。だが、ある事故で以前の記憶を失ってね。実に才能豊富だったので、私の下で強化人間としての調整を受けたというわけだ。調整は順調のままに終了し、無事君の部隊にロールアウトされることとなった」
「……内容はともかく、その言い回しは感心しませんね」
「そうかね。事実を言ったまでだが」
「自分の信念と反するので」
 博士は顔を上げ、束の間、アルバートの顔を見つめた。が、すぐにモニターに視線を落とし、タイピングを再開する。
「帝国の手足たる兵士から信念という言葉を聞くとは思わなんだ」
「人間ですからね、我々も」
「隊長殿に望むことは――」
 眉間にしわを寄せ、初老の博士は断ち切るような調子で言う。
「カナタを使いこなすことだ。この娘の戦闘能力は君たちのような『常識的な』一般兵士の実力を大いに上回っている。それは私からも保証しよう」
「別に誰の保証も要りませんよ。当人からのものは除いてね」
 アルバートは物言わぬ女兵士に視線を向けた。
「君、名前は?」
「……カナタ」
「いい声してるね。歌でも歌わせてみたいな」
 ニッと笑ってみせるが、少女はやはり表情を動かさない。ただ、その顔が初めて横にいる博士に向けられた。
「君のところを選んだのは失敗だったかも知れんな」
 博士はカナタのほうを振り向くことはせず、顔を上げることもなく、ただモニターを見つめながら言った。
「褒め言葉として受け取りましょう。実に光栄だ。でも今更カナタちゃんは譲れませんね。もう新人を含めたチーム編成を組んじまってるんで」
(嘘つき)
 と、エルミナは心の中で突っ込んだ。チームの編成は状況に応じて臨機応変にやるのがアルバートのスタイルなのだ。
 一方で、でも――とエルミナは思う。こんな嘘を吐いてまで引きとめようとするのも、アルバートの性格からして珍しい。あの少女のような女兵士に何かを感じたのだろうか。
「カナタちゃん可愛いし。ほとんど野郎ばっかな自分のチームでアイドルになってもらわないと」
(……前言撤回)
 エルミナはため息を吐いた。
「まあ、いいだろう」
 アルバートの嘘を知ってか知らずか、博士はそう言って顔を上げた。
「当初の予定を今更覆す気もない。カナタは今日付けで君のチームメンバーとなる。せいぜい大事に使いたまえ。それと、これも言うまでもないことだとは思うが――強化人間云々については他言無用でおくように」
「言われなくてもそのつもりですよ、大先生」
 いちいち皮肉が口をついて出るのはアルバートの悪い癖だった。おかげで横にいるエルミナがいちいち緊張することになる。
「時に――アルバート君。君は戦いにおけるデータの重要さについてどう思うかね」
「データ? それは情報という意味ですか?」
「そうだな。そう置き換えてもいい。こちらの目的と相手の目的から始まり、地形の条件や天候、相手の性格や味方の動向など……そのようなものを統括してデータと呼ぶことにしよう。それらの重要さについて、君はどのように認識しているかね」
「そりゃあ、あったほうが有利に作戦を進めるでしょうね」
「それだけかね」
「それだけです。確かに情報――データは欲しいと思いますが、あまりに無理をしてまで得ようとは思わない、ってところですか。知識を持ちすぎると柔軟な発想が生まれてきづらい。そんなこともあるんでね」
「なるほどな。君はそのような人間か」
「……どういう了解をされたのかは知りませんがね。目に見える、耳に聞こえる情報なんてものはたかが知れてる。全てを知ることが不可能なら、データには参考文献以上の価値はないでしょう」
 少しムッとした顔をしながら、アルバートは答えた。
「私の考え方は違うな。データは無限なように見えて有限だ。取捨選択の仕方を知らぬから無限に思えるだけで、状況に与えるデータ因子の数には上限がある」
「……ま、どんな信念を持とうが人によって自由ですけど」
「私の研究テーマ――超行動原理学は、そのような取捨選択をいかに素早く行い、いかに素早くフィードバックし、いかに素早く次の行動を構築するか――つまるところはその点に集約される。この研究が実現すれば、大袈裟ではなく人は神になれる――少なくとも暴力の支配する領域ではね」
 語る博士の目は熱に浮かされた様子もなく、静かに、そして冷静だった。まるで疑いもなくそう信じているせいだろう。
(この人……なんだか怖いな……)
 博士の光沢のない黒い瞳を見つめていると、なんだか吸い込まれそうな気がして、エルミナは思わずぶるりと身体を震わせた。
「博士。あなた、このカナタちゃんに何をしたんです」
 アルバートは真剣な顔つきになっていた。
「この子のどんな能力を強化したんです」
「特別なことは何も。主に身体能力の強化だ。私たちが設計・開発した機体――近日中に君の部隊に所属することになる『流星/流(リュウセイ/ナガレ)』は、機体の性能を上げるために少々パイロットに無理をかける。それに耐え得るような身体能力強化を施した。君ごときが心配するようなことは何もない」
「……そうですか」
 ふうと息を吐き、アルバートは身体をソファーの背もたれに預けた。
 博士の口ぶりからすると、この少女に他にも何かあるのは間違いない。ただ、それを容易に悟らせるような挙動を博士が取ったのは、彼が演技が下手なだけなのか、それとも別に意図があってのことか――。
 まあ、考えてもわからんか。
 カタカタと良く動く博士の手元を見ながら、アルバートはとりあえずのところ深く考えないことにした。



 それから半時間ほど事務的な打ち合わせを行い、アルバートたちはカナタを引き取って博士と別れた。
「あーあ。肩凝ったな。やっぱ軍服は駄目だ。無理無理」
「日頃からちゃんと着てないからです。毎日来ていればすぐに馴染みますよ」
「業務効率が低下する。よって却下」
「もう」
 普段なら小言が続くところだが、打ち合わせが終わって気が緩んでいたのだろう、エルミナは追撃に移らなかった。
 かわりに背後を振り返り、二人の後ろを少し遅れてついてくるカナタのほうに視線を向ける。
「ええっと、カナタ少尉。私の名はエルミナです。よろしくね」
「……はい」
 カナタのリアクションは一歩遅れた感がある。どちらかというと早口なエルミナにとって、このテンポは苦手な部類だった。
「隊長。カナタ少尉の宿舎ですけど、どうします? まだ部屋が用意できていませんけど……」
 こっそり耳打ちすると、アルバートは肩を竦めた。
「どうするも何も選択肢は一つしかないだろ」
「え?」
「お前の部屋にカナタちゃんを泊めてあげなさい。はいこれ隊長命令」
「え、ええっ!?」
「さて、そんじゃ俺、ちょっくら休憩いってくるわ」
「ち、ちょっと待ってくださいよ! なんで私だけ――」
「残念。アムステラミルク社のカフェオレがさっきから俺の名前を呼んでるんだ。ちょっくらカナタちゃんに施設の案内でもしといてよ。んじゃー」
