第二章


 砂だけで構成された地平線に、一筋の光が射す。

 その光は、永遠に続くかと思われた、冷たい砂漠の夜に終わりを告げる。
 朝が、来たのだ。

 今上ってきた太陽はいずれ天の中空に座し、人を焼き殺さんばかりの熱線を放つことになる。
 夜の次は昼が、永遠に続くように思われる。

 それが、砂漠の無常なる時間の流れである。

 A・K・ハワードは、そのような砂漠の理にはできるだけ目を向けないように生活してきた。
 空調の効いた基地の奥に閉じこもることが許される立場であったし、機器で観測できるものに興味を示す必要などないと思っていたからである。

 ハワードが基地のデッキで、外を眺めながらモーニングコーヒーを飲むようになったことに関して、基地内では、彼が慣れてきたのだと理解されている。
 しかし、彼の自己分析は少し違う。
 自分の目で見たもの、自分の心で感じたもの。
 そういったものに確かな価値を見出すように自分が変化したのだ、と考えている。

 音を立てずにコーヒーを喉に流し込む。しかし顔はほとんど動かさず、相変わらず外さないサングラスの中の眼光は、静かに砂漠の自然を見通している。
 その視線が、ふいにぶれた。

「む?」

 訝しげに眉をひそめ、改めて確認する。
 夜明けの太陽を背負って、何かが接近してきていた。
 豆粒ほどの大きさに見えるようになって、ハワードはそれが数機の機動兵器であることを把握した。警報が鳴らないことから見ても、敵ではない。
 イスラエル開発の『ヴァーチャー』に似た形状、落ち着いたデザートピンクの塗装。
 それは、ここサウジアラビアとは紅海を挟んだ隣国、エジプトの機動兵器『アルヘナ』であった。
 背中に巨大なコンテナを積んだ、世界でも類を見ない、輸送用機動兵器と呼ばれる機体である。

「物資の輸送か……御苦労なことだ」

 ハワードのその呟きに嫌味の色はない。
 機動兵器による輸送があまりにも非効率的であることは周知の事実であり、アルヘナを開発したエジプトは、世界で嘲笑の的になっている。
 しかし、アフリカにおける対アムステラ戦争の戦況を考慮すると、その開発理由は理解できた。
 
 アフリカ大陸は、一概には言えないが、南方の一部の地域を除いてアムステラの勢力が非常に強い場所である。
 エジプトにおいても制空権はほぼ完全に掌握され、ただでさえ過酷な環境において、ライフラインの確保にも難儀していた。
 特にアルヘナが開発された年は、折しも数十年に一度の規模のナイル川の大氾濫の年であった。
 救援物資や医薬品の輸送が急務とされ、しかもそれは『アムステラの機動兵器に対抗しうる輸送手段』によってなされる必要があった。
 アルヘナが、『ラクダ』と揶揄されながらもその背にコンテナを背負ったのは、ある程度やむなきことだったのである。

 もっとも、ハワードも参加したスエズ運河攻防戦以来、近隣の戦況は若干上向いた。  
 エジプトもいくらか制空権を取り返しているはずで、その後もアルヘナを運用し続けていることには若干疑問を覚える。
 
 隣国の情勢にあまり気をはらってこなかったことを反省しつつ、近づいてくるアルヘナ数機の動きを観察する。
 機体の足裏には車輪駆動の為のローラーがついており、足の背面側から降ろした補助輪のような機構も相まって、重い貨物を背負っているにしては動きがかなり安定している。
 何より、迷いを感じない。
 機体の設計にも、パイロットの操縦にも、非効率的なことを仕方なくやっている、という印象をまったく受けない。
 理論的に不自然なはずのその機体に、ハワードは一種の機能美を感じていた。

