企業戦士安藤 

第三話 『昼飯時』




灰色の雲は分厚く、日光は遮断され、日中だというのにどこか薄暗い。寂れた工場地帯の中、廃墟となった一つの建物で二人は顔をあわせていた。

「データはこの中に」

若い方の男は黒いUSBメモリを初老の男に渡した。男は黙ってそれを受け取ると、窓を見やり曇り空を一瞬見つめる。

「実機の方は?」

男は懐にUSBメモリをしまうと、振り向いて問うた。

「ある程度ばらしてコンテナに詰めてる作業中だ。02が当たってる、今日中には終わるだろうから送り先を指定してくれ」

「うむ、だがそちらで二、三日補完しておいてくれ、とりあえずはデータだけあればいい」

「あくまで重要視するのは中身ですか。俺の口出すことじゃないし仕事が楽になる分こちらとしては助かるけどね。データが必要なら何もあんなに派手なことをする必要はないんじゃないですかねぇ」

若い男はタバコに火をつけると、深く吸い込んだ。長い吐息が煙を帯びて天上に伸びていく。

「いいのだ。あれだけ派手にやれば、必ず外部に漏れる。漏れれば新規で開発に乗り出した数社の内、例の件に噛んでいない社は引く可能性も出てくる。間引きだよこれは、あの件に絡んでいる奴等は引くことはしないだろう、MAIも同様だ。開発を中止することはないだろう」

「なるほどねぇ、わざわざ全部襲うこともしないで、ある程度は篩いにかけるわけですか」

「そういうことだ」

初老の男は、連絡すると言って、そのまま建物から出て行った。

ややあって車のエンジン音と砂利を走る音が聞こえてきた。

「まったく、この平和な国で何をしようとしているのかねぇ。ま、これも仕事だぁな」

半分ほど残ったタバコをピンと指で飛ばすと壁に当たって僅かに火の粉を撒き散らした。

「さて、あんまツキの良さそうな場所じゃない、俺もいくかね」





「岩田ーお前も暇そうだな」

岩田の頭の上に消しゴムのカスをこっそりと捨てながら安藤は岩田に声をかけた。

「そういう先輩も暇そうで」

椅子を回転させて振り向くと頭頂部に取り付いていた消しゴムのカスが半分ほど遠心力で吹き飛んでしまった。残念。

「何、俺の仕事はそこそこ形になってからが本番だ。操縦席の形状だのなんだので、細かい打ち合わせは何回かしたが、図面段階の話さ。しかも操縦席事態は他社製の量産品をベースにするらしいしな」

「コックピットを?」

「いや操縦席…ま、椅子と操縦桿って言ったほうがこの場合は正しいか、いずれは自社で作るんだろうけど、ひとまず工程をふっ飛ばしても問題ない部分は流用するんだろーよ」

「しかしまぁ…閑散としてますねぇこの部屋」

「忙しい連中はほれ、あそこのタコ部屋で悶々と仕事中さ、何を会議しているやら。今更会議することもあんまり無いと思うがねぇ。お前も見たろ?初期段階のプロットとイメージ図と、仮の設計書」

それは一週間ほど前に全員に配られたモノで、試作一号機の仮の設定書ということで、原案、イメージ図、設計書等が入っていた。

「いつあんなの作ったンすかね。ここの部署に来て今日で、ひーふーみー…丁度二週間ですか、一週間目で渡されたわけですから、たった一週間であそこまで作れりゃいい仕事してますよ、設計チーム」

