月の無い、暗く、そして冷たい砂漠の夜。
風に吹かれ尽くした砂の遥か下で、『それ』は今日の思考を始めた。
意味などとうになくなった定期点検プログラムが自動的に走り、全てのデータベースが無事であることを示す。
何もかも失った、遠い日の記録さえも。
『それ』は狭い空洞の中で、ゆっくりと稼動関節を軋ませ、空の方向にレンズの眼を向けた。
微細な引力をも感知するレーダーが、今夜、空に月が出ていないことを告げる。
しかし、それも実際には意味の無い動作だった。
『それ』の奉ずる月はそもそも、もうどこにも存在していないのだ。
王族の盾とならんとした装甲は、すでに全て剥がれ落ちている。
剣とならんとした数々の切り札は、
今はもう、遠い、遠い日々。
王の遊戯の相手をしたわずかな記録データの上を、光の波となって、滑りつづけるだけであった。
第一章
天井の高い部屋に、金属音が絶えず鳴り響いている。
異なる材質の金属同士がぶつかり合う、甲高い衝撃音だ。
喧噪の中、無機質な金属製の床に、何かが叩きつけられたように降り立ち、一瞬で飛び上がる。
「うりゃうりゃうりゃー!」
颯爽と吹き抜ける奇声とともに、激しくも軽やかに舞うその『何か』は、一機の機動兵器。
アムステラ軍はステラ隊所属、エウリア・アージェントの機体、双輝だった。
「動きが悪いですよ、エウ。無暗に相手のガードをふっとばしても意味はないわ」
やや後方の機体から冷静に告げるのはその姉、アージェント三姉妹の長姉、ステラ。
「ちゃんと援護できる位置にいてよ……エウお姉ちゃん」
さらに後方の機体からぼそっと愚痴るのは末妹メドゥ−シア、通称メディ。
いつもと同じ調子の姉妹の会話。
しかし、場は戦いの場。アムステラ軍の地球上にある基地の一つに特設された、戦闘訓練用ルームだった。
会話の間も、敵味方三機ずつの機体が激しく入り乱れ、緊張感のある攻防を見せる。
しかし、三姉妹の機体……ステラの斬華、エウリアの双輝、メディの撃麗は、相手のパワード羅甲三機に少しずつ押されていた。
三姉妹の、色鮮やかな三色の機体。
それらは高い性能を持っているが、それぞれ欠点も持っている。
斬華は強力な火力と射程を併せ持つが、少々燃費が悪く、長期戦には向いていない。
双輝は極めて高い機動力を持つが、攻撃はいささか直線的で、汎用性に乏しい。
撃麗はあらゆる場面に対応する武装を持つが、決定力に不安を残す。
興味深いのが、パイロットの性格がそれら欠点と完璧に連動しているということだ。
「エネルギー切れ……ですか」
普段は冷静なステラだが、ごくまれに……特に妹が関わる時には熱くなりすぎ、後先を考えなくなる傾向がある。
「おにょれー。届かないよー!」
いつでもどこでも、直情突進娘のエウリア。
「……そっちに来るなんて思ってないもん……だめ、ここは退く」
そしてメディは、非常に頭の回転が速いのだが、いざという時の積極性に欠けていた。
そんな機体、パイロット共に特化を極めたステラ隊のコンビネーションは、発揮できればアムステラ屈指と言われながら、なかなか本来の形を出せないでいた。
……特に最近は。
「よし……フィニッシュだ!」
「応!!」
パワード羅甲から、エリート兵のやたらと渋い声が響き、コンビネーション攻撃で三姉妹機を各個撃破(と言ってもペイント弾だが)していく。
「これで終わったと思うなよぉー!」
エウリアの負け台詞に被せて、決着のアラームが、エリート兵達を祝福するかのように鳴り響いた。
※※※
戦闘ルームを出た廊下。それぞれの機体と同じ、赤・黄・青の三原色の装束が鮮やかに並んでいる。
先頭を、地団太を踏みながら進むのは黄の装束。
「うぉー! くーやーしーいー!! あのおっさん達、次会ったらギタギタにしちゃるー!」
元気の塊のような娘、エウリアが、すらりと長く伸びた手足をやたらと振りまわしながら吠えている。
そのやや後ろには、落ち着いた歩みを見せる赤の装束。
「戦闘訓練で禍根を残すものじゃないわよ、エウ」
冷徹に整った美貌の女性、ステラは、あまり敗戦を気にした様子も無く、エウリアを諌める。
そしてステラの後ろに隠れるようにてくてくと歩くのは、青い装束。
