第三章
セルス・イウサールがその少女に抱いた第一印象は、「不思議な子だな」であった。
だが結局、それは第一印象だけに留まらなかった。
第二、第三……そして、本質的な印象が、不思議な娘。
メドゥーシア・アージェントは、そういう少女だった。
「えー、んじゃちっと質問に答えてもらいたいんだけど」
プラスチックのボードを持ったセルスは、少女に声をかけた。
彼女が顎を揺らすビンタを積極的に放ってきたのは十五分ほど前のことで、今は落ち着いているように見える。
もっとも、落ち着かせたのはセルスの功労かもしれない。
少女は、日陰の座りやすい岩場で、ギンギンに冷えたレモネードを啜っているというVIP待遇にあった。
「……ん」
多少の警戒心と、レモネードを味わう喜びを瞳の中に混じらせ、見上げてくる。
「一応俺軍人だから、不審な機体とパイロットは調べないといけないんで」
「不審?」
少し不満気味な声をあげ、少女は自分の青い機体を見る。この子の何が不審なのか、と言いたげである。
しかし実際問題として激しく不審であった。
何しろ、機体を隠す前に見つかったため、彼女が『家出のエース』から学んできた偽装工作は一切為されていない。
セルスが、撃麗を資料の上ででも知っていれば、いきなりアウトであったろう。
だが、幸運にもそれはなかった。
セルスの知識は何故か羅甲に偏っており、アムステラの特機については素人レベルしか知らなかったのである。
撃麗は他のアムステラの特機とは異なる製造過程を経ており、マテリアルオーブが付いていないことも有利に働いた。
「んじゃ、まず……どこの国の所属?」
敵である、という要素を自分で勝手に排除して、定型的な質問を投げかける。
「ア……」
脊髄反射で「アムステラ」と答えようとした少女が硬直する。
「ア?」
灼熱の砂漠で、冷や汗がたらり。ようやく、自分がいかに危険な橋を渡っているか理解できたらしい。
「……ア……ええと、ア……」
しかし、言ってしまった一文字を取り消す気はないようで、何とか続きを律儀に考える。
ふと、基地を出る直前に誰かから聞いた国名が浮かぶ。頭文字は図らずもアであり、躊躇いなく口に出す。
「……アスパラ王国っ!」
「何だその王国!?」
口に出した少女のあまりの『やってしまった顔』があってもなお、嘘に聞こえない言霊であった。
嘘ならもう少しまともな国名があろう。
国名が恥ずかしいから言い淀んだのか、と柄にもなく同情してしまうセルス。
「……特産品は、アスパラガス」
「何となくわかる」
嘘を誤魔化すために、嘘は増えていく。
とりあえず、アジアの新興国ということで話は強引にまとまる。
「次、名前」
「メドゥーシア・ア……」
脊髄反射で「アージェント」と答えようとした少女が再び硬直する。
メドゥーシアの名は友軍でも知らない者が多いが、『アージェント三姉妹』なら地球にも知られていてもおかしくない。
「……アスパラ」
「またアスパラか!?」
メドゥーシア・アスパラ(偽名)爆誕の瞬間であった。
「ええと……姓が国の名前と同じってことは……王族だったりするのか?」
変な名前だ、とか無粋なことは言わず疑問を投げかける。
「……う、うん」
「ふぅん……お姫様、なのか……」
不思議な空気が、二人の間を流れる。
少女は何かを思い出すように地面を見つめ、少年は神妙な顔をして天を仰ぐ。
「……もうすぐ日暮れだ。こうしてる場合じゃないな……ええと……メドゥーシア……姫?」
呼び方を迷うような声に、少し申し訳なさそうな声が返る。
「……姫はいいよ。あと、私の名前呼びにくいから……好きに略して」
「メドゥーシア……シアでいい?」
「……っ!!」
想定もしなかった愛称のようで、ぼふっ、と顔が真っ赤になる。
「……メディで」
「え?」
「メディって呼んで。お姉ちゃん達もそう呼ぶし……」
「りょーかい。じゃあメディ、街に案内するから機体に乗ってくれ。ええと……」
「……撃麗」
さすがに、愛機の名前を偽ることはせず、正直に告げる。
