「俺達…もう終わりにしないか?」


 それは有りふれた別れの言葉。

愛する二人が終焉の時を迎える残酷な瞬間。

向かい合う二人の男女の間に、凍りついた沈黙の空気が流れる。


 タキシードを纏った巨漢とチャイナドレスを身につけたツインテールの女。

その如何にもデートの為におめかしをしてきました、といった様相の二人の格好はこの超高級ホテルの77階に位置するセレブレティなレストランには不釣合いだった。

それが一層、この二人の悲劇を引き立てる。


 ツインテールの女がワナワナと震えながら、男に詰め寄る。


「な、なんでっ!? 私らなんだかんだで上手くやってきたじゃん? 今更、何でそんなこと言うのよ!?

…あ、わかった、女でしょ? 私以外に好きな娘できたんでしょ!?

毎日、携帯チェックしてんだからね? 誰? 薫ちゃん? 千春ちゃん? 梢枝ちゃん? どの娘と浮気してたの?

ねえっ、答えなさいよ、末堂君!!」


 握り締めたワイングラスが粉々に砕け散る。


「お、落ち着けよかつみん。べつに、俺は浮気なんてしてねーよ。つーか、その着信、全部男からだから!!

理由はその、…なんつーか、さ。もう君の事が解らなくなっちまったんだ。

デートコースはいっつも格闘技観戦だし。空手の話でしか盛り上がらないし。普段着はいっつも空手着だし!!

…そりゃ君は軍のお偉いさんの娘さんだし、男勝りの性格もアリかなーって思ってたけどさ。

でも、俺、もっと普通の恋愛がしたいんだよ!!

絡んできたチンピラに音速拳とかかましたりしない、普通の娘と付き合いたいんだ!!」


 末堂と呼ばれた男が必死の形相でアピールをする。

彼は勇気を振り絞って、今まで言えなかったパートナーへの不満を語る。

 
 ツインテールの女…大蛇勝美はうな垂れた様子で下を向き…そしてこう呟いた。


「ふ…ふゥゥゥ…ん」


 きっ、と顔を上げた勝美の目には大粒の涙が浮かんでいた。

そしてその両拳は硬く正拳を形成させている。


「ま、待てかつみん!

話し合おう!! 暴力はいけない!! ほら、皆みてるよ〜! そんなに怒ったら綺麗な顔が台無しだよ〜 さあ、座って座って…」


「だおっ!!!」


 奇声を発した勝美の、引き手から問答無用で放たれる、末堂の正中線に添った四連突き。

その強烈な衝撃はTレックスの尾の一撃にも似て。


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!?」


 末堂の巨体はまるで魚雷のようなポーズで吹っ飛び、壁に突き刺さった。

まるで犬神家で起こった恐るべき殺人事件を横に90度反転させたような状態の末堂の足が、二、三度ピクピクと動いたが、直ぐに微動だにしなくなる。


「う、うぁぁぁぁん! 末堂君の軟弱者っ!! へたれマン!! アンタなんかアヤトリでもしてなっ!! ふぇぇぇぇぇん」


 泣き叫びながら高級レストランの壁をぶち抜いて飛び出していく勝美を、雲上のセレブ達はただ唖然と見つめるしかない。

人型に繰り抜かれた壁の穴から、一陣の風が舞った。



大蛇勝美外伝 −灼熱の時間−



大蛇流空手継承者にして、日本防衛軍の枢軸たる幹部、大蛇毒砲(おろちどっぽ)は大いに悩んでいた。

彼の愛娘が、一張羅のチャイナドレスを振り乱し、踵の完全に折れたハイヒールを手に抱えて号泣しながら家に帰ってきたと思ったら、そのまま部屋に閉じこもってしまったからである。

まさかレイプでもされたのか? いや、そんな恐ろしい真似が出切るのはこの世に幾人も居ないはず。

ならば一体何があったというのか?


