×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。



超鋼戦記カラクリオー外伝 −Marionette Princess− 

第九幕  贄と糧




 砂塵を巻き上げ、谷底を突き進む鋼鉄の鷹。

その双眸は真っ直ぐに前方を見据えている。

惑い無く。躊躇無く。容赦無く。

鷹は猛進する。

狙いを定めた哀れな獲物を捕食し、贄とせんがために。



*****



 切り立った崖より、その巨体に見合わぬスピードで、舞うが如くに目の前にその姿を現した白き鷹。

それを迎え撃つために単機、その進路上に待ち構えていたコッペリオン1号機のモニターに、その威風堂々とした姿が映し出される。


破壊の為の兵器でありながら、その佇まいは洗練された機能美を醸し出していた。

例えるならばそう、古代ギリシアの彫刻を髣髴させる雅(エレガンス)。

翼を持たぬ猛禽の王…『陵鷹』

フランダル艦隊の切り札の一つとして知られた超戦術級兵器。

ベロニカはその姿を掛け値無しに「美しい」と感じた。


 通信機から、どこかで聞き覚えのある声が聞こえてくる。

「サンジェルマン…あの目立ちたがり屋のアホ貴族はどこだ?

既に虫の息、と泳がせておいたのが仇になった。二度も我らの進軍を邪魔してくれるとは思わなかったぜ。

ゴキブリ並にしぶとい男だ」


 その声には聞き覚えがあった。しかし、静かな怒りに満ちた響きには別人のような貫禄と凄味があった。


「…そして、許せんのはお前もだ。新型機のパイロット。そして、フランス軍の諸君。

非礼を詫びよう。たかが地球の一国の一部隊、と心のどこかで侮っていたことを。

認めよう。貴様らが俺様の覇道を阻む強敵であるということを!

この状況を招いたのは俺様自身の見通しの甘さ。

ならばここから先は全身全霊を持って貴様らを蹂躙してやるぜ!」


 眼前のモニターに金髪蒼眼の偉丈夫の顔が映し出される。

映像通信。わざわざ戦いの前に自らの姿を晒す行為。

それはその言葉に偽りなく、相手を好敵手と認めたが故の敬意の表れであろうか?

常にエレガントたれ。それがフランダルの、そしてエド達の掲げる理想の姿。

それはこの危機的状況においても些かのぶれもない。


 そして、その顔にも見覚えがあった。

街中でところ構わず女性に声をかけていた、あの時の男だ。


「エドウィン=ランカスター男爵侯とお見受けする。

サンジェルマン卿は既に御疲れのご様子だ。ゆえに、僭越ながら私がお相手しよう。

名乗らせて頂く。我が名はベロニカ=サンギ−ヌ。お初にお目にかかる…いや、お会いするのはこれは二度目かな?

まさか、昼間のナンパ男が名高いフランダル軍の司令官だとは、夢にも思わなかったぞ」


 こちらも姿を見せて返答する。

相手の流儀に付き合った、というよりは敵にペースを握られる事を嫌った故の行為であった。

相手を揺さぶるために意図的に挑発的な態度を取りつつ。


「…おお、驚いたぞ。君はあの時の。

覚えてくれていたとは光栄だな。美しいお嬢さん(マドモアゼル)。

運命的な再会に祝杯を傾けたい所ではある。

だが、残念ながら貴様らはやり過ぎた。

ベロニカ、と言ったな? 

君もサンジェルマンも、そして執事を倒したあの白と黒の新型も…」


 陵鷹がその全身の重火器をこちらに向け、言い放つ。


「大恩ある我が叔父トーゴ=フランダルの名にかけて。

全員まとめて、鏖殺すると宣言するぜ!」


 怯むことなく、ベロニカが応える。

「できるかな? 街角で女を口説き落とすようには容易くはいかんぞ?」


「ふん。そちらの方がよほど難易度が高い、と言わざるを得ないな!

