――人が云う
刮目せよ そこは与奪の場 理性は去りただ恐怖が在る
――王が云う
刮目せよ そこは我の世界 血は流れただ己のみが在る
――修羅が云う
刮目せよ そこは煉獄の地 閉じし扉は愛憎の坩堝を示す
――故に戦士が問う
刮目せよ 果たしてそこに 理想はあるのか と
その部隊は逼迫していた。落下の衝撃により起動兵器は不調、あるいは小破したために動かす事ができないからだ。
その部隊は焦燥していた。敵の掃討隊がいつ自分たちに迫り来るか判らず、それに怯えきっていた。
その部隊は恐怖していた。彼らと共に降り立った兵の中に、不気味な少女たちが混じっていたからだ。
本来であれば協力しあう場面だろう。だのに不安がそれを阻んでいる。彼女たちが視線を向けるたびに身を縮めこませ、眼を泳がせながら挙動不審な動きをみせる。
彼女たちは心底あきれていた。
これが人間か。こんなものが人間か。自分たちを作り上げ、道具として利用するつもりだったやつらか。
反吐が、でそうだった。
「まったくもう、お姉さまがいるかモコウが壊れてなかったら、こんなやつら無視してさっさと行っちゃうのに」
よく似た少女たちの集団、その中央にいた少女が叫び、悶える。その隣に居た生真面目そうな少女は、それをとがめる様に肩に手をおき、形のいい眉をしわ寄せてそっと目を閉じた。
そら、またいつもの癇癪玉だ。そういいたげそうな顔だ。
「行っちゃうとは、どこへですか? 散り散りになった部隊を立て直すにも、まだ具体的な位置や合流地点を定めてないので無意味な行動は推奨されません。むしろ不必要なまでに燃料を消費してしまうため、むしろ下策だと思われます」
「……判ってるわよ、レタ! ああ、もう! お姉さまと早く会いたい、会いたい、会いたーい!」
デメテアと呼ばれた少女は、あまりにも直情すぎた。
姉であるティカを崇拝し、情愛をただひたすらに向け、ティカのことをすべてに優先させて行動する気があり、ティカも手を焼いていた。
それはまさに、思考停止しているのと同義。彼女の脳内にはティカのことしかなく、故に"人間と協力することで局面を改善する"という、ごくごく単純な事すら思いもしないのだ。
文字通り、彼女は姉妹一"使えないモノ"だった。
そんな彼女が自分勝手なことを言い散らかしているのだ、周りの士気も当の昔に地に落ちている。今なお復旧作業が出来ているのは、ただ単に手を動かさないと、恐怖に押しつぶされてしまうからだ。
瓜二つの不気味な姉妹たち。ヒトは同じ顔が並んでいるだけで、畏怖や恐れを持ってしまう習性がある。それが自分たちを嫌い、疎み、排斥するような言葉を吐けば…恐怖は膨れ上がる。
膨れ上がった恐怖はありもしない敵を生み出す。眼に映るものを敵と捉え、震える指で引き金を引く。
遠くから、迫り来る土煙を最初に見つけたのは誰だったろうか。
それは見る見るうちに大きく、力強く近づき、彼らに絶望を与えるには十分な脅威をもって向かってきた。
その影は遠目には判り辛いが、五つか六つか。あのような速度で、あのような土煙を上げて迫り来るものを彼らは一つしか知らなかった。
起動兵器……。おそらくは、敵の派遣部隊だろうか。未だに修理の終わらない彼らにとっては、まさしく絶望の到来といったところか。
しかし、打ち震える彼らとは異なり、歓喜の声をあげるものがいた。
「機影を確認したであります! 前方五時方向より迫り来る機体は六機、機体は吾亦紅と確認! 信号、送ります。……返信あり、あちらはハイヌウェレ隊隊長のティカ准尉、及び同行した部隊員と、整備班である――」
