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Elegant Sword.1





パン・アルバード

 荒涼とした大地を見ると、パン・アルバードは昔のことを思い出す。師の下で修行に明け暮れた、厳しくも楽しかった日々を。
 彼女が十幾つの少女だった頃、すでにその人生は戦いと共にあると決められていた。それを彼女自身も望んでいた。それこそ、武門の名高いフランダル家に仕えるアルバード一族の使命なのだから。男に生まれようと、女であろうと、その宿命は変わらない。何より、フランダル家の次期当主とされるあの若者のことを思えば、自分が力を奮って支えねば、という意気込みが湧き上がったものだった。
 エドウィン・ランカスター少年は、10歳で父を亡くした。冒険家だった彼の父は、まだ見ぬ秘境を宇宙船で目指したまま、帰らぬ人となったのだ。そして、すぐに彼はランカスター男爵家の当主となった。それは特別な意味を帯びていた。
 何故なら、親戚のトーゴ・フランダル伯爵は、妻に先立たれた後、血縁であるランカスター男爵家から養子を取るとかねがね決めていた。だが、その男爵家の当主が亡くなったため、血統を受け継ぐ男子はエド少年だけとなったのである。彼は男爵家だけでもまだ重たいのに、いずれ伯爵家の名も継ぐことを宿命付けられたのだった。
 ただし、それは本人たちのみの事情であって、他人はまた違う情景を描く。未亡人となった男爵家夫人には、その財産目当ての求婚が殺到した。幼い当主には、将来の結びつきを求めて言い寄る者たちが増えた。パンがエドの家を訪れる度、彼らの白々しい物言いを聞かされ、呆れ返った。まだ葬儀も終わったばかりだというのに。あんな接待する価値も無い奴らを一人一人丁寧に迎え、粗相なく帰らせる初老の執事が大変そうだった。

「……あの時は二人とも大変そうだった」

 パンは呟く。彼女は今、操兵絶璃のコックピットで傍観者に徹していた。

「よろしいのですかパン様?」

 部下の八旗兵が通信を送ってきた。元は彼女の兄弟子たちだった男たちだ。ただ、才能はパンの方が上で、数年もすると彼女に適う者はいなくなっていた。そして、パンがフランダルの下で戦うと決め、修行を切り上げた時、勝手について来た。パンを含めて八人いたので、フランダルは八旗兵と名づけ、側近として扱ってくれた。
 今はフランダルが本星に帰っているため、エドの部下として戦っている。将来彼が伯爵家を継ぐのなら、今から臣従しても変わりは無い。

「パン様? エド様は戦闘中ですが……」
「放っておけばいいじゃない」

 苛立ち気味にパンは答えた。丘を一つ越えたところで彼の主が戦っている。だが、彼女はそれを助ける気がさらさら無かった。むしろ背後から槍を投げつけてやりたいぐらいだ。




「君に求婚するぞ!!」
「はぁっ!? 戦闘中に何ふざけたことを!」

 岩石地帯をいくつもの機動兵器が馳せ違っていた。アムステラ軍は、純白のボディが印象的な陵鷹を筆頭にした操兵軍団。対する地球軍は、全てがスラッとした細身の機動兵器の一軍である。機動兵器A-72を駆る乙女たちによって編成されたIDOL部隊。その華奢な体格のロボットは、巧みな連携で予想に反して手強かった。
 アムステラ軍の隊長エド少佐は何度も突撃を試みたが、粘り強い反撃に苦しめられていた。と言うよりは、ドMな愉悦に浸っていた。

「いやはや、女性ながらこの戦いぶり、俺様の花園に迎え入れたいぜ! いやっ、花束だけで彩られた戦乙女たち、君たちこそ花園だ!」
「チハヤ隊長っ、何ですかこの気色悪い敵は!?」
「俺様のハーレムの一輪目になれ!」
「うるさいわ!」

 回線は悲鳴と叫び声と怒号でごった返している。エドの率いる一隊は、敵が女と知るや、鼻の下を伸ばしてナンパを始めたのだ。攻撃を避けながらアプローチをかけるという技量の無駄遣いを繰り返しながら現在に至る。

「エド隊長、あの機体がリーダーのようですぜ!」
「では一番の美人が乗っているに違いないな。全力で落とせ!」

 言われた部下たちは、武器でなく言葉で彼女を、チハヤ・フェブルウス少尉を落としにかかった。「お嫁に来てください!」や、「武器なんか捨ててお茶しませんか?」など、戦闘とはかけ離れた言葉が回線を駆け巡る。チハヤにとってどんな強敵に遭遇するよりも理解不能な敵だった。