「んじゃー、って……あ、ちょっと待ってくださいよ隊長! あ、こら、急に走り出すなー! 待ちなさいよー!」
 元気な叫び声を背に、アルバートはさっさとその場を逃げ出した。
 さすがのエルミナも、公衆の面前で声を張り上げ追ってくるということはないようだ。人が好い彼女のことだから、ぶうたれながらもカナタの世話を焼く違いない。
(ま、三十分規模の小言くらいは覚悟しておくか。それよりも……カナタ。うーん、カナタちゃんねぇ……)
 休憩室に向かいながら、アルバートは考える。
 先程の博士の会話と、カタカタというタイピングの音がやけに頭に残っている。最後のデータ云々の話はカナタに無関係ではないだろう。流星・流という機体についても、アルバートは何も知らされていない。ただ、その流麗と表現すべき外観をちらりと見ただけだ。
(……ったく。気にしてもしょうがないってのによ)
 がりがりと頭を掻きながら、休憩室に入る。自動販売機の前に立ち、アムステラミルク製のカフェオレが売り切れていないことを確認する。
「こんなところで奇遇ですな」
「? あれ、ソムド博士……」
 いつの間にか背後に博士が立っていた。
「帰ったんじゃなかったんですか」
「君を待っていたのだ」
「俺を? だったら別に、こんなところで待たなくても。たまたま休憩を取ろうと思ったから良いものを」
「たまたまではない。君がここに寄ったのも、君がこれを所望しているのもね」
 ひょいと投げて寄越したものを反射的に受け取る。アムステラミルク社製のカフェオレだった。
「……プロフィールに好きな飲み物を書いた記憶をないんだけどな」
「君の個人情報など知らんよ。だが、データ収集の機会はあった。正味一時間ほどの会話であったからな。まあ、このくらいはすぐにわかる。君が何を考えるためにここに来たのか、そのことも大体は把握できる」
「…………」
「これで用事は済んだ。では、くれぐれも――カナタを有効に活用したまえ」
 博士は口の端に笑みを浮かべた。思ったよりも邪悪ではないが、どこか歪んだ笑みだった。
 言葉を失っている間に、博士は飄々と去っていった。休憩室の扉がしまったところでアルバートは我に帰る。
「……チッ。俺が好きなのはこんな生ぬるいカフェオレじゃねぇぞ」
 我ながら情けない負け惜しみだと思ったが。
 アルバートは一息に飲み干すと、空缶をゴミ箱に投げ捨てた。



 アムステラ帝国第三〇五辺境警備隊のミーティングは隊長の突発的な一言で始まる。
「はーい、お前ら集合! 一分以内に集まれ! 集まんなかったヤツはエルミナの鉄拳制裁だ!」
「人を暴力女みたいに言わないでください!」
 トレーニングルームで汗を流していた隊員たちは、タオルで汗を拭きながらぞろぞろと集まってくる。アルバートはほぼ全員そろったのを確かめると、こほんと一つ咳払いをした。
「えー、先日のミーティングで言ったとおり、新しい仲間が増えることになった。仲良く頼む」
 そう言って、背後にたたずむカナタを示した。
「カナタだ。じゃあ、はい。自己紹介してみようか」
「…………」
「あれ? おーい、カナタ。聞こえてる?」
 アルバートが振り返ると、カナタは表情を見せずにわずかに首を傾げた。
「聴覚に異常はございません」
「……そいつは重畳。じゃあ自己紹介してよ」
「名前はカナタです」
「……終わり?」
「他に何か必要でしょうか」
 真顔で問い返され、アルバートは押し黙った。隊員たちはそんな部隊長の様子を物珍しげに見守っている。
「よし、質問タイム!」
「……逃げましたね、隊長」
 ジト目で呟くエルミナに、アルバートはあっはっはっと空笑いをしてみせた。
「逃げてないよ。ぜーんぜん逃げてない。それじゃあ、はい! そこのツンツン頭! 自己紹介してからなんか質問しろ!」
「お、俺ッスか?」
 ツンツン頭――とは文字通りそのままで、短い金髪を逆立てた青年は、隊長からの突然の指名におろおろと周りを見回した。
「俺なんかより他の人のほうが……」
「なんで萎縮してんだよ。男は度胸だっていつも言ってんだろ。ほれ、早く」
「あ、はい。えっと……自分、ラッシュって言います。一応、その、パイロットやってまして」
「ああ見えて相当な変態だ。気をつけろよ、カナタ」
「な、何言ってンスか! 嘘ですよカナタさん! 自分そんなんじゃないんで!」
「必死になって否定するところが怪しいよなー」
 アルバートはにやにや笑いながら同意を求めるが、カナタの表情はやはり動かない。ただ、わずかに首を傾げただけだ。
「じゃあ質問コーナー。ラッシュ、なんか質問しろ」
「質問スか……ええっと、うーんと……好きな食べ物とか……」
「なんだそりゃ。フツーだな。カナタ、好きな食べ物を聞きたいんだってよ」
「特にありません」
 返答はむべもない。ラッシュは思わず言葉に詰まる。
「そ、それじゃ、出身星はどこですか? 僕はアムステラなんですけど」
「出身星は不明です」
「不明? 隊長、それって……」
「ああ、そういやカナタは記憶がないんだったっけな。ちょっとした事故で昔の記憶がないんだってさ」
 アルバートはカナタの頭にぽんと手のひらを置いた。
「それじゃあ、今後は出身をこの第三〇五辺境警備隊と言うことにしよう。第三〇五辺境警備隊。言ってみ?」
「カナタは第三〇五辺境警備隊の出身です」
 アルバートの顔を見上げ、復唱する。
「よろしい。じゃ、皆、そう言うわけだ。これでめでたく皆と同郷同士、仲良くするっつーことで、次は――」
「回りくどい自己紹介はもういいよ、隊長」
 ラッシュの後ろから進み出た女性兵士がそう言った。
 黒髪を持った二十代後半に見える女性兵士は、鋭い視線をカナタへと向ける。
「名前は知った。なら後に知るべきは実力だけさね。違うかい?」
「おいおい、ミラ。なんでお前はそう好戦的なんだ」
「別に好戦的ってわけじゃないさ。ただ、短気だからね。ダラダラした上辺のやり取りは嫌いなんだ。で、カナタとやら」
 ずいとさらに進み出る。背中を押されて体勢を崩したラッシュに一瞥をくれることもなく、ミラという名の女性兵士はカナタの前に立った。
「あんた、パイロットなんだろう? だったらシミュレーション戦闘で自己紹介したほうが早いってモンだ」
「ミラさん。この子は今日ここに着いたばっかりなんですよ」
 特に間に割って入ろうとしない隊長に代わり、エルミナがミラの諌めに回る。
「あまり無理をさせてはいけません。シミュレーション訓練は明日予定に組まれていますから、そのときでも」
「エルミナ。研究所ではどうだったか知らないけどさ、ここはもう戦場なんだよ。疲れてるとかそんなことが戦わない理由になるのかい?」
「それは……」
「どうなんだい、カナタとやら。やる気はあるのかい?」
 ずいと進み出て、ミラはカナタの正面に立った。
 上背が一七〇センチのミラに比べ、カナタの背は低い。自然、その無表情な視線はミラを見上げることになった。
(……なんだ、この娘。何も考えていないのか?)