Hainuwere #03
少女/緩行
「ご無事でしたかお姉さまッ! 大事はありませんか? お怪我はありませんか?」
姦しい声が響く。まるでへばり付くかのように抱きついたデメテアのあげる声だ。
ああ、またこのパターンか。そんな空気が彼女たちに流れるが、デメテアは気にしない。いや、そもそも気づいていないのか。
彼女にあるのはティカへの一途な思いだけ。偶像崇拝の果てにある、自己を捨てた完全な奉仕だけだ。
自分が姉妹の中で一番失望されているという事を、彼女は知らなかった。命令には忠実だが盲目的、言葉の裏に隠された真意を汲み取る事も出来なければ柔軟な思考もない。文字通り、単純明快な命令でしか実行できないのだ。
さて、どう教育したものか……。ガフからはこのグェス星に来る際、デメテアの性格矯正を頼まれていたがそれも難しいな。ティカは心の底でため息をつきながら、デメテアを抱きしめ返していた。
「ねぇ、デメテア――」
「はいっ! 何ですかお姉さまッ!?」
「……なんでもない」
小言を言っても無駄か。珍しく疲れの色を表情に浮かべたティカは、もうあきらめたとばかりに首を振る。
こういう娘には言い聞かせるより一方的な命令で従わせたほうがいいかもしれない。あまり戦況が芳しくない現状において、使い勝手の悪い部下というのは正直もてあます存在だ。
せめて命令一辺倒な性格だとしても、ニキくらいの応用力と協調性が欲しいな。この場に居る妹の一人と比べつつ、そっと一人ごちた。
「それで、状況はどうなのかな、レタ」
「……そうですね。今はニキ姉が哨戒にあたっています。テティス姉は起動兵器の修復具合を確認しつつ、生き残った人員の人数把握や傷の手当などをしています。この付近に落下した降下艇は合計で三艇、積まれていた起動兵器は羅甲二十機および吾亦紅十機。現在はそれらの修復作業に入っていますが、完了すれば羅甲七機、吾亦紅は九機活動可能となります」
「つまり、持ってきた吾亦紅をあわせれば十五機と、羅甲七機となるわけ、ね」
デメテアを片手に抱いたまま、もう片方の握りこぶしを口元に当て思案する。考えをまとめるとき、いつもティカはその仕草をとる。人差し指で唇をこすりながら、考える、考える、考える。
ほかの姉妹たちがどこにいるのかは、おおよそ"気配"で探知できる。だが姉妹以外の人間は見当もつかない。特に直属の上司であり師であるガフの行方は不明だ。
あまりに長距離だが"意識"を飛ばしてみるか、あるいは暗号電波でも送るか。少なくとも、当ても無く捜索するよりかはいくらか利口だし、自己判断で敵基地を襲撃するのも良策とはいえない。
いくら彼女でも、補給の無い状態で戦い続けることは出来ない。敵から与奪するにも蛮族の戦いとは違うのだ、あまりに高すぎるその攻撃力は、奪うはずの資源ですら破壊しつくしてしまうだろう。
この発達した文明世代においては、輸送部隊の奪取ならいざしらず、基地の占領には途方も無い難度がまっている。故に、その考えはすぐに立ち消える。
やはり姉妹全員の合流を最優先するべきか。その思いにあるのは姉妹愛ではない。ハイヌウェレは戦略面では全員そろった時点で本来の性能を発揮できる。この状況下においてはいち早く自軍の戦力確保が最優先事項だという、ただただ合理的な判断からきたものだ。
