企業戦士安藤

第2話 『IHIの残照』




IHIは最盛期、ほぼ全ての部品を自社で製造していた。今から十年前、丁度門倉が入社した頃の話である。
整った量産設備は国内でも最高峰だったし、当時はまだIHIのほかに大量に量産できる体制を整えている他社は少なかった。

しかし、その状況は二年ほどで変化する。当時末端の社員でしかなかった門倉ではあるが、その変化を敏感に感じ取っていた。
徐々にIHI製の兵器に使用される部品類に他社製の製品が入り始め、門倉が五十ある開発チームの主任に就いたときには、構成する部品の約二割が他社製のものになっていた。

自社での開発能力に陰りが見え始め、IHIの停滞に追いつくように他社製の部品が性能面、コスト面でも優れ始めたのだ。全ての開発部署で均等に予算を割り当てていた当時のIHIは、一点集中して開発に当たることのできる他社に追いつかれるのは道理と言える。そこでIHIの当時の役員達はシェアを奪われた部門から撤退し、現状IHIが先頭を走る部門を増強していくことにした。

その方針はIHIの兵器技術を加速度的に上昇させることになる。行き詰まり感のあった現場は他社の技術を取り入れることで活性化し、増強された予算はそれを後押しした。

IHIは基本的に全ての製品を大量に量産が可能であることを前提に開発を進める。世界各地で見られる凄まじい戦闘力を有した"特別な機体"と呼べる性能を自社製の兵器に持たせることをIHIは拒否し続けてきた。極論すれば、世界に氾濫する兵器技術を結集し、開発予算に糸目をつけなければ、IHIも"特別な機体"を作ることは十分に可能であった。

しかしIHIは商人である。彼等はこの世界で生き延びるために、量産という形で、そこそこの性能のものを安く、そして迅速に生産することを第一にしていた。そしてその上で、全体的な性能を少しずつ底上げしていく。それがIHIの理念でもあった。

しかし他社の技術を取り入れることで、その理念に変化が生じ始めた。今までバランスよく、少しずつ発展してきたIHIの技術を追い抜く形で飛びぬけた性能の部品が導入され、そして生産速度を落とすことなく、量産されていった。

結果として、IHIの世界各地での評価は上がる。そしてより高性能な兵器の開発を求める声が上がり始めた。

この時、IHIでは二つの意見に社内が完全に分かれていた。より高性能な特別機を製造するラインを作るべきだという派と、現状のまま量産を安定させていく派の二つである。役員委員会でも意見が分かれていた。しかしそれでも当時の役員達は量産安定派が多数を占めていた。何故なら、他社の技術を取り入れ、性能がアップした量産機が製造可能になった今の状態は最高の利益を生み出していたからだ。ここで多額の資金が必要になる"特別な機体"を一から作り出すことは利益に繋がらないと考える者が多かった。それに"特別な機体"を今から作り出すとしても、技術的にオーバーテクノロジーの塊であるそれらに、性能的に上回ることができる保障も無かった。しかし、買い手である海外からの特別機開発の要望は日増しに強まっていった。

IHIはその声に無理やり押される形で、ようやく特別機開発に着手する。しかし割り当てられた予算はごく僅かだった。(当時のIHIの年間開発費の内2.2%が特別機開発に回された)無茶な賭けはできない、これは企業としては当然の選択といえよう。

ともかく、特別機の開発は始まった。その開発がどこで行われていたのかははっきりとしていない。日本国内に数十箇所あるIHIの研究機関で開発は進められていたという見方が強まっている。

特別機の開発と同時にIHIは量産機に自社でカスタマイズを加え、性能を飛躍的に上昇させたカスタマイズモデルを製造し始める。通常の量産期よりも6~7割ほど割高になったが、このカスタマイズモデルはひとまず、特別機を求める海外のバイヤー達を満足させた。