 …先日、稽古に身が入らぬ様子の勝美に、喝を入れた事がある。

そんな事で我が大蛇流を世界に知らしめる事ができようか? 侵略者たるアムステラの強兵達に立ち向かうことが出来ようか? と。

問いただしてみれば、最近、付き合い始めた男が居るとか。

何たる事か。武を極めるべくして育てた自分の娘が、男一人に腑抜けにされるとは。


 …だが、そこは毒砲も人の子。娘にとってはこの世に生まれ落ちて21年、初めて出来た恋人である。

見てみぬフリをする優しさが彼にも存在した。


 だが、今日のこの様子。

もし、その彼氏とやらが娘に酷い事をしたというのなら、容赦はしない。


『人喰い大蛇』『虎殺しの毒砲』と怖れられた我が名に懸けて。その男に制裁を加えねばならん。

ジェットコースターの上から突き落とし、サンドバッグの中に詰めねばならん。

……尤もその時、救助隊の手によってレストランの壁から引き抜かれた末堂は、既に病院のベッド上で生死の境を彷徨っていたのだが。



 握り締めた巨大な拳が、女っ気の無い殺風景な勝美の部屋のドアをノックする。

…返事は無い。耳を澄ませば、未だ泣きじゃくる娘の声が聞こえる。

鍵はしっかりとかかっている。ちなみにドアはチタン合金製の、象が暴れても壊れる事の無い代物だ。


毒砲は、指先でポリポリと顔をかき、拳をまるで生まれたばかりの赤子が握るような形に作った。


「おぉい、勝美ィ。入んぞ」


 そう言い放ち、菩薩の拳をドアに叩き込む。

強固なはずの扉が、跡形も無く砕け散った。


 部屋の中では、電気も点けずに布団の中に潜って泣いている勝美が居た。

毒砲が扉を破壊して入ってきたのに気付き、ビクリと肩を動かす。


「な、なんだよ、親父。レディの部屋に勝手に入ってくるなよゥ…」


 その様子を見て、毒砲はやれやれという素振りで溜息を吐く。


「かーーーーっ、情け無ぇなぁ。大方、男にでも振られたんだろうけどよぉ。

オメェも武道家なら、そんな事でへこんでんじゃねえ。そういう時はな、正拳突きだ。正拳突き。

雨の日も風の日も親兄弟が死んだときもひたすら正拳突き。

そんな事をしても強くはなれねーだろうがよぉ。1万本もやりゃあスッキリ爽快だぜ。

解ったらとっとと起きて道場に来いや。相手してやっからよ」


 その不器用な父親の優しさが伝わったのか…勝美は布団を投げ捨て、泣き腫らした目で毒砲を見つめる。


「………ああ、アンタの言うとおりだよ親父。私にゃもう、空手しかねーんだ。

………空手の所為で振られて、空手に一生を捧げる。そんな人生が相応しい。

もう男なんていらねぇ! あんな軟弱な生き物、この世から無くなっちまえばいいんだー!

よーし、もう吹っ切れたぞー。こうなったら最終兵器(リーサルウェポン)って呼ばれるまで体を鍛え抜いてやる!

アムステラ星人をどんどんぶん殴って、大蛇流の名を世界に広めて。

皆に私を認めさせてやるんだ!」


空元気だとは言え、勝美の目には生気が戻ってきている。毒砲はそれを見て取り、満足気に頷いた。


「おお、その意気だぜ、勝美。オメェも解ってきたじゃねえか。よーし、じゃあ早速稽古つけてやる。降りてきて道場に」


「あー、あのな、親父。ちょっとお願いしてもいい?」


 毒砲の言葉を遮って、勝美が何やらモジモジしながら上目使いで父の顔を見つめる。 


「あん? 何よ? 美味いもんでも食いたいのか? じゃあ精をつけるためにステーキでも食いに行っか? 撃たれた弾痕も一晩で消えるくらいのよ」


「いやー、そうじゃなくて。

…ちょっとさ、武者修行の旅とかに出たいかなー、って。

できればヨーロッパとかに行ってみたいなー、って。

ほら! 毎日同じ場所で修行してても新鮮味が無い、っちゅーか。たまには気分変えてみたい、っちゅーか。

だから、旅費をくれ、親父!」


 余りにも現金な、突然の娘のお願いに、毒砲はあんぐりと口を開けた。


「そりゃあ、オメェ、武者修行じゃなくて、失恋旅行じゃねーか!!

何でヨーロッパなんだよ、オイ!? 修行に行くならもっとストイックに、アマゾンの奥地とか、サハラ砂漠とか、ギアナ高地とかよぉ? 厳しいとこが色々あんだろーがよ!」


「うるせー!! 一回ヨーロッパ行ってみたいんだよ!!

観光しながら修行したって別にいーじゃんかーーーー!

良いから黙って金をくれ、親父!」


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!?」


 余りに横柄な態度の勝美の言葉を聞き、こめかみに血管を浮かべる毒砲。

娘には基本的に甘い彼だったが、今回ばかりは我慢がならなかったようだ。


「あのよぉ、勝美。オメェも一応、軍人の端くれだろうがよ。

一人で武者修行とか言って出ていって、日本の守りとかどーする気よ? 言ってみろや? おぉ?」


「んなもん、K.G.Fの連中とか、狩村一尉とかさ、日本にゃ一杯スゲー奴いるじゃんよ?

私一人留守にしたって大した影響ねーよ!!

さあほら早く! 金! 金! ギブミーマネー!」


 手を差し出して金を要求する勝美の姿に、ついに毒砲の怒りが頂点に達した。


「…オメェの考えはよーくわかったぜ、勝美。

前から、道場の経営についての話題なんかで、意見が対立する事もあったよな?

そういう時はよ、コイツで決めるんだったよな?」


 そう言って、その巨大な拳を握ってみせる毒砲。

勝美はそれに呼応して気炎を吐いた。


「おう! そっちから言ってくれるとは思わなかったぜ! 