振り返り、後ろの作業光景を眺めてみる。不気味とはいえ確固とした戦力であるティカたちが加わった事によって士気も回復している。また、無傷で連れてきた整備兵たちによって多少ながら信頼とも呼べる感情が芽生え始めているようだ。
少なくとも、先ほどまでデメテアが怒鳴り散らしていた時のような刺々しさはない。どちらかといえば、上手く化け物娘たちを利用して生き延びてやる、そんな打算的な執念が瞳に込められている。
それでもいいだろう。理由が不純であれ団結してくれるのであれば、ティカにとって不満はない。
利用できるものはどんなものでも利用する。どんなものでもだ。
たとえ――妹であろうとも。
「お姉さま……?」
「ン……なんでもない。どうかしたの、デメテア」
訝しげに見つめてくる"五女"ににこりと笑いかけ、誤魔化す。
知られる訳にはいかない。もしもの時は、この使えない妹を真っ先に捨て駒にする、などという暗い考えは。
傍目には仲のいい姉妹だろう。それは、あきれたような視線でこちらをみるレタの顔を見れば判る。レタも自分に似た計算家――というよりかは、与えられた条件で判断する分析家だが、ティカのような黒さはない。
計略を学んだアトロスやラケシスも、この場にいないシビュレもそうだ。
自分とは違う。
同じ血肉を持ちながらも。
「ええと、その。クロト姉さんがこっちに向かってきてるんですけど……。何なんでしょう」
言われて視線を廻らせれば、なるほど確かにクロトが小走りでこちらに向かってきている。手には真水らしきものが詰まっているボトルを抱えているが、まさかそれを渡しに走っているわけではないだろう。
何か状況でも変わったのだろうか。あるいはあちら側でアトロスあたりが何か問題でも出したのだろうか? ティカはからかい癖のある妹の名を思い浮かべる。
アトロスは現在クロトと共に修理した吾亦紅の試運転を任されていた。そのクロトが此方に向かっているということは、もしかしたら整備が完了したのかもしれない。
もしそうなら、妹たちと合流しにいこう。考えをまとめたティカはそう結論付けると、クロトに手を振り微笑んだ。
「ふぅ……お水を渡されたのでもってきました」
「ご苦労様。ケド、それだけじゃあないんでしょ?」
容器の飲み口を片手で捻り開け、かるく中身を口に含む。冷えた水だ、口腔から喉元へ、食道へ、胃へと下り落ちていく感覚を楽しみつつ、ティカは口をつけたその飲み物をデメテアへ手渡す。
そして頷く。話を進めろという合図だ。
「さすがお姉さま、鋭いわぁ。実は吾亦紅の専用回線に一つ電報がとどいたので、それのお知らせにきたんです。あ、あと、通常回線にも暗号化された文が飛んでたそうです」
「ふぅん……? それじゃあ、生き残りの誰かが送っているのかな」
「みたいですよぉー。内容は大きく要約して話しちゃいますけど、どうやらガフ大佐の降下した地点に多く味方が落下したみたいで、そこを合流地点とする……とか。好都合な事に私たちの場所も近いしようですし、他の部隊の皆さんもそこを目指して進むそうですよ」
「……どうやら状況はそこまで絶望的ではない模様。全体としては初手の痛手が大きく、部隊が完全に復旧する前に敵に本陣がばれるのは若干頂けないが、最悪には遠い。降下艇の燃料も残りがあるので、ここはある程度の整備を終わらせた時点で向かうのがいいかと」
沈黙を守り続けたラケシスが、突如ぼそぼそと喋りだす。比較的、彼女は馬のあう姉妹が居ないため、口を挟むことのない大人しい印象をもたれる。だが話題が自分向きのものになった瞬間、水を得た魚のように喋りだす。
