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 或るものが言う
     そこは理想郷であったと
 或るものは言う
     そこは修羅の世であると




「ずいぶんと、下らないものを絶賛するものだね、アドニス主任。あれが君の自慢する、出来損ないか? ずいぶんとまあ……」
 画面の向こう側で繰り広げられる戦いを目に、男は手にしたグラスを傾けながら呟いた。詰まらなそうに。
 彼は退屈していた。この平穏に、この平凡に、この平常に。ありとあらゆる平安を、彼は心底嫌悪していた。
 その手で、ぶち壊してやりたいほどに。
「ずいぶんと酷い事を言うじゃないか。あれでも苦心して作り上げたんだぜ僕は。二十四対四十八本の遺伝子の生成は至難の業だし、そもそもだ、あれは人間の遺伝子じゃないからね。一から作り上げるのは結構大変だったんだぜ? 特に七つの酵素が――」
「そういう専門的なことはどうでもいい。私は生物学者でもなければ、それ自体に興味を持っているわけではないからね。使えるか、使えないか、それだけが道具の価値のすべてだろう? では、あれは? 自慢するからどんなものかと思いきや、酷いざまでしかない。あの程度の手勢を瞬時に全滅させれないだなんて、言うほどすばらしい具合ではないようだ」
「おいおい、ちょっとは言いすぎじゃないか? "アレ"、腕の一本くらいなら一ヶ月で生えるし、心臓を自力で再生するんだぜ。さらに銃弾を肉眼で視認したりライフル弾を素手で掴み取れる。それで、何の文句があるっていうんだい?」
 からかう様に、絡むように、どこか試しているかのように、女はそういい哂う。男のような口調で、奇妙な色香を放ちながら、挑発的な声で。
 彼ら彼女らが目にしているのは一つの模擬戦。徒弟を組み、機械を駆って戦う現代の騎馬戦だ。
 陣営は互角。片や灰色の装甲の上に更なる紅い鎧を纏った新型機体"吾亦紅"が率いる陣、片や量産機としては上位に値する羅甲パワードの陣。
 傍目においては羅甲たちの群れが攻めあぐねいているようにも見える。それもそうだろう。迎え撃つ指揮者は堅将として知られる男だからだ。
 男の率いる陣営は、個人個人の戦力においては羅甲たちに劣るものの、陣繰りにおける堅さでそれを補っていた。
 それに果敢に攻め入っているのは"アレ"と呼ばれた……少女と、その妹たち。戦略知識の浅い彼女たちには、少し荷の重すぎる大将なのかもしれない。
「そのご自慢のお人形が、あの様子のようだが…? お前は私にこう言ったはずだ。決して敗北を知らぬ無敵の部隊を作り上げて見せると。その言葉は嘘だったのかね?」
 くすり、笑い声が洩れた。
「んー……まあ確かに、"アレ"はまだ未完成ですから至らないところもあるだろうね。ケド、負けることはないよ、"アレ"は。個人の武勇においてはガミジンに敵わず、潜在能力という点では、あの影狼隊の隊長クンに抜かれるかも、ね。それでいてテッシン殿には純粋な指揮能力はおろか格闘戦においても技術で劣る。…だけどね、あれは決して負けないさ。向かうところに敗北はなく、たとえ先の三方と当たろうとも勝ち抜くさ。そしてその足跡には、勝利と栄光を、ね。
 ――なぜなら……あれは悪魔の"申し子"だからさ。君と、僕の」
「"申し子"か」
「そ。あれは我々の野心を抱いて頂きを目指す、紛れもない修羅の化身さ」
 そして、その言葉の通りとなった――敗北はない、と。
 敵陣営に練度の高い三機が織り成すように隙間に滑り込み、指示をあげようとした指揮機は直後に放たれたライフルでその手を飛ばされた。
 三機が敵の後ろをつくように挟み込むと同時に、近接に手馴れた四人が挟み込む。あたかも獣が牙を閉じるかのように、挟まれた六機は瞬く間に鉄屑へと変えられていく。