 目から感情が読み取れない。ミラは目の前の女性兵士に、初めて戸惑いを覚えた。
 ついと視線が動く。無感情の瞳はアルバートに向けられた。
「……いかがいたしましょう」
「ん? 何が?」
「カナタはシミュレーション訓練をするべきでしょうか」
「なんで俺に聞くんだよ」
「隊長殿はカナタのオーナーです。博士からそのように言い付けられています。よって、カナタの行動の決定権は隊長殿が持っています」
「お、オーナー!?」
 過剰に反応したのはラッシュである。
「たっ、隊長! オーナーって所有者ってコトで……い、意味を拡大解釈すれば『マスター』とか『ご主人様』って心トキメク呼称に繋がる危険な言葉ですよ!」
「お前の取り乱し方は何かがおかしい。まずはそれに気付け」
「し、しかしですね。マスターとなれば手取り足取りレッスン当たり前、ご主人様と言えばあんなことやこんなことが許されて――」
 そこで言葉を止め、しげしげとカナタに見入り。
「うわあああっ! た、隊長ーッ! 大変だーッ!」
「おいゴメス。こいつ黙らせろ」
「イエッサー」
 ごついという言葉を絵に描いたような大男が、ラッシュの脳天に拳骨を振り下ろした。蛙がつぶれたような声を残し、ラッシュはあっさり地に伏せる。
「任務完了」
「ご苦労。――あー、そんで、カナタ。ええっと、オーナーだっけ? それって何?」
「カナタの所有者ということです。三時間前までは博士がオーナーでありましたが、現在では隊長殿がオーナー権を持っています」
「ふーん。要するに命令が欲しいってこと?」
「端的に表現するならば」
「こりゃ難儀だなぁ。まあ今のところは良いか。んじゃ、ちょっくらシミュレーション訓練しますかね」
「隊長」
 エルミナから非難するような目を向けられたが、アルバートは肩を竦めてみせた。
「今回はミラの言うことが真っ当だよ。それに、本人はやってもいいって言ってるようなモンだしね。じゃあ皆の衆、動くぞー」
 アルバートの号令一下、隊員たちはぞろぞろと歩き出した。意識を失ったままのラッシュは、先程のゴメスという兵士が軽々と担いでいる。
「隊長。ちょっと待ってください」
 移動しようとしたところを、エルミナが呼び止めた。アルバートが止まり、続いてついて行こうとしていたカナタも止まる。
「……あー、カナタ。お前は先に行っときな。あいつらにくっついて行けば大丈夫だから」
「了解です、隊長殿」
 敬礼をすると、すたすたと歩いていく。何も言わなければ行動がワンテンポ遅れる彼女だが、命令に対しての動きは素早いようだ。
「で、何?」
「カナタ少尉のことなんですけど」
 エルミナは眉を寄せて黙った。どのように切り出すべきか迷っているのだろう。
「いいよ。余計なことは気にしないで、お前の感じたままを言ってみな」
「それじゃあ、言います。彼女――カナタ少尉って、何かおかしいですよね」
「だな。あんなヤツは見たことない。無理な身体強化で精神までおかしくなっちまったってヤツを見たことはあるが……あんな感じじゃなかったな」
「まるで機械みたい……って、こんなこと言っちゃいけないんですけど。ああ、ごめんなさいね、カナタ少尉」
 聞こえるはずもないのに遠くにあるカナタの背中に謝っている。
「お前はホントにいいヤツだな」
「はい?」
「まあそれはそれとして。んー……気にはなるが、どうとも言えんな。まだ付き合いが浅いことだし」
「そうですよね。でも――隊長、あの子のこと気にかけてあげてください。私、何となく不安で……あの子、命令って言葉があれば何でもやっちゃいそうな……そんな風に見えるんです。無理をさせてしまっても、平気な顔してそうな……」
 エルミナはまだ心細そうな顔をしている。
「わかったよ。お前の不安的中率は高いからな。気をつけてみるさ」
「はい。お願いしますね、隊長」
 神妙に頷いてから、エルミナはようやく笑みを見せたのだった。



「あら。どうかされましたか」
 シミュレーション訓練室に入った一同を迎えたのは、初老の女性である。
 彼女は向かっていたモニタの前から離れると、やってきた隊員たちの人数の多さに目を丸くした。
「あらあら。一体何事かしら。シミュレーション訓練は八名までですよ」
「や、違うんだよ、アウローラさん。ほとんどは野次馬でね」
 先程までのつっけんどんな態度はどこへやら、ミラはにこやかに初老の女性――第三〇五辺境警備隊のオペレーターを勤めるアウローラにそう返した。
「新人が入ったって話、聞いてない? あ――紹介したほうが早いか。カナタ! ちょっとこっちに来なよ」
 ミラに促されると、最後尾にいたカナタはすっとした足取りで前に進み出た。
「新人のカナタっていうんだ。パイロットみたいでね。今日付けで入ってきたんだけど、腕試ししてやろうと思ってさ」
「そうですか。アウローラです、カナタさん。よろしくお願いします」
 深々と頭を下げる。その動きはどこか洗練されていて、彼女の生まれがそれなりに礼儀を重んじる家だということがわかる。
「…………」
「おい。アウローラさんが挨拶してくれてるんだ、お前も挨拶しろよ」
「……よろしくお願いします」
「ったく。ヒトに言われねぇと何にもできないな、お前は」
「いけませんよ、ミラさん。そのようなことをおっしゃっては」
 毒づくミラをアウローラはやんわりと諌める。
「こちらも緊張なさっているのでしょう。今日来たばかりだということですし」
「う、うん……まあ……」
「おいおい、入り口に集まって何やってんだ、お前ら」
 アルバートとエルミナが連れ立って戸口に現れた。入り口に群れる隊員たちを訝しげに見ている。
「さっさと中に入れって。だらだらしてないでさっさと訓練するぞ。――と、アウローラさん。こっちにいたんですか」
「隊長さん、いらっしゃい。新人さんの訓練をなさるんですって?」
「ミラが駄々をこねてましてねー。ま、いつものことなんで」
「うっさいな! いいからさっさと訓練に移るよ! カナタ、駆け足だ!」
「……隊長」
「はいはい。シミュレーション訓練の経験はあるな? 特別なシステムは使わないからいつもどおりにやってくれりゃいいさ」
「了解しました」
 カナタは頷き、部屋を見回した。
 シミュレーション訓練室はそれなりに広く、大小さまざまなモニタが部屋のいたるところに設置されている。それらは複雑なグラフを表示しており、何人かの技術者がその前に座っては様々なパラメータを管理していた。
 それらを統括する役目を負っているのが、戦場ではオペレーターも勤めるアウローラなのである。高貴というに相応しい優雅さを身にまとった老婦人は、部屋を見回しているカナタに近づいた。
「この部屋のシミュレーターは体感レベルB+の単純なものです。ほとんどゲームと変わりませんわ。カナタさんの機体は何にいたしましょうか」
