月影が照らすは
我が 獣の姿
あゞ 蒼ざめし亡霊よ
彼のもの鋼散らして 其は何ぞ思うか
「あったーしーはへーたいっへーいたいっ、ィヒャッホゥ!」
底抜けに明るい声、だがとてもその場には似つかわしくない声。
自身の体に伝わる振動に合わせて高らかに歌う少女は、その破天荒な行動とは裏腹に細やかな操作テクニックで愛機を駆る。
振り回す銃器は酷くぶっきらぼうで危なっかしくも見えるだろう。だが少女の視覚を介し照準を補佐する姉妹がいるため、見た目に反して正確無慈悲な射撃の腕前を発揮させられているのだ。
そこは戦場、戦場、戦場は地獄だ。いくばくかの武器をもって血と血を争う比類なく残酷な舞台。その腕を限りなく伸ばしても決して平安には届かない、触れられない、感じることが叶わない憎しみの坩堝だ。
それは肉と脂だ、人は云う。
それは銃と炎だ、人は云う。
それは欲と殺意だ、人は云う。
おそらくそれは間違いでなく、どころかそれ以外の真理はない。
人が人を殺す理由に、深い考察など所詮は無意味なのだから。
「撃て撃て撃て撃てェッ! 撃ち方止め、機兵突貫! やっこさんのナニをブッ千切って食らわせてやれ! じっくりかわいがってやれ!」
「……まるで鬼軍曹のようですね」
さめた声がざらついた擬音に掠れながらも通信機から聞こえる。だが少女はそれを無視でもするかのように、返事をするでもなく自機を駆る。
乾いた唇をぺろりと舐め、粉塵によって視界を狭まれた目前の場面をじっと見つめ、目を細めながら口角をきゅっと吊り上げ、笑う。
不敵に笑う、笑う、笑う。
とても階級が上の人間に対して行うべき態度ではないのだが、通信機越しの相手は黙して何も語らない。
咎めもなく、ただ一切の発言もない沈黙。だんまりを決め込む両者だが、やがて痺れを切らしたのか、ぽつりと洩らす。
「上官らしからぬヤツだなアンタ。こういうときはビシリと指摘しねーと部下は付け上がるぞ? ……ってまあ、オレはあんたの部下じゃないけどな、少尉殿」
「いえ、僕も軽口が過ぎましたよ。この大事な局面で、妙な感想を口走ったのは僕のほうですからね、一々相槌を打ってもらわなければならない、というわけでもないですから。だから気になさらずとも結構ですよ」
大事な局面、男はそういった。
その言葉に嘘偽りは混じりけ無しの本音だろう。事実戦況は、敗北の可能性すらある有様なのだから。
広がり続けるこちらの占領地区に脅威を感じたあちら側の勢力は、地の利と数にものを言わせた多面同時攻撃を行ってきたのだ。
本来であれば各隊ごとに対応をすべきなのだが、如何せん数が違いすぎた。副官を代行として指名し各地へ散らしてなお、数が足りないという事態だ。
せめてもの救いは、ベイリという運び屋の持ち込んだ補給物資が大量にあること。だがそれも、膨大な兵力差を埋めきるにはいささか力不足ともいえた。
「素直に謝るのもどうかと思うがね、ツァラ少尉殿。第一アンタは上官の癖に言葉使いがどうにも……なよっぽいんだよ。知ってるか、上官っていうのは偉いから偉そうにしているんじゃない。偉そうにしているから偉いんだ」
「偉そうにするから……偉いと?」
「そうだ」
女は極平然と語る。まるで当たり前のように、男……五番隊隊長ツァラに語る。
同じ顔を持つ二十四人の少女の一人、"八女"のニキはかく語る。
彼女は、ニキは個性豊かなハイヌウェレの中でも稀有な教育を受けていた。まだ言葉すらろくに学んでいない時から軍のとある特務部隊員として組み込まれ、そこで基礎から全てを学んでいた。
その特異な経験からか、隊を動かすという行為においては人に近い感性……特に一般的な兵士のそれに近いものを持っている。
だからだろうか。
ニキは軍というものを理解しつくしているからか。
ツァラに語る。兵士としての『声』を。
「偉いという事は仲間に対する信頼だったり、誇りだったり、鼓舞に近いものだったりするわけだ。偉いやつは無意味に偉そうにしているわけじゃない。そうしないと、兵士たちがついてこれないからだ。そうしないと、兵士たちが信頼してくれないからだ。勝利をもぎ取るためには実力も必要だが、信頼も無ければ戦線を維持する底力は出ない。だから偉いやつは偉そうにして、周りの信頼と尊敬と少しばかりの嫉妬と期待を、一身に受けて支えなきゃいけないんだな。無能なヤツが偉そうにするのはあれだ、ただの阿呆だ。