 むろん、その様子をおとなしく見ているつもりはないのだが、長距離からの牽制射撃があって手出しが出来ない。
 そうして後手に後手にと回っている間に、より決定的な行動を許してしまうこととなった。
 ――機兵、突撃。
「ああなったら、如何に守りはテッシン殿に次ぐとさえ言われてるガフでも無理だね。ありゃあだめさ。少なくとも彼本来の手勢ならまだしも、一般兵じゃあねぇ……」
「やれやれ、今回はお前の賭けの勝ちだな、アドニス。いいだろう、勝ち金かわりに一つ要望をかなえてやろう」
「……では、お言葉に甘えて――」



Hainuwele #01 ティカの楽園




「攻めがゆるいな。それに展開が遅い。隙を与えてからの動きは中々だったが、まだ練度が低い。あれなら、俺は支えれる」
「勝ったのに、ずいぶんと評価が厳しいんですねマスター」
 少女は文句を告げても表情の変わらない。ただ幾分か、苦笑いのような感情が込められている気配はある。
 が、しかしガフの目にはまた違った姿にも見えた。
 ……尻尾を振っている子犬のような姿に。
 つまりは、褒めて欲しいという意味。あるいは、すこし自慢げな満足感。
 なんだ、可愛らしいところもあるものだ、そんな感想をガフは抱く。だがそこには好意など込められてはいない。彼には実験体を愛でる趣味もなければ、ふとしたきっかけで地獄の番犬にも変わる化け物への恐怖を忘れてもいない。
 所詮、どんなに見栄えが良くても、どんなに愛らしい姿をした少女であろうとも、彼女は化け物に違いない。
「褒められて伸びる子ではないだろう、お前は」
 だから、男は内心をひた隠し、冷たい言葉を翳す。
 少なくとも、冷たい言葉や視線に慣れている彼女はそんなことでは怒りはしない。
 それが判っているからこそ、臆病な彼でもあっさりと言える。
「むー…相変わらず鉄面皮ですね、マスター」
 返事を返す彼女も、どこか面白そうな、可笑しそうな、見透かしているような笑みでにこりと笑う。まるで、あなたが私をどう思っているのかは判っていますよと、暗にほめのかすように。
 彼女はころころと笑う。ガフのそばでは他の人間といるときとは違って、実に楽しそうに。
 ぶっきらぼうでも、冷たく演じていても、自分を正面から見て意見を言ってくれる。そんな所が気に入っているからこそ、彼女は心から笑えているのだろう。
 内心の感情や表面上のやり取りはともかく、この二人の相性はとてもいい。そんな彼女たちに、近寄る影。
「――その人は相変わらずのようですね、お姉さま」
 頬をかきながらガフにじゃれ付いている彼女の後ろから、つかつかと歩み寄る五人組。話しかけてきたのはその中の、一番手前にいた少女。
 その姿はどう見ても、ガフの隣にいるティカと同じ姿だった。ただし表情は同じ笑顔を描いていてもどこか不敵で、どことなく押しがつよそうだ。
 よく見れば後ろからついてくる少女たちも又同じ姿で、やはり表情や身にまとう雰囲気がどことなく異なっている。
 大人しそうな、活発そうな、ややトゲのあるような、そんな瓜二つの顔。
「あら……せっかくいいところだったのに、邪魔するなんて無粋な子ね」
「あら、お姉さま、いつからお姉さまはそういう親父趣味に傾向し始めたんですか? 余り趣味が宜しくないですよ、年の差というものを考えてくださいまし。第一、私たちはその人の事が嫌いだって事、いい加減覚えてくださいよ。人の裸を平然と視姦するような変態なんですよ、誰が好きになるもんですか」
「……相変わらず、よく喋る次女だな」
「あら、アンタが喋らなすぎでございますよ。人のお姉さまを勝手に個人指導なんかして、いやらしいにも程があります。……って、デメテアがいたら言うところでしょうね、クク」