実のところは、一番の喋りたがり屋なのかもしれない。
「……そうね。とりあえず、人間の皆様方と相談としますか」
そういうと、真っ赤になりながら水に口をつけようとしているデメテアの手から容器を奪い、その中身を一気にあおり飲み下す。
腹は決まった。今は行動あるのみだ。そう鼓舞するかのように手にした容器を握りつぶし、ティカは姉妹たちを率いて向かった。
……約一名、気落ちしている妹の姿があったが、だれも気には留めていなかった。
Lin、と音告げる銀十字に、男はうっすらと目を開いた。
眼に飛び込む光は暗く、紫色に霞む世界をじっと見つめる。サングラス越しに眺める世界。そこはどこか儚く、突き抜けるような青い空も悲しい色に変える。
陽気をたたえた日光にすっかり芝草の絨毯は春の香りを告げる。そこに立つのは一人の男。傍らには、まるで柱のようにそびえる鋼の獣。
それは巨大で、凶暴で、力の化身。人殺しという単純な目的のために作り上げられた、からくり仕掛けの怪物。
それが、一歩踏み出すことに大地をえぐり、このすばらしい緑一面の地をぐちゃぐちゃにつぶしてしまう事は想像に難くないだろう。
それが残念だった。
「時間だ。ゆけ……」
後方に並んでいた鋼の塊たちが、我先にと駆け出していく。それを尻目に、男は空を仰ぎ眼をその手で覆う。
踏み荒らされる草原に対する黙祷にも似た、ほんの僅かな懺悔か。数秒、ほんの数秒だけの懺悔だ。視線を前に戻し、見る。進むべき、自分の道を。
ドレッドヘアをなびかせて、彼は振り返り歩き出す。鉄の塊を駆るために、戦いの地へ赴くために。
攻め手は得意ではない。試作実験体と呼ばれたティカの教育を頼まれたその日に、彼女に告げた言葉がそれだった。
自分から決して攻め方を学ぼうとはするな。俺の守りをみて、そこから自分の攻め手を考えろ。そう教育してきた。
攻めるのは何時だって不安だった。敵がどう出てくるか、敵の基地から何が出てくるのか、そればかりが気がかりとなり、どうしても追撃がゆるくなる。それは最初から自分で知っている欠点だ。
守るのは楽でいい。恐怖はあれど、不安はあまりない。時に相手を突き崩す戦い方も必要だが、基本的には相手に合わせておけばいいだけだ。
そう、相手に合わせるくらいで丁度いい。相手の攻撃を防ぎきれば反撃できる。堅陣に当たればどうしても振れ幅がでる。そこをつけばいい。
そうやって、いくつもの戦場を駆け巡ってきた。時に撤退戦に、時に防衛線に回され続けてきた。自分に向けられた周囲の期待は揺るぎなき堅さだった。
常に守りだけを考えてきた。
だが今日ばかりは、相手を打ち崩そう。攻め滅ぼそう。そうしなければならないから、そうするだけのことだ。
それだけのことだ、ただそれだけのこと。
獅子は群れを率いて一陣の槍と化していた。無事に降下した部隊のうち、整備が出来た機体の半分を率いての突撃だった。
無事に降下した地は電波障壁を張っていたせいか、敵には正確な場所を知られていなかった。だから、敵より先に相手の位置を察知する事ができた。
有利な条件を生かすには、敵にばれる前に叩きつけるのが最も効果的な戦略だろう。自分自身がこうして先陣をきって突撃するのは初の試みだが、今はそれをやるしかない。
男は駆る、駆る、駆る。紫に霞むその視界で。
男は吼える、吼える、吼える。朱と灰の機体は、もはや何人たりとも止められはしない!