「上のコンテナで目立たないが……背面には、その下にも何か背負っているな。あれは……バッテリーパックか?」

 数多の機体を見てきた勘で、その機体の『本当の強さ』を見極めようと試みる。
 しかし、真理に近づきかけたところで、その思考は中断させられる。その原因は他ならぬ、アルヘナの一機の動きだった。


 ローラーと補助輪を使った駆動を中止し、砂漠の上を走ってくる。しかも、全速力で。
 砂に足を取られることもなく、コンテナの重さに揺さぶられることもなく。いや……

「何も背負わずに、平地を走るヴァーチャーより速いぐらいだぞ……! あのアルヘナ……いや」

 その機体をアルヘナと呼ぶべきでないことに、ハワードはようやく気がついた。部下に、名称を聞いていたのだ。

「アルヘナの改造機……『アルメイサム』か。なかなか面白そうな機体……それに、パイロットだな」

 そのパイロットについては、「私のもう一人の弟分なんですよ!」という、意味もなく偉そうな笑顔の報告しか聞いていない。
 一度、顔を見るのもいいだろうと思い、コーヒーカップを皿の上に戻す。
 瞬間、その動作を待っていたかのように、涼しげな声が響く。

「主任、本国より通信です」

「レムか。わかった」

 残念そうな様子など微塵も見せず、『プレゼンター』の男は席を立つ。
 そして、闇に吸いこまれるように静かに、基地の奥に消えていった。 


※※※


 基地の奥の暗い一室。
 光と呼べるものは、通信機器の電源の放つ赤色のみ。

 機器から流れ出るのは、くぐもった男の声。
 プレゼンターの幹部からの、通信だった。 

 …………。


「――ミスターA・K……『セルキス』という組織を知っているかね?」

「敵対組織の資料で見たことがある……相当小規模な組織だったはずだ」

 横では、秘書がキーボードを打つ音。
 二秒もかからず、目の前のプロジェクターに資料が映る。

 表立った構成員はわずか三名。未開の星で時折発見される、オーバーテクノロジーを持った機体を執拗に収集する組織である、と。
 ざっと目を通し、聞こえてくる通信に耳を傾ける。

「奴らは、我々プレゼンターと敵対しながらも生き延び、少しずつ装備を整えつつある。……そして現在は、アムステラの傭兵として活動している」

「何?」

 予想外の情報に、思いがけなく驚きの声が漏れてしまう。 

「奴らは、何度もアムステラから技術を掠め取っていたはずだが」

「そうだ。しかし、奴らはアムステラにうまく取り行った。紹介したのは“毒針”と聞く」

 その二つ名を口に出した瞬間、通信機の向こうから溜息が聞こえる。
 ハワードも溜息で答えざるを得なかった。“毒針”アクートとは、そういう力を持った名前であった。  

「使うコネクションを間違ったとしか言いようがないな」

「しかし、上層部からの評判はいい。皆がやりたがらない任務……例えば、月面基地での長期駐留なども自ら志願している。誰も相手をしたがらない、暴れ“竜”二匹との実機戦闘訓練までもな」