そのカスタマイズモデルを開発・研究していたのがIHI静岡研究所…これは門倉から直接話を聞いた。

どういう改造が施されていたのか?という質問に門倉は、

「IHIで作られた兵器は実の所、キャパシティに関しては余裕がありましてね。これはIHIが意図的に押さえ込んでいたわけです。まず大き目の器を作り、そこに限られた予算の中身を詰め込んでいく。そういう作り方をしてる企業だったんですよ。海外にはIHI社の製品を改造転売する企業もいくつかありましたからね。IHIが主に行った改造は、機体出力の増加・積載重量制限の増加・コンピューターをより高性能なものへ変更、他にも他社製の外部パーツを取り付けたりすることもあったようですが、基本的には自社で行える範囲内での改造でした。ただしIHIで行われた改造は機体のブラックボックスにも手を加えることが可能でしたから、海外の改造企業とは比べ物にならないくらい高性能な改造機体が製造されていましたよ」

そう答えた。現にカスタマイズ機体の販売実績は初年度だけでもIHI全体の売り上げの一割強に届いたのだ。

そして利益という結果は、IHIの役員達に特別機開発へ力を入れるべきなのではないだろうか?という疑問を抱かせた。おりしも世界各国では紛争や戦争が頻発、さらには地球の兵器では太刀打ちができないアムステラ側の勢力対する強力な兵器が求められていた時期である。しかしその上でも役員達は慎重だった。結局特別機の開発予算が多少増強されたが、IHI全体で力をいれて開発を進めるという展開には至らなかった。



「極論すれば」

門倉は一度言葉を止める。

「極論すれば、兵器という概念で地球に存在する全ての"企業が商売の為に作り出した兵器"は、アムステラのそれに劣ると思うのです。思う、ではなく私の中では確信なんですがね。だからこそ地球の勢力は押されている。それどころか、全人類の力を結集しなければならないこの時期に、地球人同士の戦争・紛争は減りもしない。IHIが"そこそこの性能の兵器"を売り続けてその時代に成長を遂げたのは、地球人同士の殴り合いに手を貸し続けていたからですよ」

「今回、私達が作り出す兵器…企業として作るなら、どちらを敵として想定すべきかしら?地球製?それとも…アムステラ?」

「無論、企業として自社の利益を優先するなら、地球製の企業、つまりは標的は地球人にすべきでしょう」

無論、田島工業の方針はほぼ決まっていた。作り出す兵器が攻撃対象とすべきは"地球製の兵器"である。これは地球人同士の戦いに手を貸すような愚かな行為ではないだろうか?私はほんの一瞬だけそう思った。そしておそらくはそれは正しいのだろう。一人の女としては。だが私は田島の社員であり、それを第一に生きている。その立場であれば、この計画に何の依存もあるまい。

「もしかしてIHIで研究されていた特別機…想定していた相手はアムステラの機動兵器だったのかしら?」

「さぁて、今となっては不明です。IHI倒産直前にようやく設計が終了した、なんて噂も聞きましたがね。結果はわからずじまいですよ。社内でも謎のプロジェクトでしたからね、一応計画のコードネームみたいなものもあって、一般の社員はもちろん、ある程度地位のある社員でもそのコードネームの関係するプロジェクトデータにはアクセスすることは不可能でしたよ」

「コードネームの名は?」

「コード"SA"。何かの略語なのか、それとも機体名を現してるのか?まったく謎のままでしたね。ただ本気でアムステラに対抗する兵器を作っていたとは思えませんなぁ。それならIHIはアムステラの攻撃対象になったはず。ですがIHIは倒産、つまり企業としては寿命という形で死に至ったわけです。ま、いささか寿命と呼ぶにはあれですが。残った死肉も啄ばまれて綺麗さっぱり吸収されて、今はIHIという企業が過去に存在した、という一言だけですからね」



土曜日の…いや正確には日曜日にすでに突入している。時刻は午前一時を回ったところだ。今日は休みのはずだった。しかし引継ぎのため出社したのだ。引継ぎ作業はこれで三日目に入る。業務的に引き継がなければならない仕事の数は、そう多くはないのだ。しかしだ、俺の後任としてやってきた男、山田が曲者だった。