 アトロスと呼ばれた少女はそう言い切ると、眉を器用にぴくり、ぴくり動かしながら小首をかしげて意味深に見る。
 デメテアというのは誰のことを指すのか。しかしその口ぶりでは、よほどティカに傾向しているようにも取れる。同時に、男性への不信も。
 苦笑いをしている顔、我関せずな顔を浮かべる背後の"妹"を他所に、次女と呼ばれた彼女はツカツカと"姉"の横に立つ。そして、同じように"彼"の腕にすがりつく。
 姉と違って、どこか底意地の悪い哄笑だ。
「同じ顔なのに、いっつも私だって判っちゃうんですねおぢさま。ずるいなぁ、これじゃあからかいがいが無くて、詰まんなくってしょうがないや。ホント、つまんない」
「……次女から四女による三機突撃は、合同練習を重ねる必要性がある。呼吸を合わせるだけじゃない、場面に合わせた切り替えし方を学んでおけ」
「ちぇー、おぢさま厳しいなぁ。そんなんだからもてないんだぞー」
 口を尖らせながらアトロスは一発蹴りを入れる。もちろん全力ではない。彼女が本気でそれをやれば、鋼の棒をへし折る事も容易い。
 コレは、唯の親しみを込めた悪戯。相手に"もしも全力でやられてたら……"という恐怖を植えつけてやるための、陰湿なやり口。
 だがガフは蚊ほどにも感じない。彼は普段からどんな人間にも怯えているし、それ以上にアトロスはティカに比べれば御しやすく、またその内面も内情も明らかだから。よほど他の兵士のほうが怖い、彼はそう思っている。
 何よりも、理由は不明だが自分を慕っていてくれる。それだけで、恐怖はあれど不安はない。
 だから決して、目はそむけなかった。
「他の連中は、まだ脳波観察室か?」
「うんそうだよっ! あのおかまみたいなおネーさんがね、チョーシよかったのとワルーかったのー、まとめて何かするんだってさー。ヘヘヘ」
 ガフの質問に答えたのは、それまで話しかけたくてうずうずと機会を狙っていた子だった。
 名前はパイア。彼女もまた、ティカと同じ顔をした少女。十二番目のハイヌウェレ。
「そうか」
「うん、そうなのー! えへへへへ」
 なでられた頭がくすぐったいのか、パイアは目を細めながらガフを見上げる。その表情はあどけない。
 それも、仕方のないことなのかもしれない。彼女はまだ、生まれて二年ほどしか経っていないからだ。とても二歳には見えなくても、だ。

 ハイヌウェレは、人間では、ないのだ。

「――ずいぶんと、楽しそうではないか大佐」
 よく通る声が響いた。
 それは命ずることに慣れた声。他者を従わせる王威の音。自己への自信に満ち足りた、意志の塊。
 その男は、確固とした存在感をもって立っていた。
 距離のほどは十数メートルほど。ごく普通の音調でつむがれた言葉だが、自然と滑り込むように声が届く。男は、深く深く笑みを浮かべながらガフを見る。そして、彼を取り囲む少女たちを見る。
 その視線には、ガフに向けられていたような親しみはない。
 推し量る、見定めの瞳だ。
「どうした、作法も知らぬのかね? 大した教育ぶりじゃないか大佐。敬礼はおろか敬うべき相手の顔も知らないとは、君の教育手腕には少々偏りが過ぎるようだ」
 その言葉に、ガフにしては珍しく狼狽の色を浮かべた。すぐさま膝を折り頭を垂れるも、回りの少女たちはその意味が判らずにただじっと男を見ていた。
 いや、すぐ隣にいたティカだけは、ガフに習い同じく屈している。しかしそれ以外の五人は、ただ唖然としているだけだ。
 果たして、自分たちの長女の"保護者"であり"教育者"であるガフを、冷ややかに叱責するこの男は何者か。彼女たちの頭に浮かぶものはそれだけだ。
 少女たちは何も知らない。
 まだ、何も。
 自分たちを悪夢へと突き落とす、この男の名を!