 “竜”の単語から連想される二人の武人を思い浮かべ、呆れ気味に息を吐く。

「命知らずだな」

「負けはしたが、かなりの時間を耐えたという。機体は盗品の寄せ集めのようなものだが、アムステラの技術で改装されており、かなりの強敵と考えられる」

「敵……か」

 わざわざ極秘の回線で伝えてくる情報だ、戦わなければならない相手に決まっていた。
  
「そうだ。地球、それも中東方面に向かっているという。奴らは、軍上層の一部から信頼を得、地球からの略奪を極秘に許可されている」

 動きに迷いがないな、と率直な感想を抱く。

「地球で俗に言う、オーパーツロボに狙いを定めての作戦、ということか」

「その類の機体に関しては、ミスターA=K……貴公より、相当数の報告があがっている……しかし、詳細な報告はほぼまったくないな?」

「……む」

 この詰問に対しては、溜息がつけなかった。意識せずに、息が止まる。

「それは……」

「それに関して咎めるつもりはない。しかし、奴らに無用な期待を持たせたことは、確かだと考えられる」

「……判った」

 要するに、この上司はこう言いたいのだ、お前のせいだから何とかしろ、と。

「こちらで対処しよう」

「奴らの狙い……目星は付いているのか?」

 レムの手が動き、中東からヨーロッパにかけての地図が映る。
 赤く光っているのは、狙われそうな機体を保持する国だ。

「この地域となると、狙いは『ジブリール』だろう。パイロットとは知らない仲ではない、何とかしよう」

「了解した。幸運を祈る――」

 …………。


 通信は、至極あっさりと切れた。 
 当然だが、援護などはない。あくまで、サウジアラビアの一研究主任として動くしかなかった。

「レム、イスラエルに飛ぶ。準備してくれ」

「わかりました」

 キーボードを叩く音がさらに加速する。
 おそらく、30分もかけずに出立の準備が整うだろう。

「ギタランはどうします?」
 
「連れていく。ジブリールの援護があったとしても、手に余る相手だ」

「了解」

「急ぐぞ、何としても連中より前に辿り着く」

 その声に呼応するように、目の前のディスプレイに映る地図に、輸送機の航空経路が光の線として延びていく。

「……む」

 ハワードの口から声が漏れたのは、航空経路を見てではない。
 その地図は先ほどのまま、オーパーツロボの所有国を赤く表示していた。

「どうされました?」

「……考えすぎかもしれないが」

 目に留まったのは、赤く染まった国ではなかった。その周辺の、白い表示……『該当なし』の国々だった。

「奴らの目的が、もっと他の機体……例えば、未だ発見されていない機体だったとしたら? 極めて厄介なことになる」

 レムの、息を呑む気配。

「それは……あり得ません。少なくとも近隣諸国においては、国家レベルの捜索がすでに行われたはずです。我々の最新技術をわざわざ供与して」

「だが、我々が直に捜索したわけではない。僅かだが、可能性はある」

 焦りから来る杞憂だろうと思いながらも、拭えない不安感が残る。 

「では、どうします? 動かせる要員として、ギタランとオワイランをここに残しますか?」

「……いや、この状況での戦力分散は危険だ。やはり、可能性の高い方に賭けるしかない」

 不安を押し殺し、そう決断する。すべての可能性を潰すことなど、もともと不可能なのだ。

「では……周辺諸国への警戒の呼び掛けは」

「頼む。未確認情報として、ある程度の情報は流していい」

「かしこまりました」

 それでも、できる限りのことをやる……それが、二人の決意だった。


※※※


「よっ、こいしょー!」
 基地の門の前で、若い娘の元気なかけ声が響いた。
 砂漠の猛暑を感じさせない、活力はあるが涼やかな声だ。
 涼しげな雰囲気を周囲に振りまいているが、その原因は声だけではない。
 基地内からホースを引っ張ってきて、愛機に水浴びをさせているのだ。

 機動兵器に水浴び、という言葉はそぐわないが、この機体をよく知る者なら、その表現に異を唱えないだろう。
 パイロットの娘が、散水ノズルのあらゆる機能を駆使して、鎧に覆われた機体にくまなく水をかけようとする。

「――――!」

 その不規則にかかってくる水に対し、小さいが確かな反応を示しているのだ。 
 防水機構が無いわけではないし、拒絶しているようには見えない。
 動物のように、水に対し反応する動きを見せている。楽しんでいる……ようにすら、見える。

「オワイラン、頭洗うからかがんでー!」
「――――(ググッ)」
 
 パイロットが乗っていないとは思えない、いや、乗っていても常識的にはあり得ない『生物の動き』。
 そんな凄まじいテクノロジーを今、一人と一機……ギタランとオワイランのコンビは、とにかく楽しむことに使っていた。

