獣の女王がやってくる
獣の女王の行進だ
彼女は誰にも止められない
彼女を止めれるものはない
だって 獣の女王だから
Hainuwele #10 少女/激震
最初に突撃したのは、ブニュエルとツァラの率いる部隊だった。
親子、それも同じ突撃戦法を得意としているがゆえだろう。
息を合わせ、あるいは逆にずらし、互いの微妙な"流れ"を敏感に察知し、
きらめく光の粉がごとく陣を、色を、攻め手を変えて突き進む、突き進む、突き進む。
「トルバトールか……ッ!」
返事はない。先行した二部隊の動きだけで、トルバトールはすぐに状況を察知したらしい。
後列を求めるその直前に、まるで二人の考えでも読んでいたかのように機を差し向けてきた。
「は、は! いいじゃねェか――おいおめェら、軽く手慣らししてやンな!」
にわかに湧き立つ面々を振り返り、どこか口調とは裏腹に冷静さを匂わせながらブニュエルは言う。
幾度と無く戦いの恐怖を味わいながらも、幾度と無く戦いの興奮を味わいながらも、
決してそれに飲み込まれること無く対峙し、抗い、克服してきた熟練者の顔が、そこにはあった。
さっと手にした獲物を振り掲げ、
「さっさと陣散らせ! 本番はまだ先だっつてんだろ、後々に楽しみは残しとけっつーんだよ!」
びゅん、獲物を振り下ろす。
数知れない敵を屠ってきた破壊の斧が、凶悪な風切り音と共に地を抉るや、
その言下、わっと声を挙げる兵たちが一斉にその牙を抜き放つ。
戦いは苛烈にして熾烈、しかしその長い争いも、ようやく陰りを見せている。
"塔"を落とし、"情報"を知り、数ある"基地"の多くをも落とし、落とし、落とし、そしてなお、敵へと進む。
長く長く戦いは続き、長く長く人が人を殺しても、その限界はいずれ来るもの。
それが今このときで、そしてこれ以降には絶対に訪れない。
敵は滅ぶ。今、ここでだ。
百日過多、そう、何百日も、苦楽を共にし、死を友にし、耐え、堪え、悲しみを胸に、怒りを胸に、
復讐を、勇気を、弔いを、誇りを、全てのものが機兵を駆る由縁を込めて、突き進んでいく。
(初めてね、こんな気持ちは……)
群れの中、けだものを率いた女王が、背筋をぞくぞくさせるような興奮の息をつく。
結局のところ、自分は人と馴れ合うつもりは無かったのだが、どうしたものか、
あちらから手を差し伸べて、共に戦ってきたのだ。
僅かとはいえ"愛着"も沸く。
争いの三倍則。三割の兵が死ねばそれは敗北で、敵の三倍の数を用いれば絶対に勝利する。
争いの三倍則。一度の敗北による士気の低下は、三度の勝利にてやっと覆すことができる。
争いの三倍則。人の三倍の武功をたてるものは、人の十倍の速度で信頼される。
ああ、そうだとも、彼女は三倍の女神。
三割以上の兵が消えてなお、たった四機で敵基地を攻め、逃げ切り、
三倍以上の兵を前にしてなお、機をあやつる敵を瞬く間に倒し、
三倍以上の不信感を抱かれてなお、戦い、勝利し、前に立ち、ここにいる。
結局のところ、彼女はいつしか誰も彼からもからも信頼され、
『人間なんて犠牲にしてもかまわない』などといいながらも、
人のために戦い人のために自らを投げ出し、誰よりも誰よりも、
彼女自身が忌み嫌っていた"ヒト"のために敵を葬り続ける道を選んだ。
もはや、彼女たちと人間の間にわだかまりはない。
総数にして百五十日を越える大遠征、大戦争はそんなものを吹き飛ばしてしまう。
たとえそれが、ヒトは現金なイキモノだといわれる末でも、たとえそうだとしても、
ヒトを僅かにでも好きになれたというこの"きっかけ"を、彼女は歓喜をもって迎えた。
彼らは――"仲間"だ。
私に"痛み"を与えるヒトモドキでもなければ。
私に"苦しみ"を差し向けるヒトモドキでもない。
共に傷ついてきた、ただの、ただの……人間だ。
(ずいぶんと現金――ってゆーよりも、愉快な考え方ねぇ〜、ティカ姉ぇ。
あんまり長い一緒にいたからってねぇ〜、影響受けすぎじゃないかしらぁ?)