這いずるように冷蔵庫に取り付き、ビールを取り出すと一気に半分ほど流し込む。ともかく蓄積した疲れを流し去りたい。ソファーになだれ込むように突っ込み、グビグビとビールを飲みながらテレビの電源を入れる。一時を回った時間帯で興味をそそられる番組があるわけもなく、幾つかチャンネルを回したが、結局電源を切ってしまった。


今日もずっとストレスの溜まりっぱなしだった。今日一日の行動で覚えているのは以下の通りである。


俺の後任でやってきたのは、こう言っちゃ何だが変な男だった。年齢は今年で三十八になるという。自己紹介を終えて引き継ぎに入ったのが三日前、俺が入社したときに行った前任者との引継ぎは二日で終了した。業務内容がそれほど大量にあったわけでもなかったし、何より前任の社員がかなりの教え上手だったこともあり、非常にスムーズに終了したのだ。笑顔の素敵なナイスガイだった。

俺もそんなナイスガイに習って、手早く引継ぎを済ませようと努力した。努力した。努力したのだ。だが努力と根性だけではやってきた男をヤッツケルことは無理だった。

ともかく自分で何かを考えることをしない男なのだった。どうでもいいような質問で一日の大半が潰れ、肝心の業務的事は殆ど覚えてくれない。やっと覚えてくれたと思い、次の内容に進むと、すみません、さっきの話なんですが・・・とループする。




ストレスが溜まると腹が減り、味の濃いものが食いたくなる。


「ちゃっす、先輩。どうしたんすか」

ようやく昼休みに一時的に開放され俺は社員食堂で顔色を真っ赤にしながら、唐辛子を大量にぶち込んだ味噌ラーメンをゾバゾバと啜っていると、岩田がお盆にどんぶりを乗せて同じテーブルに座った。

「お前も今日出勤か」

「ええ、まとめた研究資料の提出するだけの予定だったんですけどね。色々説明しなきゃならないところもあって、長引いちゃいました。昼飯食ったら帰りますよ。先輩は?」

ナルトがぐるぐると味噌色のスープの上で回っていた。

「無限ループって怖くね?」

「はい?」

「いや、なんでもない…ところでどうだ?お前は二日前からもう移動済ませたんだろう」

岩田はすでに周りの整理を済ませて新部署に移っていた。

「そうっすね。ま、同じ敷地内ですから、あんま心情的な変化は無いっすね。ただ今そっちにいてもつまらないっすよ。だーれもいないし、何より仕事がないっすからね。本格的な開発始まるにはまだ時間かかるんじゃないですかね、ありゃ」

「だがこの会社には多少なりともノウハウがあるからな、進むとなれば一気にいくかもしれないぜ」

「マジですか?」

丼の蓋を開けると親子丼が顔を出した。湯気がもんわりと立ち上がる。


「ああ、しかも多分だが、門倉と言ったか?あいつみたいにIHIの社員までが引き抜かれてプロジェクトに参加してる。IHIってのがミソだよ。聞いた話じゃIHIは倒産した時、吸収される形で子会社が他の企業に飲まれたからな。もしかしたらだが、田島も飲み込んだクチかもな、IHIの兵器産業の断片を。だとすれば、IHIで使われてた技術を下敷きにして開発のスピードを速めることも可能だろうな」

