MOON CHILD -Raindrops-






エレコウ手記 七の年 二月の雪の日 『彼女』の記憶(ゆめ)


     六日前、宰相殿の所で、一人の少女にあった。
     唯の少女だ。少なくとも見た目は。
     だから誰も気にしない。誰もだ。

     そいつが今日、ここにやってきた。

     くだらん人生にも、時折奇妙な出来事は訪れる。
     まったく、中々に、奇妙な人生だ。




「大乗のエレコウ。いますか? 我が主、ユリウス様の使いで来ました。
 件の金品と、心ばかりの手土産と、一つ『お願い』を持って。開けてくれますか?」




     予想外な出来事は、すべからく人生の香辛料だ。
     単調なそれにも味と深みが増す。
     これだから人生は止められない、とは言わないが、
     まあこれはこれで、娯楽のようなものだ。

     だが、続く言葉には流石に同意しかねる。

     化け物を殺す、というお題を掲げる大乗に、
     化け物が指南を希う、とはね。

     は、は。とんだ冗談だ。
     宰相殿はとことん常人には思いつかない事を考える。

     だが大乗は、彼側の位置に収まっているだけだ。
     別段手駒になった覚えは無い。
     大乗は化け物を殺す存在でもある。
     少なくとも、そういうことになっている。

     命令に従う必要性はない。

     そう、命令ならば、だ。





「不思議な事を言うんですね、エレコウ。
 私が、化け物の系譜である私が、人の技を学べば負ける、と?
 冗談にしてはあまり上手くできた代物ではありませんね。
 とてもじゃないですが、信じれませんよ、そんな言葉は。まったく」
「信じる信じないじゃないさ、お嬢ちゃん。それは事実さ」


 引き伸ばすつもりなどはない。
 この娘は賢い。
 言葉多くを交えながら雄弁に語れば、そこから理解はするはずだ。
 それでも理解が及ばないなら、そのときは見限ればいい。


「そうさね……まあ、こんなところから話すとしようか。
 あらゆる事象は、生まれつき特定の分野に適応性を持って創造される」
「……適応性……?」


 適応性。
 生き物だろうと無機物だろうと概念だろうと、それを持っている。
 必ず一つはもって産まれる。あるいは、産み出される。
 人であれ化け物であれ、必ず、だ。

 天性の才覚、あるいは潜在力、特性って言葉に変えてもいい。
 皆が個別個別に持っているだろう、そのものだけが持つ長所というものだ。
 下らないものにも利点がある。
 最もその利点自体が、下らない代物であることも多々あるが。


「――それが、私に技を教えない事に関係あると?」
「……。たとえば、こんな話をしようか。
 生まれついて頭のいい男がいたとする。
 しかし彼は、幼い頃から体が虚弱だった。
 彼は己の体の脆弱さがどうしても我慢ができず、日々鍛錬を詰み続けていた。

 月日は流れ…………十年……二十年……三十年……。
 気づけば彼は見違えるほどに逞しく強靭になり、並の男三人分の怪力を持ち合わせるほどになった。
 過去の彼は確かに弱い存在だった。肉体の弱さは欠点だ。それはどうしようもない欠点だ。
 だけど今の彼は、違う。その知能は誰よりも優れ、肉体も誰よりも強い。これがどういう事だか、わかるかい?」
「…………?」


 生まれつき優れた肉体と知性を持ってる生き物には、『強者』には認識ができないか。
 まったく、とんだ弊害だ。
 言葉で説き伏せようにも、こちらも言葉を相当要される。

 これは、言いくるめるにも喉が空く。
 やれやれ、説法なんて柄でもないが、仕方ない。

 口論を選んだのはこちら側だ。


「『現在』。その時点のみで考えれば、彼には優れた点ばかりある。
 それが、たとえ努力の結果に獲得したものであろうと、
 あるいは生まれつき優れていたものであろうと、
 そこには何の違いもない。
 違いなんて無いさ。