さあ、今度は嫌だとは言わせん。一緒に死神の掌の上で踊ってもらうぜ、お嬢さん(マドモアゼル)!」


 『本気』となったエドウィン=ランカスターの前には、一切の挑発も意味を成さず。

一切の躊躇も存在しない。

お互いの矜持をかけた最終決戦が今、始まる。



*****



 同時刻。

山頂にて急襲してきたパン=アルバードの絶璃を前に、リリィは微動だにできずにいる。

相手が達人級の操兵術を有していることは初見で見て取れた。

迂闊に動けばその神業的な鑽捌きの餌食になることは火を見るよりも明らかであった。

対するパンの側も、火力に劣る自機の性質上、確実に急所を突き仕留めることが出来なければこちらが不利になることを理解していた。


 ゆえに、奇妙な均衡と沈黙がこの場を支配していたのである。


初めに静寂を破ったのは、(半ばその存在を忘れ去られていた)ゲバールの品の無い高笑い。


「ウェッへッへッへ〜 馬鹿な奴だなあ、てめえは。

2対1のシチュエーションにノコノコホイホイしゃしゃり出てきやがってよう。

しかも、よりによってこの俺様とリリィたんという愛によって深く結びついたコンビの前に!」



 場の空気は凍りついたまま。

否、双方ともにその言葉を意識的に聞き流しているようにすら思える。

耳障りな声は尚も続く。


「だぁが!しかし!

リリィちゅあーん! ここは俺様に任せるんだ!

生涯の伴侶を守るのは男の役目だぜぇ!?

くくく…ついにこのピグマリオンの秘められた真の力を見せるときが来たようだな?

見て驚け! 怯えろ! すくめ! 機体の性能を発揮できぬまま死んでいけぇ!」


 
 おもむろに妖しい動きでポーズを取ったピグマリオンが、その両手で、胸部の装甲を無理やり引き剥がした。

そして、その内部から突如せり出した巨大な砲身が姿を現す!


「名付けて『トリダンカノン』…

最初に言っておく! この武器はかーなーり強い!

説明しよう! トリダンカノンは機体の残エネルギーを全て結集して放つ超ド級大型粒子砲なのどぅあ!

その威力は戦艦の主砲にも匹敵し、羅甲クラスならば欠片一つも残さない程に破壊できるという。

だが、余りにも強力であるがゆえに使い手がいなく、凍結処理されていたものを、この天才ゲバール様が引っ張り出してきて専用機に搭載させたという、

まさに玄人好みの扱いにくすぎる武装なのだ!イヒィ!」


 頼まれもしないのに解説を一方的に喋り続けるゲバールの言葉を疎ましく思い、苛々を募らせる美女二人。

そのこめかみには大きな血管が浮き出ている。

 
 そしてトリダンカノンの砲口に眩いばかりの粒子光が集まり始める!


「アッ…アッーーーーーーー!!!

キタァ! キタよコレ。もうビンビンよ?

も、もう、今にも発射寸前だよ?

アォォォォォォォ!!! さあ、俺様の太くてかったーいトリダンカノンを喰らい」


「黙れ、この変態」

 
 絶璃が動いた。

そしてパンが吐き捨てる様にそう呟き、目にも止まらぬスピードで鑽を横薙ぎに一閃させた。

ゲバール自慢のトリダンカノンが根元から切断され、空中で3回転した後に地に堕ちる。


「痛ぁっ!」

 コックピット内でゲバールが感じるはずの無い痛みを訴え、何故か股間を押さえて蹲った。


 パンの攻撃の手は尚も止まない。

次々に繰り出される神速の斬撃が、ピグマリオンの四肢を切断していく。


「鍔家流奥義…『鉄騎乱舞』」

 地面に転がったピグマリオンの頭部を踏みつけて破壊しながら、パンが呟く。



「お、俺様…こんな役ばっかし…」

 コックピットに飛び散る電撃の火花を虚ろに見つめながら、ゲバールが涙ながらに言葉を発した。

直後に粉々に爆散するピグマリオン。



(迅すぎる…目で追うのがやっとだった…)

 一連のパンの所作を目の当たりにしたリリィが心の中で呟く。

戦慄が、冷たい汗を全身に走らせた。



「さあ、次はお前の番だ、白い新型」

 月牙鑽を肩に担ぎ、絶璃が眼前へと迫る。

戦いの均衡は既に破られた。


 今のリリィの姿はまるで、蛇に睨まれた蛙のように見える。

 脳裏には自分が切り刻まれる風景しか浮かんでこない。

シミュレーション戦で培った戦闘経験など、百戦錬磨の敵の前では何の役にも立たない、という事を理解し始めていた。

彼女にとってはこの戦いが初陣である。


 もし、先日のベロニカとの模擬戦によって『死への恐怖』を教えてこまれていなければ、早々に突貫してバラバラに刻まれていたのは自分の方だったのかも知れない。

しかし、その教えが今は、皮肉にも彼女の足を止めてしまう結果を招いてしまった。



 絶璃が月牙鑽を携え、向かい来る。

振り下ろされる死神の鎌の如く、目にも止まらぬ斬撃がリリィ機を襲う。



 だが、パンの目に映ったものは、切り裂かれたコッぺリオンの姿ではない。

振り下ろした鑽は空を切り、地面に大きな裂傷を生じさせた。


「何…ッ?」

今度はパンの双眸が驚愕に見開かれる番だった。


 超反応。そして超跳躍。

一瞬にしてリリィ機は遥か上空へと跳び退き、絶璃の攻撃を逃れていた。


「か、かわせた…の?」

 思わず吐息とともに漏れる呟き。

体が勝手に反応した、とでも言うべきであろうか?

