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MOON CHILD -Dancing in darkness-



 大乗流を、知っているか――




「大乗流、だと? なんだ、突然やって来たかと思えば可笑しなことを尋ねる」
「申し訳ありません、殿下。ですがそれは、お尋ねしておかなければならない事柄なのです」


 何を言い出したことか。
 やれやれ、快皇ともあろうものが、面と向かって一番に話す言葉が、知っているか、とはな。
 まったく、テッシンよ、一体どういうつもりなのやら。


「知っているも何も、知らぬはずがなかろう。十五年前に失踪した、快王が使っていた御技だろう?
 確か――獣を殺すために編み出された特殊な流派だったと記憶しているが、それがどうしたというのだ」
「多少語弊があるようですな。奴は失踪したのではなく、消息が不明になったのです。
 当時暴れまわっていた奇居子<がうな>という宇宙怪獣を倒しに行って以来、ぷつり、と。
 むろん死亡も予想されましたが、死体も機兵の残骸も発見されなかったことから、
 まだ生きている可能性が高く、とりあえず消息不明、という形で行方を探していた次第です」


 奇居子、とは聞いたことのない名だ。
 そう尋ねるとテッシンは、人を喰う化け物でございます、とだけ返してきた。
 人を喰う化け物だと? 化け物の多くが人を喰うというのに、態々そんな云いをするとは妙だな。

 だが、よい。たかが快王一人に退治された化け物など、どうだという。
 雑魚にも過ぎぬ生き物だ。


「なるほど、読めたぞ。つまり、長らく行方を晦ませていたその大乗の快王が、
 ようやくにして見つかった……と、そんなところであろう? だが、解せぬな。
 何故態々余に尋ねるような態度を取った? その大乗の快王とは、何の面識もないというのに」
「……見つかった、とは少し違いますな。実は……つい最近、実しやかに囁かれてるある噂がありまして」
「ほぅ……噂、とな?」
「ええ、噂でございます」



  ――アムステラの果ての地で、大乗を名乗る一人の少年が居る。
  ――アムステラの果ての地で、獣を殺す少年がいる。
  ――アムステラの果ての地で、無敗を誇る者がいる。

  ――大乗と掲げ、獣を殺し、人に打ち克ち、なお毅然と立つもののふがいる。



「……噂は噂。とはいえ、快王以外で大乗を名乗るものは、私の知る限り一人として居ません。
 それ故に、先の快王が、大乗の使い手が生きてるにせよ死んだにせよ、その小僧は気にかかります」
「なるほど、な。読めたぞテッシン、お前の考えが、な」


 なるほど、確かに余も、大乗流を名乗る人間など知らぬ。知りもしない。
 そもそも、今この時まで、テッシンに話題を振られるまで、そのような流派など、考えもしなかった。
 一子相伝、あるいは何らかの規律によって流派の教えが広まっていないのだろう。

 この余が知らぬのだ、そうに違いない。絶対にだ。
 いや、あるいは大乗流の風聞も悪いことが影響でもしているのか。

 大乗流。獣を殺すためだけに編み出されたという、異質な武術だ。
 普通、『武』とは自分よりも強い者、強者足りえるものに打ち克つために生まれたもののはずだ。
 だが大乗流とは、それを真っ向から否定している。ヒトではなく、獣を倒すため、とな。

 それだけでなく、単独で宇宙怪獣を倒せる『武』でありながらも、決して誰からも認められず、
 あがめられず、どころか卑下され、ヒトの使う技ではないと否定され続けているからだろう。

 『野蛮な技』。
 それが、大乗流への評価だ。
 そんな評価の低い流派を、危険を孕んだ技を、学ぼうとする輩などいるはずも、ない。

 そう、危険な技、だ。
 化け物という、人とは比べ物にならない生き物を、倒すための技なのだから。
 そんなものを覚えてしまえば、きっと生涯、化け物だけを退治させられるためだけに、
 ありとあらゆる地で人知を超えた死線を巡らなければならないのだから。

 何せ、化け物を殺す技なのだから。
 化け物相手に使わずして、何に対して使えというのだ。
 きっと誰もが尻込みするに違いない。
 化け物相手に、命の保障などできないのだから。

 しかもそれだけではない。
 それだけの危険と隣り合わせにいながら、下種の技だと罵られてきたのが今の大乗流だ。
 認められず、謗られ、貶され、しかしなお獣相手に死線を巡る。一体何処の誰が学ぼうというものか!