(……さて、ね。少なくとも、ホントに兵を食っちゃった貴方のほうこそ、
むしろ人間の方々と親密になりすぎてるんじゃないかな、ヘレナ。
というか、違う生き物なのによく抱かれる気になれるわ、貴方は……)
(え〜? 意外と人間の雄って単純で可愛いけど?
布切れをね、こう一つ脱いだけるとねぇ……可愛いー顔しながら喜ぶもんだから、もうねぇ)
(…………ハァ……。五感がつながってるのに、オクテな妹もいるのに、ナニしてるんだか……。
あんまり妹に――特にエリスとかに悪影響出るような変態的なこと、しないでおいてよ、ヘレナ)
十日ほど前の任務の最中、出撃した半数の姉妹と整備を続けている残りの姉妹を置いて、
一人気の弱そうな少年をつまみ食いしていたときには、思わず自分の妹ながらも殺そうと本気で思った、とは言わない。
口にせずとも向こうは知っているだろうに、なお素行を改めない妹だ。言われてなお、"燃える"性癖に違いない。
「……ったく、ウチの妹ときたらもう……」
「……あ、あぁ!? なんだ、何か言ったか?」
「いーえ、別に何でもありませーん。それよりも、そっちは変わらず調子悪めですか?」
そう、妹などどうでもいい。むしろ気に掛かるのは隣を駆けるガルーシアのほうだ。
この間――とはいっても七十日以上前からだが、どうにも反応がおかしい。真剣に心配だ。
ただでさえ色々と問題があったというのに、同僚であるガルーシアにまで反目されては、
とうていささくれ立った感情を抑えきれたとは言えない。
特に、自分たち姉妹が人間ではない、と告げた頃は、周りからは色眼鏡で見られたものだ。
それが不快で、煩わしくて、煙たくて煙たくてしょうがなかったというのに、
そんな時に下らないことを言われたら、殺していたかもしれないからだ。
そういえば、とティカは思い返す。
この男が――ガルーシアが自分によそよそしくなったのは、大体そのあたりからか。
いや、違う。それよりももう少し前から……果たして、それはいつだったか、たしか――
「――い! おい、聞こえているか、ティカ!」
「ん、あぁはいはい、聞こえてますよ、そんなに怒鳴らなくてもいいですよ」
「よく言うな……一分以上だんまりだったぞ」
は、は。乾いた自虐的な笑い。考え事だなんて、くだらない。
多少は好きになれたとはいえ、人間相手に何を思い悩んでいるのやら。
ティカは幾分表情を引き締め――しかし、見る人が見ればやはり微笑んでいるとしか呼べない顔で、
「それで、なんですか?」
「やっぱ聞ーてねーじゃねーか!」
しれっとして言うものだ。
「まあいい。ええとだな、別働隊からの連絡だ、あちらは海を渡った遠征に成功、
この星に二つある大陸のうち、あちら側を完全に占領、今は浮島だの海上基地だのを攻めるそうだ。
なんというか、俺らのほうが出遅れちまった形だな……ま、それも、今日ここで終わるんだろうけど、な」
「まあ、あちらのほうが敵兵数は少ないようでしたし、味方分隊も多かったですしね。
対してこちらには例の"蒼"、エルリックとだとか名乗る、例の指揮官が率いてますからね」
「そうなんだけどなぁ……しかし、エルリック、ねぇ。なんかどこかで聞いた覚えのある名前なんだがな。
確か総隊長が昔話に話してくれたような気がするんだが、どうだったかね……まあ、どうでもいいか。
それより、ブニュたち先行部隊が崖坂に攻め入り始めた。ついでに例の蒼騎士も発見したって言ってるぜ」
「ちょっ……それを先に言ってください、もう!」
あわてて機を急加速。手にした"武器"の剣先で地を削り取りながら、奔る、奔る、奔る。
あの蒼い亡霊騎士――おそらくは、それこそが"蒼"のエルリックと思われるが、