リリィ自身すらも無意識下において取った回避行動である。

極限まで研ぎ澄まされた反射神経と、積み重ねられた訓練があって初めて成せる業。

それはリリィ=マノン=シーニュというパイロットの、稀有な才能の一端を垣間見せるのに十分な動きであった。



「完全に捉えていたはず…この間合い、このタイミングで回避できるとは。

その天賦、嫉妬すら覚える。だが…ッ!!」


 間髪いれずに放たれたチャクラムが、宙を舞うコッペリオンに襲い掛かる。

咄嗟に収束シールドを形成し、それを防いだリリィだったが、その衝撃で敢え無く地へと落とされる。


 体勢を整えようと、顔を上げたリリィの鼻先に、月牙鑽が突き付けられた。

見下ろす絶璃。パンは冷徹に言葉を投げかける。


「何故…スペックでは遥かに勝っているはずの新型機が、こうも遅れを取るのか…解るか?

お前には絶対的に欠けている物がいくつかある」


「くっ…」


 突き付けられた鑽をシールドで払いのけ、右手のワイヤーナックルで絶璃を攻撃するリリィ。

だがその一撃は易々と回避され、手痛い反撃を喰らうこととなる。


 膝をついたコッペリオンに向かって更なる口上を投げかけるパン。


「今の一撃が全てを物語っている。

まず、お前には『実戦経験』が足りない。恐らくはまだ年若い新兵だな?

いい素質を持っている。それは認めよう。

だが、私がお前と同じ歳の頃には既に数多の戦場を駆け回っていた。この差は埋めようの無い事実」


 続けざまに放たれる絶璃の斬撃。それをかろうじてエネルギーシールドで防御する。


「『闘志』が足りない。何が何でも敵の咽喉元に喰らいついてやろうという気概が無い。

その面で、お前は先のサンジェルマンの足元にも及ばない」


 がら空きになったコッペリオンの腹部を、絶璃の強烈な蹴りが襲う。

大きく後方に吹き飛ばされるリリィ機。


「そして何よりも、『覚悟』が足りない。

お前は恐れている。闘いの果てに傷つき、朽ち果てることを。

屍を晒すのが戦場の常ならば。その覚悟が無い者がしゃしゃり出てくるな」


 パン=アルバードが何故、ともすれば彼女らしからぬ饒舌さで口上を続けるのか。

それはひとえに、この戦闘を出来るだけ早く終わらせてエドの元に馳せ参じ、その援護を、と考えていたからである。

だが、目の前の敵を最初に交戦した黒い機体の如く鎧袖一触で葬り去る予定が、驚くべき反射神経で攻撃を回避された。

このままでは長期戦は免れない。


 故に彼女は、相手を新兵だと悟った上で、『心を折る』事を試みたのだ。

自分との間の絶対的な差を感じ取らせ、降伏を促す。

それこそが最短で戦闘に終止符を打つ為の策。


「さあ、武器を置いて投降しろ。

そうすれば命までは取らん。

もう理解しただろう? 私には勝てないということを」



「…よぉく、解りました」


 堕ちた、とパンは心の中で呟く。

だが、リリィは戦闘態勢を解こうとはしない。

コッペリオンの腕にエネルギーが収束していく。


「戦士として兵士として、私に何が欠けているのか、そして、貴方をお姉様の元に行かせてはいけないという事が!」


 直後に放たれた強烈なエネルギー砲を紙一重でかわしつつ、パンは唸る様に言葉を発する。


「貴様…飽くまでも屈せずに戦うということか?」


「私、足手まといにはなりたくありませんから!