勿論そのつもりだっ!! 降りて道場で組み手なんて悠長な事言ってねーで、今、ここで闘(ヤ)っちまおうぜ! なあ、親父!」


「俺は一向にかまわんっ!!」


 ゴゴゴゴ…という剣呑な擬音をバックに、二人の武道家が睨みあう。

お互いを飲み込まんとする二対の大蛇のオーラを放ち。両雄、一歩も譲らず!


 …だが、これは殺し合いではない。そう、詰まる所はただの親子喧嘩なのだ。

故に、毒砲の方には油断が過分にあったようだ。


 彼はあろう事か、戦闘態勢に入るために、娘の目の前で自らが纏っていた背広の上着を脱ぎ捨てようと…してしまった!


生じた僅かな隙を勝美は見逃さない!


その瞬間、咄嗟に彼女は毒砲の胸元を掴む。

結果として、脱ぎかけの上着が毒砲の両腕の自由を奪う形となってしまい…


 驚愕に見開かれた毒砲の目は、次の瞬間、自分の咽喉元にめり込む勝美の指先を見た。

放たれた指拳は、毒砲の意識を断絶するのに十分な一撃であった。


 敢え無くその場に崩れ落ちる、拳神・大蛇毒砲。

勝美は神妙な顔持ちで、父親のその倒れかけた体を支え…こう言い放つ。


「ごめんな…親父。フツウに組手なら使わないよなこんなワザ。

まして親子なら尚更。

でもどうしても行ってみたいんだ…ヨーロッパに!」


 そしてそのまま、毒砲の尻のポケットからずっしりと重たい財布を抜き取る。

中を開けてみると、札束がびっしりと詰まっている。

おまけに数種類のキャッシュカードは全てゴールドだ。

親父の暗証番号は知っている。いつも自分の生年月日。

これで当面の生活費に困ることは無さそうだ。


 彼女は、白目を剥いて倒れている毒砲に布団をかぶせ、手を合わせてもう一度、ごめんよー、と呟いて自室を後にした。

その足取りは非常に軽い。



*****



 勝美は格納庫に配置されている自らの愛機『リベンジャー』を起動させる。

旅行バッグいっぱいに詰まっているのは、空手着ばかり。

末堂と付き合う際に買ったアクセサリも捨てた。化粧品も捨てた。目が飛び出るような値段がしたチャイナ服も捨てた。

…全部親父の金で買ったものだけどね。


 目を閉じれば、末堂と過ごした楽しかった日々が思い出される。

何故か彼の顔はいつも引きつっていた様なイメージがあるが。


「…な、何よっ! 別に寂しくなんて無いんだからねっ! 勘違いしないでよねっ!」

 失恋の痛みなど、何処にも無い、と精一杯強がって見せる。



「…さーて、行くとするか。こっちは親父張っ倒してまで出てきたんだ。

半端な真似はできねーな。

先ずは手始めに、強そうな奴に片っ端からケンカ売ってみるかな?

大蛇流が最強の流派だって事、ヨーロッパの甘ちゃん共に見せ付けてやるぜ!」


 発進ゲート付近の整備兵達が慌ててこちらにストップのサインを出している。


「大蛇一曹!! 出撃命令は出ていませんよ!! 速やかに戻って下さい!!」


 整備兵達の声を聞いて、鬱陶しそうに耳の穴を小指で穿る勝美。


「あー、いや、実は極秘任務でさ。親父から聞いてない? 単騎で今すぐ出撃しろ、って言われてんだよ。

ほらほら、許可証もあるよ。

ちょっと急いでるからさ、どいてくんないかな?」

 …その許可証は司令官のみに許される、基地の全ての兵器を緊急に使用する権限を持つ代物。

そんなものを無造作に財布に入れておく父のセキュリティ意識の低さに驚いたが、今はそれが何よりも助けになる。  


「こ、これは失礼致しました。今すぐにハッチを解放します!!」


 敬礼をしながら、整備兵達が慌てて道を開ける。

…後で彼らも懲罰を受けるのだろうか? と思うと少しだけ胸が痛んだ。


 眼前には澄み渡る青空。

今がまさに船出の時。死ぬには良い日だ。ヤイサホー。


「バイバイ、日本。…バイバイ、末堂君」


 勝美が零れ落ちんばかりの笑顔で呟いた。


 余談ではあるが、この時、病床の末堂の心電図がピーッというアラーム音と共に水平の波形を示したとか示さないとか。

物語には何の影響も無いし、特に重要でもないのでこれ以上は語らない。全くもって余談である。かしこ。


「いよぉぉぉし! 大蛇勝美! 出るぞッ!!」

 勢い良く基地を飛び出した勝美の冒険は、今、ここより始まる。


目の前に如何なる敵が立ち塞がろうとも、彼女の燃え滾る血潮は誰にも止められない。


大蛇勝美21歳…今が灼熱の時間(とき)…!