小雪の舞う飛行場に、ジェットエンジンのタービン音が響き渡っていた。
地球より遥か遠くの惑星。アムステラ軍、地上前線基地。
「『配達屋』か。遠方はるばる、ご苦労な事だ」
士官の制服に身を包んだ体格の良い男が、吐き捨てるように言った。
その言葉に込められた侮蔑の感情を隠そうともしていない。
「仕事だからな……じゃ、帰るぞ」
対するは鮮やかな赤髪を持つ青年。士官の言葉を毛ほども気にしていない様子で、エンジンの温まった愛機へと足をかけた。
その態度に、士官は苛立ちをぶつけるように言葉を投げつけた。
「命令違反の挙句に左遷されて、後方でぬくぬくやってる役立たずめが!」
長く前線にいるストレスもあってか、士官の言葉には加減というものが無い。しかし、赤髪の男はそれを無視した。
ああいう手合いは、付き合っていると時間ばかりが無駄になる。
「アムステラ軍人の風上にもおけぬ奴め!貴様も男なら戦場で潔く――」
そこで罵声は聞こえなくなった。コックピットが閉まったのだ。
既に、室内には自機のエンジン音が響くのみである。
手の感覚を確かめるように操縦桿を握ると、赤髪の男――ゼクセンは、ふぅ、と息をついた。
「戦場、か」
無表情に計器に目を落とす。エンジン温度、油圧、マテリアルオーブ反応係数、正常。
「あんたのいる『そこ』だけが……戦場とは限らないさ」
モニターに目をやれば、先ほどの士官は既に基地内に入ったのか、姿は見えない。
遥か遠方まで続くシグナルサインが、赤から緑へ。
ゼクセンはゆっくりとペダルを踏み込み、タービンの回転数を上げてゆく。
「……『仕事』終了だ。ゼクセン機、離陸する」
管制塔からの離陸許可信号。ゼクセンは身体がシートに押さえつけられる心地よい感覚に身をゆだねた。




Visopnir―ヴィゾフニル―

Scine1「Escape Killer」




「仕事だぞ、『配達屋』」
シミュレータから出てきたゼクセンを待っていたのは、立派な髭を蓄えた老人だった。
「全く13時間もシミュレータに篭りよって……毎度の事とはいえ、飽きんのかお前」
「大丈夫さ、ハラは減るけどな……で、仕事か。クランフ爺さん」
「誰も貴様の身体なんぞ心配しとらんわ!ワシも忙しいんだ!どれだけ待たせれば気が済むってんだ!」
クランフと呼ばれた老人はオイルに汚れたツナギの裾を払うと、ポケットから1枚のデータディスクを差し出す。
ゼクセンはタオルで汗を拭いながら、片手でそれを受け取った。
「忙しい……って、エロ本読むのがか」
赤髪の青年は淡々と言葉を返す。本人にしてみれば冗談を言っているつもりなのだが、
語彙に起伏が無さ過ぎるせいで、余人からすれば本気か冗談かの区別などつかない。
クランフはふん、と鼻を鳴らした。
「お前のような朴念仁にゃわからんだろうがな!人生ってもんはそりゃぁ短けぇんだ!