「なるほど」

岩田はうなずきながら水をチビチビ飲んでいた。親子丼の湯気は相変わらずもわもわと漂っている。

「…食わないのか?丼物は熱い内に食うべきだぞ?」

「猫舌、ってほどじゃないんすけどね。ちょっとアツアツが苦手なんすよ。ほどよい温度になるのを待ってるわけです」

そんなことをのたまう岩田。へぇ猫舌だったのか。こいつとの付き合いも長いがそんなそぶりを見せたことは今まで無かったはずだ。

「お前ラーメンとかは普通に食べてなかったか?」

何度か目の前で見ている。間違いない。

「んー、麺類とかは平気なんすよ。なんというか、アツアツの白米がだめなんすよね。喉にペトってアッチィ!って」

なるほど人それぞれだな。俺はかまわず唐辛子が浮きまくったラーメンをゾバゾバとすする。

「先輩は…今回の事、その…なんつったらいいのか」

いつに無く歯切れ悪く岩田は言葉を濁した。ようやく割り箸を手にとって、パキリと割る。それから意を決したように続けた。

「何かあったからテストパイロット辞めたんでしょ?」

「まぁな」

短く答えると、唐辛子で赤く染まったスープを一気に飲み干す。綺麗に飲み干して、コップの水で口の中に残った唐辛子を流し込む。

「ごっそさん」

短く答えて、俺は席を立った。岩田も、察したのだろう。それ以上何も言わずに、黙ってまだ湯気の立つ親子丼に手を付け始めた。

すまないな、いずれ話す機会があれば、教えるよ。少なくとも今日は、お前の知らない山田という男のせいで、語らう気になれないのだよ。さてと、気合を入れて引継ぎを進めねば。




その後も俺の悪戦苦闘は続いたのだ。ゾンビのようになって帰宅した今、酒という名の人生の潤滑油も、消耗した肉体と精神をしゃっきりさせるには効力が足りず、俺はソファーにへたり込んだまま、ウトウトと眠りに落ちていった。明日一日ぐっすり寝込んで…、来週中には引き継ぎ終わらせたいなぁ…。


意識が夢に落ちる寸前まで、俺はどうすれば山田に上手に仕事内容を覚えさせることができるかを考えていたような…。



同日深夜三時。長野県山中、旧IHI第四兵器生産ライン…現MAI社製造ライン。


敷地は広大で、入り口のゲートから建物まで1km近く。旧IHIが所有していた施設としては最大級のものだ。研究・開発・生産・テスト…様々な状況に対応できる国内でも有数の施設である。

旧IHIが倒産したとき、当時のマルナカ重工が買い取ったのだ。現在、この場所ではマルナカ重工の子会社であるMAI(Marunaka Arms Industry)が自社製の兵器を開発している。

マルナカ重工が子会社を設立してまで兵器産業へ進出したのには幾つか理由がある。マルナカ重工の母体はMARUNAKAという食品から観光業、さらに自動車メーカー、電子機器、重工業などを参加に置く、世界有数のマンモス企業である。その参加のマルナカ重工はその母体企業であるMARUNAKAの政界への太い繋がりから、IHI亡き後、国の兵器産業をリードする企業の育成を政府が後押しする計画に際し、優遇され、この施設も格安で購入したのだ。

さらに政府機関が引き上げたIHIの機密扱いの情報も政府はMAIには与えていた。

第六整備ハンガー内では、後日のテスト起動準備が貫徹作業で進められていた。

「補助コンピューター、第一第二の起動確認。補助動力、機体内電圧調整をそっちに回せ。メイン動力は使うな、外部から補助動力を引け、メインコンピューターは衛星通信と接続して、BFLとリンクがすぐにでも可能な状況にしておけー!」

ヘルメットを被ったスーツ姿の男は手をメガホン代わりにして、機体の最終的に組み上げとチェックをしている作業員に指示を出す。

眼前に立つのはMAIが新規開発した機動兵器『SST−Fx』通称はモーレッド。四足によるキャパシティの増加とホバー動力を組み合わせたことによる柔軟な地形対応性能。しかしモーレッドの特筆すべき点は、搭載されたコンピューターがメイン・サブを合わせて三機搭載したことだ、それによって高度な処理計算を機体内部で行えるようになったことで、政府の最新戦闘管理システムBFL-05とリアルタイムでリンク可能になった。BFL-05は日本政府が所有している軍事衛星、各所に設置された広域レーダー機能や国際機関からの最新データを統括管理し、リンクされた機体に対し、必要な情報を即座に送受信し、戦場での情報戦に強力なシステムとして、現在新型機を中心に配備が進められているシステムだ。しかしこのシステムを搭載するには高度なコンピューターによる制御と、巨大な受信装置を余裕を持って搭載できる積載容量が必要なため、二足歩行タイプの小型~中型の量産機には搭載することは技術的に難しいとされていた。しかしモーレッドは独自の駆動システムにより、中型機に分類されるほどの機体サイズでBFL-05のシステム搭載に成功していた。