その名にも心当たりはなく、というかアスパラ関係がようやく出てこなかったことに安心して、セルスは頷く。
「ゲキレイな。見たとこ、普通に走れるよな? 今出たら、日没前には街に着くから。」
「で、でも、私用事があって……」
「つっても、夜の砂漠はヤバイって。凍死しちまうし、第一捜索になんないだろ」
「捜索って……」
「伝説のカード。だろ?」
「!?」
先ほどまでの質問事項に、メディがここへ来た目的は入っていなかった。
しかしセルスは、彼女が自分と同じ物を捜していると確信していた。
そう思った理由は、まったく分からなかったが……
「目的が同じなら、しばらく組もうぜ、メディ!」
アルメイサムのコクピットへ駆け上るその足取りは、いつもよりさらに軽やかだった。
※※※
メドゥーシア・アージェントがその少年に抱いた第一印象は、「失礼な男の子」であった。
これは、出会い方に問題があったため、まあ仕方がないと言えよう。
その後の印象は、目まぐるしく変化していく。
頼りになると思ったり、間違っていると思ったり……無理やり一言で言うと、何故かとっても気になる。
セルス・イウサールは、そんな少年だった。
「一投入魂、バンブゥゥゥゥゥ、ストライク!!!」
「……うわぁぁぁっ!?」
「これで、32勝31敗2分けで俺の勝ち越しだな!」
「……違うよ、私の32勝32敗1分け、ラシャお母さんの晩御飯中断1回で、まだ五分だよ」
「まあ、あれはほぼメディの勝ちだったけど、根に持ってんなぁ……」
「ねぇねぇ、おわったおわった?」
激しい戦い(カードゲーム内)が終わり、甘えるのを自重していたセルスの弟妹達が二人に飛びかかってくる。
4歳になる女の子の双子が、メディの肩によじ登り、ポニーテールを引っ張る。
「そのバンブーストライク……非効率的だよ、グリーンをほとんど捨ててるじゃない」
「まあ、それがこいつの見せ場だからなぁ。あと、メディが多分予測できないだろうと思って」
言いながら、8歳の弟のガトリングパンチを片手で全てキャッチしているセルス。
「……! それなら、次はそこまで読みきる……」
「うーん」
「何?」
勝者の困ったような顔を見て、メディは目をちょっと吊り上げる。
「無理じゃね?」
「!!」
「確かに、相手のカードや戦略読むことは大事だけどさ。全部読めるわけないだろ? それに、読み過ぎて失敗ってこともあるぜ?」
「…………」
当たり前のことを、当たり前の口調で言われている……それだけに、心に深く突き刺さる。
今、自分が抱えている問題点が、露わにされているようで、たまらなく恥ずかしい。
この少年に全部相談し、アドバイスをもらったら、もしかしたら自分の問題は全て解決してしまうのかもしれない。
本気で信じているわけじゃないけれど、願いを叶えてくれるカードなんてものを探すより、手っ取り早いのは間違いない。
でも……
「さ、そろそろ行こうぜ。まだ暑さがマシなうちに捜索しないと」
「……うん」
出会ってから二日、帰る勇気もないままに、メディはセルスの家、イウサール家に居候してしまっている。
捜索していない時間はいつも家でセルスとカードゲームをしていて、いつの間にか家族とも仲良くなってしまった。
どう考えても、非効率的で無駄な……でも、何故か終わらせたくない、時間。
そんな不思議な時間の中に、メディはいた。
※※※
セルスとメディの伝説のカード捜索大作戦は、二人の特徴を反映して、大胆かつ繊細なものであった。
目的の地区まで行くと、撃麗が高度なセンサー類を駆使してあらゆる情報を収集する。
アルメイサムはというと、地形の悪いところで撃麗を支えたり、コードで撃麗に電力を供給したりと、完全にサポートを担当している。
この電力供給は、家出中、単独でのエネルギー補給ができない撃麗のためにメディが考えた苦肉の策である。
電子兵装機器だけとはいえ、地球の電力で動くように改造してしまうあたり、天才少女の本領発揮と言えよう。
センサーを稼働させている時間は、パイロット(特にセルス)にするべきことはさほどない。
そんな時間は、二人はずっと会話していた。