「あなたたち、戦う気はあるの?」
「ベッドの上でなら!」
「宇宙に帰りなさい!!」

 彼女の放ったバズーカ砲が羅甲を一機吹き飛ばした。それでもアムステラ軍の猛者たちは、怯むことなく突き進む。

「あの野郎速まるから……」
「エド隊長、あれは難関ですぜ……」
「安心しろ、俺様が地球に来て以来、容易く突破できる壁などなかった。だが俺様は未だにビンビンよ!」

 陵鷹がスラスターを一杯に吹かし、チハヤの側面に回りこむと、じゃれるようにガトリング砲を撃ってきた。どれも当たりはしない。

「これも避けるか、しなやかな女だ。君の温かい胸に顔をうずめたいぜ」
「む、胸ぇ!? 胸なんか……!」
「おっと、気にしていたかな? もしかして控えめな方か!?」
「だ、黙りなさい!」

 チハヤは顔を赤らめた。攻撃にもいくらか熱が増したように思える。その様すら、エドは楽しそうに眺めている。

「大丈夫だ、俺様はサイズなんか気にしないぜ。みんな平等に愛でてやる」
「大きなお世話よ!!」
「んー、この言い方も傷つけてしまうか。ならこうだ、俺様が揉んで大きくしてやる!!」
「もう死んで!」

 突如、チハヤ専用A-72の背中から突然、何かが展開した。A-72の切り札『エンジェルボイス』。強力な振動波を放つ、名前とは裏腹に恐ろしい兵器だ。彼女たちの怒りが篭った放火を前にアムステラ軍は……。




「戦闘が終わったようです……」
「そのようだな。様子を見てくるか」

 八旗兵たちが遅すぎる前進を始めた。
 戦場に来てみると、地球軍は掃討戦すら行わずに立ち去ったようだった。多くの操兵が地を這い、倒れ伏していた。フランダル家が力を結集して開発した陵鷹も中破している。地球に来てからもう何度目だろうか。アジアで敗れ、ヨーロッパで敗れ、挙句の果てに捕虜にされかけた。
 エドが擱座した陵鷹の肩に、敗軍の将とは思えない堂々さで立っていた。すぐ側には傷ついた狙撃戦型羅甲が佇んでいる。パイロットは確認するまでもない。ランカスター男爵家の執事だ。この乱戦をあの羅甲で切り抜けたことはさすが、と褒めてもいいところだが、パンはまったくその気にならなかった。

「ようバトラー。怪我はなかったか?」
「このとおり無事でございます。しかし残念でした」
「うむ。あれほどの上玉が一挙にそろったのは俺様も初めてだったぞ。せっかくのチャンスを逃したことが悔やまれる」

 二人はブツブツと反省会を始めたようだった。

「あの怒りっぷりだと、ハートには届いてなかったかな?」
「御屋形様はミスを犯しておりました。彼女は真面目そうで、中々肝が据わっていたと思われます。ああいう方は、強く求めるよりも、支えるようにアプローチするのがよかったのでは?」
「ああ、お前の言うとおりかもしれない。つい興奮しちまった」

 パンの古い記憶では、まだ父親の死から立ち直れない少年と、実直な執事の二人だったが、地球で再会してから随分と印象が変わった。エドは元々のイタズラ小僧ぶりに拍車がかかり、執事はその悪友といった感じなのだ。40以上歳の離れた二人が、である。もちろん主従関係をはみ出るものではないが、彼らは血の繋がった親子のように心が通い合っているようにすら、時に思えた。
 だがパンとしては、エドの奇行を執事に止めてもらいたいところだ。実際はその逆で、あの執事は時々、エドの「美女100人斬り計画」を本気で手伝っているようにすら見える。この様子を見たらフランダルは何と言うであろうか……。
 考えてみて、「エレガントでよろしい」などと言いそうな気がしたパンは、改めて溜息をついた。

「エド様、執事殿、帰れそうですか?」
「おうパン。ちょっと輸送機か何かがいるな、これは」
「そうですか。じゃあ私は先に帰ります」
「ああ。じゃあ輸送機のほう、手配し……」
「それでは」

