White Knight

Chapter4



 草木を掻き分けた先に豊かな川が現れた。
 アレスを担いで来たイリヤナはようやく安堵の溜息を漏らす。自分の下敷きになって痛みを引き受けてくれた男を放っておくわけにもいかず、肩に担いでみたが、意外と重いのである。
 触ってみると、端正な顔に反して体中の筋肉が引き締まっていて、大柄に感じる。どうやらそれだけではないようだが。
 川岸に寝かせてマントと上着を脱がせた。裸の女が男の服を脱がす、森の中で非現実的な光景と言えなくもない。戦場で男女問わず怪我人を診てきた経験があるのだが、この顔である。妙な気がかすかでも起こらなければ嘘だった。

(何か布でもあればよかったけれど……)

 マントを引き裂こうとしたが異様に丈夫で諦めた。防弾素材で作られているようだ。ひとまず怪我の状態を確かめるためにワイシャツも脱がす。ボタンを外してイリヤナは思わず手を止めた。
 体中に刻まれた疵痕。そして、左腕は肩から先全てが金属の義手だった。銃弾を弾き、銃身をねじ曲げたのはこの腕だったのだ。
 まるで歴戦の古強者の肉体。そこにいくつもの痣が出来ている。いくつかはイリヤナが作ってしまったものかもしれない。
 それにしても――イリヤナは義手の精巧さに興味を持った。地球にもサイボーグ化した者がいると噂でだけ聞いたことがあるが、実際に目にかかろう筈もない。流麗なライン。関節部は細かいパーツで構成していることがよくわかり、本物の腕と同様に動きそうだ。アムステラの技術の高さにはただただ驚かされる。
 覆いかぶさって、指でつついてみた。触感はあるのだろうか。価格はいくらするんだろう。あまりいじりすぎると怒るかもしれない。などと余計な考えが浮かぶ。
 屈み過ぎて胸の先がアレスの顔に触れた。



(また顔に何かが……)

 アレスが目を開くと、二つのゆさゆさ揺れる物体が眼前で自己主張していた。

「jfがいえl★sgl;くぉr4い!!!!!!」
「何だよいきなり!?」

 騒がしいためワイシャツを奪い取って着てやった。これでいくらかまともな進行ができる。

(しかし面倒というか変な奴だ)

 イリヤナよりいくつか年上か。彼女には同年代の異性と接したことがほぼ皆無であったが、男とはもっと鼻の下を伸ばす生き物だと思っていたので困惑する。

「ハンカチあるみたいだな。体拭くぞ、背中見せろ」
「あ、はい……」

 背中を一通り拭いてから、痣のああるところにハンカチを当てて冷やす。これぐらいのことしかできないが、痛みが少しでも和らげばと丁寧に触れる。

「どこが痛い?」
「そ、そうですね……やはり背中と、肩と首も」
「分かった」

 背中から肩にかけてハンカチを当てる。意図せずにアレスへ息が吹きかかると、その度に体が緊張するのが伝わってくるため、段々可笑しくなってくるイリヤナだった。
 しばらく傷を診た後、アレスを木陰に移動させて休ませた。

「何か刃物あるか?」
「ナイフでしたら」

 アレスは上着の内に差した鞘から、彫刻の施されたナイフを取り出し、ぽんと渡した。

「お前……無警戒過ぎ。これで襲ってきたらどうすんの」
「え、ああ確かにそうですね。優しい方なのでつい」
「やさっ……!」

 顔を赤くしたのを見られないようにイリヤナは立つと、森の中に入っていった。

(恥ずかしそうにしてどうしたのでしょう? それに森で何を?)

 女性の気持ちは分からない、等と感想を抱く。濡れたハンカチはまだ冷たいので、それを額に当ててしばらく横になった。




 夕方になって目を覚まし、痛む体を引きずりながら、アレスはイリヤナを探した。彼女はすぐに見つかったが、ワイシャツと手を血で真っ赤にしていた。

「貴女は……いったい何を?」
「起きたか。鳩を捕まえておいたぞ」

 傍らに肉の塊が二羽分転がっている。丁寧に羽をむしり皮を剥ぎ、血抜きも済ませてあった。

「動いて大丈夫なら枯れ枝でも集めてきてくれよ」
「これは……どういう?」
「まだ具合良くないだろ。機体を捨ててきたところまでけっこうあるし、もう暗い。山登りは明日にして野宿すんだよ」