尋常ではない操兵術を持つあの男の前では、機体の性能差もあって四隊長では荷がかちすぎている。
せめて、同程度の性能を誇る機兵を操っているのならいい勝負ができるだろうが、そんなものはここにはない。
いやそれ以前に、"いい勝負"では困る。完膚なきまでに、奴をこの場で倒しきる必要性があるのだから。
その役目は誰が負うべきか。
決まっている。そんなものは決まっている。
勝利の女神、野蛮の女王、獣の申し子――ティカ=ハイヌウェレ。
奴の相手、それは彼女にこそ相応しい。
「では、手はずは先に言った通りで。ハイヌウェレ隊、続け! 仕上げのために、進め!」
――おおっ! 誰からともなく声をあげ、ハイヌウェレの駆る機影が奔る。
亡霊狩りは同じ化け物同士で潰しあえばいい。そうとも、亡霊を狩り立てるのは彼女たちだ。
それを邪魔しようなどというものは、あるものは斬り、あるものは砕き、
いずれにせよ生も死も関係なく、その進撃を止めることは敵わない。
ああそうとも、ティカは笑う。充実がある。満足がある。だけどまだ、満たされない。
私はそれを満たしにいくのだ、前へ、前へと。幸せを求めるために。
止めれるものなどもういない。あるとすればそれは、敵が目前から消え去ったときだけだ。
崖を飛び越え、敵を踏み潰し、砲撃を避わし、残骸をなぎ払い、
やがて群れを率いる蒼ざめた亡霊を前に、確信する。
もうこの唸りは止まらない。あるのはお前の死だ、"蒼"――エルリック!
「あ゙、あ゙、あ゙、あ゙、あ゙、あ゙、あ゙、あ゙!」
一合目、下段から上へとなぎ払った大剣は受け払われるも、捻りを加えて左足を突き出す。
先の一撃の勢いを活かして一回転、横薙ぎの二合目、両の剣で受け止められる。
三合、四合、五合。攻撃の手は緩めずに、すぐさま次の手をうって相手の出方を封じ込める。
マスター・ガフと同じく、防御に秀でた相手。だがそれがどうしたと、そういわんばかりにティカは剣を振るう。
一撃、二撃、さらなる一撃。攻撃の流れは緩めずに、しかし絶妙な踏み込み加減で距離を保つ。
獲物の上ではあちらが有利だ。細身の長剣ふた振りを、巧みに操る姿には隙などない。
ひとたび距離を詰め過ぎれば――あるいは離れ過ぎれば、敵の反撃に身をさらされることだろう。
なにぶんこちらは大振りだ、距離次第では片側の剣でも受け止められ、返す逆の剣でぐさり、一発だ。
ティカは敵を侮りはしない。性急にもならない。
ただ、冷静に、嘲るだけだ。
凶暴な面構え、暴力の権化、吾亦紅は朱に輝きながら"蒼"と対峙し打ち合う。
剣撃の音は甲高く響きながら、絶え間ない追撃に次ぐ追撃に、次第に割れ果て耳朶へと届く。
頃合は、まだだ。駆け引きはまだ続ける。ほとんど衝動ともいえる本能が、次の手をうつ事を拒否し続けた。
まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ。
姉妹が絶好の位置に佇むまでは、まだだ。
「こンのぉ! ……まったく、そいつがご自慢の剣ですか。
前見たときとはずいぶんと様変わりしたものですね、蒼亡霊ッ!」
早立つ気持ちを紛らわすかのように、ティカは叫ぶ。
もちろん相手に届くはずなど無い。
分厚い装甲の向こう側に、鋼が奏でる剣撃の歌に、か細い声など打ち克てはしないのだから。
けれども、無駄だとはいえ、それでも、叫ぶ。叫び続ける。
それしかすべを知らないのだから。
「そんなか細い獲物で私を止められるとでも言うのですか?
その程度の剣撃で私に抗えるとでも本気で思うのですか?
そんなもの、ただ硬いだけの幻想に過ぎませんよ。ええ、過ぎませんよ!
私の"敵"になりたいのなら、私の憎むべき"大敵"となりたいのなら!
あの時の武器を! あの蒼黒い大剣を! あの素晴らしく憎らしい大剣を!