「……だから、連携できる位置にいてって言ったのに……エウお姉ちゃんが」
長い髪をポニーテールに結わえた、エウリアより頭一つ分は背の低い華奢な少女、メディが不満の声をあげる。
「う……」
正当すぎる指摘を受け、エウリアの手足の動きがぴたりと止まる。
くるり、と妹に向きなおり、素直に謝る。
「ごめんね、メディ」
単純な分、素直に反省もできる性格なのである。
そのまっすぐな眼にまともに見つめられ、ぷいっと視線をそらすメディ。
「……ううん、いいよ。私もいろいろダメだったし」
少々顔が赤いが、怒っているわけではないようだ。
そんな二人を微笑みながらで見つめていたステラが、話をまとめる。
「そうね、私も反省点は多いわ。今晩は反省会ね」
お仕置き、が口癖のステラだが、自分も誉められたものではないと分かっているため、表現を変えたらしい。
しかし内容がお仕置きであるのは変わらないらしく、エウリアは「うへぇ」とうめいた。
「全然、思った通りにいかない……もっと研究しないと。最初から最後まで、予定通りに戦えるように……」
ぶつぶつと呟き続けるメディ。ステラに戦闘指揮を任されるようになってから、こうやって悩むことが増えた。
「……」
それを、感情を抑えた眼で見つめるステラ。メディの適正を見抜いた上での判断だったが、若干14歳の妹に戦闘指揮の任を与えたことに不安がないわけがない。
「(でも……私がいつまでこの子達の傍にいられるか、わからないですから)」
人に忌み嫌われるような任務も数多く経験している彼女だからこその、決断だった。
今日の訓練でも、あえて自分の欠点を克服しようとせずに戦ったのも、メディにわかってほしいことがあったからだった。
しかし、それをうまく口で伝えることができない。ある意味で、エウリアより不器用な姉だった。
悩むメディ、それを見てまた悩むステラ。
重苦しい廊下の雰囲気に耐えられなかったのか、気づいていなかったのか。
「ほらメディ、元気出して! で、せっかくだから……」
エウリアが、無邪気な笑みで、ある場所へ遊びに行く提案をした。
※※※
天井の高い部屋に、金属音が絶えず鳴り響いている。
異なる材質の金属同士がぶつかり合う、甲高い衝撃音だ。
喧噪の中、無機質な金属製の床に、何かが叩きつけられたように降り立ち、一瞬で飛び上がる。
「うりゃうりゃうりゃー!」
颯爽と吹き抜ける奇声とともに、激しくも軽やかに舞うその『何か』は、一本の腕。
アムステラ軍はステラ隊所属、エウリア・アージェントの 手 そのものだった。
「動きが悪いですよ、エウ。無暗に相手のカードをふっとばしても意味はないわ」
やや後方の椅子から呆れ気味に告げるのはその姉ステラ。
「ちゃんとルールは守ってよ……エウお姉ちゃん」
そしてぼそっと愚痴るのはメディ。
さっきと同じ調子の姉妹の会話。
しかし、場は(カードゲームの)戦いの場。アムステラ軍の地球上にある基地の一つに特設されたレンヤ隊整備上に、勝手に特設されたカードゲーム場だった。
機体整備の音と、カードゲームをやる整備員達の声(本当は声を出す必要はない)が混ざり合った非常にやかましい部屋。
その部屋の主が、シャワー室からパックのコーヒー牛乳を飲みながら出てくる。レンヤ隊長その人であった。
「おう、やってるなお前ら」
今シャワーを浴びたばかりのようで、頭にタオルを乗せている。
その特徴的な髪型はシャワーでもまったく壊れなかったらしく、奇怪な形状を上からなぞるようにそのままタオルが乗っている。もはや一種のホラーであった。
しかし、そんなことでいちいち動じる隊員はここにはいない。最近入り浸っているエウリアとメディも同じである。
「お、レンヤさん。やってるよー!」
「……こんにちは」
二人はここで、カードゲームになると意外に理論派であるレンヤから、直々に指導を受けていた。彼に習うといいと勧めたのは、なんとステラである。
軍人がカードに興じている姿はそもそもおかしく、特にステラがやっている姿などにわかには想像できないが……
所詮遊びで、しかも地球製のゲームであるが、手軽な思考訓練として上層部から一応認めらていた。
「敵を知るためにやる」と言って初め、ずっぽりハマってしまった人もいる。実はステラはその口であった。