 こんな野郎ばっかの場末の部隊にいて、どうにかならねぇお前の方がおかしいんだよ」
悪びれるでもなく返すクランフだが、彼の言葉はある意味正しかった。
彼らはアムステラ第8艦隊401強行偵察部隊。
元より軍の花形とは程遠い、裏方の稼業だ。その上、少し前までは惑星攻略のための偵察飛行もそれなりの頻度であったものの、
戦局が落ち着いた現在となっては舞い込む任務も少なく、たまに来る仕事と言えば偵察機の速度を活かした物資の配達くらいのものだ。
そのため、彼らを『無駄銭取り』『配達屋』と嘲笑する連中も少なからずいる。
極めつけに、その部隊規模。パイロット、オペレータ、整備士が1人ずつに、偵察機が一機のみである。
しかも、全員が男。
「ったく、オペレータくらいは可愛い娘っこを都合してくれってんだ。オペレータといえばロリロリの萌えっこと相場が決まっておるっつーに」
「……何処の相場だ、それは」
「ンな事より仕事だっつったろう。そのディスク持ってけ。具体的な指令はリッチの坊主が知っとるはずだ」
「……」
諦めたように一つ息をつくと、ゼクセンはブリーフィングルームに向けて歩き出す。
舞い込んだ『仕事』の内容を確認せねばならない。
歩を進めながら、ゼクセンの口元には知らず薄い笑みが漏れていた。
久々に、空を飛べる。本物の空を。
実の所、シミュレータには飽きていた。というより、彼は元々シミュレータになど興味は無いと言ってよい。
ただ、偽りの空であれ……飛んでいなければならない。そうでないと死ぬのだ。彼の中の、彼を形成する何かが。

気付けば、ブリーフィングルームの扉の前まで来ていた。
軽い音を立てて扉がスライドする。中にはぼんやりとした計器類の灯りだけがともっており、薄暗い。
彼らは第8艦隊所属の軽巡洋艦の一部を間借りしている身で、計測室がブリーフィングルームを兼ねているのだった。
「リッチェス」
ゼクセンが声をかけると、暗闇の中で何かが動いた。ごそごそという物音と、暫くして派手な転倒音。
また一つため息をついて部屋の明かりをつければ、計器の椅子からでも派手に転落したのか、
頭をおさえて床にうずくまる少年の姿が視界に入った。
「……寝てたのか」
「ッ〜〜!……あ、ゼク兄ぃ」
金髪の少年、リッチェスは頭をさすりながら身体を起こし、ゼクセンへと若干潤んだ瞳を向けた。
「任務らしい。データを出してくれ」
しかし、短い付き合いでなければ、この程度の事は一度や二度ではない。
寝癖を直すリッチェスの風体を気にもとめずに、ゼクセンはディスクをテーブルの上に放った。
「ん……ちょい待って。っていうかさ、ヘンなんだよ今回の仕事」
「へぇ」
仕事の内容になど興味が無いかのように短く答え、ゼクセンは煙草を取り出して火をつける。
「あ!ゼク兄ぃ、此処は禁煙って言ってるじゃんよ!デリケートな機械があるんだからさ!」
文句を言いつつ、リッチェスも既にコンソールを操作している。これもまた、何時もの事なのだ。
程なくして、スクリーンにアムステラ軍を示す識別コードとシンボルが表示される。
その文字列を見てか、ゼクセンは眉根を寄せた。
「機密物資輸送か。ランデブーポイントは……近いな。空鴉の足なら1時間ってところだろうが……」
「問題は、指令の出所が何処にも書いてない事と、物資の届け先が未定になっている所、だね」
ゼクセンの言葉を引き継ぐように、リッチェスが言う。
「それに、この指令が入ってきたチャンネルもおかしいんだ。正規の回線じゃない。何らかの方法で、この隊の処理サーバー……っていうか空鴉のメインコンピュータに強制的にダウンロードされてる。しかもそのディスク、プロテクトかかってて読めないし」
「……」
ゼクセンは煙草を灰皿に押し付けた。そのまま、考え込むように宙を睨む。
「どうする?蹴る?正式な指令じゃないから受ける義務も無いし……最悪、なんかの罠かもだし」
「…………」
「……ゼク兄ぃ?」
「あぁ、すまん。……出よう。心当たりが無いでもない」
答えつつも、ゼクセンは心ここにあらずといった様子で、室内に立ち込める煙草の煙を眺めていた。
「んー……そっか。じゃあ、出る時になったら言ってよ。一応、艦隊のマスターシステム介さずにサポートするくらいはできるからさ」