同僚を見てみな。ガフの旦那は揺れ動く事ない岩みたいな偉丈夫だろ? あれがうろたえる姿なんか想像すらできない。だから、みんな信頼を寄せれる。あの総隊長なら何とかしてくれる、そう思ってだ。
ガルーシア大尉やブニュエル大尉なんかもその手のクチだな。先のガルーシア大尉はその勇猛果敢な姿もさる事ながら、部下への気配りを忘れないイかした男だ。対しブニュエル大尉はまあ、ちょいと口は悪いし隊長勢の中でもいっとう偉そうだが、そのぶっきら棒な態度も逆に信頼を勝ち取るには有用だ。強気の男は軍を動かす上では必要不可欠だからな、ああいう雄に好意を持つ男も多いよ。
そして、信頼が大きければ大きいほど、周りの人間は実力以上の力を引き出すことが出来る。それが、偉そうにしなきゃいけない理由だ」
「……いいたい事はよく判ったよ。けど、トルバトール中尉は違わないかい? 彼は三人とは違って物腰は柔らかいじゃないか」
「偉いってことを勘違いしてるね、アンタは。……偉いっていうにも三通りあるんだ。受け持った立場が偉いやつ、自ら偉いと誇示するやつ、そして生まれが偉いやつだ。あの人は確かガフの旦那の親族、即ち貴族だろ? 態々偉そうな態度出さなくても元から偉いんだ。それにアンタみたいになよっとした態度ではなくて、あちらは生まれついての貴族的な慣習みたいなものが身についている。同じ態度を取ろうにも、あんたではああいう雰囲気は真似できないよ」
それだけの言葉を長々と吐きつくすと、少女は再び引き金に指をかける。見れば、敵は再度の突撃を慣行しようとしている。それを的確に牽制しつつ、隊長であるツァラを差し置いて部隊に指示を繰り出す。
部下としては戸惑うしかない。直属の隊長からは何一つ声をかけてはくれないからだ。だが、ニキの下した命令に対する反論が一切無いので、とうとう実行に移すことにした。
彼女の学んだ実戦経験は所詮経験だ。知略に富んだ戦術などは知りもしないし、策を見抜く戦術眼も知識量の差から劣っている事は否めない。だが、兵を動かすことに関しては、彼女はまさしく一流だった。
一般的な兵として命令を下され続けたから、どのような場面でも兵士たちに信頼してもらえる命令を思いつけ、指示する事ができる。
一般的な兵として役割を任され続けたから、どのような命令でも兵士たちに納得してもらえる支持を与えられ、勝利する事ができる。
一般的な兵として信頼してもらえたから、彼女は人を"信じ"て命令する事ができる。
それが、彼女の強みであると同時に、最も"人間らしい"部分だ。
「よーしお前ら、無駄遣いしない程度にぶち込んでやれ! いつもよりちょいとだけ余計に弾を撃ち込む程度でいいぞ! おい、七番機! お前今のはいいな、いい狙撃だ。あとで部屋にきたら××××してやってもいいぞ、ハッハ。もっとも、今のと同じ素敵極まる攻撃を、あと七回は決めてくれたらだけどなー」
「ニキちゃんったら下品ね! 変な事いうもんじゃないよ、本気にされちゃうかもしれないじゃないかー」
「いいじゃないかメラニ。言ったモン勝ちってやつだ。それに一晩の情事程度で敵部隊壊滅なら安いモノだって。ああいう素敵な狙撃を連続でやられてみなよ、夜も濡れるってもんだって」
「――敵わない、なぁ」
品の無い冗句と、俄然やる気を出した兵士たち。歓声をあげる通信を耳にしつつ、ツァラは一人苦笑いを浮かべる。
「ついこの前も父にもう少し上官らしくしろって怒られて、あの変な男にも言われて、次には新兵の君か。はは、こんな調子だから五番隊なのかな、僕は」
「悔しかったら偉くなって偉そうにしやがれ、隊長サン。部下の愚痴なんか聞きながら、まずは口調の語尾でも変えるところから始めなさるこった」
「はぁ……君たち姉妹には本当に敵わないなぁ……」
Hainuwere #07 I think I can
鋼の鼓動が激しく響かせる中――
――おおっ……。
崩れるかのように、熔けるかのように、切り開かれるかのように、場の一角に砂塵が舞う。