つまりモーレッドは戦場での中継基地としての能力を持たせた情報戦機であり、その処理能力は一師団を統括管理できるほどである。

現在同時に三機のモーレッドが試作され、このハンガー内で組み上げられている。最初の一機は今まさに組みあがり、目の前で最終的なチェックが行われているところだ。

その時、主任の手に握られていた通信機がコールを知らせる電子音を発した。

「どうした?」

「ハンガー内では衛星からのリンクに僅かですが誤差が出ます。許容範囲内ですが、どうしますか?数値的には余裕ですが」

通信の相手はコックピットにいるテストパイロットからだ。後日のテスト起動ではBFL-5の実用試験も行われる。この長野県の山中から、日本各地にあるMARUNAKAとMAIの支社にシステムとリンク可能な受信機を設置し、日本全体をカバーできる処理能力を公開するのだ。

「かまわん、進めろ。後日のテストは屋外だ。今はBFLと接続が確認できればいい。他の機能のチェックを先に済ませてくれ」

「了解」

通信機が再び沈黙する。ハンガー内では三号機も組みあがり、最終チェックを待つばかりになっている。コンピューター系の技術者達は二号機の作業に移ったところだ。


再び通信機からコール音が響く。

「各種センサー類、テストに入ります。屋内の為、センサー最大感知半径は12%低下」

「了解、センサーテスト開始」

「センサー始動、ん?」

「どうした?」

「故障か?熱源が四つ、施設内にある」

「施設内の熱源を拾ったのではないか?」

いやそれはない。現在この施設で稼動中の施設は限られているし、ましてやこの時間に活動しているのはここくらいなものだ。やはり故障か。

ここまで来て故障とは…センサー類の換装をやり直すとなると、時間的にもぎりぎりになる。三号機はすでに殆どの作業が済んでいるし、明日のお披露目は三号機で行うべきか?

「関係するシステムを再起動して、もう一度センサーを」

「了解、システム停止…再起動をかける。システム再起動確認…センサー起動、問題なし…あ!熱源再確認!数、四!高速で接近!」

「なに!?」

「システムは正常、熱源の種類からして機動兵器と予測!」

「そんな馬鹿な!」

次の瞬間だった。ガン、とハンガーのシャッターに何か重いものがぶつかった。そしてシャッターはメキメキと音を立てて変形していく。その異変の殆どの者が気づき、仰天しながら音を立てて変形していくシャッターを凝視した。

「…聞こえるか…BFLと戦闘用接続、本社に事態を伝えるんだ、コードイエロー3だ」

通信機に乾いた声で伝える。喉の奥にまるで何か真綿のようなものが詰まったように声は意識せずとも小さくなった。

「りょ、了解…」

軽い唸りのような作動音をさせてモーレッドはシステムを完全に起動させる。頭部パーツは戦闘用視界を確保するために防護バイザーを後部に収納し、脚部ホバーユニットの排気スリットから戦闘駆動に切り替わったサインとして少量のスチームが噴出す。

シャッターはついに三分の一程度が無理やりに引き上げられた。中とは違い屋外はほとんど真っ暗な状態で、いったい何者がそれを行っているかをまだ判断はできない。しかし、ハンガー内の照明によって、シャッターを下から強引に持ち上げる、機動兵器の腕部が見て取れた。

「作業員はパイロット以外逆側から退避ー!」

破壊されていくシャッターの不快な音以外は静寂に包まれていたハンガー内で彼は叫んだ。その叫び声を聞いて、皆が皆一度ビクリと身を震わせた。そしてやはりもう一度変形していくシャッターを見やった。

「急げ!退避だ退避!」

しかし急にシャッターを下から無理やりに持ち上げようとしていた腕はすっと引いた。しかしそれを疑問に思う暇もなく、まるでドラム缶を思い切り打ち付けたような激しい金属音が連続して響き渡った。それは銃撃の音だった。巨大な薬莢がが三分の一ほど開いたシャッターの隙間から地面にバラバラと落ちる。その内の幾つかが、地面でバウンドしてハンガー内部に転がってきた。まだ発射時の熱を帯びたそれはパーツを梱包していた緩衝材に触れるとあっという間に緩衝材を溶かして小さな煙を立てた。