「……あれ?」

 ほどなくして、ギタランの手が止まる。砂漠の向こうから、走ってくるアルヘナの一団に目を止めたからだ。

「オワイラン、エジプトの人達だよ! セルス君はどれかな?」

 散水ノズルを置き、そちらの方を見やってみる。すると一分も経たない内に、ギタランの疑問には回答が出た。
 彼女の『もう一人の弟分』が、明らかに単独行動を見せたからだ。
 補助輪を仕舞い、砂上を全力疾走してくる。
 そして……俄かに態勢が崩れる。急角度で横倒しになり、全力疾走そのままの勢いで滑ってくる。
 砂の上では滑り止めのグリップも効かない。どう見ても事故寸前であり、進行方向にいるギタランも危ないが……

「うわぁ」

 滑ってきた機体……アルメイサムのパイロットと知り合いである彼女は、驚きの声をあげるだけで、まったく怯えた様子を見せなかった。
 その予測は誤っておらず、その『スライディング』は、オワイランの眼前、飛び散った砂がかからないギリギリの位置で停止する。
 立ち上がる時間も惜しいのか、アルメイサムは座ったような態勢で停止し(ちょうど、かがんだオワイランと顔が同じ高さに来た)、ハッチが開く。
 
「ギタ姉ちゃん、久しぶり!」

 力いっぱい手が振られた思うと、パイロットである褐色の肌の少年、セルス・イウサールは、機体から器用に駆け下りてギタランのところに走ってくる。
 とにかく、基本的によく走る少年のようだ。

「セルス君、久しぶり。元気にしてた?」

「おう、見ての通り元気だよ」

 セルスは、ギタランに顔を見せるという第一目標を果たすと、頭をかきながら後ろに振り返った。
 東への旅から帰ってきて多少雰囲気が変わり、『同い年っぽい姉ちゃん』を卒業しつつあるギタランの顔を見続けるのが、どうも最近気恥ずかしい。
 そのやるせなさをとりあえず、その旅に同道していたオワイランにぶつけてみる。
 自分から見て『姉貴分の弟分』である機動兵器の鎧を、ぺしっと叩きながら挨拶する。
 
「……よ、オワイラン。お前も元気そうだな」

「――――!!」

 言葉は返ってこないが、挨拶に対して対等の返事が来た、とセルスは捉えた。
 ギタランほどではないが、セルスもオワイランとコミュニケーションが取れる(と、周りには見えている)人間の一人だった。

「凄かったね、今のスライディング!」

「実現するまでには苦労したぜ! バランサーとか警告装置とかとっぱらうのに、どんだけ許可を取ったか……」

 まるで、動きの実現自体には何も障害はなかったかのように、朗らに話す。

『セルスぅ……お前……速過ぎなんだよぅ……』

 そんな和やかな雰囲気をぶち壊すうめき声が、背後から聞こえてきた。
 ようやく到着したアルヘナの部隊の外部スピーカーだ。

『“騎士”が、俺達を放って行ってどうすんだよぉ……!』

「いや、みんなが付いてこれると俺は信じてるからさ……」

『そんな信心いらんわぁ!』

「ほ、ほら皆さん、うちの基地の納入準備ができたみたいですよー」

 泣き事が口論になる前に、ギタランが割って入る。
 気持ちを切り替えるとそこは仕事人で、アルヘナのパイロットであるエジプト軍人達は、てきぱきと納入に入る。
 精密機械部品から嗜好品まで、幅広い品物が受け渡されていく。