唐突に瓦解した防衛線に戸惑いの声をあげるも、仲間の耳朶へ届く前に"ソレ"は切り進み、目前に並ぶ起動兵器の首を跳ね飛ばしていく。
幻影のように霞む両腕、繰り出される必殺の一撃。
蒼い影。蒼い鎧。蒼き鋼に蒼き四肢。その痩身を蒼一色に塗り上げた、蒼ざめた死神がそこにいた。
何時からこの地に立っていたのか。誰の目にもレーダーにも止まることなく、今の今まで潜伏していた蒼き亡霊は、この場面となって突如牙を突き立てた。
おおよそそれは人間離れた獣のような動作、その四肢が駆ける所には足音一つすら零すことなく、それ故"亡霊"の所業の如く宙から宙へと跳ぶ。
ぎらり、血に餓えた両手の鋼。禍々しく幾何学的な曲線を描くそれは非現実的な大きさを誇る二振りの刃、それを易々と振りかぶり首を、腕を、両腕を刎ねていく。
その機体の一挙手一動作は素早く、また容赦もなければ慈悲もない。せめて一抹の痛みさえないことを幸福だと思うのならば、救いという言葉など、そこには無い。
右の手の先にある牙は瞬く間に霞みと消え、同時にあたりには断たれた四肢と焼けたオイルが飛ぶ。それらの所業はすべて腕の一振りで行われたもの。鋼絶つ牙は何人たりと止められず、それに左が加われば、まさに死神じみた猛威。
悲鳴なく、反撃なく、そもそも自身が襲われた事にすら気づかぬままにその哀れな犠牲者たちは自ら操る鋼とともに結末を迎える。愛機を、棺桶とすることで。
――びゅん、一振り。
――びゅん、二振り。
見敵必殺の名を持つ両腕を振るうその蒼き騎士は身近の獲物を刈りつくし、そして今優々と鋼を振るう。あたかも血の気を払うかのように振られた刃は、淀んだ雲の合間から降り注ぐ僅かな光で鈍く、鈍く輝いた。
ぎらり、ぎらり、ぎらり。
優勢だった局面の、唐突な反転。勝利を予感していた彼らには予想の想定外だった鬼札の登場は、瞬く間に十機の味方の損害という最悪のしっぺ返し。
雄たけびが止まる。
地を蹴る重低音も止まる。
静寂があたりを支配する間、残されたものたちはただじっと、眼前の亡霊を見る。
敵を目の前に足を止める事、それは自殺行為にならない。だが、場の空気を制圧している蒼き亡霊にとってみれば、あたりに恐怖と畏怖を植えつける恰好の間。
びゅん、一振り。びゅん、二振り。腕にした禍々しい得物は音をあげる。恐怖を増長させるために。
ただ一機。ただそれだけだというのに、自分の呼吸音すら耳障りに感じるほどの静けさ。隙だらけの蒼い亡霊に、何も、何も、何もできずに凝視し続けている。
ただ一機。
ただ一機。
……いや、三機。
「た、隊長!?」
駆け出したのは果たして誰が最初だったのか。ほぼ同時に走り出したのは三機の吾亦紅、そのパイロットは……ツァラ、そしてその場にいた二人のハイヌウェレ。
いくら新型の高級機とはいえ所詮は量産機、一品モノの幹部専用機相手では一兵卒では相手はできない。だが上官であるツァラと、それに匹敵する二人の少女が加わればどうか。
その答えは、数瞬後に明らかとなる。
盾を構えての突進――ランクラッシュ。闇雲ともとれる強引な戦法だが、前方に対する防御に関してはこれが最も高いため、一概には無謀とも取れない。
だがそれは見え透いた攻撃。激突の瞬間に構えるならいざ知らず、前もって構えて進む姿はあまりにも拙い。所詮は無策の突撃、避けることも容易ければ撫で斬りにするのも可能な、的でしかない。
蒼き亡霊からしてみれば、その僅か後方で銃口を向けてくる二機のほうが、よほど警戒すべき対象だ。
そう、思い込ませた。
突き出した右盾は囮、本命は盾の裏で構えていた左盾の銃口。自分への注意が僅かにそがれた事を勘で察知したツァラの、手痛い仕返し。即座に盾をずらして放つ、利き腕からの一撃を放つ。
一度戦ったことのあるハイヌウェレたちならいざ知らず、初の相手ならば自分の利き腕はばれやしない、そう思ったからこその作戦。以前と構えが逆に気づいたのか、背後の二人も指示を出すことなく自己判断で動いてくれたのも、相手の隙を突くのに一手かっていた。
突撃しながらの機銃連射。迫り来る三機のうち、視点が後方に向かえば自ずと自分へのピントはずれる。だからこそ回避はできない。いや、きっとできないはずだ!