 ……だが、だがその小僧は、大乗と名乗った。
 尊ばれる可能性はなく、死への危険性が何よりも高いというのに、だ。

 なるほど、面白い。
 面白いではないか。


「大乗流を名乗る小僧、か。どうにかして、そいつをこのアムステラに招け、と。そういうことだな、テッシン」
「ええ、おっしゃる通りです。ですがもちろん、それだけではありません。先の快王の安否も、しかり。
 もしすでに亡くなっているのでしたら、快王の序列からその名を抹消しなければなりません。
 それに……年々、領地の広がっていくこのアムステラでは、宇宙怪獣の被害も増大していく一方です。
 その小僧には、できればそれらの討伐を全面的に任せたいのですよ。何せ、怪物を相手どれる王でございますから」
「――王、か」


 大乗を、そう名乗るだけで王と呼ぶか、この男。
 可笑しなことを――とは、言わん。むしろ、面白いことを言うものだ、と余は思う。

 今の今まで大乗などという流派を忘れていたとはいえ、
 先代の大乗が屠った獣の数は、以前文献を読んだ際に記憶している。
 正確な数字は書かれていなかったが、しかしその数は軽く四百を超えている、と予測されていた。

 異常な数だ。いや、異常すぎる数、といったほうが正しいか。
 数を理とし侵略を続けるこのアムステラの軍でも、一匹の宇宙怪獣には手間をとる。
 やつらは数では倒せない。数では、ただの雑兵では、悪戯に屍の山を築くだけだ。

 そんな相手を四百以上も倒した可能性がある、とな。ほとんど冗談のようなものだ。
 誰にも真似できないことを、その大乗の快王は成し遂げたことになる。
 一匹が十機、いや百機単位の力を持っているとすれば、
 その男は一人で四万もの兵を倒した――正真正銘の、『バケモノ』だ。

 おそらく今余の目の前に佇むテッシン――快皇ともあろう男でも、
 怪物相手においては大乗に一歩劣ることに違いない。

 そんな人間のことを、人はなんと呼べばよい?
 強者、英雄、あるいは――王。
 そうとも、大いなる王、だ。


「よかろう、テッシン。余の配下を向けて、その小僧――いや、『少年王』を見事引き入れてみせよう。
 たとえその『少年王』が、先の快王の実子にせよ、流派を継いだものにせよ、たとえ偽者だとしても、な」
「それではこの一件、殿下にお任せ致します」


 ふふ、『少年王』か。
 中々いい呼び名ではないか、大乗。
 余にここまで興味を引かせ、期待させたのだ。

 せめて、『本物』であってもらいたいものだ。







 使いのものを差し向けて十日が過ぎた。
 余はあいもかわらず宰相としての責務をこなしていたが、
 直通回線を介して送られた連絡の、その内容は、その手をぴたり、止めさせた。


「……逃げられた、と?」
「も、申し訳ありません、ユリウス様……ッ! 例の少年ですが、存外にすばしっこいものでして。
 い、いえ! 私たちも必死になって追い詰めようとはしたのですが、地の利があちらにありまして……。
 ともかく、我々はここ一帯の地形に疎いものですから、探そうにも追い詰めようにも、手が掛かりまして……」
「…………。いや、よい。仮にも相手は『少年王』だ、並みの人間では相手できまい。
 諸君らの罪ではなかろう。よい、そこでしばらく待機せよ。指示はおって出す。以上だ」
「は、ハァーッ!」


 ぷつん、通信の切れる音を聞きながら、ああ、きっと余は喜色に満ちた笑みを浮かべているに違いない。
 大乗、ああ、大乗! 一体どんな男か想像を掻き立てられていたが、まさかここまでとは!

 アムステラの領地下、しかも余とテッシンの名を出されてなお、『逃げ出す』だと?


「くッ……ふふ、ふふふ……」


 命知らずの大うつけか、あるいは阿呆、と他の人間ならそう考えるだろうか。
 だが余は違う。たとえ誰もがそう考えたとしてもだ、余だけは違う。

 アムステラの力を知るアムステラの臣民が、宰相の名を聞いて『逃げる』だと――?


「ありえんな」


 そうとも、ありえはしない。逃げ出したところでどうなるという?
 逃げ延びれるとでも思ったのか? このアムステラから、本気で逃げ出せるとでも思ったのか?