「つまり、この伝説のカードに俺達が惹かれるのは、機動兵器乗りってことが関係してる、ってことか?」
「……うん。こんなバカみたいな伝説だけど、操へ……機動兵器のパイロットが大真面目に探しにきている記録を、いくつか見つけた」
「そういや、俺も一人会ったことがあるなあ。その人は一人で探すって俺と組むの断ったあげく、結局、俺何してたんだろって白けた顔して帰ったけど」
「……この伝説には、なにか秘密がある……と、思う」
かたかたかた、とメディの指が動き始めた。電磁波などを計測したデータを分析しているのだ。
「何か出たか?」
「う、うーん……何かある気もするけど、やっぱり、よくわかんない……」
「ま、そろそろ時間だし、続きは明日にして、今日は帰るか」
「うん」
一日の捜索が終了すると、二人と二機は連れ立って街に戻る。
初日は驚いていた街の人々も、今は笑って迎えてくれる。
同じ時間に通る車などには、見憶えのあるものもある。大半は街に戻ってくる車だが、一台だけ……
「……ねぇ、セルス」
「ん?」
「あの車……」
「あのツギハギだらけのジープがどうかしたか?」
「毎日、見るよね。夜になるのに、砂漠に出て行ってる」
「見たとこ、でっかい筒積んでるから、望遠鏡での天体観測とかじゃねえの?」
「……そっか」
「早く行こうぜ、母さんのシチューが待ってる」
その声に、メディは視線をジープから街に戻す。
……その瞬間、ジープに乗っている人が、こちらを見ている気がしたが……
すでに心の中はシチューで一杯で、それ以上考えはしなかった。
※※※
「しっかし、忌々しいほど仲がいいわね、あの二機。」
「あの青ヒョロ、悪名高きステラ隊なんだろ? どうせ小汚い潜入任務だろ!」
「いひっ、そうでしょう、そうあるべきでしょう……」
セルスが『ツギハギだらけ』と称したジープには、三人が乗っていた。
後ろで悠々と座っている、茶色の長髪を持つ女性。
助手席で苛立たしげに腕を組んでいる、スキンヘッドの巨漢。
そして、運転している神経質そうな眼鏡の青年。
「あの女の部下……というか妹だったかしら? だからそうでしょうね、どうせ。でも、当面の目的は私達と一緒みたいよ?」
「探し方はズレてるがな」
「仕方がありませぇん、彼らは我々のように、ボスの完璧な指令を受けてないわけですからぁ」
「俺達に顔も見せないボス様だがな! ええぃ、ムカつくぜ」
巨漢が、カーナビに見えるモニターを操作すると、顔の見えないシルエットが映し出される。どうやら、録画画像のようだ。
「いいか、ジューネ、ボーグ、クリック」
合成音声が、三人の部下の名前を呼ぶ。
「言うとおりにすれば、必ずあれが我々『セルキス』の手に入る……今までで最高の宝が……」
宇宙に散らばるオーパーツロボを収集、または強奪する組織『セルキス』。
活動はすべてここにいる三人が行っており、ボスは命令と報酬を送り付けるだけで、三人と直接会ったこともない。
それでもこの組織が成り立つのは、ボスの指示が、常に異様なほど的確であるからに他ならない。
「まったく、そうじゃないと困るよ。ったくアムステラに取り入るのにも随分かかったってのに、今度は天体観測! 儲けが全然見えてこなくてやだわ、ホント」
「さっさとそのお宝と戦わせろっての! ってなあ」
茶髪の女性、ジューネが溜息を付き、スキンヘッドの巨漢、ボーグが息まく。
だが、眼鏡の青年、クリックは一人違うことを呟いていた。
「いひっ、今日も発見できますかねぇ……生きのいいのが」
「いい加減にしやがれ! お前が修理フェチだってのは知ってるが、砂漠に転がってるスクラップ操兵を修理すんのはやめろ!」
「いひっ」
怒鳴られても、その笑みは崩れない。引きつるような含み笑いが、日の沈んだ砂漠に染み透る。
「まだまだ使えるのにねぇ……」
※※※
翌日の捜索中、メディは考え事をしているようであまり話さなかった。
セルスも、あえて話題を振ろうとはせず、淡々と作業が進んでいく。
そろそろ今日も終わりかという所で、データ解析を終えたメディが久しぶりに口を開く。