「レンヤ中尉、理論も大事なのですが……エウにはまず、カードを吹っ飛ばすな、という指導が必要なのでは」
「すでにした」
さらっと答えるレンヤ。
「ルルミーの奴が、また間違ったフォームを教えたらしいな……後で上書きしておく」
「……そこまで単純な構造だったんですか、私の妹の頭は」
軽く眩暈を感じながらも、カードを並べ直す妹達二人(しかし配置を覚えていたのはメディだけである)を、少しだけ温かい目で見つめるステラだった。
「よし、じゃあ再開だね!」
「……お姉ちゃん、手を振り回さないで」
傍から見ていても、二人のプレイングの差異は見て取れた。
目についたカードをどんどん出していくエウリアに比べ、メディのプレイングは極めて精緻だった。
プレイミスが無いのは当然。さらにエウリアの手番に「あってた」「違ってた」とつぶやいているあたり、相手の手札や思考までも完全に読み切ろうとしているようだ。
「……これも中尉の指導ですか?」
「さわりだけはな。大体は天性のもんだ。しかしな……」
ぼそぼそと小声で批評する大人二人。その眼前で戦いは進行していき、やがて……
「あっ……もしかして、やったっ? あたし、勝った!?」
わずかな差で、エウリアが勝利した。
「いやっほー!」
飛び上がって喜びを表現するエウリア。そして負けたメディは、俯いたまま何かを言い続けている。
「だって、そのカードがあるんだったら、絶対もっと先に……!」
どうやら、エウリアの猪突猛進な戦略が、逆にメディの読みを決定的に狂わせたらしかった。
「自分の都合で考えすぎなんだ、要するにな。相手がこちらの思う通りにやらないと、その読みは逆に邪魔になる。そして、戦いにおいてそんな都合のいいことはありえん」
「……」
ステラには思い当たることがあった。彼女の飛び抜けた知力が、戦闘において往々にしてマイナスになっているのだ。
何かアドバイスをしたいと思ったが、言葉が見つからない。何しろ問題の根本は、さっきの戦闘訓練と同じなのだ。
多少の期待を込めてレンヤを見るも、彼はいかにパックの底のコーヒー牛乳を吸いきるかに全力を注いでいた。まったくもって役に立たない。
ばんっ!
小さな音が、整備場全体に響いた。
喧噪の塊だった部屋が、一瞬にして静まり返る。
整備員達は、機体から聞こえる小さな音の重要性を知っている。いつもわずかな異音から、機体に起こりうるトラブルを予見しているのである。
メドゥーシア・アージェントが両手を床に叩きつけた……それがいかに特別なことか、整備場の全員が理解していた。
「……わかんない……どうしたらいいのか」
ぽつり、と洩らす。
「……え?」
エウリアがそれに反応する。
「ご、ごめんね、メディ? ほらあたしアホだから、それでさ、まぐれで……」
事が飲み込めず、謝ることしかできない。そしてそれは、メディの苛立ち……自分への苛立ちに火を付けるだけだった。
「お姉ちゃんは悪くないよ……私が、私が全然ダメで……!」
最後は涙声で、カードもそのままに整備場を飛び出していく。
「め、メディ!」
あまりに予想外のことに、追いかけることもできない姉二人。
整備員達も呆然としている。
「なあに、心配すんな……部屋に帰っただけだろうよ」
一人、レンヤだけがいつものペースで、紙パックを分別ゴミの箱にストライクで投げ込んでいた。
結論から言うと、メディは確かに部屋に帰っていた。
しかし、その後部屋を一人で出たらしく、姉達がいくら待っても帰ってくることはなかった。
彼女の機体、撃麗ごと。
メドゥーシア・アージェント、『はじめての家出』である。
※※※
少し時間を遡る。
勢いのまま整備場を飛び出して、レンヤの読み通り自室に帰ってきたメディ。
他に行くところがないので当然の選択だが、部屋は三姉妹一緒なのである。
今、姉達の顔は見たくない……ここを出てどこかへ行きたい。
その気持ちを、言葉に乗せてみる。
「……家出」
このあたりの発想の飛躍は、エウリアの妹という感じである。
ところでここで言う家出とは、字面ほど平和的なものではない。家というのはこの基地のことであり、そこを出たら当然アムステラ勢力の外、敵地である。