非公式である以上、おおっぴらに部隊を動かす事はできない。この場合、舞い込んできた「仕事」の内容が何であれ、事が発覚すれば面白い結果にはならないだろう事を、リッチェスは十分承知していたのだった。
じゃあオイラは向こうで休んでるから、とリッチェスは軽く手を振って部屋を出て行った。
(……どうやら気を遣わせてしまった、か)
ゼクセンは心の中で小さくリッチェスに謝った。そして視線を、自らが放ったディスクへと向ける。
(俺達が散々バカをやっていた頃に仕込んだプログラム……)
それは互いの機体に、擬似的に直通回線を構築し、第三者に悟られる事無くメッセージをやりとりする、という簡単なもの。
かつての戦友達と、遊び半分、願掛け半分であつらえたモノだった。
この生別つとも、常に我らは共にあれ――――と。
しかし、その仲間も幾度の戦いを経て一人二人と欠けてゆき、今では両の指で数えられるまでに減っていた。
(ガミジンの奴は「こんなもん何の役にも立たねぇ」と、一度も使った事は無かったハズだ。そもそも奴は今地球に出向いていると聞いた。とすると……)
そこまで考え、ゼクセンは首を振った。今考えても仕方の無い事だ。どの道、「仕事」を送りつけてきたのは彼の戦友の何れかであろう事も想像がついていた。とすれば、後は行って確かめるだけ。
(だが――――)
ゼクセンは珍しく表情を歪ませると、小さく舌打ちをした。
「どうにも嫌な予感がしやがるな……」
やや荒っぽくディスクを掴むと、格納庫へと足を向ける。
理由の分からない警鐘が、頭の中にけたたましく鳴り響いていた。


「さて、ここいらの筈だが……」
逆噴射で機体を空間に静止させる。結局、リッチェス達には何も言わずに出てきてしまっていた。
懲罰ものの行動だが、ゼクセンには確信めいた予感があった。これから降りかかるであろう面倒ごとに、部隊の仲間を巻き込むわけにはいかないのだ。
ゼクセンは1枚のディスクをスロットに差し込んむ。
出所不明の依頼に添付されていた、ワケのわからないディスクである。
だが、ゼクセンには確信があった。
(もし、これを送りつけて来たのがアイツなら、これでハッキリするはずだ)
その確信を裏付けるかのように、情報処理のエキスパートであるリッチェスにも解けなかったプロテクトが一瞬の内に解除され、ディスプレイ上にファイルの展開が始まる。
やがて解凍が終了すると、通信からノイズ交じりの声が流れてきた。
『よォ……ゼク。久々になるな』
その声にゼクセンは聞き覚えがあったし、また、彼が予想していた人物でもあった。
「ロッシーニ……か」
しかし、ゼクセンの呼びかけに対する返答は無い。やや間を置いて、再び通信機から音声が聞こえてきた。
『あぁ……すまない。こいつは録音だ。ちょっとばかり、面倒な事になってな……』
ノイズに混じり、銃声のようなものが聞こえ始める。
『部下は殆ど死んじまった。あぁ、連中がここにたどり着くのも時間の問題さ。奴らの鼻は猟犬よりも鋭いらしい』
一方的な通話。ゼクセンは黙ってそれに耳を傾ける。
『だが、俺にも意地ってもんがある。情けない話だが、俺の最後の、ささやかな誇りだ』
ノイズが一層激しくなる。聞こえてくる銃声も激しくなってきているようだった。
『マインズは良く食い止めてくれているよ。あぁ、前に話したな。俺の部下だ。あいつのおかげで、俺は今「コレ」をお前に届ける事が出来てる。だが……もたないな。もう猶予が無い。だから簡潔に頼みを伝える』
状況が逼迫しているのか、ロッシーニは要領を得ない言葉を並べていたが、うって変わってハッキリとした、強い決意が込もった口調になる。
『俺の最後の荷物だ。お前の手で逃がしてやって欲しい。場所は……そうだな、地球がいい。あそこならクソッタレどもも手を伸ばしにくいはずだ。いざとなれば陛下やガミジンのヤツもいるしな。最後まで面倒をかけちまうが、お前にしか頼めないんだ』
――――爆発音。
『……悪いな、戦友』
その一言を残して、通信機からは一切の音が聞こえなくなった。
「……」
静寂、暗黒、無音の真空。コックピット内部の計器類が放つ光だけが、音もなく明滅している。
「ロッシの野郎……」
ロッシーニはゼクセンの古い戦友だった。卓越した情報収集・処理能力を持ち、そのサポートにより部隊の危機を幾度となく救った、歴戦の兵(つわもの)だった。そして何より……誇りと己の矜持を胸に抱いた、真のアムステラ軍人だった。