 なぜならば。
 『過去』を振り返る事には意味が無いからだ。
 『今』の彼は『知能』『肉体』ともに優れた人物だ。
 過去、現在、未来。そんなものには意味が無い。
 時間なんて、観測者にとっては一つの基点でしかないからさ。
 ……全てを見通した上で、そのものがより優れた、
 輝かしいものを手に入れれる『可能性』があるのなら、
 後天的に獲得したものであろうと、先天的に授かっていた恩寵であろうと、
 人並み以上の努力で手に入れたものであろうと、楽して手に入れたものであろうと、
 そこには何一つ違いは無い。優劣はない。そんなものは、どこにもないし、誰にも決められない」


 『昔は弱かった』などという『言い訳』を認めるならば、
 『そして未来では老いて弱くなった』と認めなければならない。
 そして結局のところ、『誰しもいつか年を取って弱くなる』。
 つまり『誰も彼もが所詮は弱者だ』という事になる。

 あるいはその逆に『子供の頃は弱かった』『大の大人相手では到底叶わない』事になる。
 誰だって、天才だって、努力家だって、始まりはいつも『誰にも劣る』。
 たとえ赤子の頃から人一人殺せる怪物でも、上には上がいる。

 『強さ』などという曖昧な概念など、誰にも言い表すことなんてできない。
 誰にも測ることなんてできない。上はどこまでもあるし、下だってある。

 それだけじゃない。
 すべてはどうせ、生まれたときには何もできないほんの赤子で、
 いつかは年老いてしまう老人だ。

 何をもって強いとか。
 何をもって弱いとか。
 そんなものではない。

 何を築きあげる事ができたか。
 何を築きあげる事ができるか。
 それが重要だ。

 即物的な答えに何の意味がある?


「……詭弁ですね」
「だが真実さ。
 産まれついて『強いほう』に傾いてたお嬢ちゃんには、理解が及ばないかもしれないけどね。
 誰だって弱いし、強いさ。強くもなれるし、弱くだってなれる。
 臭いを言葉で表せないように、手触りを言葉で伝えられないように、
 強さを言葉一つで、あるいは多くの言葉を使っても、語れやしないよ。
 そぉさね、軽々しく『強い』『弱い』と言ってのけるのは、人間の悪いところだぁね」
「よく言えますね。あなたも人間じゃないですか。
 それに、世の中には努力や才能でもどうにもならないものだってありますよ?
 餓えで苦しむもの、力のない者、弱い者はいくらでも溢れています。
 ……あなたは彼らに、『君たちは強い! とても強い!』って、胸張って言えるんですか?」


 はは。化け物が弱者を語る、ね。
 なるほど、あの宰相閣下がはべらすわけだ。

 中々面白い情緒をしてるよ。


「弱い奴ってのが何処に居る?
 生きてるって事はな、強いって事だ!」
「――――ッッ!」


 弱いものなんていない。

 恐怖するために人は生き、恐怖を忘れたときに死ぬ。
 だから汝、恐怖を忘れる事なかれ。

 恐怖を知った人間が、それを忘れない限りは、
 人は誰しも強者たりえるさ。きっと。


「それと、先の質問にも答えるけど、さ……。
 化け物ばかり倒し続けてきた大乗の末が、このエレコウさんさ。
 きっともう、半分人間やめてるんだろーさ。……死ぬまでは、きっと、ね……」
「……それでも、やはり詭弁ばかり論じてるようにしか思えませんね。
 強いだの弱いだのという『概念』が、どうして私に関係するんですか?
 私は、『言葉なんて信じない』。この身体で感じ、知ったことしか信じません」


 なる、ほど、ね。これは堅物だ。頑固といってもいい。
 『言葉は信じない』。中々の名言だ。
 “神様”にも聞かせてやりたいほどだ。

 やれやれ、相手は化け物だというのに、これじゃもう、こっちが惚れてしまいそうだね。
 言葉を返せばこれだもの。まったく、最近の化け物は知恵も廻る。
 揺るがず躊躇わす、真っ向から迎え撃ってくる。
 こういう子は好きだ。惚れ甲斐がある。