無許可で機体を基地から持ち出すわけでもあり、重大な軍規違反である。
しかしなぜか、この『家出』はあまり問題視されず、アムステラの一部の軍人達にとって自然なイベントとなっていた。
理由は不明だが、とある『お偉いさん』が、この家出の常習犯であるから、という噂がある。
真面目にポニーテールが生えたような少女であるメディは当然未経験だが、エウリアはちょくちょく行っている。どう経歴を詐称したのか、喫茶店でバイトをした経験があるくらいである。
「うん、行っちゃえ」
無理やりそう決めたものの、どこへ行くかという目的など何もない。地球のほとんどの地域は、戦闘用の地理データとしてしか知らないのである。
「むー」
床に散らばっている、エウリアの残していった地球の雑誌類をめくってみる。しかし、当たり前だが家出の目的地を決めるための情報は載っていない。
あるのはファッション雑誌とか、
「ふんどしファッションって何……?」
格闘雑誌とか。
「空手を終わらせた女……?」
他には、ゲーム雑誌もあった。
「……これに決めた」
古いゲーム雑誌の、占いコーナーのようなコラムのような、よくわからないページに、強く惹きつけられる。
確かに、そこには場所の名前が書いてあり、彼女の悩みを一気に解決させそうなアイテムも載っていた。
「何でも願いをかなえてくれる、伝説のカード……」
そんなどう考えてもほら話のような記事だが、時々夢見がちになるメディの精神に、何かがヒットしてしまったようだった。
「よしっ」
とりあえず必要だと思うものをバッグに詰め、部屋を出る。
まずどうしても、行かないといけない場所に、遠回りで向かう。
※※※
レンヤ隊整備場の扉が、そーっと開かれる。かなり低い位置から、ポニーテールの頭が、ひょっこり覗き込む。
「よう、来たな」
そこにはメディのいないでいてほしいと思う人……姉達はもういなかった。整備員達の姿もないが、奥の特別整備ルームの方からは金属音がしている。
いたのは、レンヤただ一人。なぜか木のバットを丁寧に磨いている。
「あの……」
俯きながらも、言うべきことを言う。
「……さっきは、すみませんでした。カードを片付けにきました」
「ああ、お前の姉さんがきっちりしていったぞ」
予想された答えだったが、それでも、けじめとしてここへ来たのだった。
「じゃ、じゃあこれで……」
「まあ、待ちな。家出って言っても何も考えずにしちゃいけねえ」
「え」
レンヤの視線がぱんぱんに膨らんだバッグに向けられていた。どうやら、完全にばれているらしい。
「このまま行かせるわけにはいかねえぜ?」
姉に報告されて、即お仕置き開始……最悪の想像が頭に浮かんだ。
「それ相応の講義を受けてもらわねえとな」
「え」
レンヤはにやりと笑って、無線機を手に取った。
それから二十分後。メディは、『それ相応の講義』を受けていた。
「機体を隠す基本は、自然に溶け込ませることだ。が、たとえ水中適応でも海の中はやめとけ。一度浸水したら一人じゃあどうしようもねえ」
場所は、ブリーフィングルーム。講師は、アムステラ随一の家出回数を誇る(なお、総家出時間の一位は別にいる)ガミジン中尉。
レンヤ曰く『家出のエース』である。
「ステルス機能なんかあてにするんじゃねえ。あんなもん、鳥からは丸見えだ」
話したことなど一度もない。メディにはよく理由はわからないが、ステラ隊を嫌っていると聞いていたぐらいだ。
しかし、目の前のエースは、何の躊躇いも見せずに自分の技術を伝えてくれている。
……というか、相手が誰かとか気にしていないようだ。
「自然を支配しようとするな。受け入れて、利用しろ」
しかし、意外と説明がわかりやすい。
それから三十分続いた講義の内容は多岐に渡った。機体の偽装方法から、地球人への溶け込み方。おいしい店の特徴、店の裏メニューを発見する方法、など……
「(……だんだん話が偏ってきた)」
どうやらレンヤが、ガミジンが丁寧に講義をするように、メディの目的を偽装したらしかった。
「お前がどこに行くかには興味がねえ……だが、店の報告はきちんとよこせ」
アムステラの、そして家出軍人のエースが獰猛に目を光らせる。
相当、興味ありそうだった。
※※※