しかし、その一撃は当たらない。
ツァラは失念していた。相手が自分を知らないように、自分も敵を知らないということを。
地をえぐる一撃、巻き上がる土煙。足元に転がる吾亦紅に剣を突きたて、それを片腕の一振りで軽々と投げ飛ばす。想像を上回る腕力を見せるが、それ以上に恐ろしいのは死者を死者とも思わない冷たき魂だろうか。
その亡霊は無情だ。味方へと吸い込まれていくエネルギー弾に思考が停止したツァラへ、すぐさま距離を詰めての一閃。とっさに向けた盾も間に合うが、しかしぎちりと鈍い音を立てて歪んでいく。しかも一撃では終わらない。二撃、三撃、四撃、そしてフェイント。
とても器用に扱うには向かないその大剣を、さも平然と操る亡霊は、くるりと手首で翻して盾を跳ね上げると同時にもう一方の剣を向ける。狙うは腹部。決して左腕の防御が間に合いそうに無い、隙だらけの腹へ目掛けて!
だが、その攻撃は未遂に終わる。その戦いは一対一ではない、他の兵士たちが黙って見ているわけではない。
"八女"ニキの砲撃、"九女"メラニの突撃。攻撃を続行すれば両方を受け大破し、片方を防御すればもう一方に被弾することになる。事実上、蒼い亡霊は下がらざるをえない必殺の構えだ。
それでも、だろうか。回避のために退くとはいえ、何の成果もなく下がるのは良しとしなかったのだろう。腹を狙っていた大振りは僅かに角度を変え、そして後ろへ下がる動作によって当たる場所を変える。跳ね上げられた盾を持つ右腕、その肘部分を打ち砕くために。
お互いに大破は免れる。だが被害の差は開くばかりだ。味方たちの戦線を見てみれば、勢いを取り戻した敵機影と一進一退を繰り返している。
先に隊長機を落としたほうがこの場の勝利を決める。それが結論だろう。だが、自分で勝てるだろうか、そんな不安ばかりが脳裏を駆け巡り、ツァラは止まる、止まる、止まる。
半壊した右腕はもう使い物にならない。隙を突いて狙った攻撃すら防がれる。判断力の差、機体の性能差、単純な力量不足、あらゆる面で劣っている。勝機の"匂い"が感じられず、ツァラはぴたり、立ち止まる。
心根の折れた将に勝ちはない。もはや敗色は濃厚。だが、それを良しとはしない"獣"がそこにいる。
「下がりな、少尉。その腕じゃこの蒼騎士相手は無理だ。ここはオレとメラニがやるから、後ろで味方の指揮でもとってな。雑魚相手と味方への命令くらいなら、その腕でもやれるだろ」
「君は……ッ!? まだ、まだやるというのか、あんな化け物相手に!」
「なあに、化け物っていったって所詮は人間だろ? だったら――」
――本物の化け物が、負ける道理はない。
その声は、互いの激突音でかき消された。
異常な腕力もさることながら、その亡霊は瞬時に距離を詰める移動力も恐ろしい。ひらり、姿がかすんだかと思えばすぐさま真横に佇み、さながら亡霊のように現れるのだ。
だがその亡霊の剣撃を、少女はしかと受け止める。左の一撃を打ち払う。返す右を受け流す。また左を受け止める。
一方的な攻防。だがしかし、ライフル弾すら視認する瞳を持つ姉がいるのだ、その姉とまったく同じ遺伝子を持つニキにしてみれば、受け続けるのは決して難しい事ではない。
だが流石に機体差は大きい。一人では負けはなくとも決して勝ち星は上げられないだろう。
そう、一人でなら。
「あたしの事も忘れてるんじゃないよッ!!」