あれをもって相対し、私達のすべてを終わらせようじゃないですか――亡霊ェ!」
声など、届くはずが無い。
届くはずが無いのだが――
――GGGUUUUUOOOOOOOWWW……
まるで示し合わせたかとでも言うかのように――
――WWWHHHHOOOOOOOOONN……
唸りをあげる蒼い亡霊騎士は、まるで神業とも呼べる速度で双剣を納めるや否や、
腰にした手裏剣をティカへと向けて三本、続けざまに投げつけた。
カン、カンと乾いた響きが木霊する。左手の盾を大きく振り払って二撃を防ぎ、
もう一撃は軽く右へと機体を傾けることで難なく避わしてみせた。
狙いは隙を作ることか、あまりにも見えすいた行動だ。
だがあえてそれに乗ってやるとは、どういう風の吹き回しなのだろうか、ティカ。
今や二撃も突き出せば、機体も少なからず損傷を受けるはずだ。
絶好の隙。しかし追撃はない。そんなものは向かってこない。
向かってくるはずなど、ない。
そこには、いつの間に現れたのか、朱の狙撃手が佇んでいる。
それも、不釣り合いな獲物を握ってだ。
手にした"蒼"黒い大剣は、いつか"妹"の目で見た"蒼"の獲物。仲間の多くを払った獲物。
ツァラや妹たちと戦うときには決して抜き放たなかった、未知数にして強大な、鉄の塊。
彼女が待っていたのは、それだ。
「ようやく使う気になりましたか。それにしても、朱いのまでいるだなんて好都合ですね。
どうです、一緒に踊りませんか? 三人でお遊戯というものも、中々に楽しげなものですよ」
無論、返事などない。ただの独り言だ。
それでも、だ。持つ機体が華奢に見えるほどに長く、厚く、太く、蒼黒く輝く大剣を、
"朱"は"蒼"に手渡してなお、その場にとどまり続けている。
言葉などというものはそこには要らない。
ただ行動だけがそこにあり、敵意だけがあればいい。
きっと"あれ"もやり合いたいのだろう。そうに違いない。
「なんだ、やる気はあるって事ね。いいですよ、私とやりたい人は、全員私が相手してあげる」
(姉さん――ッ!)
(……興ざめな助言はいらないんだけど。貴方たちは、ただ、ただ、力を貸してくれればいいの。
始めようじゃない。相手は亡霊二匹、こちらは化け物の親玉が一匹。いい勝負じゃない、違う?)
今度こそ、自身も凶暴な笑みを浮かべて嗤う、嗤う、あざ嗤う。
嗤う獣はぺろり、唇を舐めながら、野蛮に吼え立ち構えをとる。
守護の左手、屠りの右手、敵は亡霊、朱と蒼。
殺しあうには、実に十分すぎる。
――おおっ……!
声を挙げたのは誰か、敵か、味方か。しかしそれは取るに足らぬ下らない事か。
互いの大剣がかち鳴らす、ほとんど無音にしか聞こえないほどの甲高い鋼の悲鳴が両者の間で響く。
だがそれは、"蒼"の攻撃それだけだ。"朱"はまだ、何も動き出してはいない。
いや、動いた。銃口があがる。こちらを狙い定めて砲身をすっと伸ばす。
二つの"朱"い機体の間には"蒼"がいる。だが、それをも構わずに撃つつもりか。
急速に鳴りたてる、熱源反応を知らせる警告音。
瞬間、閃光、砲撃、轟音。"朱"は構わずに撃ち放つ。
"蒼"は――むろん回避。大剣を縦に突きたて身を捻り跳躍。同時に手裏剣を投擲。
二段構え、否、着地後に"蒼"が繰り出す追撃を考えるなら、三段構えの連携か。
敵軍最強の双機兵が、たった一機の量産機に繰り出した必殺の攻撃だ。
たかが雑魚に繰り出すような技ではない。だが敵は、今、この場で使った。
たかが雑魚を殺すためだけに。大敵だと、認めたと言わんばかりに放った。
しかし。
それでも。
――にぃ。
亡霊を、嘲笑う獣がいる。
「お、お、お、お、お、お、お!」
大剣に細工された引き金を絞り、獣は振るう。
野蛮に猛り吼えながら、巨大な爪で払ってみせる。
音は――ない。鋼を打ち払う音もしなければ、熱線に撃たれ砕かれる音もしない。
まったくの無音……いや、何かが焼け付くかのような、じゅっとする音だけが、僅かに聞こえたかもしれない。
「……遅すぎですよ、貴方たちは。もう、私"達"の細工は、終わってしまったんですから。