 けど、お互い相容れない存在だ。
 そこを履き違えたりはしない。

 彼女は化け物だ。
 そして大乗は化け物を殺す存在だ。
 化け物は殺さなければならない。
 そういうことになっている以上は、ね。


「フムン、それじゃあ、現実的な側面から切り口を見出そうか。
 まずは、そうさね……君には格闘技の才能がない、とは限らないと言っておこう」
「……いきなり前言撤回から始めますか……?」
「まあね、けどこの才能というものが曲者なのさ。
 ま、言葉は信じない、ってお嬢ちゃんは言うけどさ、
 とりあえずエレコウさんの説明は聞いてもらいたいものだね」


 こういう手合いには、こちらが合わせて話したほうがいい。
 好き勝手言い過ぎれば、きっとその言葉尻から反撃の一手を拾い上げてくるだろう。
 まったく、戯言が大の好物であるエレコウさんにとっては、ちと絡みにくい相手だね。

 特に、こういった重要な話題を振るときには、相性が悪いね、まったく。


「格闘技ってやつはさあ、総じてより強い者に対する対抗手段として、
 過去の色々な人間によって編み出された技術だけどさ、ここには一つ盲点があるんだよね。
 盲点っていうのは、つまり、対人目的ってことさ。そして付け加えるならば、人間が使うこと前提だ」
「…………? それの何処が不思議なんですか?」
「ま、要するにだ。ヒトがヒト相手にするための技、それが格闘技って事なんだけどね、
 つまるところ、動物がこれを学んだり、使ったりすることは無いってことさ。
 態々拳を握って突きこまなくても、爪や牙をふるって相手を裂けばいい。
 怪物の方々には非効率ってことだ。生まれ持った武器を封印することになるんだからね。

 昔、猿に格闘技を仕込んだ人間の話を本で読んだけどね、そりゃもう結構な演舞をこなしたらしい。
 けどそれは見せかけでね、実際に戦わせて見ると弱かったらしい。
 本能的な動きが『武』によって束縛されて、しかも人間と同じ武術を学んだ以上、
 格闘技に人間には動きを完全に読まれたとか。
 かじった程度の相手にも勝てなかったらしいね。

 お嬢ちゃんは猿じゃないけど、似たようなものさ。
 『君は格闘技を学べば、それだけ人間に理解される生き物になる』。
 これが、エレコウさんが君に格闘技を教えない最大の理由になる」


 そして同時にヒトの限界であり。
 化け物と人間との違いさ。

 人間は何時までたっても人間相手が精々だけど、
 化け物は何一つ苦労なく、人間を狩れる生き物だ。
 もちろん、人間も決して弱いわけじゃない。
 一生を捧げて、到底たどり着けそうも無い境地にたどり着けるのも人間だけだからだ。

 だけどもそれは相応の苦痛が伴われる。
 もしくは、人間を止めるしかない。

 人間は化け物とは違う。
 化け物には決して勝てない。

 そう、いつだって、人間を殺すのは人間だ。


「さて、ここで一つ聞くが、お嬢ちゃん、君の強みは何だい?」


 『殺す』ではなく『狩る』側へ、尋ねる。
 お前の強みを理解しろ、と。


「……力が、強いことですか?」
「うん、その通り。大体あってる。けどもう少し掘り進んでみようか。
 お嬢ちゃんの強みは、力が強いこと、だけどそれだけじゃない。
 人間の、それもごく普通の娘さんじみた見た目の割りに、が接頭語としてつく。
 ……これがどういう意味だか、さとい君なら解ってるだろうから尋ねないでおくよ」


 見かけで騙すのは初歩中の初歩の初歩の、さらに初歩。
 いまどき半身を機械化した人間も珍しくはないが、彼女は生身でそれら以上より強い。
 そして生身の身体である以上、そういった機械化兵よりも人間らしい仕草、動作を取れる。

 そもそも生身である以上、金属探知機や駆動音検知で正体がばれることも、
 電磁波などによる能力低下も受ける事が無い以上、立ち位置は完全に上位だ。
 さらに実力が――いや、潜在的戦闘力も伴っている。
 まったく、流石“申し子”だよ、アドニス。