 パンの絶璃がガシャガシャと歩き出した。

「パーン、輸送機なー」
「……」
「ちょ、ちょっとパン!」

 エドの虚しい叫びだけが岩場にこだました。


 数日後、アムステラ軍の基地でパンは暇な時間を過ごしていた。エドの指揮する部隊において、彼女の役割は八旗兵の統率であり、それ以外の役割は他人が担当している。なので、戦闘が無い間は仕事が少なく、そんな日はよくトレーニングなどをしながら時間を潰す。否、緊急時にすかさず戦えるよう、日頃から鍛えておくことこそ我々の仕事なのだ! と開き直る。
 いつもの戦闘服――頭や顔を布で覆い、反面体は露出が多くなる――ではなく私服を着て、食堂でカツ丼をほおばる。彼女はスタミナのつくものが好きだ。修行時代、体力で劣る点をカバーするために様々な献立を研究していたことがある。
 食堂を出入りする人が、ふと彼女を振り返ることが多かった。どうやらパンの服装が変わると、誰だか分からなくなるらしい。あの戦闘服を着ると何故だか気合が入るのだ。戦いに全ての意識を集中できる。
 食堂の中を覗き込む顔が、否、マスク姿があった。八旗兵のメンバーだ。彼らもマスク姿の特別なコスチュームを常に身につけている。傍目には変人の集団に見えるのかもしれないが、あれも彼らの勝負服なのだと、彼女は考えていた。その八旗兵の男はスタスタとパンの側にやって来た。

「お前もご飯か?」
「いえ、自分は先にすませていますから。それより……」

 何か話があるらしい。

「何だ? 内密にするような話か?」
「いえ、そういうことでは。最近、この基地での噂を聞きましたか?」
「噂……何のことだ?」

 パンはわずらわしそうな顔になった。彼らがパンの耳に入れようとするなら、どんな話だろうか。ふと、エドに関わることだろうかと思った。

「実は、エド様が攻撃部隊から外されるという噂があるのです」
「何だと?」

 手に持っていた箸がへし折れた。その音を聞いた何人かがパンたちのほうを見たが、それを気にせず部下を問いただす。

「それは本当か?」
「いいえ、ただの噂です。けど、何人かが同じ話をしています。それが気になります」

 火の無いところから煙は立つまい。噂の根拠がどこにあるのだろう。しばらく唸ってから、パンは八旗兵を集めるように指示した。

「すぐに噂の出所を探れ。エド様には、もう少し事情が分かってから私が伝える。もう知っているかもしれないが……」
「承知!」

 八旗兵の七人が風となって駆けて行った。パンは彼女の主のところへ向かう。彼がこの話を聞けばどうするだろうか。そして、噂が真実だった場合は……。先日、彼のふざけように腹を立てていたのに、今は彼が傷つくことをとても気に病んでいる自分を、どうもおかしな女だとパンは思った。



 三日後。パンがエドを探していると、珍しくトレーニングルームで見つかった。エドが汗水たらして自身を鍛える様子はめったに拝めないことだ。ただし、それは彼が努力をしないということではなく、努力する姿を見せたがらないのだとパンは知っている。エドを見てパンは、例の噂を聞いたのだと判断した。
 すぐ側まで近づいても彼は気づかない。それほど集中しているのに水を差すのは気が引けたが、パンは声をかけた。

「がんばっていますねエド様」
「ん、ああパンかよ」

 パンが飲み物を差し出すと、エドはそれを黙ってぐいぐい飲んだ。

「あのう、最近噂になっていることがあるのですが」
「……俺様が外されるってやつか?」
「やはりご存知でしたか」
「ふん、負けが込んできたからな。仕方ねえだろうよ」
「僭越ながら噂の出所を調べました。お話してよろしいでしょうか」
「……よし、聞かせてくれ」

 二人は休憩室に場所を移した。八旗兵たちの聞き込みで分かったことは、ある人物が基地司令部に提出した意見書についてである。ことの概略を言うなら、司令部にエドを更迭する意見が出され、現在審議されている、というわけだ。