「よっし、これで晴れて休暇だ! 急いだかいあったぜ!」
 
 一人、何故かその作業をまったくしないセルスが、両拳を天に向けて歓喜の声をあげる。

「しばらくこっちにいるなら、遊べるね。セルス君の好きなカードゲームは私できないけど……」

「こっちの軍にもやってくれる人いなくってさ。弟達に仕込むしかないかなって……オワイラン、お前もしないよな」

「――――!」

「ちょっと無理かな?」

「無理だと思うな……」

 人間外との対戦も諦め、セルスはため息をついた。今はとりあえず、サウジアラビアでの休暇を楽しむことにしよう、と気持ちを切り替える。

「ギタラン、話があります」

「レムさん?」

 そんな思考を中断する、美人秘書の声がふいにかかる。
 
「これからすぐ、イスラエルに飛んでもらいます」 

「え、えええ? 何でですか?」

「理由は……」

 ガラスのような視線が、セルスを見つめていた。

「あー……すいません、俺席外しましょうか」

「いえ」

 遠慮の言葉への秘書の対応は、極めて簡潔だった。
 しかし、ギタランははっきりと違和感を感じた。彼女が、何かを迷っているかのように見えたからだ。
 ただ、その逡巡は一瞬のこと。レムは、いつもと変わらない口調で言葉を紡ぐ。 

「……あなたも聞いてもらって結構です。エジプト軍所属、セルス・イウサール曹長」

 今しがた、ハワードとの間で話題になっていた少年を見据えて。


※※※


 ……その、十分ほど前。
 輸送機の手配を済ませたレムは、次に同道する少女の位置を検索していた。
 検索開始から5秒で、現在位置を特定する。

「……主任。ギタランは、エジプト軍の少年と立ち話中のようです。至急、誰かに呼びに行かせます」

「……そうか」

 意外にも、彼女の主任の声には迷ったようなニュアンスがあった。

「どうしました?」

「いや……済まないがレム、お前が行ってくれないか。その場でギタランに説明して欲しい」

「それでは、少年を追い払うことになりませんか? 彼が一緒なら、各国に流した最低限の情報しか話せません」

 今、時間を浪費するわけにはいかない。
 その焦りが、わずかばかり口調を厳しくさせてしまっていることを自覚する。

「そうだな……話していい」

「はい?」

 レムは、ここが薄暗い部屋であることに感謝した。
 不調法にも、思わず目を見開いてしまったからだ。
  
「もちろん、我々の正体を話すわけにはいかん。だが、それ以外なら、彼に聞いてもらっていい」

「エジプト軍に、ではなく彼になら……ということですか。しかし何故? 主任は彼に会ったこともないのでは」
 
「……少し、余計な話をする」

「……はい」

 いつの間にか、ハワードの落ち着いた口調が、部屋の空気をも落ち着かせていた。

「宇宙から、このサウジアラビアに降り立った時のことだ。私は、地平線の先まで続く砂漠を見て、本能的な衝動に捕われた」

「……」

「思いきり……この砂漠を全力疾走してみたい、と」

 レムは、自分には永遠に分からない衝動だ、と感じた。
 しかし、それを語る主任が少し楽しそうに見えて、つい質問が口に出る。

「それは……イータなら容易なことなのでは?」

「砂の上を飛んでも、空間を捻じ曲げても、その小さな衝動は満たされることがなかった。そして……つい先ほどまで、忘れていた」

「そう、ですか」

「私は今、少年に情報を話すべきだと直感した。しかし、合理的な理屈は何もない。だからレム、お前に任せる」

「私に……?」

 ハワードの目の光が、闇の奥、サングラスの奥から、彼の秘書を射抜いた。

「そうだ。彼に、情報を伝えるかどうか、だ」


※※※


「うーむー……」

 舞台をエジプトの砂漠に移し、アルメイサムがただ一騎で走っている。

 コクピットではパイロットが首を捻って考え込んでいるのだが、機体の爆走には相変わらず迷いはない。

「うーん……わっかんねえなあ」

 精緻な操縦にそぐわない、投げやりな溜息がセルスの口から漏れる。
 目の前で砂漠を大写しにしているディスプレイの右下には、エジプト軍司令部からの通信文が表示されている。
 曰く、アムステラ出現の情報あり、警戒せよ。
 一応緊急性の高い通信ではあるのだが、このレベルのものは実際、一日に一回は入る。
 そして、実際に出現が確認されない限り、出動命令は出ない。
 長引く戦争の中で、国自体の感覚が麻痺していると言える。