「……隊長」
 再びついとアルバートのほうに向ける。
「そうだな。アウローラさん、少し前に研究所のほうから送ってきた機体データがあったでしょ。名前は『流星』だったかな」
「『流星・流(りゅうせ・ながれ)』ですね。極秘情報扱いでしたのでまだ開いていませんけれど」
「それがたぶんカナタの機体のデータだ。なんか研究所で開発した最新鋭だってさ。良くわからんけど、それでやってみよう」
「ちょっと待てよ! コイツの機体、最新鋭なのか? っていうか新兵のクセに専用機を持ってんのか!?」
 ミラの目がますます険しくなる。どうやら専用機という言葉にこだわりがあるらしい。
「そうらしいよ。ま、別に良いんじゃん。ウチの部隊お金ないから新しく羅甲発注する余裕もないしなー。あっはっは」
「笑い事じゃねーだろ! っつーかマネージメントどうにかしろよ! 隊長ですら専用機ないのにさぁ!」
「何を言うか。俺式は立派な専用機だぞ」
「あんなのただの使い回しだろうが! 貧乏の象徴を専用機とか言ってんじゃねぇ!」
「こ、こらー! 歴代の第三〇五辺境警備隊隊長殿に謝れ! すごい謝れ!」
「歴代ったって三代続いただけだろ! くそっ……ますます気にくわねぇ!」
「あらあら。いけませんよ、ミラさん。カナタさんが悪いわけでも、隊長さんが悪いわけでもないのですから」
「あ……その……すみません」
 アウローラの前では急に大人しくなるミラである。
「……アウローラさんが前線にいてくれると助かるんだけどなぁ。ミラの制御のために。考えといてくれません?」
「ご冗談を、隊長さん。わたくしなど足手まといにしかなりませんわ」
「ははっ。まあ、それで――シミュレーションの話に戻ろうか。うーん、いくらなんでも武装に差がありすぎるとアレだし……アウローラさん、機体のデータ表示してくれる?」
「少々お待ちください」
 モニターの前でアウローラの細い指が踊った。データの解凍待ち画面が現れ、しばらくすると膨大な量のデータがモニター上に表示される。
「あらあら、すごい量……」
「機体性能データのところだけ抜き出してもらえます?」
「あ、私も見たいです」
 秘書の真似事ばかりやらされているが、本業はメカニックのエルミナである。最新鋭だというカナタの機体には興味があった。
「へぇ。ずいぶんと運動性に偏った調整だな。出たよ必殺の運動性総合評価Sクラス認定」
「わー! ホントにSクラスだ! 初めて見ます!」
「その分、装甲が削られてんのな。見てみ、この重量。ありえねー」
「わぁ、軽い! それでも装甲評価はB評価ですか。硬度と重量のバランスは――はわわっ、H/W係数がとんでもない数字に!」
「おー、さすが最新鋭。使ってる素材も半端ないねぇ。カナタ、この機体に実際に乗り込んだことはあるか?」
「テストパイロットとして乗り込んだことはあります」
 興奮するアルバートとエルミナをよそに、カナタは淡々と答えた。
「アウローラさん、武装のほうはどうかな」
「はい。少々お待ちを……これですね」
「あ、ああっー! ビームライフルだ! 隊長、我が隊にもついにビーム兵器が!」
 エルミナの叫びに周囲からもどよめきが漏れた。
 だいぶ普及してきたとはいえ、羅甲が主力の部隊ではまだまだビーム兵器が行き渡っていない。第三〇五辺境警備隊にもまだビーム兵器装備の機体は配備されていなかった。
「おおー、来たね来たね。こりゃアツいなァ。現場にもがんばって整備してもらわんと」
「わー、そうでした! ビーム兵器のメンテナンスの方法、きちんと復習しとかなきゃ。あー、でも嬉しいなあ!」
「訓練してるなら、カナタが一番操兵規模のビーム兵器の扱いに慣れてるってことになるな。色々学ばにゃならんね――うん? これは……」
 モニターを眺めていたアルバートが怪訝そうな顔をする。
 と、後ろからかかったミラの甲高い声が彼の思考を打ち切った。
「隊長! うだうだやってないで早くしなよ。データなんてシミュレーション訓練で確認すればいいじゃないのさ!」
「ん、まあ、それもそうだな」
 アルバートはモニタから視線を外すと、ミラとカナタをそれぞれ一瞥した。
「じゃ、ルールはスタンダードで行こう。先に大破したほうが負けね。ミラ、お前の機体は――そうだなぁ、俺式を貸してやるからそれで」
「いいよ。俺式、癖があり過ぎて使いにくいし。あんなのまともに使えるの隊長だけだよ」
「そうか。じゃあ、いつもの砲撃用カスタムの羅甲にしとくか?」
「ふん、構わないよ。テストパイロットだかなんだか知らないけどね、本物の戦闘を教えてやる。早く準備しな!」
 カナタに向かって指を突きつけると、ミラはずかずかと部屋の中央にあるカプセル型の操縦室へと入っていった。
「やれやれ。じゃあ――そうだな、カナタ。多少公平な方向に持っていくため、お前の流星のエネルギーゲイン効率を八割まで落とす。あと、使える武器はビームライフル一本という設定だ。それで行けるか?」
「――問題ありません」
「よく言った。じゃ、さっそく始めよう。シミュレーターに入ってくれ」
「了解です」
 すたすたと歩き、カナタもまた操縦室に入っていく。
「と、設定の仕方がわからんかも知れんな。エルミナ、一緒に入って設定の仕方を教えてやってくれ。お前はわかるよな?」
「はい、大丈夫ですよ」
 エルミナは小走りに操縦室に入っていく。
「あの子……不思議な子ですわねぇ」
 アウローラが呟いた。その瞳に憂うような色がある。
「なんだかぼんやりとして。あんな子が戦えるものなのかしら」
「さて。一応、研究所のお墨付きはもらっているんですがね」
 話している間に、いくつかのモニターでREADYの文字が浮かんだ。準備が整ったらしい。カナタの操縦室からエルミナが出てきて、親指を立ててくる。
「よし、準備完了だ。アウローラさん、シミュレーションをスタートしよう」
「はい」
「場所はとりあえず宇宙にしよう。マップ二〇五でお願いします」
「はい。――これで設定完了です」
「よし。それじゃ、いっちょ始めようか」
 シミュレーターの起動音が鳴り響き、段差で仕切られた中央の空間に立体ホログラムが現れる。いくつかの施設が点在する宇宙空間だ。そこに、二体の機体が忽然と現れる。ミラが操る羅甲とカナタの乗る流星・流だ。
 ミラの羅甲は右肩にミサイルポットを装着し、左腕にマシンガン、右手にはバズーカを装備していた。砲撃用にカスタマイズされた機体である。一方、流星のほうはといえば、武器は右手に装備されたビームライフルしかない。
「守る側はカナタ。攻める側はミラだ。各員、聞こえているな?」
 マイクを手元に引き寄せてアルバートが言うと、二つの機体から了解を示す信号が返ってきた。
