生き残りたくば
       敵を喰らえ


それが汝、修羅の定め





彼女が最初に学んだ事、それは銃で撃たれれば血が流れ、痛みを感じるということだった。
 二つめに学んだ事は、どうあがいてもその苦痛からは逃れられないという認識だった。
 そして三つめに学んだ事は、更なる痛みを与えられる前に、目前の"敵"を倒してしまえばいい。
 そんな、単純な殺意の衝動だった。


「聞こえるか、ティカ。……感覚系第十七回目のテストを始める。種別は前回と同じ、目前敵の攻撃回避だ。方法は何でもかまわん、学んだ事を生かせ。……以上だ」
 低く重厚なバスバリトンが耳朶を打つ。ただしそれは肉声ではなく、通信機を介して発せられた電子的なひずみを持つ音。もっとも彼女がその気になりさえすれば、壁向こうにいる上官の声を聞き取る事も可能なので、あまり機械の意味は無いとも言える。
 彼女……ティカと呼ばれた少女は、閉じた両目を薄く見開きながら一歩、また一歩、悠々と進む。あたかも、歩きなれた庭園でも散歩するかのように。
 だが目前はそのような淡い色合いの似合う景色ではない。むしろその真逆だ。
 彼女を取り囲むかのように八人の男が周囲に立ちはだかっている。その手に握るのは一本のナイフと拳銃だ。込められているのは空砲でもなければゴム弾でもない、人一人殺傷するには十分な威力をもつ鋼の弾丸。
 まさしく剣呑。だが彼女は歩みを止めることなく進む、進む、進む。己の無事を確信しているかのように、前へと進む。その顔に浮かべられているのは一輪の微笑み。決して崩れる事のない、不気味だが魅力的な――"仮面"。
 ぴたり。足が止まった。丁度八人の中央のあたりで彼女は、再び目を閉じぶらりと手を広げた。
 彼女には何もなかった。武器はおろか装飾品も、身を守る服も、恥部を覆い隠す布すらも。
 唯一つ、笑顔という名の"仮面"を貼り付けたまま、にこり、哂った。
「始めろ」
 響き渡る銃声、襲い来る男たち。彼女はただ動かずじっと、"仮面"の向こうから見続けていた。


 "仮面"は剥がれ落ちない。このときは、まだ。



Hainuwele -楽園への行進曲-



――目に頼らず他の感覚も使え。肌に受ける抵抗だけで、お前は一面を把握できるはずだ。殺意を身に受け、行動を示せ。


「やれ、やれ。8人がかりの近接射撃じゃあもう訓練にもなりゃあしないなぁ。優秀な素体がいてくれて嬉しい限りだが、これじゃあ気張り甲斐がないねぇ」
 口ぶりとは違って生き生きとした声が、ぽつりと洩れ落ちた。女の声でありながらも男のような口調で、どこか倒錯的な色香を纏いながら。
 彼……いや彼女の視線の先にあるのは、どこか不可思議な光景だ。壁一つ向こうで繰り広げられているそれは、人外なる有様だ。
 両目を閉じた裸の少女が、鋭く、あるいは細やかに動き回り、さまざまな方向から飛び交う銃弾を避けていた。
 最小限の動きから大雑把な動作で、あたかも緩急をつけるかのように跳び、駆け、屈む。それは最適とはとても言いがたい出来だが、しかし不思議と掠りもしない。
「それにしても、何で人間に撃たせているのかな? こんな実験、適当に自動砲台でも設置しておけばいいじゃないか。それをワザワザ、戦闘員をかき集めて行うだなんて」
「……機械には、殺意がない。それだけのことだ」
「非科学的なご意見をどうも。聞いた僕が馬鹿だったよ」
 たわ言とも本気ともつかないやり取りを交わしながら、しかし二人の男女は視線を少女から剥がさない。
 もちろんいやらしい意味ではない。実験体を、観察するものの目だ。
 おおっ……。
 その感嘆とした声は、果たしてどちらが上げた声か。
 目前で丁度、彼女がナイフを払った隙を狙って打ち込まれた弾丸が、瞬時に翻った左手の指に宙で掴み取られていた。
 それはもはや人間業ではない。まさしく魔性の技だった。
 そもそも見た目からして異様だったのだ。裸体を晒しながらも恥じることなく、銃を手にした男たちを前に怯えることなく、毛先を焦がすように飛び交う銃弾に竦むことなく、彼女はただ一心不乱に踊り狂っていたのだ。
「……段階を三つ繰り上げる。スケジュールを組め、アドニス」
 必殺の一撃を留められ心を折られた男たちは、うなだれ攻撃の手をやめてしまった。
 それを視つつ、男は言った。
「あいさ、ガフ。それじゃあ、お嬢様によろしく」
 少女を迎えに行く男の背に、女は言葉を投げかけた。