 それこそ、ありえはしない。絶対に逃げ出せるものか。
 アムステラの手は、何処までも長く、長く、伸びているのだから。
 いずれは捕まる。それが早いか遅いかの、違いだけだ。

 しかし、だとすれば、奴はどうして逃げ出す『振り』などをした。
 逃げ出したところで捕まるのは目に見えている。だが奴は『逃げ出した』。
 ともすれば、その命すらも危ういというのに、奴は構わず逃げた。その真意はどこにある?

 アムステラに仕え、怪獣相手に戦うのが嫌だからか?
  ――いいや、なら最初から大乗などと名乗らなければすむことだ。

 余の誘いに何か不備があったか?
  ――それはない。たとえあったとしても、それだけで逃げ出すとは思えない。

 すでに何らかの組織、あるいは集団に属している?
  ――まさか。そんなものがあれば、すでに行方を晦ませている。

 ならば、もっと良い条件で、迎え入れられていることを望んでいる?
  ――それこそ、大乗などと名乗らなければいいだけの話だ。

 では、なんだ?
 奴が逃げ出した理由とは、なんだ?

 いや、逃げたのではないのか。それとも他に何かあるとでもいうのか?

 まあ、よい。人の考えなど、大乗などを学んだ正真正銘の奇人の考えなど、余には判らない。
 判らないのなら、それでもよい。それならば、余自らが脚を運べばいいだけのことだ。

 いやそもそも、小さな『王』と出会うのに、使者などという存在は無粋か。
 『王』は『王』自らが会いに行くべきだ。

 たとえそれが、『少年』の王だとしても。


「それとも、まさか余に迎えに来させたいがために逃げた、とは言わないだろうな、大乗よ」


 だとしても、それはそれでまた、愉悦極まるというものだ。







 余裕をもって七日分の仕事を先に済まし、次いでオスカーとフォン・ベックに後任を任せたのが四日前。
 多少の責務なら両者共にこなせるだろうが、そうあまり長居して任せるわけにも往くまい。
 どうにかして余の日程に空きを造る事はできたが、その期間はそう長くない。
 できれば、後数日中には追い詰めておきたい。

 しかしまあ、見事に行方を晦ませたものだ。
 地の利があちらにあるとはいえ、所詮は『少年王』も人間だ。
 人の生きる地には限界がある。あまり奥地では長く留まる事も敵わないし、痕跡も残る。
 余はそれを探し、手繰り、時には推測を交えながら、奴の影を追うだけの話だ。

 最も、奴はその痕跡を見事に覆い隠していたがな。
 それに余が気づいたのはつい先日のことだが、いや全く、見事なものだ。
 自分の残した『人間』らしい痕跡の上に、わざと『獣』が作ったかのような痕跡を残すなどとは。

 余は見事にだまされた。流石は『獣』殺しだ。
 そうやって『人間』の痕跡を消して、この場には『獣』しかいないと思わせて、
 油断させたところで『狩る』のだろう。なるほど、見事な手法だ。

 余もそれに気づけたのは、まさしく行幸というものだった。
 何故ならば――


「――ここには獣がいないのに、獣の痕跡が残っているのは不自然、ってね。
 しかも結構な場所に残されてて、しかも露骨にぐるぐると円を描いて残されてたら、不思議だよねぇ。
 なるほど、流石は宰相殿、よぉくもまぁ気づいてくれたもんだね、まったくまったく。流石だなぁ、流石ぁ」
「……姑息な手法に加えて待ち伏せか、趣味が悪いな少年。
 だがむしろ、見事というならお前のほうこそ、よほど見事だといえる。
 その気になれば痕跡など完全に消し去れただろうに、わざと残していたな?」
「あらま。ご明察」


 振り向きは、しない。
 声の位置からして余の後ろに聳えた大木の上か。
 奴は気配を消しもせずにこちらを待っていたが、何、不思議なことでもない。

 奴は余を誘っていた。
 奴は余を待っていた。

 だからこそ、余は奴を目視などせず、しかし熾烈なまでに高めた闘志だけを、
 奴めがけて放ちぶつけていた。

 しかし、大乗め。余を試すようなことをするとは不届きな奴め。
 ぐるぐると、ある一点を中心として放射状に痕跡が残されていた。
 それが獣の縄張りを示すための行為だとしても、些か不自然極まる光景だ。