「勝手な事ばかり言いやがって……あげくに先に逝きやがるとはな。……ったく」
苦笑いが浮かぶ。それは幾多の死別を経て辿りついた、諦観の境地だったか。
「そういう頼み方されちゃ、断るものも断れないだろうが」
見れば、レーダーに一つの反応が浮かび上がっていた。ごく微弱なものではあったが、ゼクセンはモニター越しにそちらに目を向ける。
恐らく今までは小惑星にでも偽装されていたのだろう。小型の揚陸艇が姿を現していた。
あのディスクはメッセージだけでなく、偽装解除のキーでもあったというわけだ。
「……仕事は確かに引き受けた。安心して眠りやがれ、戦友」



揚陸艇は相当な無理をしてきたのか、既に満足な航行もできるか怪しい状態だった。
「こちらアムステラ第8艦隊401。揚陸艇内部の人間に告げる。聞こえていたら返答されたし。こちら――」
返事は、無い。通信が死んでいるのか、意図的にカットしてあるのか。どちらにせよ、直接乗り込んで確かめる他はなさそうだった。
ゼクセンは作業用の宇宙スーツを着用すると、空鴉のハッチを開けて揚陸艇へと乗り移った。
ハッチを強制開放すると、油断無く船内に目を配らせながら進入する。
内部に敵がいるという事は無いだろうが、乗っている人間がパニックを起こして発砲してくるという事態も十分ありうるのだ。
やがてカーゴルームに辿り付くと、内部から人の気配を感じたゼクセンは、隔壁に背を預けながら扉を軽くノックした。
ガタン、と内部で何かが動く音。どうやらビンゴだ。
ゼクセンは壁に身を隠したまま、スライド式の扉を開放する。
と、顔のすぐ横を青白いビームが掠めた。一発では無い。何発も。何発も。
矢張りパニック状態になっているようだった。やがてエネルギーが底をついたのか、銃撃も止む。
「……落ち着いたか?」
壁越しに声をかけると、内部から引きつった女の声が聞こえてきた。
「こ、来ないで!来ると撃つから! ……お、脅しじゃないから!」
「エネルギーの切れた銃で、か? それに俺は敵じゃない。ロッシーニから聞いていないか?ゼクセン中尉だ。あんたを救助にきた」
その言葉でようやく落ち着いたのか、へたりこむような音が聞こえてきた。それを受けてゼクセンはようやく扉の影から姿を見せた。
そこでようやく、声の主を視認する。思っていたよりも大分若い、あどけなさの残る少女だった。
「……あんたが『荷物』か。ロッシの野郎、一体何やらかしやがったんだよ……」
ゼクセンは眉をひそめる。
「まぁ……その辺はおいおい聞かせてもらう。奴の口ぶりじゃ、追っ手もかかってそうだしな……行くぞ」
「あ、あの……」
踵を返して歩き出そうとしたゼクセンを、少女が呼び止めた。
「どうした?」
「あー、いえ……」
少女は若干口ごもったが、やがて恥ずかしそうに言葉を続けた。
「……その、腰が抜けちゃって……」



少女はメルと名乗った。
流れるような白髪を持った、美しい少女だった。
「……成る程。それでロッシの奴は、あんただけでも逃がそうとしたわけだ」
ゼクセンの言葉に、メルは頷く。
メルの話によると、ヒルデガード派の情報将校として母国の内情を探っていたロッシーニは、何か重大な機密を掴んだが、それによって反ヒルデガード派に追われる身となり、死を覚悟して自らの部下の中で一番年若いメルを逃がしてくれたのだという。
(……まぁ、あいつらしいといえばらしい話だが)
若干、引っかかる部分が無いでもなかったが、ゼクセンは一応納得した態度を見せると、メルを空鴉の後部座席に座らせた。
偵察用の機材がほぼ取り払ってあるおかげで、機内もそれなりには広い。
「話は分かった。……となると、追っ手は同じアムステラ軍か。厄介だな……」
ゼクセンは舌打ちする。技術力と物量とで常に敵国を圧倒してきた軍事国家アムステラだが、追っ手が内部の者だとすればテクノロジーは同等か、最悪それ以上。物量に至っては此方は単騎である事に比べ、敵対勢力の兵力は数える事すらできない。
「コイツは想像以上にキツい喧嘩になりそうだ」
「……すいません」
毒づくゼクセンに、メルは申し訳なさげに声をかけた。
「こんな事に巻き込んじゃって……」
「構わないさ」
ゼクセンはハッキリと答えを返す。ロッシーニは矜持に殉じた。ならば自分はどうする?