残念ですね……これでもう、貴方たちは私"達"には勝てない。絶対に、絶対に、絶対に」
大剣が、輝いている。
くすんだ錆色でしかなかったその大剣が、まるで自分を取り戻したかのように輝きを放っている。
否、それは違う。輝きを放っているのではない。輝きを纏っている、そう、纏っているのだ。
その輝きが、攻撃を防いだとでもいうのか。いや、攻撃を"かき消した"とでもいうのか。
……シャコン。薬莢を吐き出しながら、もう一度振り払う。
鍔本に引き金を備えた特異な形状。弾薬を内臓する奇妙な銃付き大剣。
特殊技工付耐熱仕様大剣。強プラズマ火炎を自在に操る、アドニス=アハレイ作の武器。
運び屋ベイリが届け、この最後の決戦に間に合った、亡霊たちに抗える唯一の、理想的な兵器。
――その名は、アグレッシブ・リボルブレード。
「断ァ、あ゙、あ゙、あ゙っ!」
次弾装填、再度の発動。熾烈に輝く純白を振り払うや否や、その光はぐねりと、真っ直線に突き進む。
この大剣に装填された弾丸は、ただ敵を打ち抜くために備え付けられた機能では、ない。
引き金を絞ることで剣全体に白炎――プラズマを発生させ、それに指向性を持たせることで固定化、
その膨大な熱量で敵を叩ききるために付けられた装置……言うなれば、必殺剣。
銃撃ではなく剣そのものを強化する、発想の逆転が生んだ凶悪な武器だ。
その、すべてを焼き溶かす炎の剣は、眩しい閃光を撒き散らしながら敵に喰らいつく。
防御は不可能、何千度という高熱は何をもってしても耐え切るには難く、泥沼ですら瞬時に蒸発する。
そしてなお、回避に成功してすら表面を焼き溶かし、内部機関に並々ならぬ損傷を与えることができる。
それほどまでの威力をもった代物だ。
見れば、蒼い亡霊はするりと回避してみせるも、その左手は煙をあげつつ、
表面がぶくぶくとあわ立ち始めている。
対して朱い亡霊は、大盾で一時耐えてみせるも、その盾が瞬時に焼け溶けようとするや否や、
盾を投げ捨て後方へと急ぎ下がり、危機をようやく逃れた始末だ。
亡霊と、もし対話ができたなら、きっとこう言われたに違いない。
――化け物め。
まさしく、亡霊すら殺せる屠りの大剣。
そのあまりにも強すぎる威力は空気すら瞬時に熱分解し、
防御に優れた吾亦紅の表面装甲すら溶かし始めるほどだ。
だが、それがどうしたというのか。
倒さなければいけない敵がいるなら、倒してしまわないといけない時があるのなら。
ただ迷わず、抜き、振るえばいい。
「らああああ、あ、あ、あ!」
吾亦紅が駆ける。敵の呼吸が乱れている今こそが機会だ。
むしろ今この隙を逃す手はない。
リボルブレードに搭載された特殊弾丸はあと五発限り。
それ以外にも、耐熱仕様に換装しなおしたとはいえ、
吾亦紅がいつまでこの大剣の威力に耐え切れるかはまったくの未知数。
先はあまり長くは無い、ならば短期決戦を望むほかにない。
KYUWHON、と歪で不可思議な音色を奏でながら大剣を振り払い、左上方へ担ぎ上げ、
肩で支えるかのように左手を添えながら剣先を前方へ倒し、固定。同時に、右脚を二歩幅前へ。
機体のすぐ側、白炎に燃えるリボルブレードの熱量に焼かれ、機内温度も急激に上昇を始める。
じわり、右肩装甲の表面が焼ける。
だがそれでも、構えは決して解かず、そのまま一直線に踏み込む。
焔雷の突撃。プラズマ火炎を一帯に撒き散らしながら、迷うことなく敵へと一直線。
対し、蒼い亡霊はこれを迎え撃つ。
先の威力を見てなお立ち向かう姿は、果たして無謀か勇敢か。
一合、二合、三合――真芯では決して打ち合わず、払うかのように"蒼"が"白炎"をいなす。
四合、五合、六合――まだ"弾丸"は放たない。最初に引いた一撃のみの炎を、叩きつける。
七合、八合、九合――その瞬間、"朱"の亡霊が今度こそ、"蒼"の身を省みずに散弾を放つ。
だが、ぐるり、剣をまわし、
――EEEEEEWWHOOOOOOOOOOOO……。
しゃこん、と乾いた音と共に、放たれた弾丸によって剣は再び炎の激しさを増す。