 セルスも、今までこの通信文を朝の挨拶程度に捉えていた。
 ただ今回は、大いに注目し、そして首を捻っている。この情報の出所を知っているからだ。
 いつもは深く読み込んだことのないその中身には、敵が傭兵であること、古代兵器の類を狙っている可能性が高いことなどが示されていた。
 
 しかし、それだけ。美人秘書から聞いた話とは比べ物にならないほど断片的だった。
 わざわざ本部に問い合わせても、それで全部だと言われるだけ。

 ある一国がアムステラの情報を手に入れても、他国にそのすべてを流すとは限らない。
 自国の機密を晒す場合があるからだ。

「でも、そんなに大した話でもなかったしなー」

 そいつらがどんな風に非道だとか、アムステラの誰と模擬戦をして負けたとか、基本的にサイドストーリーである。
 サウジアラビアの機密など欠片も見当たらない。あえて言うなら、アムステラ側……もしくは、宇宙側の視点の情報である。

 なんでそんなの知ってるの、と言われそうではあるが、軍にとって重要というほどではない。そういう、微妙なレベルの情報。
 少し迷いはしたが、結局セルスはこの情報を上に報告してはいない。
 理由は二つ。一つは、レムの話が「自分という個人」にされたものなのだ、と直感したから。
 もう一つは、どうせ報告しても話が上まで行くことがなさそうだからである。

「情報部員の人ら、仕事は適当だし、カードは興味ないっつーし」

 多少子供っぽいな愚痴を入れながら、そろそろ悩むのを中止し、機体を減速させる。

「さて、どーすっかな。サウジアラビアにいてもギタ姉ちゃんいないし、さっさと帰ってきたけど……」

 遠くに見える町の外れ、整備工場の方に目を向ける。
 そこは軍属ではないが腕のいい整備士の老人が経営しているところで、アルメイサムはそこで整備をする予約を入れている。。

 しかし、何百キロという行程を走ってきたにも関わらず、アルメイサムはさほど消耗していない。
 気温の日較差や、自分の運動を利用して自前で発電している為、バッテリー残量にもまだ余裕がある。
 総合的に考えて、今すぐに整備を受ける必要はないと判断できた。

「じゃ、とりあえず一日、寄り道」

 町に背を向け、迷い無く方向を定めて機体の足を進める。
 そこは、何も無い砂漠の真ん中。ただ一つ、ある噂だけが存在する地。
 人の願いをかなえるカードがあるという、噂が。

 もちろん、カードショップなどあるわけはない。
 確かにエジプトはカードゲーム発祥の地と言われるが、ここに伝統的なカードゲームを伝える部族がいるわけでもない、というか人住んでない。
 それでも、噂は存在し続けた。
 そして、その噂を追ってこの場所に執着するバカも……

「さて、探すか!」

 確かにいた。
 アムステラの情報について小難しく考えていた時とは見違える、純粋なカードゲームバカの笑顔を見せる少年が。

 さらに、バカを発揮するのは笑顔でだけではなかった。
 伝説のカード、というものの存在を信じるのは、まあいい。
 その在りかと目される場所が砂漠地帯であったとしても、まだそれをガセネタだと思わないのも、素直な奴だと肯定的に見ることができなくはない。
 しかしいくらなんでも、軍の機動兵器で、『砂漠に落ちているはずの一枚のカードを探す』という行動に出る者が、この世に何人いるだろうか。 