基地の大きさはかなりのものだ。仮にこれを奪い取れれば、今後の戦略も楽になるだろう。多少強引にでも強奪しておきたい。その決意を胸に、男たちは走る。
正面からは向かわない。裏にある崖からの逆落としだ。急降下しつつその強大な両足で上手く速度と位置を調節し、そして飛び上がる。
鈍重な破砕の響き、それは吾亦紅たちが敵基地へと着地した音。羅甲はこの作戦には参加していない。無理な降下には頑健さが必要だ。安価な量産機には少し厳しいものがある。量は十分とはいえないが、今はこの吾亦紅だけで戦うしかない。
男の戦いは彼の弟子とよく似たものだった。降下し、散開した部隊がまず兵舎を叩きに向かう。同時に、司令塔の制圧だ。
司令塔、そしてコントロールセンターにはアイジとラミア、そしてアドニスが向かっている。電子戦によって基地のコントロールを奪うからハイヌウェレを貸せ、そう言ってきたのはアドニスだ。
どうやって、とは聞かない。やる、といったからにはやるのがあの女だ。任せておけば問題はないだろう。
俺には俺の役目がある。男は分厚い皮グローブ越しに操縦桿を握り締め、起動する。
向かうのは入り口のゲート。別部隊を率いてこちらに向かっている羅甲を迎え入れるために、その強固な門を開く必要性があった。
時間がたてばアドニスがそれを開封してくれるだろう。だがその前に、その付近にいる敵兵を葬り去っておくべきだ。いつ敵の救援部隊が来るかもわからないのだ、倒せるうちに内部の敵はすべて倒しておくべきだ。
いた。目前に二機、こちらへと走り向かっている。相手は一般兵士だろうか、よく訓練はされているが男の目にはまだまだ練度が足りなく見えた。何よりも、行動が不味い。たった二機で新型の、見たこともない敵に立ち向かうのは無謀というよりもただの馬鹿だ、そう思いながら両手を振るう。
両手にもつ盾に内臓された粒子砲が、光弾を水平に放つ。吾亦紅に蓄積されたエネルギーは豊富なので、こういった無駄撃ちも果敢にできる。もはやこれでは横移動による回避はできない。直撃か、空へ飛ぶかだ。
敵はもちろん、とんだ。装甲の柔な機体では、例え流れ弾でも当たれば損害は大きい。その判断が間違いだったと気づくことは、決して無いだろうが。
相手が飛ぶと同時に放たれた、肩からの主砲。背中につながっているその砲台は先ほどの牽制射撃を大きく上回る火力を誇る。その一撃は無情にも、空中にいた敵二機を見事に撃ち抜く。散らばる金属片、文字通りの木っ端微塵だ。
実力も無ければ戦い方を知らない相手が多いものだ。男はそう思う。
もう二十年以上戦場を歩いてきた。戦歴で言えばかなりのベテランだろう。そろそろ老いも見えてきた、もう成長も無く少しずつ肉体的には弱くなっていくだろう。
骨を粉に、帝国に身を捧げるつもりはなかった。ただ、自分にはこれといった長所がなく、たまたま軍に席があったから入っただけだ。いつか、自分で諦めがついたときには前線を引くだろう。
だが今は、今はまだ戦える。そう思える間は、ここにいよう。
それに、成長が面白いやつがいる。自分を師と仰ぎ、教えを請うてくる娘が。
あれがそばに居る限り、戦い続けよう。引き金を引きながら、男はそう思った。
ゲートへの道をふさぐ敵はどれもこれもつまらない相手だった。どう贔屓目で見ても、自分の弟子のほうが何百倍も、何千倍も恐ろしい戦略を組んでくる。自分が繰り広げてきた撤退戦と比べてみてみれば、その差はさらに歴然だ。
戦地を駆け巡った経験は、男に一線をきした瞳を与えている。サングラスに覆われたその瞳は相手の実力を一挙手で見抜く魔眼だ。戦いの上手い敵は上手い避け方をする。だが下手な相手はそのセオリーから外れた、無様な動きをするものだ。
経験は語る。戦い方を、敵の見方を、自分が行うべき行動を!