デバイ・シェル。実弾、熱線問わずにその弾頭を溶かし、あるいは軌道を歪める煌く防壁。
蒼い亡霊ごと散弾すべてに叩きつけ、敵の攻撃はすべて電子の屑へと分解され、あるいは彼方へ飛んでいく。
アグレッシヴ・リボルブレード。己の身を削ってまでの、最強の攻防一体武具。
これを打ち破ることは至難の業だ。
けれど、それだけでは足りない。
防ぐだけではいずれ打ち破られる。
敵は、倒さなければならない。
敵は、倒さねばならないのだ。
(……ここまではお互い、ある程度しのぎ合える範囲ってね……。それじゃアトロス、後は任せたからね)
(了解ですよっと、姉さん。んじゃ、"残り"の妹で守りは固めるから、さっさと片付けといてよね)
(簡単にいってくれるわね……ま、いいけどね。じゃあ……"来なさい"!)
一秒にも満たない意思の疎通。同時に、姉妹の半数の意識が"落ちる"。
朱と蒼と、白く燃える朱の位置からは見えないが、後方の崖上にて半数の吾亦紅が、その機能を停止していた。
瞬間、ティカの駆る吾亦紅が加速、いや高速、いや神速の勢いで前進。
先ほどまでとは比べ物にならない速さで身を捻り一閃、
蒼の反応が間に合わないうちにその左肩を断つ。
だがそれだけでは止まらない。返す刃で足の脛辺りへ剣先を下ろし、撃鉄。
爆発したかのように身を跳ね飛ばされながら、蒼は焼け解けながら空を舞う。
そして――更なる前進。目標を次なる敵に変え、盾を前に突撃。ランクラッシュ。
朱の亡霊はこれを回避――するも、それを読んでいたかのように、
さらに一段階の加速をみせて、ティカの操る吾亦紅が翻り、唸り、叫び、なぎ払い吹き飛ばす。
それでも、それでもなお加速。機体の限界を超えた速度、機器の姿勢制御補助機能を超えた速度で、
吾亦紅はただひたすらに、破壊、破壊、破壊。一撃の度に加速、加速、さらに――加速。
それはもう、人ですらない。
機械ですらない。
怪獣だ。
一頭の、凶悪な怪獣そのものだ。
先ほどまでとは比べるまでも無い兇変に、速度に、暴力に、抗える亡霊はいない。
ただひたすらに砕かれ、叩きつけられ、溶かされ、焼かれ、
回避を行おうとも防御を行おうとも、それを行動に移す前から予測され、
圧倒的なまでの火力と速度によって反撃の意思ごと粉砕され、さらに連撃に身をさらす。
これは、本当に先ほどまでの敵か。
これは、本当に先ほどまで戦っていた相手か。
そう、誰もが疑問を口にするほど、いや、口にするのも躊躇うほどの、魔物。
魔物はただ、一心不乱に敵を葬るために、剣を振るう、振るう、振るう。
ただの暴力を、圧倒的な速度で、自機そのものが負荷に耐え切れず火を噴出しても、なお止めずに――殴打。
もはや、彼女はティカであってティカでない。
ハイヌウェレの姉妹、その半数と共に自分の身体を操る彼女に、
敵はいない、限界はない、ただ暴力がそこにあり、ただ衝動がそこにある。
二十四人のハイヌウェレ。その姉妹たちが自分たち自身を脳波によって遠くから操れるが、
仮にもし、たった一人を全員で操った場合にはどうなるのか……それが、その結果だ。
姿勢制御、五感強化、筋肉の動かし方、踏み込み、照準あわせ、回避行動、打撃、狙撃、追撃、
殺気感知、行動予測、行動目測、心理戦、フェイント行動、防御、前進、後退、攻撃、攻撃、攻撃、
攻撃、攻撃、攻撃、攻撃攻撃暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力
暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力
暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力
暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力
暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力暴力ッ!