 だとすれば、その中心には『何か』がある。
 そしてこの地にいる『何か』はといえば――

 大乗の、少年。
 そう、考えれば簡単なことだ。

 意図に気づいてここまでやってきてみれば、この状況だ。
 奴め、やはり最初の使者から逃げたしたのは、余を『待っていた』からか。


「面白い男だ……名を聞こうか」
「おやおや、どうせ先代のように名を忘れられる男に、あんた尋ねるのかい?」
「もう一度尋ねよう。名は、何だ?」


 くすくすくす、零れ落ちた笑い声が聞こえる。
 余は人に笑われるのは好かぬ。だが不思議と、奴のそれは許せた。


「エレコウ。とりあえずは、そう名乗ることにしてる」
「そう、とは?」
「とりあえずって事さ。何だったら、エトランジュでもエレコーゼでも、エヘトリエシスとでも名乗ろうか?
 自分で"そう"と名付けてみただけで、別段そこに意味なんてありゃあしないよ。他人に呼ばれやすい位さ。
 ま、他人に名前付けられるよりは自分で付けたほうが何ぼかマシって奴さね。ま、とりあえずはエレコウって名乗ってる」
「可笑しな男だな、お前は」


 本当に、可笑しな男だ。

 奴の顔を見てやりたい、そうも思うが、決して振り返らない。
 振り返れば、奴が、この場から逃げ出してしまうかもしれない。そう思えたからだ。

 恋焦がれる、とまでは言わない。
 余はただ、奴に……期待しているだけだ。


「それで、宰相どん。一体なんでこんな辺鄙な土地に?」
「言わずとも判ってはいるだろう? お前を連れに来たのだよ」
「なるほどなるほど。態々一匹の小僧っこ捕まえるために宰相自らとは、なんともねぇ。
 これは喜劇ってやつかな? それとも身に余る光栄? は、は、面白い物語として描かれそうだ」
「後世にどう伝えられようが、今の我々には関係あるまい。
 ……返事を聞こうか、エレコウ――いや、大乗の『少年王』」


 ゆっくり、密やかに立ち位置を調節しながら余は振り返る。
 返事は聴くまでもないだろうが、しかし、それが答えられる前に、
 一度だけでも奴の眼を、見ておくべきだと思ったから、振り向いた。


「もちろん――お断りさ」


 そこには王がいた。









「……え、ちょ、ちょっとちょっと、そこで終わりですか!?
 それは無しですよ、ユリウス様。そこまで話しておいて、今度はお預けですか!
 全く、酷いじゃないですか。そういうことは、夜の間だけにしておいてくださいね、もう」
「やれやれ、余を貶すのか、咎めるのか、それとも『欲して』いるのか、どれかにしてもらいたいものだな」


 まったく、少し口をつぐんで、物思いにはせていたらすぐこれだ。
 並みの人間よりも口が廻り、忙しなく、絶え間なく言葉を浴びせかけてくる。
 これでこの見た目だ、言われなければ誰もが、ただの人間だとしか思えまい。

 人為的に造られた生き物だと、誰が気づけるものか。


「その言い方もどうかと思いますよ、ユリウス様。私は、野外でそういう行為にふける趣味、ないですから。
 ああ、けど、もしユリウス様が"そういう"のがいいって仰るなら、まあ試してみてもいいですけど、どうします?」
「…………飽きれて何も言えんな。ああ、言う気も失せる。今日はもうこれで終いにして、戻ることにするか」
「ああ、待ってくださいよ。最初に振ったのはユリウス様のほうなんですからね、もう。
 まあともかく、話の続きをやってもらいたいんですけど。前振り的に、やっぱ戦ったんですか?」


 人を変態的な性癖持ち扱いしておいて、すぐにこれか。
 誰に似たのだ、この女は。


「無意味に急き立てるな。まったく、子供でもないだろうに」
「いえ、私今年で五歳ですから、思いっきり子供かと。
 あぁ、そう考えると、五歳児に手ぇだしたって事は……あぁ、なるほど。
 嗜虐趣味者、ちょっと変態的嗜好もち。ついでに――いえ、なんでもありません」
「…………」


 一度、コイツを躾し直す必要がありそうだ。


「で、どうなったんです? まさか負けてしまわれたのですか?
 あぁ、それなら確かに言えませんよね……そりゃあ言えませんよね」
「何故二度言う。……まあよい。ならば恥を忍んで言うが、余は始終あれに振り回されたよ。
 その場の流れで立ち合いにまでは持ち込んだが、奴はやはりというか、ずっと『逃げ』続けていた」