「噂……というより、事実と言っていいな、これは」
「ですがまだ決まったわけではないようです。諦めずに結論を待ちましょう」
「そうだな。わざわざすまなかった」

 エドの謝辞でパンの表情がほころぶ。

「差し出がましいかと思っていましたが、お役に立ててよかったです」
「しかし……」
「はい?」
「その意見書とやらを出したのはいったい何者なんだ?」

 エドが首を捻る。この一件は、恨みや怒り以上に、彼に新鮮さを与えていた。エドは貴族としては男爵であり、軍部においてはフランダル中将の甥だ。その影響力の高さがあって、今まで多少の問題ごとが起きたところで叱責を受けることは少なかった。今回だって、戦って負けたという以外にエドの落ち度は無い。
 ようするに、エドに真っ向から意見するものはあまりいなかった。そのため、今回意見されたことにどう反応すべきか。エドには僅かに戸惑いがある。

「ネスター大尉という者が提出したそうですが……」
「誰それ?」
「司令部の将校だということ以外は分かりません。意見書の写しを(力ずくで)もらってきましたが、お読みになりますか?」
「気が利くなあ。見せてくれよ」

 パンが数枚の紙束を渡した。思ったよりも分量がある。エドはその一枚一枚に目を通していった。
 内容はエドの戦いに対する批判や、それを是認している上層部への非難、更には貴族というだけで高位を得ながら、前線で成果を上げられない指揮官への罵倒へと変わり、最終的には怒りに任せた文字の羅列となっていた。はっきり言えることは、このネスターという男がエドを降ろそうとしていることだが……。

(言っていることは間違いでは無い……)

 この意見書ではエドの指揮について、いくつもの指摘点がある。それらはパンから見ても的確な指摘だった。その上、批判しつつもちゃっかり改善方法の例が記載してある。どうも軍学に関して言えばエドやパンを上回る男のようだ。ただ、この言い分をエドがどう受け取るか、それが問題である。
 パンはエドの表情を注意深く伺った。最初エドは、睨むように文を読み、段々手が震えだした。それが読み終わった頃には、口元に小さく笑みがこぼれていたのだ。

「パン、こいつに会ってみよう!」
「は? 会うのですか?」

 エドの反応にパンは驚いた。会ってどうするのか。相手が男なのに会いたがるなんて珍しいこともある。

「こいつは俺様の悪いところをよーく見付けてくれやがった。こいつ、いいぞ。そうだよ、俺様に足りなかったものは知的なブレインだったのだ!」
「ブレイン……まさか」
「俺様の参謀にする」


 基地司令部のオフィスにその男はいた。

「ぐぬぬ、あの男か、我らのエド様に不埒な意見書を書いてくれたのは」

 八旗兵の一人が物陰で唸った。パンはそれを聞き流し、その男、ネスターにばれないよう監視を続けた。

「あいつが仕事を終えて、自室に帰るところを狙う。それまでお前が見張り続けろ」
「承知しました」

 ネスターの仕事中に話を持ちかけるのはあまりに失礼ということで、退出時刻に接触を図ることになった。エドにも当然、部隊長としての仕事があるため、二人とも自由になった時が来るまで、彼を見失わないのが八旗兵の任務だ。言い換えれば八旗兵に仕事がないだけであるが。
 やがて勤務時間が終わり、司令部から一人、また一人と軍人たちが出て行く。ネスターが帰ろうとすれば、八旗の一人が尾行し、別の一人が知らせに来る手はずとなっている。
 だが、何分経っても、一時間経っても状況に変化が訪れなかった。エドとパンはすでに合流しているのだが。
 一時間を随分と過ぎた頃、八旗兵ようやくが報告に現れた。

「あいつはどうしている?」
「はいパン様。どうも残業中のようです」
「残業だと?」

 ネスターは残業、それも自身のではなく、他人の仕事まで引き受けているというのだ。そのことを告げられたエドは、少し残念そうな顔をした。

「どうも真面目君みたいだな……。俺様の参謀にはエレガントな男を選びたかったんだが、あまり堅苦しい奴は嫌だぞ」

 エドの言うエレガントな参謀がどのような人物を指すのか想像できないが、それは置いておく。司令部に提出された彼の意見書を見ても、ネスターが生真面目で、曲がったことを嫌う性格であることは予想がついた。それも、貴族や上層部を敵に回すこともいとわないほどの。そして今のこの様子は、その予想が事実だと物語っているようなものだ。