勝てないまでもせめて、貴女をこの場に足止めする。

まだ私の舞台は終わってませんよ! ステージを途中で降りる訳には行きません!」



 自らに言い聞かせるように、声を張り上げる。

『闘志』は十分に補填された。

そして、ベロニカとのシミュレーション戦で味わった『死の体験』。

束縛となっていたその鎖が解き放たれる。

あの時の体験に比べれば、目の前の敵の攻撃はそれに遠く及ばない、と。

恐怖は既に乗り越えられた。構築される揺るがぬ『覚悟』。


 そして、交戦するパンが気づいた確かな手ごたえ。

「この娘…強くなっている。闘いの最中に成長し続けているとでも言うのか…馬鹿な!」


 回避運動を取るごとにその動きはキレを増して行き、繰り出す攻撃は一撃ごとにその威力を増していく。


初めての自らの技量を上回る強敵との実戦経験。

未知なる戦場での心構えの獲得。

それらを経て急速に開花しつつある天賦の才。


 白鳥の翼は今、大きく開かれた。



*****



「ローラン、戦況はどうなっているッ!!」

 高々とブリッジに響くサンジェルマンの声。

医務室にて無造作に体に包帯を巻いただけの応急処置で、駆け戻ってきたところを鑑みるに、この男の闘志は未だ費えず、戦いで追った傷を自愛し安静にするという選択肢は存在しないようだ。

白衣を着たスタッフたちを押しのけて、乱暴にブリッジのドアを開く。


 そもそも、彼はエドウィン=ランカスターとの因縁の再戦をベロニカに譲るつもりは無かった。

我輩が出る!と喚くように主張する彼を半ば強引にメディカルスタッフが総出で医務室へと連れ去った形である。


 モニターを食い入るように見つめ、戦況を見守っていたローランがその喧騒にちらりと目を向けた。

そして案の定、という風にため息をつく。

「…狩猟用の麻酔注射でも打っておくべきでしたね。まったく貴方は。

その傷で動き回るなんて、自殺願望でもあるんですか?」


「愚か者! 我輩以外にかの陵鷹に対抗できる者がいるか!

奴を仕留め損なったのは我輩の失策だ。故に我輩が決着を付けるのが筋であろう?

それにあのような娘達が、徒に若い命を散らす様は見てはおれんだろうが。

解ったら早急に我輩の乗る機体を用意せよ!」


 サンジェルマンが頑なに前線を退こうとしないのは、彼なりの責任感の現れであった。

自らが敗北を喫しなければ今のこの窮地は起こり得ない状況であったのだから。


 ローランはデータを取る手を休めることなく、もう一度彼を一瞥する。

そして彼の剣幕に諭すように返答する。

「強がっていても、操縦桿すらまともに握れない今の貴方に、何時もの様な動きが出来るとは到底思えません。

だから貴重な機体を預ける気は毛頭ありませんよ。努力や根性で何とかなる様な損傷じゃないことは明らかだ」


「何だと!!! …ッ!!」

 ローランの挑発的な物言いに怒号をあげたサンジェルマンだったが、すぐに顔を顰め、右の肋骨の上に手を添えた。


「ほら、見なさい。怪我人は怪我人らしく、ベッドでじっとしていることです。

それに、貴方が考えているほど、あの娘達はヤワではありませんよ」


 そう言ってローランはモニターに中継される戦場の様子を指し示す。

そこにはリリィとパンの、ベロニカとエドの一進一退の攻防が映し出されている。


「予想以上に良い動きだとは思いませんか?