 快王と呼ばれ十数年。
 武に身をおいて数十年。
 余は一度として鍛錬を欠かしたことはなかった。

 その余が、ここまでも通用せず、また忸怩たる思いを味あわせるとは。
 これほどまでに憎く、また愛おしいと思ったのは久方ぶりの事だ、エレコウ。

 幾度となく距離を詰めても、何度も拳で突こうとも、この男、ただ逃げて逃げて逃げ続けている。
 あるときは飛び退り、あるときは全力で駆け、付かず離れずの距離を保ち、しかしこの場からは抜け出ない。

 ああそうとも! 余は初めこそ憤怒を胸に拳を振るっていた!
 だというのにこの男は、余とまともに取り合おうとは思わぬのか、始終逃げの一手をうっていた。

 しかもただ逃げるわけではない。
 小石や枝などといった投擲を繰り返し、あるいは事前に仕掛けていたと思われる罠に余を誘いもし、
 互いに息を乱しあうほどまでの逃走劇を繰り広げながらも、ただじっと、だまって余を観察している。

 余は奴の実力を測るために仕掛けたはずだ。
 だのに気づけば、実力を探っているのは何時しか奴の側になっていた。
 なるほど。これが大乗というものか。実に奇妙で、恐ろしい『考え』方だ。

 獣を倒すのに、何も人間の作った『戒律』で向かい合うわけにはいくまい。
 獣には獣の『領分』というものがある。

 奴はそれを第一に考え、そして今、その『獣の領分』をもって余と相反している。


「は、は! 愉快なことだ! 面白い、実に面白い男だ」


 返事は――ないか。
 それもそうか、獣に言葉が通じるはずもない。
 奴は今獣の技をもってして余の前に立っている。
 ならば、返事など望めるはずもない。

 筋書き――いや、奴の技の全貌は、こうだ。

 相手を疲弊させ、あわよくば負傷させ、相手の動きを観察し、やがて疲れきり動けなくなったところをしとめる。
 たったそれだけだ。だがたったそれだけの事が、むしろ末恐ろしい。

 人の何十倍の体力と筋力を持つ相手に逃げ切れるはずがない。
 人の何十倍の脂肪と筋肉を持つ相手を傷つけれるはずがない。
 人の何十倍の反射神経と本能を持つ相手に、闘えるはずがない。

 なのに、それをやってのけて、倒すのが大乗流だ。
 もうそれは、人間のいう『武』ではなく、獣の技――まさしく『野蛮』。

 なるほど、そう考えれば、武術家たちが大乗流への謗り文句に使っている『野蛮』というのは、
 まさしく的を得た、正しい評価ではないか。これは愉快だな。

 やつらは自分たちが知りもしないのに、本質を言い当てていることにさえ気づけないでいるのだ。
 これを愉快といわずして何というか。

 しかし、これは問題だな。

 余のもつ『武』は『強者』に打ち克つための技だ。
 『野蛮』に立ち向かうための技ではない。
 これでは、いや、このままでは勝てない。

 かといって、このままお互いの体力が尽きるまで待つのは不毛だ。
 むしろ追い詰めることを得意としている奴相手では、それも敵うまい。
 それにもうじき日も暮れる。『夜』は獣の領分だ。『ヒト』では勝てない。

 では奴の真似をするか? 相手の出方や実力を測りながら、逃げ続けろと?
 それは不可能だな。『逃げる』などという行為、如何なる理由があろうとも『余』は決して行わぬ。

 第一、余は一度として『逃げた』ことはない。
 奴ほど上手く逃げ続ける自信など、ない。

 『武』は立ち向かうもの。逃げるためのものではない。
 消耗を『避け』ることはあれど、『逃げる』ことは不得意だ。
 そう、武術家は立ち向かうために『武』を極める。
 逃げも隠れもしないし、それは決して、得意ではない。

 そう、逃げも隠れもしないものだ。


「……おや、どういうつもりなんだか」


 初めて奴が、エレコウが、余に声を投げかけてきた。
 それもそのはずだ。足を止め、息を整え、身の構えを解き、
 身体を弛緩させたその姿は、獣の取るべき姿ではないだろうからだ。