「いかがいたします?」
「面倒だ……」

 エドは気が長く持つタイプじゃない。パンの方も、この参謀選びにあまり乗り気で無いため、一同の間に停滞した空気が漂い始めた。
 彼らが腰を上げたのは数分後のこと。仕事中であろうとお構い無しに、ネスターを訪ねてみることにした。実際に会ってその人物像を確かめたほうが諦めもつく。そう判断したからだ。エドの気持ちはすでに今夜の遊技に傾き始めている。昨夜彼をポーカーで負かした奴に仕返しを挑むか、貴族将校のサロンに顔を出すか。パンはパンで、早く休みたいと思っている。
 司令部のオフィスは閑散としていた。すでに大半の者が自室へ帰ったか、食堂に向かったか、その他だ。僅かに残った数人の中にネスターがいた。同じ基地に所属していながら、エドが彼の顔を見るのはこれが初めてだった。

「お前がネスター大尉か?」

 急に声をかけられて、ネスターが顔を上げる。黒髪と少しばかりの黒髭。細い顔の中にこれまた細い目がついている。その目を覗いた途端、パンは何か違和感を覚えた。

「私がネスターです。そう言うあなたは、エドウィン・ランカスター少佐ですね?」

 ネスターが椅子から立ち上がり敬礼する。その姿は……

「そう、俺様がエドウィンだ。が……」

 パンはエドが次に言おうとしていることが予想できた。そしてそれは、けして言ってはならないことだったが、もう止めようがなかった。

「小っちゃいな」

 身長が181cmあるエドと並ぶと、ネスターの背はかなり低く見える。頭一個分ほどになるだろうか。169cmのパンからしてもかなり小柄だ。後で調べて知ることになるが、ネスターの身長は159cmらしい。
 それはともかく、パンは頭を抱えたい気持ちになった。初対面の相手に背が低いことを指摘されて、彼はどのように思うだろうか。例えネスターがエドの参謀になりえる人材だとしても、交渉の門が早くも閉ざされる音をパンは聞いたような気がした。
 対してネスターは敬礼していた手を下ろし、毅然とエドたちに向き合っている。

「小官の身長が低いことは事実です。そして、軍には背が低くともできる仕事がございますので、小官はここにおります」
「ふうん、そうか」

 気にした様子もない彼の態度に、エドは少し関心を持ったようだった。そして自分が何を言ってしまったかには関心がない。

「お揃いで私に何か用でしょうか?」
「おう、それだよ、それ。ちょっと会って見たいって思ってよ」
「私事での来訪は感心しませんが、勤務時間を過ぎていますのでいいとしましょう。それで?」
「お前、司令部に意見書を書いただろう。あれを読ませてもらったんだ」

 ネスターの眉がかすかに動いたのをパンは見逃さなかった。それがどういう感情からくる仕草か。

「確かに意見書を提出させていただきました。けれど憚りながら、貴方はそれを御覧になる立場にいらっしゃらないと思いますが?」
「硬いこと言うなって。それでだな」
「硬いことと仰いますか。では硬いこととしておきましょう」

 パンは見た。言葉を交わすたびにネスターの眼光が鋭くなっていくのを。それは何か、熱いものを宿した光だ。そしてそれを、エドも感じているようだった。

「単刀直入に言う。俺様の参謀になれ!!」
「は?」
「あんな意見ぐだぐだ書いてる暇があったら、すぐ俺様のところに来て、俺様が勝てるように実践してみろってことだ」
「貴方の直属の部下になれと?」

 突然のことに彼が驚くのも無理は無い。ネスターの顔には、予想せぬ事態への驚きが隠し様もなく現れていた。そして、同じぐらい別の感情――怒りと呼ばれるものも見て取れた。

「少佐のお考えを察しかねますが……。一つ言っておきます。私を参謀に抱えたところで、その日から戦いに勝てるなどとお思いではないでしょうね?」
「そこまで贅沢は言わないが、勝てないかな?」
「無理でしょう。失礼ながら、私より優秀で経験豊富な者を補佐に置いたとしても、少佐は簡単に勝利できないでしょう。それだけ貴方が今率いている部隊は弱いのです」
「貴様、エド様に対して!」

 八旗兵たちが騒ぎ出した。それとは裏腹に、エドはますます彼に興味を抱いたようだった。

「それだ、それ。あんな紙切れだけで俺様がお前を参謀に迎えようだなんて思うものかよ」
「それ……と言うのは?」
「舌だよ。俺様が何者だろうと気にしない、むしろ貴族軍人だから舌を酸っぱくしているような、遠慮の無い物言いだ」