「ヒトの身体を持った、人外の生き物。それも実力は怪物級。
 お嬢ちゃんが強いのは、そういった外面的特徴と、生まれながらの身体的特徴、
 ついでに精神的にも非人間的なところがあるという内面的特徴があるからだけど、さ。
 ホントのところは、それはおまけのようなものだ。
 君が本当に強いのは……ヒトに理解されない、理解できない存在という点、それが全てだ」
「理解できない、ですか。そうですか。
 私には貴方のほうが理解できませんけどね」
「面白い切り返しだねお嬢ちゃん。理解できない、ね。
 けどこの、『理解できない』という事は、さっき言った、
 格闘技を学んだ猿が勝てないって話にも繋がるんだよね」


 強みの理屈は簡単だ。
 理解とはすなわち、予測をたてれるという事。対策を練れるという事。
 彼女が怖いのは、訳のわからないヒトのような化け物だという点だ。

 何をするかわからない。
 何ができるかわからない。
 何をしてくるか予想がつかない。

 相手に理解させないことは、戦いで、狩りで、最も重要な“力”だ。

 さっき、闘刃で目晦ましして、背後から一撃で仕留めようとした。
 あれは、人間相手であれば完全に成功していた。
 だが結果は失敗。獲物を逃がし、彼女は無傷だ。

 化け物である点を踏まえても、こればかりは異常なことだ。
 格闘技を学んでいたら、あそこまで躊躇なく『無防備』に逃げるようなことはしない。
 『受ける』にせよ『応える』にせよ、あるいは『避ける』にせよ、
 武術家は絶対に、あんな無茶な前転は選ばない。

 『本能的に』『生まれながらの感覚で』避けた。
 まさしく“勘”だ。
 だけどその勘だけであれを避けたのだ。
 それ以上の何がいる?
 感覚だけで、彼女には十分に過ぎるはずだ。


「だからといって、それが即格闘技を学ぶな、につなげるのは早計かと思いますよ。
 感覚と本能。それだけで避けたっていうのは確かですけど、
 それは貴方の攻撃が不可思議だったからです。
 あれだって前もって『理解』していれば、その対策も――…………ッッ……!」
「そ、つまりそういうことさ。
 理解ができれば、つまるところ魔術なんてものがこの世から消えるってことさね。
 理解されれば対策を練られる。上官が無能でも現場の部下が判断して勝てるし、
 逆に有能な指揮官が凡兵を操って強大な敵を倒すことだってできる。
 君は理解される側に立てば、こういった連中に倒されるところにまで凋落することになるのさ」


 やはり賢い子だ。
 強くて賢くて、ついでに見栄えもいいとかどんな化け物なんだか。
 まったく、アドニス。恐ろしいものを造るやつだ。
 やはり、あの時……殺しておけばよかったかもしれない。


「ヒトに理解されず、しかしヒトの側を理解すること。
 それが、お嬢ちゃんが強くなる一番の手法だよ。
 本を読んでヒトの情動を知ったり、過去の戦争史を学べば、
 お嬢ちゃんは誰にも負けない存在になるだろう。
 格闘技を学んでも、お嬢ちゃんなら快王以上にもなれるだろうけど、お勧めはしないよ。
 それこそ、一生と全てを捧げない限り、そこに到達することはできないし、理解されちゃうしね」
「……理解されず、しかし相手を知る、ですか……。
 なるほど、言いたいことは理解しましたよ、エレコウ。
 “納得”はしませんが、“理解”は、ですけどね」
「はは、まあそう言うことはないさ。
 別段、何一つとして学ぶな、と言ってるわけじゃないんだし。
 格闘技の観戦を禁止してるわけじゃないし、むしろ見るべきだ。
 お嬢ちゃんに足りないのは、圧倒的に経験だ。それを埋めるのが先決さ。
 それに、……君自身の、君だけの、君だけが使える新しい“技”を編み出すのも、いいだろうね」
「……私だけの……格闘技…………?」


 ヒトがヒト相手に編み出した技が格闘技なら、
 ヒトが強引に怪物を倒そうとひねり出したのが大乗流だ。
 だがそのどちらも、人間が操ることが前提だ。

 もし、ここに、化け物が、ありとあらゆる生き物を倒すために、
 まったくの新しい流派を作り出したとしたら……。

 きっとそれは、誰も手出しができなくなる。
 文字通りの“最強”だ。

 何故ならば、それはヒトには再現が出来ない技術だからだ。
 武術を教え込まれた猿が、格闘技の“型”を再現させるために力を緩めたように、
 ヒトが彼女と同じ技を使うには、圧倒的に筋力が、肉体的な強度が絶望的に足りないだろう。