「……これだけ言っても一体だけとは、つまらないものだな」
「ねえおぢさま、先ほどから偉そうにしているこの人は一体どこのどな――」
 小声で、しかしわざと聞こえるように問いかけたアトロスの言葉を、ティカは"意思"だけで止め、より深く頭を下げる。
 ――おしゃべりしないで、大人しくしなさい。
 "意思"はそう、告げていた。
 言葉などよりも、身振りや目配せよりも早くその"意思"はアトロスの言動を縛りつける。ピタリ、まるで突如電源でも抜かれた機械のように、彼女は口をつぐんだ。
 妹が静まるのを確認し、ティカは器用に微笑みながらため息をついた。そして幾分か、二割り増しの微笑みを浮かべながら言葉をつむいだ。
「貴方がどなたかは存じませんが、数々のご無礼をどうかお許しください。私たちは知るべき事も判らない、無知なる"人でなし"に過ぎないのでございます。この度の責は、すべてこの私ティカがお受けいたします」
 言外に、自分たちは人間ではないのだから知らなくて当然だ、という揶揄を込めてティカは告げた。実際のところ、それも当然だ。情報の漏出を避ける為に半ば研究者ごと実験場に監禁されているようなものだ、外部の情報など知りはしないのだ。
 また、ティカはこの場の責任をすべて自分に被せることにした。ガフにそれを任せるには幾分彼の立場を危ぶめる事にもなるし、第一彼は姉妹全員の教育をしているわけではない。姉妹たちがガフより教えを請えるのは、基本的には今回のような合同実験でしか機会がないのだ。
 故に、弟子であり、姉妹たちを束ねる自分がすべての責を被れば、ある程度は穏便に済ませる事ができるだろう、彼女はそう考えていた。
 だので、今だ知識の乏しい頭で考え出した仰々しい言葉を吐いた。妹たちのすべての振る舞いに対する一切の責任を、自分が負うと。
 これにはガフも内心で仰天した。本来であれば自分が支えるべき存在であるティカに、逆にかばわれる形となったからだ。しかも表情はともかく、教えてもいない表現をさらさらと言ってのけている。ほんの少しばかりの恐れと、愛し子の成長を喜ぶ様な歓喜と、そして罪悪感が胸に満ちていく。
 このままでは不味い、相手は"あの御方"だ。ともすれば逃げ出してしまいたい衝動をこらえて、ガフは少女たちを庇おうと口を開いた。
 いや、開こうとした。
「そうか。ではここの研究員にはもう少し基礎的な学習もさせておくよう命じておかねばならぬな、大佐」
「……は?」
 さらりと、目の前の男がいう。ティカの暗喩をそのまま額面通りに受け取った形で。
 つまりは不問にするということ。すべての責を、この場にいない研究員に押し付けるという形で。そしてティカは、それがさも当然とばかりに相槌を打ち、もう一度深く頭を下げたのだ。
 だがそれを言うほうも言うほうだが、流すほうも流すほうだ。それ相応の立場のある相手だと知りながらも臆する事なく言ってのければ、たかが実験体の一人を責めることなく見逃すとは。もしこれが、ティカが意図して誘導した話術交渉だとすれば、すでに戦術以外の方面においては自分を凌駕し始めていることになるのだ。
 敵わないものだ。ガフは、自分の後ろにたつ妹たちを横目で見ながらそう思う。
 もしこの娘たちが全員、この長女のような判断力をも持ち合わせればどうなるのか……。果たしてそれは、恐怖か、それとも焦燥か。
「では、私も名乗ろうか。私の名はユリウス・アムステラ。このアムステラ神聖帝国の宰相を務めている」
「宰相!? なんでそんな人がこんなところにいるのさっ!」
 驚きの声をあげたのは、やはり"次女"アトロス。彼女は止められない限り言いたい言葉だけをずべらずべらと口にする、厄介な性格をしている。普段、ガフ以外にはあまり口を利かないでいるティカに比べると、その差は際立っていた。
「そんなにおかしいか、娘? 金というものは有限で、使いまわすにも限度というものがある。それが大量に必要となる実験場が、果たして何をやっているのか……それを視察するのは必要不可欠なことだろう。しかし、昨今の人造体はまつりごとにも口を挟むのか、これは愉快なことだな。いずれ私も立場を危ぶまれる事になるのだろうかね」