「調子はどうだ」
「至って問題ないですよ。ちょっとつまんだ指が痺れたけど、どうってこともないです。今日は一発も当たってないですから、全然平気、かな?」
「……」
 それは、見知らぬ人が聞けば耳を疑う言葉だろう。銃弾を素手でつかみとって無事でいられるものなどいない。そもそも、超高速でせまりくるそれを捕らえる事すら人間には不可能だ。
 しかし彼女は笑顔一つ歪めることなくやってのけた。
 彼女に銃を向けていた男たちが、恐怖と嫌悪のまなざしで見つめるのも無理からぬ事だった。
 それは、彼女にとっては普段どおりの光景だ。彼女に向けられた視線は恐怖こそあれ、それ以外……たとえば色欲とか、そういった感情が込められている事はほとんどない。大体の人間は、出会って一分ほどで彼女の異常性を察知できるからだ。
 曰く、決して内心を語らず、決して感情を露にせず、決して笑みを崩さない。
 こんな生き物が、人間であるはずがないのだ。
「……今日はもう、休め。次回は一度実験機に乗せてみる。それの結果如何によって、お前の調律が変わる」
「つまり、よく休んで体調を整えておけ、という事ですよね? 久々に、ゆっくり休めれます?」
「……」
 人外の生き物と、平然と話している男がいる。口調はぶっきらぼうで、低く渋い声。高圧的でもなければ攻撃的でもない、しかし聞くものには一種の畏怖を与える声色。
 そんな彼のことも、周囲は遠巻きにちらりちらりと盗み見ている。何せ化け物と対等以上に話すやつだ、まともな人間のはずがない。そういった考えがありありと見て取れる。
 彼らは知らないのだ。平静にしか見て取れない彼の"仮面"の向こう側にある恐怖を。
「……むぅー、返事がないってことは基礎鍛錬とかまで休ませてくれるって訳じゃあないんですね」
 ニコニコとしながら不満を上げる少女に、彼は今すぐにでも逃げ出したい衝動を抑えて頷いた。
 内心を押し隠した黒人の偉丈夫と、笑顔以外を表にしない小さな裸の少女。
 不似釣りあいな二人組だが、同じ"仮面"を持つもの同士、中々どうして息は合っている様だ。
 男の無言の返事ににこり、僅かばかり口尻を吊り上げて、少女はその手を取って歩き出した。


 少女の名前はティカ。ハイヌウェレと呼ばれる人工生命体として生まれ、自分のほかに"23人"存在する姉妹を統率する怪かしの支配者。決して微笑みを絶やさない、嘘笑いの女。
 男の名前はウルリッヒ・ガフ。貴族として生まれるも家督を奪われた存在。堅将としての武勇を内外に知られながらも、その心の底に秘めた感情を理解されない孤独の男。
 この物語は、二人が野望の渦中に巻き込まれ、そして堕ちてゆく物語だ。

 そして、楽園を求める少女の、叫び声に他ならない。


続く