 エドに対して堂々と物言いする人物などはごくごく限られていた。フランダルに甘やかされ気味なエドに、下の者は頭を垂れ、上の者は媚びへつらうか近寄らない。生まれのいい貴族たちにしてみれば、問題事ですらない。だからこそ彼は、自身の悪いところを直言してくれる人物を求めていたのだとパンは気づいた。
 自分ではダメなのだろうか、とも考える。だがパンのエドに対する態度はあくまで臣下の線を越えることは少なく、エドの求める意見としては足りないのだろうか。

「俺様には智謀で支えてくれる奴が必要だ。何も家来になれって言っているわけじゃない。なあ、いいだろう?」
「……」

 しばらく口をつぐんでから、ネスターは重々しく答えた。

「私ごときにありがたいお言葉です。しかし、人事の権は国家の権です。私が望んだからといって、貴方の部下になれるものではありません。そのことをご容赦いただきたい」

 この言葉は遠まわしに断っているのか、それとも悪意は無いのか。判断するのは難しかった。彼の表情にはまだ怒気が残っているから。

「大丈夫だって、俺様あれだろ、伯父貴がフランダル中将なのは知っているだろう。お前さえ首を縦に振ってくれれば、多少の無理は利くからさ、ほら」
「……では、この場でお断りしておきましょう」

 エドがぽかんと口を開ける。

「貴方が今言われたことは、疑いなく情実人事で、ひいては権力の乱用に当たります。貴方が私のために過ちを犯すというのなら、私に出来ることは未然にそれを防ぐことのみです。重ねて申し上げますが、少佐のご厚意はありがたいのですが、私は筋を曲げてまでその申し出を受けようと思いません」

 この男は本物の堅物だとパンは確信した。権力・権威・悪弊、その他一切のものを拒む、愚かなまでに真直ぐな男なのだと。そしてそんな彼を目の前にして、エドが何を考えるのかもパンは想像できた。

「エレガントだ……」
「……はい?」
「まさか平民出の軍人にここまで気高い男がいようとは。ますます貴様を参謀に迎えたくなったぞ!」
「……私の言ったことがよくお分かりいただけてないようですね」
「いや理解した。そして無理にでもお前の頭を役立てたくなった」

 エドが乗り気になるにつれ、ネスターの表情が険しくなっていくことにパンは危機感を覚えた。気づいていないのはエドだけだ。

「それで……後の方々に昼間から私を監視させていたのですね?」
「何、ばれていたのか!?」
「あんな格好でウロウロしていれば分かるわっ!」



 ネスターの中で何かが切れた。その後のことをパンたちはあまり覚えていない。ネスターはエドたちを怒気で制すると、床に正座させてぐちぐちと説教を始めた。

「あなた方のおかげで今日は仕事がやりにくく、みなとても迷惑したのですぞ! そんな回りくどいやり方をしなくても、直接私のところに来たらよかったではないか! 貴方はそういう子供じみた遊びと軍事を混同しているのですか!? 人の上に立つ貴族であるはずの貴方たちがそんなだから組織が、軍の秩序が乱れるのです!
 そもそも考えが甘い、他の誰かに考えさせれば戦闘に勝てるという考えが甘い。他人に頼る前に、今ある戦力と自身の能力を工夫して、どうすれば敵に勝てるか考えるのが先でしょう!
 そこっ、逃げるな!」

 物陰から逃げようとした八旗兵が襟を掴まれ、処刑台に連れて行かれる死刑囚のように情け無い悲鳴を上げながら引きずられて来た。今や彼は、自分自身が迷惑の嵐になっていることにも気づかず、ひたすらまくし立てている。

「あんたは用兵学を士官学校で学んだでしょうに、それを生かしきれていない。そしてあんたの貴族同輩どもは、それを生かそうとすらしていない。それでは勝てるはずが無い。そして勝てなければ、私のような者を連れてきて"勝て"と言われる。おふざけ召されるな。高貴な家に生まれた者ならば、権利には責任が伴うことをよくお考えなさい!」

 ネスターの舌鋒は、彼の同僚が両腕を掴んで無理やり押さえ込むことで、ようやく治まった。エドとパン、八旗兵たちは、フラフラになりながらオフィスを出て、黙りこくったまま自室に帰っていった。



 数日後、新たな人事が発表された。ランカスター隊は現状維持のまま。新しい副隊長としてネスター大尉が任命された。司令部の「そこまで言うのなら実践してみろ」という意向によるものである。赴任してきたネスターをエドと八旗兵が恐怖の眼差しで迎えたことは言うまでも無い。



<続く>