自然と男は雄たけびを上げる。心の奥底に眠る恐怖を払うかのように、吼えたける。阻む敵はすべて叩きのめし、完璧な鉄塊へと変貌するまできっちりと止めを刺す。
後ろからの砲撃が恐ろしかった。昔まだ新兵だったころに、一度だけ背後からの狙撃で撃沈し、重傷をおった事がある。相手の息の根を完全に止めなかったのが原因だ。
その件があって以来、男は容赦や哀れみといった感情を捨てた。
恐れではない。もちろん恐怖もあるが、それ以上に怪我という名の教師によって学んだ教育の成果……敵への容赦は必要なく、自分の身の安全を決して信じることなく、そして自分の勝ちを常に疑い続ける事によって導き出された、男なりの戦場持論だった。
故に男は駆逐する。慈悲の心も殺意もなく、ただ"義務感"だけで人を殺す。人殺しに楽しみを見出す事も無く、引き金を引く。
引いて、引いて、引き続ける。後に残るのは敗れた敵。進むのは、自分だけ。
だが、ピタリ。男は初めてその足を止める。
目前にはもうゲートが見えている。だが、その門を背に立つ影がある。
手にしているのは大型の両手剣。量産機にはとても見えない、精巧な作りこみ。おそらくはここの隊長機か、あるいは補佐官クラスの幹部だろう。
ここにきて男は、初めて自分から攻める事をやめる。新型とはいえこちらは量産機でしかない。無策に戦いを挑むのは最悪だ。得意の守り主体の戦法で挑まなくては、こちらの身も危ない。
お互いに、沈黙が続く。ぴくりとでも動けば、どちらかがその獲物を振るい迫り着そうな圧迫感。汗ばむ掌で、男はぎゅっと操縦桿を握る。
静寂は続く。ひょっとして、と男の脳裏に一つの考えが浮かんだ。
もしかしたら、目前にたたずむ敵も、自分と同じ守備主体のパイロットなのかもしれない……と。
よく見れば、自分の駆る吾亦紅とは違いスマートな外見をしている。運動性や機動性を主体とした形だろうが、しかし装甲はしっかりと覆うべき箇所を完全に固めている。
見える範囲では、持っている武器も大型の両手剣が一本、背にある二振りの中型剣、そして腰部分に付けた不審な器具もおそらくは武器だろう。だが、誘爆する類の射撃武器は見当たらない。
スピードを主体とした、近接格闘型か。乾いた唇を舌で湿らせながら、男は一人ごちる。
同じ守護主体型同士の戦いは地味だが、精神的には重い。先に手を繰り出したほうが、ほとんど不利ともいえる戦況に立たされるからだ。故に、お互いがじりじりと詰め寄り、相手に精神的圧迫を与えようと凶暴な眼光を向けあうのだ。
牙は喉元へ突きつけられている。動くのはどちらか。
敵か、自分か。
……動いたのは――自分だった。
それに気づけたのはまさしく僥倖だった。目前の敵にばかり集中していたので周囲の警戒がおなざりになっていたが、しかしふと、不穏な音を拾ったのでとっさに盾を構えたのが吉となった。
瞬時に発生する爆音。側面より発射された爆裂弾頭によって発生した衝撃と炎。それによって機体は大きく姿勢を崩すが、それを戻そうとはせずむしろ流れるように倒れこむ。
地面すれすれ、その体勢のまま軸足で地を蹴り跳ね上がる。地面に当てたもう片方の大盾を滑らせ、側転。余りの重量に地盤に亀裂が入るが気にしない。強引な腕力で無理矢理回転に加速をつける。着地、再度の側転。
鈍重そうな機体に、これでもかと曲芸まがいの回避行動が取れたのは、機体のスペックの高さ故か、はたまた男の技量の高さか。
三度の回転が終わる瞬間、右手の盾と右足を一気に地面に突きたて、ブレーキ。同時に半身を捻りながら回転方向をそらし、側転から軸回転へと向ける。ぐるりと、ほとんど一周する。
奇妙だ。先ほどの隙は自分でもわかるほどに致命的だったというのに、あの専用機は此方への追撃を行わなかった。側転していたときはほとんど無防備といっていいのに、だ。
予測のつかない相手の行動に不安を掻き立てつつ、男はあたりを警戒する。
だが、敵はいない。影も形も。
あの、巨大な剣をもった蒼い機体は、もはやどこにもいなかった。
まるで、亡霊のように。
「総隊長、どうしましたか?」
近くの敵を掃討していた味方機が、此方を視認したのか問いかけてくる。
不穏な機体を見なかったか、そう尋ねようとも思ったが、おそらく無駄だろう。そんな予感がしていた。
きっとあれは、近いうちに俺の前に立つ。
確信にも似た予感だった。
「……総隊長? 大丈夫ですか?」
「……なんでも、ない。それより、ゲートを開けるぞ。ついて来い」
「はい、了解です、ガフ総隊長殿」
基地は僅かな被害をもって陥落した。
――不穏な亡霊の影を残して。
――続く