味方を考えない容赦ない射撃。だが感覚を共有しているハイヌウェレならば、背後から迫り来る弾丸を脳視する事ができる。だから不安になることなく、敵の攻撃を受けきることに専念する。
メラニの放った攻撃は蒼い亡霊の行動を阻害させる。剣で受ければ目前のニキに襲われ、下がれば二機から集中砲火、かといって被弾するわけにもいかない。
とっさの判断は、やはり目前のニキを盾にすること。だから無理矢理押し飛ばそうと剣を横振りに叩きつける。
途轍もない衝撃。だがその攻撃は予想できた範囲だ、後方へ下がるように受けながら、飛行ユニットを起動させ飛び上がる。
僅かに脚部装甲をかするエネルギー弾。しかしそれは損害から言えば軽微、むしろ敵のほうが損害は大きい。
敵機体はといえばとっさに剣を地に突き立て、それを支えに逆立ちのような曲芸を取る事で回避するも、その行動を確認するや否や放たれた追撃にまでは完全に避けることは不可能だ。装甲の分厚い場所と剣の腹で受けるも、僅かながらにも損害は受けている。
決して圧倒的とは呼べない被害。だがそれでも、僅かな傷の蓄積からも、巨人はその身をやつすと言う。熊をも一撃で倒す山男であろうとも、小さな小さな蜂の大群ではやがてその息の根を止める。
この戦いはそういう戦い方だ。敵はいつでも、その一太刀でこちらを両断する事ができる。対しニキとメラニは少しずつ確実に削り倒す。リスクは大きいが、決して不利ではない賭けだ。
不利ではない、そのはずだ。
「二人とも……危ない、ココは退いてくださいッ!」
「何を言ってるんだか。オレらが止めないで誰が止める? ここで負けてもいいのかアンタ。逃げるやつはただのお子様だ、逃げないやつはよく訓練された兵士だ! あんたはお子様か、それとも兵士か!?」
「なにさ、あたしらが負ける訳ないって。なんたって、あたいったらサイキョーだからね、こんなヘナチョコ、欠伸の間ァに倒したげるって」
「けど……けど、敵は余りにも――」
「ふざけるな! 大声だせ! 小声で、しかも敬語でぼそぼそ喋るな兵隊! あんたは偉そうに命令してろ、偉そうにだ! 偉そうにだ!」
「……ッ!!」
負ける訳にはいかない戦い。それに退きの声をかけるツァラに二人は言い返す。
負ける訳にはいかないのだ。
負ける訳にはいかないのだ。
戦いの道具として生み出された彼女たちに、負けとは自らの存在意義を揺るがす……死と、同義なのだから。
一進一退の戦場は続く。敵も、味方も、一兵卒も、敵兵も、色とりどりなタペストリーのように地に彩りを与える。
剣撃につぐ剣撃。銃撃につぐ銃撃。いかにして勝利へ到達するか。それをもぎ取るために必要な行動とは何か。勝利とは、何時訪れるのか。いつ戦いが終わるのか。それが何時なのかは誰にも判らない。だが、はっきりと、結末は近づいている。
そして、激しく脈動する心の鼓動の音――
にわかには押し切れないと判断したか、敵も蒼き亡霊もそうたやくはこちらにむかって突進してくる事はなかった。味方の陣は見事に展開し、斧や山刀のような得物を得意とする屈強な吾亦紅たちが雄雄しく構え、砲台や銃器をもつ羅甲や吾亦紅がその銃口をしかと向ける。
一時はあれほどまでに崩れた陣形が、抵抗する少女二人の姿に影響されてか瞬く間に士気を取り戻して立ち向かっている。技量に富んだ武将がいることは、味方にとってみれば心のより所、信頼を向けるに値するともし火のようなもの。
人であろうと無かろうと、例えその事実を知らなくとも。