講義はつつがなく終了し、ブリーフィングルームを出た少女は大きく息をついた。
「ふぅ、緊張した……」
宇宙最高レベルの家出技術を学んだメディは、機体に乗って基地を出るという家出最後のステップに進もうとしていた。
しかし、よく考えると戦闘訓練の終了後、撃麗がどこで整備されているか分かっていない。そのあたりがステラに任せっきりになっていたことを改めて感じた。
人目を忍んで、廊下にある共用の端末から機体情報にアクセスしてみる。
背丈が合っていないので背伸び気味だが、タイプする手つきには淀みがない。
「ん」
ほどなくして撃麗の情報を発見したが、何かおかしい。斬華や双輝と同じ、訓練場のすぐ近くで整備されていることになっているが、撃麗だけ、整備情報が更新されていない。
もっとよく調べてみると、その情報は巧みに改竄されていることがわかった。撃麗は本当は、別の場所にあるのだ。
そこは、すでにメディが今日二度訪れた場所だった。
「レンヤ中尉が……でも……」
確かに先ほど家出計画をあっさり見抜かれ、ついでに目的地まで白状させられてしまったが、それはほんの一時間ほど前のことだ。
この改竄が行われたのは、明らかにもっと前。
つまり、メディが整備場を飛び出していった直後から、レンヤはこのことを見越していたことになる。
侮れないアスパラ頭であった。
「おじゃまします……」
整備場の扉を今日三度目に開くと、今度はレンヤの姿もない。奥の、一機だけを整備できる特別整備ルームだけが明るかった。
そして騒がしかった。
「こらウィー! いつまで考えてやがる! さっさとカードを出しやがれ!」
「姐さんが考えなさすぎなんですって!」
「……えっと」
確かに、整備台に撃麗の機影はあったが、そこの照明は暗い。
部屋の端の方、図面を引くためのテーブルで、二人の人影がカードゲームに興じていた。
ただ、そのゲームは高確率で一方的な場外乱闘に変貌していたが。
「痛っ! 痛っ! 肘がっ肘が当たってます!」
「あててんだよ! さあ負けを認めろ……!」
果たしてその二人は、レンヤ隊副隊長にしてアムステラでも一、二を争うトラブルメイカー、ルルミー・ハイドラゴンと、主にその被害者となる有能整備士のウィーであった。
「物理的なギブアップを狙ってどうするんすか! いいですか、ゲーム的にはもうこっちの勝ちっすよ!」
「あんだとコラぁ!」
確かに、遠目に見るメディにも戦いの趨勢は明らかだった。ルルミーの場はがら空き。三枚の手札は残されているが、果たしてどれだけ持ちこたえられるものか……
しかし、あくまで不敵な笑みを崩さずに、自分の手番で四枚目を山札から引くルルミー。
「フ……」
ふと、その雰囲気が変わる。射殺すような眼光は変わらないまま、静寂の空気を纏う。
片手を顔の前にかざし、タバコを指で挟むような仕草を見せる。
「……?」
ウィーもメディも首をかしげる中、ルルミーは一枚の手札をはらりと落として見せる。
ちなみにゲーム的にはルール及びマナー違反である。
意味の分からない行動だが、メディは不思議とその場から目を離せなかった。
明らかになったカードはルルミー本人を思わせる猛々しき竜。その強大な力が災いして、今の状況ではルール上出せるカードではないが……
「啼いた……? そして、光った……?」
機械類の異音、特殊な位置の照明……常識的にはそうとしか考えられなかったが、メディは確かに、その竜の嘶きと輝きを見た。
はらり。
二枚目、まったく同じ現象が再現される。その目の前にいるウィーは、凍りついたように動かない。
はらり。
三体目の竜が叫ぶ頃には、場の空気はもうルルミーのものだった。……そしてまだ続く。
はらり。
「……あれ……?」
メディが我に帰って疑問の声を上げたが、哭く竜の使い手は最後まで言い切る。
「カンだ!」
「……。」
そして、ウィーの硬直が解け、そこからはツッコミの雪崩が流れ出す。
「えーいっ!!!」
「うわっ、びっくりした」
「いいですか姐さん! そんな演出しても、その竜、どれも出せないっすよね! ただの手札事故っすよね!」
「あンた、背中が煤けてるぜ…」