 狼は牙をつきたて、熊はその筋肉そのものすらを武器として操る。
 貧弱な爪や歯、肉体しか持たない人間が再現できないように、
 彼女が編み出す技もまた、人間には到底使えない武器に違いない。

 ヒトが真似できず、彼女たちにしか使えないのなら。
 それはきっと、誰にも打破できない武術になるだろう。
 もしそれが完成すれば、大乗のお題目も晴れて終わりを告げることになる。
 そうすれば、本来の立ち位置に戻れるだろう。

 世界が埃と消える前に。
 本当の死を得るために。


「別段一から全ての技や体系を組み上げろって言ってるわけじゃないさ。
 第一大乗だって同じだしね。大乗もまた、色々な流派から技を盗み続けて組み上げた流派だし。
 先の闘刃も、仏掌打も、それ以外のありとあらゆる技も、たった四つの技を覗いて全部盗作さ。
 強いてあげれば、それぞれの流派の型を削りに削って、
 ありとあらゆる体勢から発っせれるように、独自の改良は重ねているけ、ど、ね。
 お嬢ちゃんも大乗と同じように、大乗から技を奪い取ればいい。
 そしてそれを君なりに味付けして料理して、誰にも再現できない味に仕上げるといい。
 料理を教えるって言ったし、まぁ、こーいった面での料理法も、素材の活かし方も、教えたげるさ」


 化け物に協力するのは、神様にとっては大問題だろうけど。


「盗作……? あの技全てが盗作で、本来は大乗のものではないと……?」
「そ。君はその中から好きなものを選んで、盗め。
 ヴァルカンと一緒さ。彼もまた、エレコウさんから技を盗みにきた泥棒さ」


 同じ化け物を殺してくれるというのなら。


「それだけじゃないさ。軍略、戦略も盗んでいきな。
 というよりも、そっちが本命だろう?
 個人の力量よりも、そっちのほうが貢献度が高い。
 お嬢ちゃんが戦いの中に自分の価値を見出すのなら、戦略を磨くことだね。
 単機の技量思考の多いアムステラでは、むしろそちらを伸ばしたほうが益が大きい。
 君が、かけがえのない大隊長にまで上り詰める気があるのなら、そうするべきだ」


 化け物に力を貸す。

 世界中の怪物も、“神様”も皆殺しにしてもらう。
 それが力を貸す条件であり、彼女に強要させる個人的趣向だ。


「それに利点はそれだけじゃないさ。機兵戦にも結構、影響がでるだろうね」
「へえ……まるで何から何まで私を言いくるめるために述べてるみたいですね。
 エレコウ、貴方は私に何をさせたいんですか……? 何をさせるつもりですか……?」
「さて、ね」


 聡い子だ。そしていい子だ。
 こちらの思惑は知らないだろうが、彼女はこの案に乗るだろう。

 拒絶などしない。
 これが最善で、これ以外の手法がないことをよく理解しているからだ。

 だから話に乗る。
 こちらが何を考えていようとも、それが彼女の害にならない限りは目をつぶるだろう。
 まったく、出来すぎな話だ。今更になってこう流れが変わるとはね。


「武術家が機兵戦でも強い理由は、組み手によって想像力が蓄えられているからさ。
 ああすればこう動く、あるいはこう動けば相手はこう動く、という予測と計算が、
 並みの兵士よりも軒並み外れて優れているから強い。つまるところ、経験の問題だ。
 熟練の戦士なんかが会得してる戦場の心得というやつも、これだぁね。
 生身で日々打ち合いをしているから想像が働く。それだけの事さ。
 自分の肉体通りの動きを再現させるあの装置とかは関係ない。
 むしろあれは不要な機能、とまでは言わないけど、あまり役には立ってないのが現実だ」


 人間の動きを完全に再現することは、機械には不可能。
 強度、骨格、筋肉の繊維、脂肪、血管、自己治癒能力、そういった部分の差異が大きすぎる。
 それは、どんなに人体に近づけようとしても、どうしても届かない技術力の限界点だ。