信頼を寄せてしまえば、人は如何様にも強固となる。
対し亡霊も、その両手の剣をもって構える。余力はお互いに十二分、あとはもう一手を先に与えた方が、この戦地の勝利を収める。
あと一手、ただの一手で。
――ふぅー……。
食いしばる歯の隙間から零れ落ちる吐息。
――ふぅー……。
僅かに開かれた唇から音を立てて飛び出す吐息。
それは、意を決したツァラの出す、吐息。
「なら……僕が行きます」
「――!!?」
突如として走り出すツァラに驚きも隠せず、ニキとメラニは援護の足に遅れてしまう。腰の引けていた隊長の、まさかの暴挙は味方にとっても予想外で、結果として一人突出したまま蒼き亡霊に向かう事となる。
対する蒼い亡霊は、ただ剣を構えるのみ。相手が何であろうと、近寄るものをすべて叩き切ればいいだけのことだ。無謀とも呼べる猛攻など、むしろ相当な実力差のある亡霊としては願っても無い獲物に違いない。
距離は詰まる、詰まる、詰まる。鋼の機体は並々ならぬ速度でその距離を詰め、すでに目前あと僅か。吾亦紅にはまだ遠い距離、だが蒼い亡霊にしてみれば、必殺の間合い。
一振り、二振り。吸い込まれるように向かう刃に対し、ツァラは先の一撃を左手で一方を受け止めるも、続く二撃目には無防備な姿を晒す。
ゆっくりと、ゆっくりと、迫り来る剣撃がスローモーションで見て取れる。まるで亜空間を進む宇宙船のような速度で迫り来るのが見えた、その一瞬――。
――そこが、勝機だ。
「こンのおぉぉ――――」
渾身の声をあげて叫ぶと同時に、ツァラは吾亦紅に最後の一撃を放させる。
普通に撃てば避けられる。普通に進めば切り刻まれる。
ならば、予想外の攻撃をすればいい。それだけのことだ。
狙う先は――自機の右腕。漏電を始めた肘関節を中心に、叩き込んだ弾丸は二発。次いで、手首へも二発。
事前にエネルギー配量を増していた結果、その右腕は損害に耐え切れず大きく散開するようにはじけ飛ぶ。突然の爆破、そして右腕の損失によって機体が大きく傾ぐが、ツァラ本人には問題はない。少々、隙だらけな姿を露呈するだけだ。
本来であればそれは致命的な隙、だがその場面に限り、むしろ裏をかいた奇策の上での空白の一時でしかない。重量のある吾亦紅にはさほどの影響が無かった腕部破裂だが、対する蒼き亡霊はどうか。
見れば、爆風に巻き上げられたか、あるいは弾けとんだ盾にでも弾かれたのか、亡霊が手にしていた剣はそこには無い。遠く離れた地に立つように、ぐさりと突き刺さっている。
同時に、右にしていた剣は見事吾亦紅に当たってはいる。が、しかし体勢の崩れた状態で、しかも爆破の余波によってさらに懐にまで踏み込んできたツァラ機を落とすには不十分な一撃。狙いがずれたのもあるのだろうが、その刃は僅かに肩の装甲に食い込む程度に留まっている。
ツァラの命を張った行動の代償、それは腕に対し敵の得物を奪う行為、そして肩に損害を受ける変わりに敵の装甲に傷をつけたこと。
隊長機の大破という意味では疑う事のできない大敗だが、しかし相手に与えた結果は大きい。目下最大の敵であるこの蒼き亡霊の、その戦力を削いだのは重大な勝因となる。
あとは後ろのハイヌウェレが叩く。それで勝利は揺るがない。機能停止を迎えようとしているツァラ機から刃を引き抜くや、自分へと駆け向かう二機を前に亡霊は構える。
それこそが、亡霊の見せた初の油断だ。
――お゙、お゙、お゙!