「……やっぱり、この電磁波は変。自然じゃない。」
「それが唯一の手がかりかあ。でも、発生源が分からないんだろ?」
「うん、それはまだ……」
これだけ調べても発生源が分からない。それは、意図的に隠匿されている可能性を示唆していた。
「とりあえず、この数日のデータの変化を分析してみたよ」
アルメイサムのコクピットのモニターに、撃麗からデータが送られてくる。
論文かと見紛うほど複雑な調査記録の末尾に、見やすく作られたグラフがあった。迷わず、そちらだけ見ることにする。
「一昨日より昨日、昨日より今日の方が電磁波が強い。かな?」
「日ごとの変化もあるんだけど、……時間も。特に夕方ほど強くなってる」
「その声は、夜まで続けたいって声だな」
「……うん」
今まで、毎日の捜索は夕方で切り上げていた。だが手がかりがその後の時間にあるなら、延長しないわけにはいかない。
「ま、アルメイサムの電力は何とかなる。もうすぐ満月で明るい夜だし、いけるかなー」
「……月」
言われて、メディは空を見上げる。
セルスの言うとおり、ほぼ球形にまで満ちた月が、暮れなずむ砂漠の空に浮かんでいる。
「データの変化……もしかしたら、月齢……」
「ど、どうした!」
「……ちょっと黙ってて」
その『ちょっと』は全然ちょっとではなかったが、仕方ないのでセルスはおとなしく待っていた。
猛然と、キーボードを叩き始めるメディ。
ここ数日のデータだけではなく、セルスにもらった、長期間の気象データまで、高速で解析していく。
「……ここ数日で日に日に強くなってるってことは、満月に近づくほど強くなってる、とも言える。それに、くもりより、晴れ。月がよく見える日、時間帯に強い」
「それって、まるで」
「うん。月の観測でもしてるみたい、だね。この電磁波を出している何かが」
「観測……」
「…………あ、でたっ!」
「えええっ!?」
セルスの反射神経が無ければ、事故になっていたかもしれない。
データの解析が終わり、電磁波の発生場所が特定できた瞬間、撃麗が全速力で走りだしたのだ。……アルメイサムとコードで繋がれたまま。
「ちょ、ちょい待てっ!」
ぶつからず、コードが引きちぎれない絶妙な距離でしばらく追って、走りながら丁寧にコードを外す。
その後も、何度も転びそうになる撃麗をフォローしながら、ひたすら走る。
そして、二人と二機は、その場所に到着した。見覚えがある場所に。
「ここ、なのか!?」
「……うん。私とセルスが、最初に会った岩場」
「すげえ、偶然……それとも最初から、何かに呼ばれてたってことか……?」
「……」
それには答えず、メディは撃麗の片膝をつき、起動停止させる。
この数日の練習で、自分で降りられるようになったメディは、アルメイサムの停止を待たず、砂上に降り立つ。
「待てっ、待てって!」
迷い無き足取りで歩む少女を、セルスは俊足でやっと追いつく。
二人は、入り組んだ岩場の影の、人一人通るのがやっとという穴の前にいた。
何の躊躇いも見せず、メディは洞穴に入っていき、セルスはまた慌てて追う。
まるで人が通る為に作られた通廊のような穴を。
……緩やかな下り道を、10分ほど進んだだろうか?
そこには、大空洞と呼んでいい場所があった。
しかし、二人を驚愕させたのは、その広さではなかった。
「メディっ!」
セルスが、メディを『それ』から庇うように前に出る。
同時に、『それ』はレンズの目をセルスの方に向け、こう呟いた。
「該当要素……確認、55%。下方修正」
「な、何だ!?」
「カスタま……ズモードで起動致しマす」
その頭部は獣……百獣の王、獅子の面。
元は、全面を装甲で包まれていたと思われる無骨な胴体は、わずかな動きでも全てが流動する、精密な人工筋肉が露出している。
大空洞でも立った状態では収まらないその巨体は片膝をついた状態であり、まるで誰かに忠誠を誓うような佇まい。
「ようこそ……本日のプログラむを、起動しマすか?」
そして、獅子面から紡がれる音声は……驚くほど、穏やかだった。
続く