「よし。それじゃあ戦闘開始だ。――シミュレーションスタートッ!」
 アルバートの号令一下、シミュレーション訓練が始まった。



 始めに仕掛けたのは、当然と言うべきか、ミラの駆る羅甲である。
「さあ、まずは腕試しだ!」
 一気に距離を詰めると、肩に装着された六連ポッドからミサイルを吐き出す。機体の安定性とロックオンのタイミングが身体に染み込んでいるのだろう、その動きには一瞬の躊躇もない。
 対して、カナタの駆る流星・流はわずかな動きでそれをかわした。追尾性のないミサイルはそのまま前方に突き進み、そのうちのいくつかがコロニー施設に当たって閃光を散らす。
「カナタ、施設に大きな損害を与えられてもお前の負けだ。気をつけろ」
「了解です、隊長」
 流星の身体が独特の前傾姿勢を取る。一気にバーニアが灼熱し、一瞬の後には宇宙をかける流れ星となっていた。
「クッ、さすがに速いな!」
 ミラは毒づきながら、羅甲の旋回運動に入った。直進の流星に対して、円運動の羅甲は向きの変更に若干の時間を要する。その隙を逃さず、流星の右腕にあるビームライフルから一条の光が打ち出された。
 一瞬のうちに旋回運動から直進に切り替えたミラの判断が、彼女を救った。まともに当たれば一発で終わるビームライフルの一撃は、どこに当たるでもなく星の海の中に消えていく。
「クソッ! やっぱり不利だ!」
 わかっていたことだが、いざ現実となると腹が立ってくる。ミラはその怒りを推進力に変えるべく、さらに羅甲を加速させた。
 一方、流星は反撃がないと知るや向きを変え、再びバーニアを噴かせて羅甲を追う。そのスピードはやはり比べ物にならない。わずか数秒で距離は半分以下に縮まっていた。
 が、ミラに焦りはない。機体の性能の差はわかっていたことだ。加速をかけたときからこうなることは目に見えている。
「さて――お手並み拝見!」
 前を行く羅甲が不意に振り返った。
 否――振り返るというほど整然とした動きではない。このような急な動きにスタビライザーが対応できるわけがないのだ。半ばほど身体が横を向き、機体の上下も逆になっている。それでも――めまぐるしく動く視界の中、ミラの目はこちらに向かって突進する流星の動きを捉えていた。
「――かわせるものならかわしてみせろ!」
 距離は十分に狭まっていた。右肩のミサイル、および左手に装備していたマシンガンを同時に発射する。アクロバットな射撃にもかかわらず、そのほとんどが流星に向かっていた。
「ほう。ミラのヤツ、腕を上げてるじゃないか」
 アルバートは感心したように呟いた。シミュレーションによって戦いやすい環境になっているとはいえ、あの体勢であれほどの集弾率を実現できるパイロットはなかなかいない。
「――っていうかミラ曹長、完全に安全装置オフしてますよね。あんな動き、普通はソフトのほうがエラー出して受け付けないはずなんですけど」
「あいつの才能をソフトに制限させるのはもったいない」
「……操兵安全性評価部の人が聞いたら間違いなく泣きますよ、それ」
 などと言っている間に、ミサイルとマシンガンの弾が前方から流星に襲い掛かる。加速中の機体にとっては悪夢のような光景であろう。
 しかし――流星は向かって右側に軌道をずらし、それらをことごとくかわしてみせた。
「な――んだとッ!?」
 驚愕の叫びを上げながら、ミラは羅甲の体勢を立て直す。その間に旋回気味に軌道を移した流星から二条のビーム光が飛来している。一つは何とかかわしたものの、もう片方は避けようとした羅甲の右足を根元から丸ごと持っていった。
「ぐっ!」
 衝撃がシミュレーション用のコックピットを揺らす。激しい上下動に耐えながら、それでもミラは集中力を絶やさず、羅甲の体勢を立て直す。同時に牽制弾をばら撒き、続く追撃を封じた。
 乗機の四肢を失うことは今までの戦闘で何度かあった。重心位置の変更など、システム側でダメージに対応する自動補正がかかっているが、それでも完全ではない。ミラは過去の経験と勘を総動員し、羅甲のバーニアを噴かせて加速に移った。
 一方の流星は速度を落としており、追いすがりつつも距離はほとんど縮まらない。アルバートの課したエネルギーゲインの限定が、即座の追撃を許さないのだ。
(けど、そのうちまた距離を詰めてくる……)
 そもそも逃げるだけでは勝てない。ミラは慎重に機体を横に倒して旋回運動に入った。動きが多少ばらつくが、これくらいならなんとかなる――そう確信を抱く。
「――ミラ、仕掛ける気だな」
 モニターを眺めていたアルバートが呟いた。彼はミラの機体が示した不自然な動きを見逃さなかったのだ。
 羅甲がスピードを落としつつ旋回運動に入った。径を小さくしていく螺旋運動で、徐々に背後から迫る流星に向き直る。対する流星は速度を落として、羅甲を迎え撃つ体制をとった。モニタに表示された流星のエネルギー値が回復していく。
「さて――覚悟はいいかい」
 羅甲の一瞬バーニアが切られた。慣性だけで動く羅甲が完全にその方向を流星へと向ける。
 目の前のモニタに流星の細長いフォルムが表示される。その向こうにいるはずのカナタに向かい、ミラは吼えた。
「チキンレースだ! テストパイロット!」
 ヴン、と急激にバーニアをふかし、羅甲が正面から突っ込んでいく。慣性とほぼ正面から向き合うことになり、ミラの全身が悲鳴をあげる。それでも彼女は加速を止めず、流星に肉薄する。
 相手の動きを見て取った流星もまた、動きを開始した。フルブーストで正面から羅甲に向かって突っ込んでいく。
「か、完全に正面からのぶつかり合いですよ!」
「だな。ミラのヤツ、自分が砲撃専用に乗ってること忘れてんじゃね?」
「そんなー!」
「なんてな。あいつは短気だけど、こと戦闘に関しちゃきちんと考えてるよ。まあ見てなって」
 アルバートには彼女の考えていることが何となく読めていた。
(砲撃用のカスタマイズは装甲を強化してある。ぶつかり合えば、装甲に難のある流星のほうが打撃を受ける――とはいえ、お前もダメージを受けているんだぜ)
 両機のデータから総合的に考えれば、このままぶつかり合っても両機とも大破するのがオチだ。いくらシミュレーションとはいえ――いや、シミュレーション訓練だからこそ、このような特攻に意味がない。とすると――。
「あら。あらあら?」
 傍らでアウローラが声を上げた。
「どうかしました?」
「いえ、タスクが急に……カナタちゃんの乗ってる機体のデータが重くなってるのかしら。やだ、良くみたら、結構前からだわ。流星ちゃんのデータ、他の子たちより数倍重いみたい」
「データが重い……? いや、重くなったってコトですよね」
「そうね。流星ちゃん、何か計算してる……?」
(計算。データ処理。……データ?)