岩田はもう一度椅子を回転させて、パソコンにその設計書を映し出した。

「ま、全部をやったってわけじゃないだろうな…いいか、ここからはオフレコだぞ」

若干声を潜めて俺は続けた。岩田も神妙な顔をして振り返った。

「この設計書、部分的には、というより殆どがパクリ、とそこまで言うのもあれだが、まぁ流用してる」

「マジですか?」

「声が大きいよ」

岩田の頭をパシリと叩く、先ほど取れなかった分の消しゴムのカスが今度こそ全部取れた。

「…俺はな、この設計書と似た機体を知ってるんだ。無論前の職場IHIでな。あの時ミス田島"嬢"の隣にいた男、なんつったっけか?」

「門倉さん?」

「そう、門倉だ。多分あいつが絡んでるとは思うが…、設計段階から絡んでいた過去の案件を職場を変えて出してるだけかもな」

「でも先輩あの人とは初対面じゃなかったでしたっけ?」

一度部屋をぐるりと見渡す。確認したが室内には俺たち以外の気配がない。

「そうだ。だが同じIHIにはいたわけだし、何らかの形で同じデータを見たことがあるのかもしれないな。俺は実機を乗るのが仕事で、設計には殆ど噛んでいない。それでもテストプランの書類などに目を通す機会はいくらでもあった。そいつもその内の一つさ。何年か前にテストプランとして計画されて放置されたっぽいがな」

一度机から離れて、すぐ側にあるコーヒーメーカーからコーヒーを注ぐ。岩田にお前もいるか?と聞くと、お願いしますと帰ってきた。

「正確な時期は覚えていないがな。部分的に隠されてはいるが、機体の端々にIHIの特徴が現れてる。腕部の取り付け位置とか、機体の重量バランスとか、まぁ色々な所でな。ほれ」

「どもっす」

コーヒーを差し出して、誰も座っていない隣の机から椅子を拝借してそれに座った。

「結構露骨なパクリですか?」

「ぱっと見てわかるくらいだからな、内部の機構まではIHIでデータを見たわけじゃないからなんとも言えないが、発足して一週間で兵器をポンと一つ設計してここまでのデータにできる企業なんて大規模な兵器企業だって無理さ。こいつぁ、どうにもIHIの残り火みたいなのが絡んでると見て間違いないね」

妙な話だ。いや、深く考えれば、一応にちゃんと理由がありそうだが…。そしてこの時点でその理由についても半分は自分の中で理解できてるつもりである。

「いや、理由はあるのかもな」

「っへ?」

「政治的な話になるが、IHIという企業を失ったこの国は後釜を欲しがっているんじゃねぇかっていう話は前からあったのさ。よくも悪くも企業としてのIHIはこの国のある部分を一手に担っていたわけさね。まぁ難しい話は、俺等の考えることじゃねぇや。お偉いさん方に考えてもらえばいいさ」

ふーむ、と岩田は考え込むとコーヒーをグビリと飲み込んだ。それからもう一度画面上に移った企画書を眺めやった。


「ところで、お前の分野はどうなんだ?専門家として来たんだろ?一応」

「んーでもねぇ、渡されたデータには間接部分に関してはなんて書いてあると思います?『随時仕様変更の可能性がある』ですよ?事前から準備できることは限られてきますし、それに流体金属間接は結構応用が利くんですよ、直径10mくらいのサイズも今じゃ実用化のレベルに達してるし、極小サイズのものはピンポン球くらいのサイズにまとめられることも可能になってますから。その辺のデータを事前に準備しておけば、いつでも対応できるってわけで、ここ一週間はちょこちょこと各種サイズのデータの見直しと、性能の限界値を見直してたんですよ」

「へぇ、俺はてっきりお気に入りの動画サイトばっかり見てるものと思ったぜ」

「会社のPCじゃできませんて。ログ残るし。どうしても見たいときはこれです」

そう言って岩田はブリーフケースの中から小型のノートPCを取り出した。

「会社の光回線に比べりゃ回線速度に多少不便はありますけど、個人的に楽しむ分には十分ですよ」

「へぇ、いいな」

それは最近人気のある小型サイズのPCだ。液晶画面の価格低下で、小さく高性能なモデルがかなりの安値で販売されるようになったのだ。

「そのサイズだと記憶容量とかどうなんだ?」

「こいつはHDD積んでないタイプですからね、追加で足しても十分とは言えないっすよ」

本体を差し出してきたので、受け取る。非常に軽い。

「いいね、俺も買おうかな」

そんなことを話していると、少し離れたところにある会議室から一人の男が出てきた。

「会議が終わったのかな?」

俺は岩田に小型PCを返すと、男の足取りを視線で追った。

「朝からかれこれ三時間ですか、仕事熱心ですねぇ皆さん。でもあれは仕事が片付いたってより、ちょっとトイレに行ってくるって感じの足取りですね。煮詰まった室内から少しでも離れる時間を得るべく、もったりもったり歩いてるって感じ」