 からからと愉快そうに笑いながらユリウスは告げるが、瞳には暗い光が燈っている。暗く、暗く、暗く見据える。
 仄暗い視線はひとりひとりを舐めるように、じっくりとその肢体に目を這わす。彼女たちは普段の実験であれば詳細なデータ観測のために裸であることを強要されているが、今回は騎乗実験だったためにスーツを身にまとっている。
 本来であれば羞恥心をもたない彼女たちは裸を見られようとも、特に何の感慨も持たないはずだった。だが、その視線は彼女たちに不快感と、そして僅かながらの高揚を感じさせる。
 それは、不気味で、苦痛で、快楽。生をうけてまだ二年の彼女たちには、到底制御できない狼狽だ。
 やがてその視線は姉妹からガフへと移り、そしてピタリ、ティカを見据えて止まった。 そこで初めてユリウスは表情を変えた。思惑深げで酷薄そうな笑みは拭い去られ、形のいい眉は僅かな歪さを浮かべて寄せられる。そして口尻は、犬歯へ引きつられたかのように曲を描いて釣り下がる。
 それは、まぎれもない私憤。
「……知っているか? 私は他人に笑われることが大嫌いなのだよ」
 先ほどの怒りの面が嘘かのように、ユリウスはころりと笑みに変える。だが瞳は決して笑ってはいない。暗く、鈍く、どろりとした鈍い輝きが、鋭くティカの双眸を射抜いた! ふと、ぎりぎりと耳障りな音が始まる。音の発生源は、ユリウスの足元。
 その音は、地についたティカの右手の甲を踏みにじる、靴裏が立てた音。
「痛くはないのか? いつまでその、馬鹿げた笑みを貼り付かせているつもりかね。やせ我慢というものは体によくないものだ、私はそう思うが」
 しかしティカは、微笑む事をやめない。"仮面"は決して、剥がれ落ちない。
 彼女はとても忍耐強い。痛みをやり過ごす事も、振り払いながら文句を言う事もしない。ただだまって、微笑み続ける。
 だが彼女の妹たちはどうか。それぞれ怒りや憎しみを込めた瞳でユリウスを凝視している。今すぐにでも、殴りかかりそうなそんな顔だ。
 だが彼女たちはそれを行動に移さない。とめられているからだ。ガフと、ティカの"意思"に。
「お前は愚かなのか、それとも痛覚がないのだろうかね。私を見て笑ったことを許してもいい、そう言っているのだが?」
「……痛い、ですよ。ただ、私はツクリモノですから、こういうのは慣れてますし頑丈に育っていますから。それにしても、ずいぶんご立腹ですね。別に私は、あなた様をあざ笑っているわけでは――」
 ビクン、肩が弾んだ。表情だけは決して変わらないが、体が震えている。
 彼女の口を止めたのは、一振りの剣。ユリウスは、腰に帯びた儀礼用の剣をすばやく抜いて、足をどけるや否やティカの手へと突き刺したのだ。
 ずぶり、ずぶりと肉にしては強すぎる抵抗を手に感じる。それは、人外である彼女の肉体による抵抗。
 だが、それをものともせずに彼はさらに突きこんだ!
「ッ!!」
 指がひくひくと地にリズムを刻む。全身が、痛みをこらえるかのように僅かな痙攣を始める。たかが数センチの手の平、それを時間をかけてゆっくりと、ゆっくりと刃が体へ侵入していく。
 だが決して、"笑み"は崩れない。
「何故、そこまで我慢を続ける? そんなに私が滑稽かな?」
 目を細め、ユリウスは推し量るように尋ねる。ほんの僅かな表情の変化も見逃さないように、ほんの僅かな嘘も見逃さないように。

「……私に"ティカ(幸福)"という名前を与えてくれた人が言っていました。幸せが、微笑が、人を楽園へと導くと。幸せの国へとつれていってくれる、と」
「……ふたをあけてみればそんな下らない理由か、とてもつまらない自己愛と妄想でしかないとはね。そんな夢物語を信じるとは、どうやらお前は欠陥品のようだ」
「いいえ、そうではありません、宰相様」
 ゆっくりと首を横に振りながら、ティカは柔和な表情を浮かべる。
 ユリウスの眉間の皺が増えるも、それを意ともせずに笑う、笑う、笑う。それが気に食わないユリウスは、手にした剣をひねり、傷口を押し広げた。