いかに祖国とはいえ、いかに彼我の戦力差が圧倒的であれ、軍の仲間や、年端もいかぬ少女を追い回して抹殺しようとするなど。
――見逃せる筈は無かった。ならば彼もまた、彼の矜持に従うのみである。
「安心してそこに座っていろ。俺が必ず送り届けてやる」
それは自分に言い聞かせた言葉か。ゼクセンは一気に、空鴉のスロットルレバーを押し込んだ。
突然フル稼働を始めたエンジンの音に驚いたのか、メルは小さく声を上げる。
「――身体、しっかり固定してろよ。早速お客さんだ」
レーダーに反応は3つ。機影からして、恐らくは宇宙用装備の斬空弐式改・黄泉影だ。その全てがカーキグリーンの塗装を施されている。
未だ距離はあるものの、相対速度の差からして追い付かれるのは間違いない。空鴉には高性能のステルス機能が搭載されているから、恐らく揚陸艇の反応を探知されたのだ。
間を置かず、コックピット内部に警報が響き渡る。レーザー照射の警告――敵機にロックオンされた!
しかし3機の黄泉影からの攻撃は無かった。替わりに入ってきたのは、通信だった。
「あー、こちらアムステラ空軍所属、エジュケール大尉だ。前方のアムステラ機動兵器に告ぐー。貴官の行動はフライトプランに無いものである。直ちに停止しろ。従わない場合、命の保証はしねぇ」
ややしわがれた低い声。しかしゼクセンはそれを鼻で笑い飛ばした。
「おいおい、ハゲタカ部隊と呼ばれるエスケープキラーのエジュケール隊がのんびりとパトロールか?中々笑える冗談だな」
それを聞いたのか、エジュケールは聞く者に不快感を与えるような声で、笑った。
「中々鋭いじゃねぇか。つーか俺も一応非公式部隊なんだが、てめぇ良く知ってんな」
『誇り高い』アムステラ宇宙軍においては、逃亡兵と言えど公な軍法会議にかけての処罰しか認められていない。……表向きには。
しかし、実際には軍部も一枚岩ではない。こういった闇の任務を請け負う部隊も、少なからず存在するのだった。
「まぁいい。今回は特別でなぁ?出来りゃお前の持ってるソレは無傷で取り戻したいのよ。だから……どうだ?大人しく投降すりゃ、お前の命だけは助けてやるよ。大方、あの情報将校にでも頼まれたんだろうが……そっちに付いてもいい事ねぇぜぇ?」
「随分とご執心だな。だが、逃亡兵一人にそこまでデリケートな扱いする理由がわからないな」
「おっと、それ以上はこっちの事情って奴だ。ヘンな勘ぐりは命を縮めるぜ?」
「そうかい……」
ゼクセンはメルを一瞥する。そしてすぐに視線を戻すと、挑発的とも取れる口調で言った。
「残念ながらはいそうですかと渡すわけにはいかないな。力ずくで奪ってみろよ、三下」
それが、引き金となった。
「ハッハァ!いいぜぇ!狩りはこうじゃなくっちゃなぁ!大口叩いたんだ、精精逃げ切ってみせな!上の命令なんて俺としちゃクソ食らえなんでねぇ!」
「言われずともな……ッ!」
不敵に笑い、ゼクセンはさらにスロットルを押し込む。
同時。3機の黄泉影は申し合わせたかのようにトリガーを引いた。
死をもたらす無数の礫――ミサイルが、包囲するような軌道で空鴉へと飛来する!