 山奥で半裸の女性と二人野宿。アレスは一瞬、自分が仮想空間へ旅だったのかと思ったが現実のようだ。


 イリヤナは枯葉と枝だけで器用に火を起こしてみせた。捌いた鳥肉を火で炙り、アレスに突き出す。

「このまま食べるんですか……?」
「味付けもないけど食べておけ。何も無いよりマシだろ」

 言うと、目の前で肉に齧り付き始めた。アレスが真似して食べようとしたが、大きくて食べにくい。

「坊ちゃん育ちかよ」

 面白そうに言うイリヤナ。大きな葉っぱを地面に敷き、肉をナイフで切り分けていく。

「ほら」
「すいません……」

 若干固い肉だった。味もあまりせず、飲み下すのに少し時間がかかる。
 イリヤナのほうを見ると、アレスが貸したナイフを眺めている。

「いいナイフだな」
「そうですか?」
「うん。切れるし頑丈そうで、何よりキレイなナイフだよ」
「よかったら差し上げましょうか?」
「ホントに!?」

 欲しがるイリヤナの顔が歳相応の女の子に見えたため、アレスは少し安堵し、二つ返事でナイフを譲った。



 一通り食事を終えた頃には、既に日が落ち、暗闇と静寂が辺りを覆い始める。そんな中、水の音だけが音楽のように流れる。
 川の中で泳ぐイリヤナ。闇の合間に濡れた肌がきらめき、どこか幻想的な光景を生み出す。

(こういうのもいいな……)

 普段味わえない清涼だった。イリヤナが過ごしてきた日々は、どちらを向いても男達の世界で、轟音・怒号・叫び、血と硝煙の匂いに満ちていた。
 ここには誰もいない。誰も見ていない。ひょんなことで一緒になった青年はいたが、この場を覗き見る性質で無いことは分かった。

(けど……敵だ)

 敵だけど助けた。相手の戦意が低いこともあったが、決定的なことはなんだったのだろうか、と考える。庇われたからか。それとも……。
 水から上がり、アレスのマントをバスタオル代わりに纏う。そのまま焚き火のある場所まで戻り、体を乾かすことにした。

 アレスは木に寄りかかって休んでいた。まだ辛いようで、無駄な動きをしようとしない。

「マント、置いておくぞ」
「ええ、お願いします……」

 焚き火の側にちょこんと座り、手をかざして温まる。

「どうして私を介抱してくれたんですか?」

 しばらくして、アレスが尋ねた。

「借りを返しただけだ」
「借りなんて……いえ、素直にお礼を言わせてもらいます」

 アレスは正座して軽く頭を下げた。

「おかげで助かりました。ありがとうございます」
「よ、よせよ。ハズイ」
「恥ずかしがることなどありませんよ。地球の人とお知り合いになれて私は嬉しいです」
「知り合いか……戦争してるけどな」

 イリヤナの表情がわずかに陰った。そうなると、もう歳若い少女の顔では無くなることに、アレスは暗い気持ちを覚える。

「……まだ名乗っていませんでしたね。私はアレス・ヘルストローム、アムステラの国教会に属する聖職者です」
「俺はイリヤナ。イリヤナ・ソロモフだ」
「ではイリさんとお呼びしましょう。私はアレスで結構です」
「い、イリさん?」

 イリヤナがまた恥ずかしそうにするので、アレスは笑顔で問題ありますか、と問う。

「お、お前いくつ?」
「私の歳ですか。21歳ですが」
「そっか。俺が16か17だから、俺がア、……アレスさんて呼ぶよ。お前は呼び捨てでいい」
「ではお互い“さん”付けせずに、名前だけで呼び合いましょう」

 またイリヤナの顔が赤くなる。アレスは段々と彼女の操作に慣れてきた。

「なあ、お前さっき、聖職者って言ってたよな? 聖職者なのに戦争してんの?」
「正確には国教騎士、教義を守る騎士です。私の場合、仕事は戦争というより護衛官、人を守るのが仕事です」
「ガードマン?」
「それで結構ですよ」
「じゃあその傷とか腕は、誰かを庇って怪我したの?」
「ええ、そうです」