「速度、レーダー感度共に最大を維持……B地区1番地から21番地まで、クリア」

 それを、大真面目な笑顔で、持てる操縦技術のすべてを駆使してやる。
 セルス・イウサールは、そういう少年だった。


「ふぅ、ちょっと休憩するか」

 小一時間ほど捜索して、ようやくアルメイサムが高速機動を止める。
 休憩といっても砂漠の炎天下で機体を放置するわけにはいかない。自分でできるレベルだが、整備も必要だ。
 軽く辺りを見回して、適当な岩場に目をつける。
 小走りでたどり着き、直射日光の当たらない場所に機体を滑り込ませ、そして三角座りに似た体勢で……

「「よっこいしょ……」」

「うおっ!?」

『……えっ!?』

 気づけば、三角座りをするアルメイサムの真横、まったく同じ体勢を取る青い、女性的なフォルムの機体。
 セルスの声に呼応して、向こうの外部スピーカーから聞こえるのは少女の声。
 ほぼノリは体育の時間である。

 ガンッ!

『……いたっ!』

 狭い場所で驚いたからか、青い機体の方が頭を岩にぶつける。

「いやパイロットは痛くないと思うんだけど……ってあー、おい、余計暴れんな、とりあえず停止させろ!」

 スピーカーから聞こえる、妙に幼い声に戸惑いながら、的確な指示をする。
 ややあって、コクピットのハッチが開き、パイロットらしい小さい頭がのぞく。 
 声のイメージ通りに、少女であった。セルスより二つは年下に見える、ポニーテールの女の子。

 少女はとりあえず下に降りようと決めたらしく、コクピットの横から昇降用のワイヤーが垂れ下がってくる。
 しかし、思い出したように下を見て、わっ、と小さく悲鳴をあげて顔を引っ込めてしまう。

「……た、高い……」

「いや当たり前だろ。ちょっと待ちなー」

 確かに、三角座りのせいでワイヤーが妙な位置に引っかかったりしているが、それにしても。
 まるで、「設備の整った基地でしか機体から降りたことがない」反応であった。
 
 セルスはハッチを開け、機体と岩場のでっぱりを利用して、ひょいひょいと駆け下りる。
 そして、今度は青い機体に登る。常人離れした身の軽さとバランス感覚だった。

「ほら、捕まれよ」

 コクピットに手を伸ばすと、若干涙目の少女が、おずおずとその手を取る。
 手を引いて降りられればいいのだが、この怖がり様を見てると少し不安である。

「ま、何とかなるか」

 セルスは、自分の顔の下辺りに手を水平にかざし、少女の身長を測った。

「思ったよりちっこいし」

「あっ!」

 途端に少女の表情が険しくなるが、それには気づかない。

「ちょっとじっとしてろよー」

 肩と膝の下とに腕を入れ、ひょいと持ち上げる。

「わわっ」

 文句よりも前に、びっくりしてしがみついてくる少女を抱え、ごくごくあっさりと、三角座りの機体を駆け下りていく。

「あ、あぶな……」

「大丈夫。俺、一応運送屋だから」

 何の慰めかわからないフォローをしながら、地面にたどり着く。
 重力軽減の装置でも使われているかのような、滑らかな着地だった。

「ほい、到着……って、え?」

 少女を下ろしたセルスは、相手の表情が、恐怖や驚きから怒りにシフトしていることに気づいた。
 顔が赤い。なんかちょっと頬が膨れている。ということはまあ怒ってるんだろうこれは。

「……さいって」

「へ?」

「……小さいって言うなっ!」

「あうわっ!」

 繰り出されたビンタは、身長差の影響で、頬でなく顎に当たり、セルスの脳みそをいい感じにシェイクした。
 しかし、超人的なバランス感覚で何とか倒れずに耐える。

「痛っ、というか効いた! 今、あんたを助けただろ俺!」

「……頼んでないもん」

「高い〜って、そこで泣いてたのは誰……」

「泣いてないっ!」

「あうわっ」

 やたら古いドラマのような会話とビンタに華を咲かせる少年と少女、セルス・イウサールとメドゥーシア・アージェント。
 地球とアムステラの戦史に、この二人の名前がセットで記されるのは、まだまだ先の話である。


続く