 突き立てられた剣はすでに掌を貫いて、乱暴に押し広げている。こぼれ出る血は破瓜のそれにも似て、ゆっくりと地に広がっていく。
 ゆっくりと、ゆっくりと。ティカは傷口に左手を這わせ、指先で血に触れる。
 それはとても紅かった。
「微笑みとは、それを見てくれる誰かを幸せにするということ。誰かを楽しませるという事。幸せや楽しみは、楽園へとつながる道しるべだ、そう、言われたんです。だから私は、私を見てくれる誰かのために微笑みをやめる事はありません。私が生まれた理由は、誰かを楽しませ、幸せにするためです。……私には、他になにもできることがないんです。誰かの力になってあげることも、誰かを助けてあげる事も、ろくにできさえしない不出来な道具にすぎないのです。だから、私は微笑むのです。誰かを、安らぎと幸せの楽園へ、導いてあげるために」
 願うような、、夢見るような、透き通る声だった。
 もちろん彼女はそんな事を信じてはいない。それは、眉尻の下がった苦笑のような"仮面"を見れば一目瞭然。だが彼女は、さらさらと絵空事のような願いを言ってのけた。
 あるいは半分は本心なのかもしれない。寄る辺のない造りものの彼女が思いすがれるものは、そんな幻想にしかなかったのかもしれない。
 作られたばかりの彼女には、人間ではない彼女には、本当に何ももってはいないし何もできないから。
 やっぱり、おかしいですよね。彼女は小声でそう言うと、ちょっぴり舌を出して見せた。それは、ほんの少しだけ"仮面"を外して見せた、照れ隠しだったのかもしれない。
「砂糖菓子に蜂蜜でもかけたような、とても甘ったるい幻想だな。以外にも少女趣味があるとは、案外ツクリモノの生き物も面白いものだ」
 そんな彼女の独白を、ユリウスは一言で切り捨てた。
 だがその表情は、先ほどとは違って幾分緩い。いやむしろ……愉悦、だろうか。
「そうだ、お前は面白い生き物だ。気に入った。幸せの国といったな、ならば、お前は私をそこへと導いてみせよ。千の戦場と万の廃墟を又にかけ、私の楽園を築いてみせるのだ!」
 剣を引き抜き身を屈め、彼は彼女の傷ついた手へ触れる。妖しく輝いていたあの双眸が、いまや爛々と輝いている。
 まるで、太陽の光をうけた月のように。
 まるで、砂漠のなかで輝く湖のように。
 自らの退屈を終わらせる存在を見つけた彼は、野心もあらわに彼女をその目にする!
「数々の敵兵を殺し、その死骸を踏みしめながらも微笑み続けられるか? 命乞いをする少年たちを前に、お前は微笑みながら引き金を引けるか? どのような死地においても、お前は悲観も恐怖も浮かべずに微笑み続けられるか?」
「……それが、貴方の望みなら」
「そうか、ならばお前はもう私のものだ。お前の神であるこの私を楽しませる神楽の儀をとるがいい。……大佐、この娘に戦渦というものを教育してやるがよい。確か我が帝国の属星のひとつがきな臭い動きをしていたはず。お前たちはそこへ向かい、我が神聖なる帝国に歯向かう愚か者どもを粛清してくるがよい」
「宰相殿、それは即急にすぎるかと! それにこの者たちはまだ実験段階で――」
「黙るがよい、お前の意見などこの私は聞いてはいない。他でもないこの私、この帝国の宰相であるユリウス・アムステラ当人が、お前たちに命じている。それを実行するのがお前の任務……軍人というものではないのかね、ウルリッヒ・ガフ大佐。いや――ウルリッヒ・フォン・ベック元子爵。言いたい事があれば言うがよい、"聴くだけなら"私はしてあげよう」
 もちろん、何も言なかった。ただ、ぎりぎりと歯を食いしばりながら発言をこらえ、握り締めたその拳を地につけ平伏する。
 彼には、それしかできなかった。
「それが答えだね、大佐。ではすぐに準備にかかるのだ。……ティカ、といったか。ティカ……幸運という名か。覚えておこう。お前の朗報、楽しみにしている」


 姉妹たちは、何も判らず戸惑う事しかできなかった。
 姉妹たちは、何も言えず命に従うしかできなかった。

 ――十日後、彼女たちはその実験場を去った。


続く