右手を失い、肩を抉られたツァラ機。完全に沈黙したかに見えた、勇敢な特攻隊長。
男の攻撃は、それだけでは終わらない。終われるわけが無い。
両腕が動かなくとも、武器が振るえなくとも。男には技があった。父の得意とした技、父に教え込まれた必殺の技が。
それはおおよそ予想外の大技。鈍重そうな外見を誇る吾亦紅からは、予想谷できない一撃。
ツァラの放ったそれは、豪快な足技。軸足を中心に股関節を最大まで開き、蹴り足を伸ばす。そして同時に、上半身そのものを振り子のように地に引き倒し、そして、跳ぶ。
全重量と遠心力によって加速した重い足技、背後へ不意打ち気味に叩き込まれた、その一撃。
――ジェノサイド・カッター。
「今だ、撃て!!」
背に受けた一撃は完全に亡霊を捉え、その身体を宙へ飛ばす。体勢は著しく崩れ、構えすら取れずにいる。
恰好の、好機。それを見逃すハイヌウェレではなかった。
連射に次ぐ連射。ありったけの弾丸を二機は撃ち込む。これだけの敵だ、今倒せる時に倒さなければ後々の脅威となる。それだけに、より気迫の込められた銃口を向け、引く、引く、引き金を引く。
対する亡霊も苦しまぐれの刃を振るう。迫り来る弾丸を打ち払い、切り弾き、出来うる限り損害を減らそうと耐え忍ぶ。しかし、何より手数が足りない。少しずつ、少しずつ、その蒼身を削り取られていく。
それは、地に降り立ってなお続く。耐え続ける事しかできない亡霊と、撃ち続けるしかない二機の吾亦紅。エネルギーが尽きるのさ先か、打ち抜かれるのか先か、それはそういう勝負だ。
だがその戦いの利は吾亦紅にあった。二機による連携攻撃である事、そして何よりそれ以上に、蓄積された総電荷量のが膨大なために、そのエネルギー弾は尽きることなく向かっていく。
故に、削り取られていく蒼き亡霊は不利であり続けた。少しずつ、少しずつ、損害は増していくばかり。そしてさらに、弾き洩らす弾丸も増えていく。
一発、二発……五発、七発。防ぎきれない攻撃に、少しずつ装甲を歪めていく。
もはやその身は亡霊でもない。
ただの、的だった。
一分がたった。尚も弾き耐え忍ぶ的も、もはやそれが限界と見えた。受けきる弾丸の余力に耐え切れなかったか、手から剣が抜け、膝をつく。
もはや回避も不能、止めとばかりに二機の放つ火薬弾頭が迫るも、その的は微動だにしない。
――いや、する必要がないのだ。
「なんッだと!?」
「……え、えぇぇ?」
勝利を目前としたその矢先、横合いから打ち込まれた飛来物が弾頭を突き破り、あたりに轟音を撒き散らす。
即ち命中失敗。何者かに狙撃され、打ち落とされたその結果だ。
探知機を働かせれば、はるか後方に朱に霞む銀の機体を捉えた。染め上げられた配色こそ吾亦紅と似通っているが、それとは異なる機影。長い長い砲身と細身の身体、左手に持つ巨大な盾。
朱銀の狙撃手。それが、おそらく必殺を止めた相手。
超々距離からの狙撃を容易にこなす、新たなる敵。その存在に怖気の走る肌。しかし次の瞬間に、彼女は気づいてしまった。
それ故に、ニキはごくりと喉を鳴らして唾を呑む。内心の恐怖を隠すように、恐れを、胃で溶かしてしまいたい、そう願うように。
ほんの僅か、僅かな間しか目を放してやいないはずなのに。
あれほどまでに追い詰めたはずの"亡霊゛が、跡形の痕跡もなく消え去っていた。
その開戦はほとんどが、アムステラ側の勝利で終わった。
だが、不穏は残る。蒼い亡霊と、朱銀の狙撃手の存在によって……。
――ふぅん……蒼色の亡霊騎士に、精密射撃が得意の狙撃機ね……面白い敵にあったね、ニキ
――なるほど、なるほど。君の意見もよく判った。なあに、任せておきたまえ
――僕にも対抗策はある。なあに、面白いおもちゃをつくってあげるさ。安心したまえ
――僕は『嘘』はつかないよ。ただ、多くを語らないだけ、さ……クク、ふふふ……
――続く。