銃撃はほんの二秒にも満たなかっただろう。しかしその場に居るものは全て黙り、息を呑んで次に何が起こるかを待ち構えた。いや待ち構えたというよりは、ただ呆然としていたというべきだろう。

射撃はシャッターの収納部分、電気式の巻き取り機を狙ったらしい。そして再び、今度は巨大な機械の手が変形したシャッターの下側を思い切り掴むと、引きちぎらん勢いで無理やりにシャッターを引き剥がした。

金属の擦れる不快な音と、何かが割れるような音がした。そしてひときわ大きくバリバリバリと音がした。その瞬間、シャッターは上部の巻き取り装置ごとハンガーから無理やり引きちぎられ、地面に衝突した。


逃げろ!


今度の叫びには殆どの作業員が従った。というよりは何かにはっとしたように我先にと走り出したのだ。



シャッターがなくなり、姿を現したのはやはり機動兵器だった。サイズはここに置かれているモーレッドと同サイズかもしくはもう一回り小さいくらいのサイズの機体だ。

「主任、どうしますか!」

通信機から一号機パイロットの切迫した声が響く。

「BLFはIWISからデータを引っ張ってきてます、それによれば目の前にいるのはIHIの…!」

しかし通信は途中で遮られる。シャッターを破壊したその―――もはやこの場合"敵機"とでも言うべきか、敵機は殆ど飛び掛るようにしてモーレッドに激突し、組み付いたのだ。その間に幾つかの照明にその巨躯を派手にぶつけ、蛍光灯が音を立ててはじけ飛ぶ。

ハンガーはその振動で激しく揺れる。モーレッドは辛うじて横転はしなかったが、作業用のクレーンに押し付けられる形になっている。

ハンガーを支える鉄骨が軋みを上げ、幾つかのボルトが外れ、そのたびに耳障りな音が室内に不気味に響いた。

通信機を持つ手が冷たい汗でじっとりと湿っている。ヘルメットにゴツリと天上から外れたナットが当たり、その小さな衝撃で彼ははっとすると、通信機で二号機と三号機に通信を送る。

「二号機、三号機動けるのか!?」

雑音が数秒通信機から発せられた後、緊張して裏返った二号機テストパイロットの声が聞こえてきた。

「二号機は、まだ脚部のホバーの動力系統がコンピューターと繋がってない!動けません!」

「三号機は!」

三号機の通信機から、ややあって答えが返ってきた。

「こちら三号機、動けます。全システムいけます!」

モーレッド三号機は足元に転がっていた資材やダンボールを蹴散らしながら、その四足を動かした。

「三号機、一号機に組み付いているヤツをどうにかできるか!?」

「了解!」

三号機はそのまま一号機の元まで走り寄り、一号機を押し付けていた敵機に組み付いた。

「いいぞ!そのまま二機の推力でハンガーの外に押し出してしまえ!」

了解したと言わんばかりに、両機とも強引に敵機を押し返す。そのまま壊れたシャッターを踏みしだき、一気に外にまで押し出す。だがその途中、シャッターを破壊した時の銃声が響いた。流れ弾がハンガー内のクレーンに直撃し、クレーンが音を立てて崩れた。

「被弾…!?第二脚部の油圧が下がった…!」

一号機パイロットからの通信を聞いている余裕は無い。こちらはクレーンの崩壊によってますます崩壊の色を濃くしていくハンガー内からの脱出路を探すので手一杯なのだ。

「敵は火器で武装してる、こっちは未武装だぞ!」

「構うか!このまま押さえ込め!」

通信機からは生々しい戦闘の様子が聞こえてくる。だがそんなことより、そんなことより今はここから出なければ!作業員達が逃げ出した通用口とは逆方向にあるもう一つの通用口が一番近いはずだ。全速力で向かいたいところだが、何せあちこちに破壊された機材やクレーンの残骸が散乱していてなかなか上手くいかない。