 操者の動きを読み取り、翻訳し、それを電気信号に直して伝え、機体を動かす。
 だが人間と機械の違い、その誤差部分が反応を僅かに鈍らせることも、
 威力を劇的に下げることも多い。

 卓上遊戯の戦争で勝てる人間が、実際の戦争でも有能な指揮官たるかといえばそうじゃない。
 それと同じことだ。

 たとえ格闘技が優れていたとしても。
 どんなに中の人が強かろうと。
 最後にものをいわせるのは機体の性能差と、操縦者の単純な技術力、
 そして精神力と想像力だ。

 格闘技を覚えたからといって、機兵戦でも無敵になれるわけじゃない。
 銃で撃たれれば人は死ぬ。
 獣に踏み潰されれば人は死ぬ。

 それはどうしようもないことだ。

 人が人である以上、避けられない部分だ。


「だが、お嬢ちゃんは人じゃない。そして人並み以上の想像力と知性を持つ。
 お嬢ちゃんの自己流の技は、間違いなく想像力が要石となるだろう。
 だったらそれは、機兵戦にも応用が利く。
 いやむしろ、君の編み出す技は人のそれよりも機兵戦に適している可能性だってある。
 大乗と同じように、ね。大乗のそれも、機兵に乗って獣を倒すために造られた技だ。
 お嬢ちゃんが本気で、ありとあらゆる戦いにおいて常に勝者と為りたいのなら……」
「人の心を読む化け物になれ。そう言いたいのね。
 なるほど、よくわかりました、エレコウ。
 私は貴方の事が嫌いです。これ以上に化け物になれ、と言うのですから」


 だけど拒絶はしない、ね。
 はは、それでこそ、と言うべきかなこれは。


「……それじゃあ、しぶしぶですが貴方の案、呑むことにしますよ。
 それと……解っているでしょうが、私は貴方の事が嫌いです。
 あともう一つ。いい加減名前で呼んでください。腹が立ちます。これ以上ないほどに」
「言うね、お嬢ちゃん。こっちだってお嬢ちゃんのことは嫌いさ。
 だけど、まぁ、愉快にやらないって法は無いさ。そうだろ、お嬢ちゃん?
 二十日ばかりの苦痛だ、その間この呼び名に耐え切れたら、そのときは名前で呼んであげるさ」


 まったく、とんだ狩人と怪物の協力協定だ。






エレコウ手記 七の年 二月の雪の日 『彼女』の記憶(ゆめ)


     大乗に化け物を扱えだなんてとんでもない。
     あちら側もそれは同じだろう。
     だがお互いに、思惑が合致するのならば、手を組める。
     どうやらいよいよもって大乗の、終わりをようやく迎えそうだ。

     押し付けられたものは大きく、重く、長かった。
     ようやく四千年の呪いが終わる。
     糞な神様の思惑もこれで終わりだ。
     ハックルには悪いが、これで終われる。そのはずだ。

     それだけじゃない。
     彼女が到達してしまえば、政治の天秤も大きく崩れる。

     臣下、市民たちに愛された姉王は声を得るが、
     個人の力量には富んでも集団としては低い。
     また政治力も幼いが故に弱い。

     対して多くの兵力を担う弟王は政治には富むが、
     姉王より民に愛されているかと問われれば、それは否。
     貴族や軍部に対する働きかけも大きいが、
     しかしやはり、個人における力量が低いのが欠点だ。

     政治と兵士、名声と民衆。
     両者はこれで天秤のようにつりあっていた。
     ここに今、怪物という名の姫を、
     妹王の器足りえる彼女を放り込めばどうなるか。

     きっとそこで釣りあいが崩れ、
     どちらか側へと天秤は大きく傾くだろう。
     釣りあいが終わる。それが狙い目だ。

     武神に対する拮抗札として弟王の側に立っていたが、
     それもこれで終わる。

     本来の位置へ戻るか、
     あるいは兄王の側で立つか、
     あるいはあの、青い星へ向かうか。

     全ては天秤に向けて投げた、
     彼女という賽に委ねよう。


     そういえば、珍しく夕方から雪が降った。
     だがそれも、きっと夜の間に雨になるだろう。





     雨が降る。