 反射的に博士の顔が浮かんだ。
(やっぱりあの機体、何か積まれてるのか?)
 アルバートの思案をよそに、両機はどんどんと距離を詰めている。
「どっちが先に動くのかな……?」
 エルミナがごくりと息を飲む。
 ――その瞬間だった。フルブーストの中、流星が静かにビームライフルを構える。
(――なんて冷静な)
 流星の動きを見て、ミラの身体に悪寒が走った。あと数秒も経たず正面からぶつかり合うというのに、まるで戸惑いがない。迷いもない。ただ、このタイミングで撃つべく定められた――まさしく機械のように。目の前の機体からは感情的なものが一切伝わってこない。
「――ここは戦場だ! お前かアタシ、どちらかが死ぬんだぞッ!」
 叫び、ミラはレバーを引いた。ぐっと重圧がかかり、無理な動きで機体の安定が崩れる。モニターが揺れ、視界が回る。そんな中でもミラの瞳は流星を捕らえ続ける。
 光。モニタいっぱいに広がったそれは、羅甲のコックピットに衝撃をもたらした。大地震もかくやと思われる振動の中、ミラは一瞬だけ機体データが表示されるモニタを見た。
 細かいデータは確認しない。ただ、異常を示す赤いフォントの数だけを反射的に数える。そして、視線を正面に戻すまでの間に判断する。
「――まだ行けるッ!」
 その瞬間、ミラは自身の機体の負っているダメージ部位については認識していない。ただ、異常を示す赤いフォントの並び方と、彼女の自身の経験から生まれる勘で、彼女はそう判断した。その判断は――間違っていない。
 揺れる画面の中、ミラの目は正確に流星を正面に捉えていた。羅甲の身体は横に逸れている。このままでは流星と接触することなくすれ違うだろう。
 交差の一瞬。そこにミラの勝機がある。
(――え?)
 一瞬、違和感が脳裏を過ぎった。何によるものかはわからない。良く考えればわかるかもしれないが、その時間はない。
 どうする?
 その判断は即座に下った。
(やってやるッ!)
 回転する視界の真ん中。そこに向かって伸ばされるバズーカの砲身。この距離から当たれば――まさしく一撃必殺。
「――当たれェ!」
 叫ぶと同時に、最後の引き金が引かれた。



「あー……ちっくしょ。久々に酔った」
 訓練が終わり、先に出てきたのはミラのほうだった。
 口元を拭っているところを見ると、どうやら擬似コックピットには惨状が展開されているらしい。スタッフの一人がはあと溜め息を吐いた。掃除当番に当たっているのだろう。
 ふらふらとした足取りで返ってきたミラに、アルバートはドリンクを差し出した。
「お疲れ。最後、惜しかったな」
「……ふん。まーね」
 頭をがりがりと掻いてから、ミラはドリンクに口をつけた。一息に飲み干し、ぷはあと息を吐く。
「悔しいけど負けは認めるよ。最後の交差――あいつ、完全にアタシの動きを見切ってやがった」
 最後の交差――引き金を引くその瞬間。
 流星はミラの視界から消えていた。
 バズーカは虚空を撃ち抜き、呆然とする羅甲は無防備な背中からビームライフルの一撃を食らってあっさりと撃墜される。それがシミュレーション訓練の結末だった。
「向こうのエネルギー残量、読みきったつもりだったんだけどな」
「悪くなかったぜ。実際、ギリギリだった。ほんの少し読みが足りなかった感じだな」
「そっか。悔しいな……」
「って、ちょっと待ってください。残量を読みきったって……どうやってです? 情報はオープンになってないはずですけど」
 エルミナは不思議そうな顔をしていた。
「一回やりあったときに、何となくさ。逃げたときにあいつの機体はすぐに追ってこなかった。あの状況だったらすぐに追撃に移りたいところなのに、来なかったからさ。エネルギーの充填をしてるんじゃないかって思ったんだよ。ビームライフルだって結構エネルギー食うだろ? そのへんを考えてさ、向こうの限界を考えたつもりだったんだけど」
「ああ、なるほど……」
「でも、足りなかった」
「そこらへんはカナタが上手かったな」
 言って、アルバートは視線を巡らせた。
 カナタはまだ操縦室から出てこない。勝利したとはいえ、疲れも相当溜まっただろう――そう思い、視線をミラのほうへと戻す。
「気付いてたか? 彼女、お前と交差する少し前に一旦ブーストを切っていたんだ。そこで浮いた分があったからこそ、最後に加速できたってわけだ」
「――そんなことだろうと思ったよ。なんだか違和感はあったんだ。まあ――気付いたところで、どうしようもなかっただろうけど」
 そう言うと、ミラは唇を噛み締めた。
「けど悔しいな。悔しいし、悔しすぎて腹立たしい」
「機体の差があったんだ。そんなに気にするこっちゃない」
「本気で言ってんの? ここが戦場ならアタシは死んでたんだ。悔しくないわけないじゃないか!」
 噛み付くような調子のミラを、アルバートはやんわりと制した。
「ここが戦場なら俺がお前をあんなふうに孤立させたりしない」
「……ッ」
「気にすんなってのはそういう意味じゃないよ」
「……わかってら、そんなこと」
 ごしごしと顔をこすると、ミラは駆け足にシミュレーションルームを出て行った。その途中で『ぐえ』と断末魔が上がる。床に転がったまま放置されていたラッシュの身体を踏みつけていったらしい。
「ミラ曹長、大丈夫ですかね?」
「大丈夫だよ。こういうこと、今までも良くあっただろ」
「でも、カナタ少尉と……」
「すぐに仲良くなるよ。あいつは何だかんだでさっぱりしてるからなー。にしてもまあ、砲撃用の羅甲でここまでやるとは思わなかった。やっぱ才能あるんだよ、ミラは」
 なにやら嬉しそうに言ってから、アルバートは振り返った。
「ま、それよりほら。お疲れになってる姫様を迎えにいこうぜ」
 カナタはまだコックピットから出てきていなかった。アルバートに言われ、エルミナは急に不安になる。
 カナタはまだ操縦席から降りてもいなかった。椅子に深々と背を預け、瞳を閉じている。感情の欠落した人形のような風貌であるから、そうしていると生きているように思えない。
「……カナタ少尉!」
 思わずエルミナが声をかけると、カナタは身じろぎした。
「……はい。何か御用でしょうか」
 目を開くと、顔を上げる。エルミナはホッと息を吐いた。
「いえ、なかなか出てこないものですから。身体の調子がおかしいのですか?」
「少々眩暈を感じましたので、休ませていただいておりました」
「そうだったんですか……あ、その、お強いですね! さっきの戦い、思わず見とれちゃいました!」
 誤魔化すような調子になってしまったが、本音であるのは間違いない。エルミナに言われると、カナタはわずかに首を傾げた。
「おーい、大丈夫か?」
「あ、隊長。カナタ少尉、大丈夫そうです。ちょっと眩暈がしたんですって」