その間にもハンガーの外からは散発的な銃撃が行われている。しかし通信の内容からは、二機ともまだ致命的な損害を被ってはいないらしい。

通用口から外に飛び出す。目の前に広がった光景は予想にもしていなかったものだった。今や二期のモーレッドは完全に敵機を押さえ込み、先ほどからの銃声は、敵機がもがく様に銃撃を繰り返していただけだったのだ。さらに敵機が握っていたライフルのような火器も、一号機がしっかりとその四足の内の一つで押さえ込んでいる。

「よ、よし!よくやったぞ二人とも!」

「ですが…妙だ、最初熱源は四つだったはずだ。後三機いると考えるのが普通では?」

確かにセンサーに異常は無かったことは目の前に広がる光景からも確かだ。

「現在レーダーに反応は?」

「判りません…何か電波妨害でもされているのか、磁気レーダーには何も…待ってください、BFLの衛星情報ではここ以外に研究施設棟に似たような反応が二つ出てる」

「研究施設に?…残りの一機は?」

「熱源感知!近いぞ!」

三号機が感知した方向に僅かに振り向いた瞬間、ほんの僅かに辺りが光った。そして思い金属音と共に、三号機の脚部の内一足が吹き飛ばされるように破損した。

「何!?」

ぐらりと傾いた三号機だったが、残った三本の足でバランスを取り直し、尚も一号機と共に足元の敵機を抑え続ける。一号機も脚部を一脚破損はしているが、三号機の破損のように欠損したわけではない。しかし通常の機動力を有しているとは言えない状態だ。

「クソ!四番が落ちた!射線方向は八時方向!」

そしてそれは現れた。暗闇の中、更に沈んだ色の黒が浮かんでいる。そしてそれは青い火花を散らしながら凄まじい速度でこちらに向かって突進してきた。

「接近!」

「見れば判る!」

通信機から漏れる声をすでに彼は聞いていなかった。ただ目の前に迫っているその黒い機体の軌道だけをまるで取り付かれたように凝視していた。黒い機体は青い火花のジェット推進で一度高く上昇すると、上空で静止した。

「機体形状サーチ完了、IWISに照合…不一致!?IWISに登録されていない機体だとでも言うのか!」

黒い機体の左腕には、長すぎる砲身が特徴的なライフルが見て取れた。先ほど音もなくモーレッドの足を吹き飛ばしたのはあの武装だろうか。そしてそのまま空中で僅かに姿勢を制御すると、続けざまに数回、そのライフルからバチリと静電気のような音が発せられ、音に合わせて、銃口から辺りを照らす青白い強烈な光が発せられた。

鋭い光から目を庇う様に反射的に目を瞑る。そして目を開けて飛び込んで来た光景は、二機合わせて残った六脚を同じように吹き飛ばされたモーレッド一号機と三号機の姿だった。

しかし驚くべきは、その残った六脚に押さえ込まれていた最初の敵機にはまったく被弾箇所が見当たらないことだ。あの黒い機体、空中から一瞬にしてあれほど正確な射撃をしてみせたというのか。

「くっそ!一号機、脚部完全破損!」

「こっちもだ!あの機体、なんて射撃性能だよ!」

押さえ込まれていた敵機は戒めを解かれ、破壊された八脚の瓦礫の中から、ゆっくりと立ち上がった。それに呼応するように黒い機体も徐々に高度を下げつつ、さらに接近してきた。地面に降り立った時、闇に紛れていた機体の全貌がようやく見えてきた。脚部裏から突き出された様な形をしたユニットは恐らく補助推進。全体的に細いイメージのあるシルエットだが、背中から突き出して展開しているユニットは巨大だ。そして何よりも目を引くのはやはり左手に装備されている長銃身の火器だろう。明らかに機体の全長より長いのは異形というしかない。