 そうとも、余は追いかけ鬼を止めたのだ。
 追い詰められることを、追い詰めることを、諦めた。

 それだけのことだ。


「どうした、攻撃してこないのか?」


 だから余は、満面の笑みを浮かべて奴を待ち構える。
 余の考えが正しければ、きっと奴は、もう手出しはできまい。


「攻撃、できぬか?」


 ばつの悪そうな顔を、いやそれだけでなく、感嘆とした表情を込めて、奴は佇みこちらを見ている。


「追い詰めるまでもない、『弱いヒト』には何もできぬか、大乗流?」


 この技の――そうとも、あえて技と呼ぶが――真髄は、相手を測りながら詰める事にある。
 実力を見極めつつ傷を与えた後に、しとめに掛かるという、獣の常套手段だ。
 ならばあえて、体力を温存し、かつ人間らしい『弱み』を丸出しにしておけばどうなるか。

 それがこの答えだ。
 追い詰めるまでもなく、最初から『弱い』相手には、この計略は使えない。
 しかも相手は、人間はまだ体力を残している。これでは獣も、攻め手に困ることだろう。

 つまり、今の図だ。

 大乗は、立ち向かいも追いかけもしない相手には、手出しをしない。
 ただじっと、動き出すまで、あるいは体力を失うまで、待って待って、待ち続ける。

 まるで、獣のようにだ。


「……やれやれ、まさかもう気づくなんて、ね」
「よいのか、獲物に話しかけてきても。獣は言葉を解したりはせぬだろう?」
「意地悪言っちゃってまあ……。ま、いいさ。これ以上は不毛だしね。
 別段手法を変えて『殺し』に掛かるって事も、あるいは諦めて『帰る』って方法もあるけど、
 それを許してくれそうもない相手が、そこにいるしねぇ……ま、しゃあないってことさ、は、は」
「殺しに掛かる、とは物騒なことを言うな。だが、余も快王の端くれ、負けるつもりなどないぞ?」
「は、は。そりゃ勘違いってやつさね。生憎エレコウさんも、『三匹』相手じゃちょいとしんどいよ」
「ッ!?」


 三匹、と言ったかこの男は?

 言われて初めて気配を探ろうとするが、それよりも早く圧倒的な『存在感』が、余の肌をびりびりと震わせる。
 振り返らずとも、判る。この気配には覚え違いはありえない。

 快皇、テッシン。
 それともう一人は……まさか……『司祭』、ハックルッ!?


「エレコウさんに集中しすぎて気づかなかったかい、宰相殿。やれやれ、うっかりさんだなぁ。
 だめだよそんなんじゃあ。戦場でも野生でも、ふとした油断と気配に気づけない奴から死ぬんだから、さ」
「ずいぶんな言われ、心中お察し申し上げます、殿下。しかし、言われた言葉の中身については、当たりでございますな」
「……なるほど。まだまだ『未熟』、と言いたいか」
「カッカッカ」


 楽しげに笑うテッシンを、あたかも咎めるかのような目でハックルが諌めている。
 まったく、これでは本当に余が未熟極まりない小僧にしか思えないではないか。
 大乗流の少年王に一本取られた、図体ばかり大きな小僧、か。

 腹立たしいことだ。しかしそれすらも、ある意味では愉悦だ。


「意地が悪いなテッシン。いたのなら、声をかけてくれればよいものを」
「いえ、なに、てっきり気づいていらっしゃるものかとお思いでして。
 このテッシン、ついつい先にお声をかけようとは思いもしませんでした」


 老人が。さては最初に余に話を持ちかけたのも、何か考えがあってのことだな。
 そうとも、そもそも余に話を持ちかけなどせず、自ら行動に移せばよかっただけの話ではないか。
 余を計ったか……テッシン!

 だが、たとえそうだとしても、だ。
 何故、この男がここにいる。
 快王が一人――ハックルが。


「お笑いになるのはいけません、快皇テッシン殿。獣と同じ檻に入れられた人間が、平静であるはずがありません。
 それはテッシン殿であろうとも、おそらくは変わらないものかと。彼と、大乗の人と相反すれば、誰もが同じですよ」
「ほう、ではお主でも、あの小童の前ではただの人に過ぎないと言い張るか、ハックル」


 傷だらけの顔に柔和な笑みを浮かべ、ハックルは穏やかに、微笑み返している。


「人は誰しも神の御許では等しい存在です。
 それと同じように、彼の前でもまた、私も等しく人間に過ぎません」


 その云いではまるで、奴も神かそれの御使いのようではないか。
 だが奴は、そうだと認めたといわんばかりに膝をつき、祈りをささげるかのように言葉を並べる。


「御帰りを、お待ちしておりました。大乗快王、エラン=トリス様」


続く