「僕はメカニックだから煤けてるのは当たり前です! っていうかカンってなんですか、いつから僕らは麻雀を始めたんです! そもそもいいですか! このゲームは同じカードは三枚までしか入れられません! 何当初からルール違反してるんですか!」
「ええい、情緒のわからん奴め! おまえはただ、『まさか、哭きのハイドラゴン……!』とか言って驚き役してたらいいんだよ!」
「情緒の前に元ネタがわかりません! また地球の古典漫画に影響されたんでしょう、どうせ! これだから姐さんとやるのはいやげぼっ!」
「うわっ」
激しいコントの末、ツッコミ役のウィーが張り飛ばされてメディの足元に転がってきた。
※※※
「ん」
ゴルファーのように、自分がかっ飛ばしたウィーの落下地点を眺めていたルルミーが、初めて小柄な少女に目を止める。
「よう、三姉妹の青組。最果ての地、アスパラ王国へようこそ」
「何その王国……」
「適当に青ロボを回収してきな。そこのスクラップはもう仕事終えてるぜ」
「ぇ……」
「えへへ」
『そこのスクラップ』が起き上がり、さしてダメージを受けた様子も見せず撃麗を指さす。
「砂対策をしとけって言われたんで、全体には水中戦チューン用を流用したコーティングを。関節部の機密性は中からいじってあげたんで、それほど動きを阻害しないはずです。元々の流線形に沿うようにしたので、逆に高速域では前より安定するかもしれませんよ」
変形した顔からは信じられないほど滑らかな、一流のメカニックの解説であった。
整備時間や費用こそ少ないが、まさしくアムステラ屈指の応急整備がされていた。
「あと……」
ウィーは振り返り、整備代に置いてある、巨大なボールを示す。
「あれは、砂色に偽装するペイントです。機体で普通に掴んで、自分にぶつけるだけ。機体の全長分ぐらいにペイントが瞬時に広がり、付着します」
「えと……」
凄い技術だとは思うが、その砂色の露骨さに少し戸惑う。
その様子と、撃麗の青空を思わせるペイントを優しい目で見つつ、ウィーは笑顔で付け加える。
「取りたい時は、特定周波数のパルスを内側から流すことで自由に取れます。その装置もすでに組み込んでありますから。あと、このペイントで下の塗料はは傷つきませんよ」
「すごい……」
こんな基地の端っこに、ここまでの技術を持つ整備士がいたとは。メディは素直に感動した。
「だが使用する時自爆に見えるってことで不採用になった」
「それは言わないでください姐さん!」
しかし彼らしくオチはあった。
※※※
「……ありがとうございました、ウィーさん」
「喜んでもらえて嬉しいです」
整備士に感謝しつつ、いよいよ撃麗に乗り込もうとするメディに、もう一つの贈り物があった。
「あー待てよ、青組。受け取れ」
ルルミーが、手首から先の動作だけで何かを投げる。今の今までカードに興じていた人物の投げたもの、それはやはりカードだった。
「うわっ」
つい避けてしまったと思ったが、その手に見事にカードが収まる。
エウリアがよく練習している(そして怒られている)のを見ていたが、ここまで見事なスローを見たことはなかった。
まるで、カードの絵柄の竜がそのまま滑空してきたかのようだ。
「四枚目はダメだっつーから、お前持ってけ。餞別だ」
どういう餞別なのかはよくわからないが、その言葉の持つ迫力に反論する気にはならず、ありがたくいただくことにする。
「……わかりました。ありがとうございます、ルルミーさん」
「おう、盗んだバイクで走りだしてこい」
「また妙なこと言わないでください、姐さん」
「では、いってきます」
丁寧にカードを仕舞い、今度こそ機体に乗り込む。ウィーによって整備された撃麗だが、違和感は微塵も感じない。
ゆっくり、近くの発進口へ歩き出す。
「あ」
ここまで来て、発信口で止められてしまったらどうしようもないことに気付いたのだが、その心配はいらなかった。
『はじめての家出』には、大人たちが総出で助けに入るものなのだ。
発進口では、目を回した警備員の横でレンヤが親指を突き立てていた。
「土産を楽しみにしてるぞ! エジプトのな!」
「……はい!」
鉄壁の守りを誇る基地から、一人の少女が愛機と共に発進していく。
一路、アフリカ大陸、エジプトへ。
メドゥーシア・アージェントの小さくも大きな冒険の始まりであった。
続く