黒い機体はモーレッドに銃口を一応向けているが、撃つ気配はない。立ち上がったもう一機も手にしている銃を構えず、だらりとぶら下げたままだ。

いったい何をするつもりなのか。すると、黒い機体の胸の部分で何かが開くような音がした。闇夜に黒い機体だ。目を凝らしても機体にどんな変化が出たのかは判り辛い。しかし、すぐにその謎は解明された。

「ここの作業員だな?」

それは外部へ音声を送るスピーカーだった。恐らくこちらの音声を拾うマイクもどこかにあるのだろう。

「そこに立っているお前だ、スーツ姿の」

そう言われて初めて自分が問答の対象になっていることに気が付いた。この場にいる中で確かにスーツに身を包んでいるのは自分だけだった。他の人間は皆、機械の体を着込んでいるのだ。

「ああ」

なんとも間の抜けた答え方だったが、今の自分にはそれが限界だった。殆ど無意識にヘルメットを外して、地面に放り出した。

「試作機を一機渡してもらおうか、どれでもいい」

声は女のものだった。もはや戦場と同じようなこの状況に似つかわしくないほど高く澄んだ女の声だった。

「どうした、私はお前等に選択肢を与えているんだぞ。断れば、無理やりにでも頂くまでだ」

女の声がそう告げると、最初の敵機がぶら下げていた銃器を再び構えた。ちなみに銃口はモーレッドではなく、直接自分に向けられた。黒い機体に装備されているあの強力な火砲ほどではないが、生身の自分にとってはどちらでも変わりはない。一発で粉々に吹き飛ばされるだろう。

「ま、待て…わ、判った。だが、この二機は渡せない。ハンガーの奥に二番機がある、それを」

「僅かだが戦闘データを得たこの二機は残したいか…なるほど。いいだろう、そんなものに興味はない。とりあえずそこの二機とも、パイロットは降りてもらう」







その後の彼等の行動はすばやいの一言だった。二号機を脚部と腕部を取り外すと、遅れてやってきた大型のトレーラーに積み込み、更に研究棟から合流したのだろう、合計四機の機動兵器はトレーラーが敷地内から出るのと同時に、やってきた輸送ヘリで姿を消した。空域全体をBFLが見張っているはずだから、彼等の追跡は容易なのかもしれないが、現状取り残された我々は本社からの救援をただ待つだけだった。

「主任…」

「ああ、お疲れさん…」

一号機のパイロットが沈んだ表情で話しかけてきた。

「余り気にするなよ。二号機は奪われたが、一号機と三号機は健在なんだ。研究棟の方も、データのコピーを盗られただけで、物的にも人材的にも被害は無かったそうだ。モーレッドも予備のパーツを使えば数日で修理完了する程度の損傷だ」

だから気にするなと、そう言った。こんな事態になると誰が予想できた、と。

「武装した敵機相手によくやったさ、殆ど動かしたことも無いような機体で。実機相手の演習をしたと思えばいい」

「はぁ…」

納得がいかないのか、彼は目線を落としたままだった。

「あの黒い機体、IWISにもデータ無かったって言ってたよな?」

「はい」

「そう…か」

IWISに記載されない機体。それはすなわち、現在の国際連合下にない国家で製造されたか、もしくはそんな決まりごとの範囲外にいる連中…とすれば、地球勢力以外の可能性もある。

「考えすぎか」

技術屋の自分が考える範疇ではない。これはもっとお偉方が頭を抱える問題だろう。問題はこの後始末をどうやってつけるか、だ。

「やっぱり始末書かねぇ」

「すみますかね?書くだけで」

「どうだろーねぇ…、たばこ、持ってる?」

「禁煙してたんじゃなかったんですか?」

パイロットは懐からマイセンを取り出すと軽く振って一本を取り出しやすくして、差し出した。

「なに、煙は沢山吸い込んだ。今更タバコの二、三本」



夜が明ける。白み始めた地平。これくらい明るければ、あの黒い機体をもっと鮮明に記憶できたのだろうか?

「どうだろうねぇ」

ふっと自嘲気味に笑いがこぼれた。久々に吐き出した紫煙が夜明けの空に混じって消えていった



続く