「そうなのか。ま、とりあえずさっさと出てきな。今日の訓練はもうお終いにするから」
「はーい」
 返事をして、エルミナはカナタを振り返った。
「安全装置はもう外れてるね。じゃ、行きましょ、カナタ少尉。どうぞつかまってください」
 言いながら手を差し出すと、カナタはゆるゆると首を振った。
「助けは無用であります。一人で大丈夫ですから」
「駄目ですよ。カナタ少尉は疲れてるんですし、もし万が一倒れちゃったりしたら大変でしょ? それに、遠慮しないでください。私たち、もう仲間同士なんですから!」
「……仲間?」
「そです。えへへ、自分で言っててなんだか照れるにゃー。さ、早く掴まってください」
 エルミナの微笑みにつられるように、カナタはおずおずと手を取った。
(……冷たい手)
 触れた瞬間、ぞくりとする。けれど、それを悟られないように、エルミナはもう片方の手を添えてカナタの手をギュッと握った。自分よりも少しだけ大きな手は、両手で包み込むとすぐに暖かくなる。
「よう。大丈夫か、カナタ?」
 手を引かれて出てきたカナタに向かい、アルバートが気楽な調子で声をかける。
「問題ございません。ご心配をおかけしまして申し訳ございませんでした」
「別に申し訳なくはないって。俺たちもう仲間なんだからな。もっと気楽に接してくれていーんだよ」
 くしゃくしゃっとカナタの頭を撫でると、アルバートはエルミナに向かって言った。
「今日はもう終わりだ。もう夕食の時間だしさ。カナタを食堂まで連れてってやってくれ」
「それは構いませんけど……隊長は?」
「ちょっと野暮用が残ってるんでね」
「はあ」
 得心がいってない顔をするエルミナだったが、すぐに気持ちを切り替えたようだ。それでは失礼しますと断って、カナタと一緒に部屋を出て行く。
「あ、そうだ。アウローラさん、しばらくこのまま状態を保持してくれる?」
「わかりました」
「ってーか先に飯食っててもらって構わないですよ。用事が終わったらオフしておきますから」
「そうですか……それなら、お言葉に甘えさせてもらおうかしら」
 アウローラは頷き、スタッフと一緒に部屋を出て行った。
「さて――と」
 先程での戦闘中、気になっていたことが幾つかあった。アルバートはまずカナタの入っていたコックピットに足を踏み入れる。
「……なるほどね。処理が重くなるわけだ」
 入ってすぐにそう呟いた。
 目の前に広がる無数の文字と数字。それらはほとんど画面を埋め尽くしていると言っていいほどで、それなりに経験を積んでいるアルバートでもこれほどの情報量ではどう処理していいものかわからない。
「目に入るもの片っ端からデータ化してんのか? いや、それなら今頃はシステムがダウンしてるか……にしても、あり得んな。どんだけデータ採取基準を甘くしてんだよ……」
 カナタはこれだけの情報を、あのスピードの中で処理していたのだろうか。そう考え、アルバートは首を振った。いくらなんでもそれはあり得ないだろう。人の情報処理能力は鍛えれば伸びる後天的な能力だが、それでも限界は存在する。これほどの情報を取り扱うためには、その限界を一歩も二歩も超えなければならない。
 操縦室から出ると、今度はアウローラの操作していたモニタの前に立つ。そこには先程の戦闘の統括データが表示されていた。キーボードを操作し、目的の情報を表示させる。
「お。やっぱりな……」
 表示されているのは、先程の戦闘でカナタの身体にかかった負荷をタイムラインに沿ってグラフ化したものだ。
 高機動力は、同時にパイロットに高い負荷をかける。流星に機乗することでかかる負荷は、羅甲のそれよりもかなり高い位置でアベレージを保っていた。中にはグラフ上限を飛びぬけてエラーが出ている部分もある。それは、訓練でかけることのできる負荷の上限を超えるほどにパイロットの身体に負荷がかかっている証拠だった。
(強化人間か……)
 経験豊富なミラでさえ、通常以上の負荷には耐え切れず、嘔吐やら眩暈やらでフラフラになっている。しかし、先程の戦闘でカナタにかかった負荷はそれ以上だったはずだ。それなのに、カナタは眩暈を感じたという程度でおさまり、すぐに回復していた。
(……やれやれ。ヤなんだよなぁ、こういうの)
 溜め息を吐くと、アルバートはシステムの電源を落とし、訓練室を後にした。



「ふーっ。ようやく終わったー」
 エルミナはそう言って、ベッドの上にダイブした。
 洗濯したての良い匂いが鼻腔をくすぐる。意味もなく白いシーツに頬ずりしてから、寝間着姿のエルミナはむくりと上半身を起こした。
 シャワーの音が聞こえてくる。エルミナと入れ替わりにカナタが入っているところだった。ごろりと仰向けに寝転がって、エルミナはしばらくその音を聞いていた。
 時刻は午前零時過ぎ。いつもならとっくに就寝しているところだが、今日はカナタのパイロット登録やら事務処理手続きに追われてこのような時間になってしまった。このあたり、本来ならば事務屋の仕事なのだが、慢性的な人手不足のために、やれることは自分でやらなければならないのが現状だ。
 結局、カナタもこの時間まで付き合わせてしまった。仕方なかった事情があるとはいえ、疲れている彼女を休ませてやれなかったのは申し訳ない気持ちになる。
 しばしそうしてぼうっとしていると、シャワーの音が止んだ。
「終了いたしました」
 がらりと戸が開いて、一糸纏わぬカナタが現れる。何気なく振り返ったエルミナは思わず赤面した。
「か、カナタ少尉! バスタオルくらい巻いてください!」
「バスタオルでありますか?」
 首を傾げつつもカナタは浴室に戻っていった。
(もう、いきなりでびっくりした……って、なんで私、こんなにドキドキしてるんだろ。女同士、別に恥ずかしがる必要なんてないのに)
 でも――と、エルミナは回想する。カナタの肢体はこの上ないほどに完璧だった。痩せ過ぎず、かといって太り過ぎず――出るべきところを出して引っ込むべきところは引っ込めて――それに比べて私は。
「……はぁ」
 疲れとは別系統の溜め息を吐いていると、バスタオルを身体に巻いたカナタが現れた。
「お風呂をいただきましてどうもありがとうございました」
「あ、うん。どういたしまして。カナタ少尉は偉いですね、お礼がちゃんと言えて――って、はわわ! 何言ってんだろ、私!」
「…………?」
「あ、ううー」
 カナタを見ていると、なんとなく世話が焼きたくなる。そして、実際に関わってみると、手のかかる妹を世話しているような気分になってしまうのだ。
「カナタ少尉はおいくつなんでしたっけ?」
「今年の八月で十九年目になります」
「今年で十九歳。じゃあ、私より一つ下なんですね」
「そうなります」
「……じゃあ、私のほうが年上ですし、カナタちゃんって呼んでもいいですか? あ、プライベートだけの話ですよ」