 さらっと答えるアレスだが、それがただならぬ事だとイリヤナには分かる。

「この左腕はテロリストの爆弾で失いました。それでも職務を続けるため、更に強くなるために義手を付けました」
「そんな目にあっても辞めなかったのかよ」
「立ち止まるには早いですから」
「ふぅん……。痛かった?」
「ええ、とても。2年過ぎましたが、未だに夢に見ることがあります。夢とは思えぬ衝撃と灼熱に襲われ、飛び起きてしまいますよ」


 アレスの表情は曇らない。ただ事実を、自嘲を込めて語るといった風だ。
 聞いているイリヤナのほうが苦しくなる。彼女の脳裏に浮かぶのも爆発と炎だった。

「その犯人が憎いだろ……」
「ええ。悪夢から覚めた後はいつも、あの時のテロリストが許せません。頭から離れなくなります」
「……そうだよな」
「ですが……。だからこそ、私はこの仕事を続けているのかもしれません」
「え?」
「私はあのテロリストがただ人を傷つけたくて爆弾を使ったとは思っていません。彼にも事情があったはずです。それがどんな物かは分かりませんが、私は許してあげたい」
「腕が奪われたのに?」
「それだけじゃありません。巻き込まれた同僚も何名か失いました。けれど、人は他者を許すことができます。許すことで、人は前に進めるのだと思うのです」

 アレスは人伝に聞いたことを思い出す。彼はアムステラに支配される惑星バダシャの一国家の王子だった。だがバダシャの国々全てがアムステラに従っているわけではなく、中には反乱を起こす国もあった。
 アレスの父である王は、ある時、アムステラ国教会へ息子二人を修行に行かせたが、実情は人質だった。
 幼かったアレスに当時の記憶はない。分かっていることは、彼らが人質に出されてから間もなく、父は反アムステラの連合軍を旗揚げし、戦って死んだということだけだった。

「許せるはず……。私は許したい……」

 記憶の旅から醒めて、イリヤナの方を見る。彼女の目には小さな涙が浮かんでいた。

「どうしました?」
「な、なんでも……」
「……なんでも、なくないでしょう。イリも誰か……許したい、それとも許して欲しい人がいますか?」
「……」

 イリヤナの目から涙がこぼれる。

「昔さ……俺昔から兵士で。戦っててさ、爆弾で人を……」
「……」

 それから先は言葉にならなかった。
 立ち上がったアレスは、イリヤナの隣に座り、肩にマントをかけてあげた。

「救いはあります。許しはありますよ」
「……俺、俺あの人の足を……まだ怒ってたら……」





 夜になると気温が下がってきた。焚き火に枝をくべ、寝る支度をする。
 草と葉っぱ、柔らかい枝などを編み、何とか布団らしきものは作れた。こういうことはイリヤナが異様に得意だった。

「色々と訓練したからな」
「夜露は凌げそうですね。ではマントはイリが使ってください」

 アレスは敷かれた布団を少し引き離してから潜り込んだ。

「……なんだよその距離は」
「あ、これは、その」
「ああ、童貞だもんな」
「ぐぅ……」

 背中を向けてふて寝する。軍の簡易ベッドのほうが遥かにマシだが、イリヤナの行為に甘えて眠る。起きたらただでさえ痛むからだが更に悲鳴を上げそうだが。

「風邪だけ引かないように気をつけてください」
「ん……」

 ガサゴソと音がしてから、沈黙。イリヤナも寝たのだと思ったが、突如アレスの葉っぱ布団が引き剥がされた。

「ななな、なんですか!?」
「……マント、二人で使お」

 イリヤナがアレスの横に寝そべり、マントに一緒にくるまる。その上から葉っぱの布団を被れば、確かにいくらか温かかった。

「ほら、寒くないだろ?」
「い、いやこれでは、私が……!」

 アレスの心臓が勝手に高鳴り、自然と体が熱くなる。

「男だと思えばいいだろ」
「む、無理ですそんなの、イリでは無理です!」
「そか。あんがと」
「い、えぇ?」

 それ以上イリヤナは何も言わなくなり、5秒で寝息を立て始めた。

(それも訓練の成果ですか……?)

 鼓動は早いまま。果たして無事に朝を迎えられるだろうかと、アレスは不安になったが、少なくとも悪夢を見ることはないだろうと思った。
 月だけが二人を見ている。やがて温もりの中、アレスもまどろみに落ちて行った。





 翌朝、抱き枕にされていたアレスが悲鳴を上げ、不機嫌になったイリヤナに蹴り飛ばされた。


続く