「どうにも強行軍だ。普通はもうちょっと余裕をもってする事業だと思うがねぇ。それこそ本来ゼロからスタートなら足元ほどしっかり固めるべきだよ」

壁にかけられた時計は十二時になりかけていた。

「さて、久々に社員食堂以外のメシにすっか、付き合えよ岩田」

「おごりっすか?」

「ちゃっかりしてらぁ、来いよ」





同時刻、東京。国際兵器監査機関…IWIS関東…第二支部

「レェエエイノルズ!」

一室に地鳴りのような怒号が響く。声の主は手にした某コーヒーショップの紙コップの中身を一気に飲み干すと、空になったそれを足元のゴミ箱に叩きつけるように捨て、更に勢いよくそのゴミ箱に足を突っ込み、踏みしだいた。

「レイノルズ!あれはいったい、ッゲフ、あれはいったいなんだ!」

書類と埃にまみれた室内には男が二人しかいない。レイモンドと呼ばれた男は、飄々としながら書類の束を片手に持って同じコーヒーショップの紙コップを机に置いた。

「ド○ールコーヒー。お望みどおり、モカですよ、今の」

それだけ言うとレイノルズは書類に再び目を落とした。

「今のが!?くそ、雌馬のしょうべんの方がまだましってものさ」

「飲んだことが?」

「ねぇよ!」

ゴミ箱に足を突っ込んだまま、男は椅子に腰をどっかりと落とした。彼の名はリチャード・クラン。ここの一応のボスである。しかし彼を含めてここには二名しか所員が今はいないのだ。もう一人の若い方…、レイノルズと呼ばれた男はレイノルズ・ダンリーブス。まだ若い、歳は二十台の後半に差し掛かったばかりだ。

「それよりリチャード、本部から指令ですよ」

「どうせくだらねぇ話だろ、第一の連中に任しとけ」

ヒラヒラと手を振ると、リチャードはゴミ箱から足を引き抜こうとした。抜けない。

「いえ、正確には本部命令っぽい第一支部からの業務指令ってヤツです」

「くそ、またあの連中手が回らない仕事を俺等に回すつもりか…!くそ抜けねぇぞこれ」

ガンガンと机の脚にぶつける。そのたび、机の上に乱雑に詰まれた書類がさらに酷い状態になっていく。

「そうでもないですよ。割とまともな調査指令ですね。どうも第一の連中、例のアムステラ関連の第四次兵器検証報告の件で手が回らんみたいですよ。それでこちらにお鉢が回ってきたみたいですね」

「内容は?」

リチャードは足だけで抜くのを諦めて両手でゴミ箱を掴んで足をようやく引き抜いた。幾つかの紙切れと、先ほど放り込んだ紙コップも宙を舞う結果となったが。

「えーっと、日本国内の重機メーカーおよび関連企業の兵器産業新規参入に関しての調査命令、だそうです」

「前から話が出てた件か。ふん、これだけ大き目の話で第一の連中がこっちに回してくるって事はヤツ等相当参ってるな」

ガハハとリチャードは笑う。笑いながらごみをもう一度ゴミ箱に入れていく。

「そのようですね。で、二名でこれを行うにはあれだから、本部から新人を一名送るそうです。日本語ぺらぺらの人材」

「お前のインチキ日本語じゃないヤツだな」

「どうやらそうみたいです。しかしインチキ日本語とは酷い言われようだ」

「それで、その新人はいつ来るんだ?」

振動でぐちゃぐちゃになった机の上を、見た目でなんとか書類の束に形成しなおしていく。

「今日の午後一時ですね。ほう、これはなかなか優秀です。先月までデータ管理の方に勤務していたそうですが、転属願いを出して受理されたようですね。登用試験をA判定合格、データ管理が前歴とすれば、コンピューター関連も強そうですね。出身はフランス、母国語のほかに英語と日本語。こんな僻地に任ぜられるにはアレな人材ですね」