「問題ありません」
「じゃ、カナタちゃん」
「はい」
「カナタちゃん。カナタちゃんカナタちゃんカナタちゃん」
「…………?」
「えへへ。意味なんてないんだよ」
 笑うエルミナに、カナタはますます首を傾げる。
「あ、ごめん。早く着替えちゃおう。確か寝間着は隊長が用意してくれたはずなんだけど」
「隊長殿からはカナタが既に受け取っております」
「あ、この荷物か。しっかし、隊長、なんで女の子の寝間着なんて持ってるんだろ。ラッシュくんならともかく……」
 言いながら、エルミナは机の上にある布袋を手に取った。
「……え」
 中を覗き、そのまま固まる。
「どうかいたしましたでしょうか」
「……いや、ね。ワイシャツが一つ入ってるんだけど……」
 クリーニング卸し立ての白いワイシャツである。しかも男物だった。どこからどう見ても寝間着ではない。
「……何を考えてるのか、理解に苦しむわ。確かに女物の寝間着なんてすぐに用意できないでしょうけど」
「サイズ的には問題ないように思います」
「おっきいしね。でもねぇ……」
「隊長殿がご用意くださった以上、カナタには従う義務があります」
 カナタはじっとワイシャツを見ながらそう言った。
「……ふう。しょうがないなぁ、ほんとに。明日、ちょっとだけ時間もらって買い物に行こうね」
 言いながら、エルミナはクローゼットから下着を出した。カナタは替えの下着も持っていなかったので、エルミナが貸すことになったのだ。
「――と言っても下だけなんですけどね!」
「?」
「ごめん、こっちの話。下着もやっぱり明日買いに行こ。ごめんねカナタちゃん、私が不甲斐ないばっかりに……このブラを貸すことだけはできないのッ!」
「?」
 首を傾げながら、カナタはさくさくと着替えていった。と言っても下着をはいてワイシャツを羽織るだけだからすぐに終わる。
「……うーん。男物のワイシャツだと妙な色気があるわ」
「色気でありますか」
「色気であります。要するにカナタちゃんが可愛いってコト。可愛いってよりも綺麗かな。いいなぁ、私もこのくらい立派になりたいよー」
「カナタは立派ではありません。依然、欠陥の多い未熟者であります」
「そんなことないよ。今日だって凄かったし。さ、こっち座って。髪、梳かしてあげるよ」
 素直に頷き、カナタはベッドのふちに腰掛けた。その後ろに座り、エルミナは水分を含んでしっとりとした銀髪を、ドライヤーと櫛で梳かしていく。
「ねえ、カナタちゃん」
 梳かしてみると、さらさらとした癖のない髪だった。癖っ毛のエルミナにはその感触がうらやましい。
「カナタちゃん、記憶がないって言ってたよね」
「……はい」
 心なしか、いつもより返答のタイミングが遅かったような気がした。
「それって、その……お父さんとかお母さんのことも、わからないってことになるの?」
「……はい。家族に関する情報は一切ありません」
「知りたい?」
 しばしの間があった後。
「わかりません」
 と、答えた。
「カナタの両親が誰であろうと、カナタのやるべきことは変わらないように思います」
「でも、大事なことだよ」
「大事でありますか」
「大事であります。だってカナタちゃんを生んでくれた人たちじゃない。カナタちゃんが生まれてきた意味を作った人たちだよ」
「カナタの生まれてきた意味……ですか……」
「うん。カナタちゃんがパイロットになってさ。で、事故に巻き込まれちゃって。記憶はなくしちゃったけど、色々あって、今こうして私たちの部隊に来た」
「……はい」
「それってすごく意味があることなんだよ? きっと、すごい意味があるんだ。今はなんだかわからないけど、きっと。でも、そのすごく意味があることって、カナタちゃんの両親がいなければ起こらなかったことなんだから」
「……大事」
「そう。でも……ごめんね。あんまりカナタちゃんの気持ち、考えないで喋っちゃった。不安なのは当たり前なのに、私、煽っちゃったかな」
「いいえ」
 カナタはうつむけていた顔を上げた。エルミナの中にある銀髪がさらりと揺れる。
「大事であるように――思います。エルミナ殿の言うとおりであります」
「……ありがと。あとね、もう一つ言わせて」
「何でありましょうか」
「エルミナ殿なんて堅苦しい呼び方はやめよ? 私はカナタちゃんって呼んでるんだし」
「……では、どのようにお呼びすれば」
 肩越しに振り返る。その端正な横顔に向かって、エルミナはニッと笑った。
「なんでもいいよー。エルミナって呼び捨ててくれても構わないし。エルって愛称で呼ばれることもあるかな。あ、カナタちゃん、妹みたいな感じがするから、エル姉様とか呼んでくれてもいいよ! なーんちゃって、えへへ、さすがにそれはないかもだけど――」
「エル姉様」
「はれ?」
「呼ばせていただきます。エル姉様」
「え? え、あ、う、うん」
 なんとなく照れくさくて、エルミナはベッドの上に突っ伏した。
「もうお眠りになりますか?」
「そ、そーだね。そうしよっか」
「では、明かりを消します」
 照明が落とされ、薄暗い中を移動する気配がする。やがて衣擦れの音がして、カナタが隣のベッドに入ったのがわかった。
「――カナタちゃん」
「はい」
「明日から頑張ろうね。でも、頑張り過ぎちゃ駄目だからね。何かあったら絶対に私に言って。カナタちゃんは……私の仲間で、さらに妹なんだから、遠慮しなくていいんだよ」
「はい」
 闇の中、やはりカナタは無表情のままなのだろう。
 けれど――返事をする声は、少し優しく聞こえた。
「おやすみ、カナタちゃん」
「おやすみなさいませ。良い眠りを」



(――ったく、こっ恥ずかしい話はちゃんと扉を閉めてからやれっての)
 エルミナとカナタの部屋の前。
 聞く気はなかったなどと内心で言い訳しつつ、最後まで聞き耳を立ててしまった男は、がりがりと頭を掻いた。
(ま、しばらくはエルミナに任せときゃ大丈夫なのかな)
 足音を立てないよう、ゆっくり歩き出しながら、アルバートは考える。
(記憶がない……生まれてきた意味、か……)
 根拠はない。根拠はないが、アルバートはどうもソムド博士の言ったことが信用できない。
 博士は、カナタはもともとパイロットだったと言う。だが、それは真実なのだろうか。記憶を失ったという事故とは一体どんな事故だったのか。それは本当にあったのか――それすらも嘘ではないのか――。
(わからんことをウダウダ考える趣味はないはずなんだがね)
 がりがりとまた頭を掻く。どうも、一連の出来事に胸騒ぎがしてならない。
 すやすやと寝息を立てる二人と対称的に、すっきりしない気分のまま、隊長の夜は更けていったのだった。
っきりしない気分のまま、隊長の夜は更けていったのだった。


TO BE CONTINUED…