すべてが彼女のもの。全てを束ねた彼女の、本当の暴力の姿。
あのアドニスにすら姉妹たちが秘密にしている、彼女たちに隠された、本当の暴力の姿。
姉妹すべての経験と技術と判断を束ねて、ただ一人の身体を操ることで現れる、最強の暴力の姿。
暴れる力の獣の王。
それが彼女の名。
しかし、これでまだ"半分"だ。
残り"半分"の姉妹が、その機能を一時的に停止した"半数"の姉妹を警護している。
だからこそ。
もしもう半分の姉妹も加われば。
きっと、もうそれは、言葉では言い表せれない、『 』という存在に違いない。
「あ゙、あ゙、あ゙、あ゙、あ゙、あ゙、あ゙、あ゙!」
暴れる力は止まらない。切断、両断、脳髄をぶちまけるように頭部を抉り内容物を散らす。
焼け溶け、あふれ出す樹脂とオイル塗れの粘液は破瓜のそれにもにて、
ぬるり、どろり、機体を汚して滴り落ちる。
朱の亡霊の原型はもうない。あるのは貪り食われた生贄だけ。
操兵席もぐしゃぐしゃだ、これではもうパイロットは、ただの肉塊それ以下だ。
後は蒼の亡霊のみ。それを砕けば、あとは終わり。獣の物語は終わりを告げる。
一歩、二歩、近寄る。機体は限界だが、足を失った敵に逃げる術はない。
一振り、そう一振り振り下ろせば、それでいい。
「さようなら、亡霊。私の生を苦いものにしたひと――」
言葉は途中で切られる。
鋭敏化した視力が、敵の操兵席に不審な光が灯るのを目撃したからだ。
慌てず、侮らず、しかしすばやく大剣の引き金を絞――実行不能。指先は溶けて原型が残っていない。
ならば、そのまま振り下ろして叩き潰す――動作が鈍い。圧倒的な速度はもう、そこには一欠けらもない。
ぐ、わ、り。もどかしいほどの速度で迫るが、しかしやはり、それは遅かった。
シュボッ、空虚な音を立てて、操兵席が射出。
緊急離脱装置による強制脱出。
ならば、逃がすものか――左腕に付けられた、銃器内蔵型の盾を向け――実行不能。
限界を超えた動作によって、左腕はぴくりとも動作しない。
仕方ない、では姉妹たちの位置から狙撃を――不可能。距離が遠すぎる。
巻き添えを避けるため、遠くに陣を取らせたのが仇となり、攻撃は届かない。
「……ちぇ、逃げられたか…………」
(ね、姉さん、姉さん! 舌打ちなんかしてる場合じゃないって!
モコウ燃えてるよモコウ! そりゃもう大炎上だよ!
そのままじゃ焼け死んじゃうって! 姉さんも、ほら、早く脱出して、脱出!
ああもうもどかしいな、いいよ、私が姉さんの身体操作して勝手に脱出させるからね!)
愛すべき妹に身体を動かされながら、ちらり、横目で眺める。
砕け散った敵の機兵、壊れ燃え上がる自分の機兵。
刃の半分あたりからぽっきりと、へし折れたリボルブレード。
「まだ、私達の"本気"に耐えられる、そんな機械はないのかな……」
(……は? 何いってるのおねーちゃん)
つぶやき声は掠れて消える。
操兵席を開け放ち、炎にあぶられた空気と煙にむせながら、空を仰ぎ、そして――
「終わったわね」
会戦百六十七日目。
クェス星攻防戦、終戦。
首謀者こそ逃したものの、事実上の壊滅状態により、これにて終戦が決定。
同時に全隊長は一階級特進し、戦士たちはその役目を終えた。
ただし、一つの"災厄"を、残して、だが――
――続く。