そう言ってレイノルズは手にしていた書類の束から一枚を取り出して、差し出す。そこにはその新人の経歴などが書き込まれている。


「ほぉ〜こりゃこりゃ…ほぉ〜」

「にやけすぎですよ。これだから三十も後半に差し掛かると…」

書類に添付されている写真は若い女性のものだ。この機関は一年ごとに書類用の写真を取り直し使用する。だからこの写真は最近の彼女を写したものなのだ。

「リンゼイ・ハーメット、二十四歳。フランス出身、二年前にIWISに勤務、一年間EUフランス中央処理局でデータ管理業務か。こりゃ美人だ」

「他に感想はないんですか?」

呆れて冷たい視線を送るが、リチャードは今だニヤつきながら書類に夢中だ。

「はは、フランス人にはあまりいいイメージはねぇんだがな。ん…?待てよ、リンゼイ・ハーメット?…ハーメット…ってまさか!?」

突然目を見開くとリチャードはだっと飛び掛るようにレイノルズの持っている残りの書類に飛びついてきた。

「ど、どうしたんです?」

「うるせ!早くよこせ!」

ひったくるように残りの書類を剥ぎ取ると、がさがさと手荒に書類をめくっていく。しかし何枚目かの書類で手を止めると、彼は一歩だけ後ずさりした。

「ホワン…ハーメット…」

どうも様子がおかしい。いつもはどんな事態にも怒鳴るか笑い飛ばすの二種類で対応する彼が、言葉を失っている。

「娘か…そう言えば、それくらいの歳のがいるとは聞いていたが」

ガリガリと頭を掻きながら、今度はグルグルと歩き回り始める。

「一体どうしたっていうんですか?様子がおかしいですよリチャード、その新人知り合いなんですか?まさか僕達の勤務状況を調べに来た監査員だとか?」

「ならまだマシだ、いや別に彼女が理由ではないんだから、余り気にする必要もないんだが…」

深い溜息を吐き終えてから、リチャードは書類の中から一枚を取り出し、レイノルズに渡した。

「リンゼイ・ハーメットの父親の欄を見てみろ」

言われて確認する。そこにはホワン・ハーメットという名前が記されていた。

「ホワン・ハーメット、誰です?」

「んーあー。古い知り合い、というか上司だ。もうかれこれ五年以上…、八年前になるのか」

「八年前というとリチャードがまだ強制執行部の執行官だった頃…、なるほど苦手な上官で、その娘というわけですか」

「別に苦手なわけじゃねぇさ。多少強引なところはあるが、悪い上官じゃなかった。ただ俺はその部隊にいた時、散々な目にあった。それでこんな僻地に逃げ込んできたんだ。もう一度係わり合いたい名前じゃねぇんだ」

しかし何でまた…と口に出しかけた時、彼の携帯が着信を告げた。その嫌なタイミングでの着信に二人は目を合わせる。本当にげんなりとした表情でリチャードは携帯を取り出すと、着信の相手を確認した。

「…嫌な予感がする。何だって海外支部から直接俺の携帯に連絡が入る?」

記された番号がそう告げている。

「さぁ?ひとまず出てみては?」

「っけ、人事だと思いやがって、ええい!ままよ!」


回れ右をして直立不動のまま、彼は話し始めた。


「―――クランだ。…ええ、はい。やはり中佐でしたか。ええ、はい。はい。書類は届きました。ええ、確認してます。はい、ええ、了解しています。しかし、いえ、はい。その件ですが、今ひとつ理由が、はい、はい。しかい、いえ、なんでもありません。はい、はい。了解です。はい、では」

その会話は数十秒で終了した。通話が終わってもリチャードは直立不動で、携帯をしまっても視点は一点を見据えていた。真面目だ。二年間チームを組んできて、初めてこんな真面目な顔のリチャードを目撃したのだ。妙な風景だった。彼にこんな真面目な表情が似合うとは思っても見なかった。なんだかその引き締まった表情といい、そのまっすぐな目つきといい、これじゃまるで仕事のできる上司みたいだ。

「ふぅ…」

何度目かの溜息を吐き出して、振り向くと、レイノルズは目をパチパチさせながら、こっちを見ていた。

「あん?おいどーした」

「いや、真面目な所もあると初めて知ったものでして。僕の中のリチャードは、そのお世辞にも真面目とはですね」

「うるさいぞ、レイノルズ君」

「いえいえ、失礼しました」

「まったく…一時まで四十分か、飯でも行くか」

「僕も行きますよ」



続く