暗黒の宇宙空間で、壮絶な逃亡劇が幕を開けた。

ミサイルは無数の線を描いて前方の機体へ食らい付く。複雑にして高速。しかし、その内一つとして哀れな兎を捕らえたものは無い。
超高速で直線を描く空鴉に追随するかのように、危険な花火が無数の花弁を散らす。
タイミングは完璧だった。一つ誤算があったとすれば、敵性機動兵器の加速力。かわされたのではない。『振り切られた』のだ。
高速機である斬空をも易々と捉える筈のハイマニューバミサイルだが、速度自体は普通のミサイルと大差は無い。
とはいえ、フレアも使わず、回避機動を取るでもなく、単純な加速力だけでミサイルを振り切るような芸当のできる機体に、彼らは未だかつて遭遇した事は無かった。
「Shiiit!!!どうなってやがる!」
「馬鹿げてるぜ……俺達のフォーメーションがこうもあっさりと……」
「うろたえるんじゃねぇ!たかだか逃げ足の速いだけの兎だ!」
狼狽する部下二人を尻目に、エジュケールは冷静に状況を判断していた。
恐らく標的の機体は偵察形。武装は貧弱だろうが、今起こった事を見ただけでも、速度に関しては郡を抜いている。
(だが……燃料は無限じゃねぇ)
いかに超高速機であろうと、全開飛行すれば燃料の消費も激しいはずだ。
そして、獲物はアムステラ本星から脱出するつもりだろう。となれば、行き先が何処であれ、ワープゲートを使う以外に逃亡の手段は無いのだ。
となれば、打つ手はいくらでもある。
「テメェら!!ありったけの弾丸くれてやれ!当たらなくても構わねぇ!」
余裕たっぷりに言い放つエジュケールに、取り乱していた部下も平常心を取り戻す。
隊長の指示に従えば間違いはない。そう信じさせるには十分すぎるだけの戦いを、この男も生き抜いてきたのだ。
追撃体制に入る黄泉影、3機。
既にモニターでは光点となりつつある標的に、嵐のような弾幕が降り注ぐ。
ミサイル――振り切られる。
ビームキャノン――かわされる。
撃つ――かわされる!

(機体性能だけじゃねぇ……距離と相対速度、空間の見切りが抜群にいい。何処にこんなパイロットが埋もれてやがったんだ?)
空鴉は既に有効射程を外れ、更に距離を離しつつあった。
普通ならば焦りを禁じえないであろう状況だが、エジュケールに焦燥は無い。
これでいい。今の攻防だけでも、かなりの燃料を食わせたはずだ。
こちらの燃料・弾薬はいくらでも補充できるが、相手方に休息の時間などは無いのだ。
獲物は手ごたえのあるほうがいいし……そういった相手こそ、じわじわと時間をかけて、真綿で首を絞めるように追い詰めて行くのだ。
エジュケールに焦燥は無い。あるのは、寧ろ……。
「たまんねぇなァ!オイ!」
感極まったか、エジュケールは哄笑する。あるのは寧ろ歓喜。獲物が必死に逃げ回り、力尽きて無様に死んでゆく姿は想像するだけで胸が躍った。
だから、獲物は強いほうがいい。
「退屈な任務かと思ったが、とんだご馳走じゃねぇかよォー!」
「隊長!このままでは逃げ切られます!上層部に連絡を取り、ゲートの封鎖を!」
「あァ……テメェ、こんなオイシイ獲物を他にくれてやる気かぁ?」
こみ上げる笑いをこらえつつ、エジュケールは部下を制止する。
「時間稼ぎに、ゲートに検問敷くようにだけ伝えろ。上には何も言うなよ?アイツぁ俺らの獲物なんだからよォ……待ってろよ愛しの恋人ちゃん(マイラバー)、フヒ、ヒヒハ、ヒハハハハッハッハッハッハハ!!」
狂気に歪んだ笑いが、黄泉影のコックピットに響き渡っていた。


to be continued