ふふふ…やはり、僕の目に狂いは無かった。素晴らしい」



 モニターの中で激しく鎬を削る陵鷹とコッペリオン。

互いの装甲を削り合いつつ、火花を散らしてぶつかり合う。

その様はまるで闘劇の如く。


 自らが心血を注いで開発した機体・コッペリオン。

その力が優れた操縦者を得て、アムステラの科学力を結集したエース機に対しても決して引けを取るものではないと、今、実証せしめている。

その事実がローランの心を打ち震わせていた。


 一方のサンジェルマンの目は同じくモニターに釘付けになっている。

先ほどまでの剣幕が嘘のように、静寂に支配されたブリッジの中、英雄が静かに口を開いた。



「認めよう。素晴らしい動きだ。

正直、サンギーヌ殿の娘御がここまでやるとは予想の外だった。

だが、この流れはいかん。

このままでは…負けるぞ、ベロニカ嬢は」



*****



「なるほど、良い腕じゃねえかマドモアゼル。

地球とは面白い惑星だ。辺境の地にありながら、その科学力とパイロットの能力は明らかに水準を越えていやがる。

そして君は今までに俺様が戦った敵の中でも有数の使い手だぞ、ベロニカ=サンギーヌ」


 互角の攻防の最中、エドが感心したようにそう公言する。


「光栄の極みだな、ランカスター侯。

だが世辞は不要。そして一撃ごとに相手の力を推し量る様子見の交戦も、これ以上は不要」


「ああ…そうだな。そろそろ決着(ケリ)をつけさせてもらうぜ」


 互いにそう言い放ち、必殺の構えを取る。

ベロニカは両腕に収束エネルギーソードを形成し、エドは全砲門開放の構えを。


 ここに到るまでの交戦経験から、陵鷹の戦闘スタイルや間合い、重火器の性能は全て理解できた。

一撃必殺の威力を持つ砲撃特化型でありながら、その移動スピードは軽量格闘戦特化型にも匹敵する恐るべき機体。

その姿はさながら高速移動する万能型砲台(マルチプルキャノン)。

だが、決して捉えられぬスピードではない。

そして一切の近接戦闘用武装を持たない。

つまり、敵の砲撃の雨を掻い潜り、懐に潜り込めさえすれば…そこに勝機は自ずと見えてくる。


 ベロニカはそう判断した。

確固たる経験則に基づいた定石(セオリー)の上での確信。


じりじりと間合いは詰められる。

そして、コッペリオンが陵鷹の照準範囲内に足を踏み入れた瞬間。

最初に動いたのはエドウィン=ランカスター。


 広範囲を焼き尽くす拡散ビーム砲が眩い光を放つ。

それを巧みにかわしつつ、一直線に距離を詰めるベロニカ。

続けて発射されたレールガンをエネルギーソードの一閃にて薙ぎ払いつつ、ガトリングガンの連射をシールドにて防ぎきる。


神業とも言うべき動きにて、コッペリオンは一気に陵鷹の眼前に差し迫った。


「これで詰み(チェック)だ! 沈め、ランカスター!」

 ベロニカの勝利を確信した叫び。

大きく振りかぶったエネルギーソードを隙だらけの陵鷹の頭部に振り下ろす。

かくして王(キング)は詰み取られ、この一局に終止符が…打たれるはずであった。

これがテーブルゲームの類であったならば。


 この戦術に、何一つミスなど無かった。

唯一、ベロニカに誤算があったとするならば、それはこの陵鷹が『高速移動する砲台』などではなく、『狂走する戦車』そのものであったということ。


 次の瞬間、エドが取った行動は斬撃から逃れようとする回避行動などではなく…逆にこちらがコッペリオンの懐に飛び込もうとする突進行動。

あろう事か、砲撃専用の機体が近接武器も持たずに接近戦を敢行しようという矛盾。

そして、その装甲は強烈なタックルに耐え得る程に強固であったという事実。

そのファクターが彼女の計算を完全に狂わせた。


 結果として、ベロニカの掲げたサーベルは振り下ろされること無く空を切り、腹部にカウンターを喰らった様な形で自らが後方に吹き飛ばされる事となる。

激しい衝撃にうめき声を上げ、はっと顔を上げれば…眼前には獲物を鯨飲しようとする蛇の様に鎌首をもたげる有線レーザー砲達。


「しまったッ!!」


「遅ぇ!! さあ、鷹の爪の餌食になりやがれ!!」


 エドの叫びと共に一斉に放たれるレーザー砲がコッペリオンを貫く。


 世の中には定石(セオリー)に則る事無く、かけられた王手(チェックメイト)を逃れることの出来る者が居る。

それは例えば対局の最中にチェス盤ごと駒を全て引っ繰り返す様な行為。

エドウィン=ランカスターという男は躊躇いも無く、それが出来るタイプの将である、とベロニカは悟ることとなる。


*****


 ガタッ、と音を立てて椅子が後ろ向きに倒れる。

戦局を見守っていたローランは、モニターを呆然と見つめながら立ち尽くしていた。

そこにはエドの攻撃によって大打撃を負ったコッペリオンの姿が映し出されている。


 苦々しく顔を歪めたサンジェルマンが、重々しく口を開く。


「だから言ったのだ…我輩以外にかの者に対抗しうるパイロットがいるか、と。

純粋な技能の高さや戦術の良し悪しの問題ではない。

これは相性の問題なのだ」


 彼自身が同じ『チェス盤を引っ繰り返す』ことの出来る闘士だからこそのシンパシー。

勝つために必要な定石を、誰しもがその経験の中で構築する。

だが、そんなものを意に介せずに戦い続ける者がいる。

得てしてそれは、他者からは『何も考えていない』と誤認されることがある。


 しかし、違うのだ。

本能に従って突き進む者に、マニュアルは不必要。

彼らは勝利への最短の近道を嗅覚で探し当て、それに従って疾走する。

何の躊躇いも無く。獣の如く。


 そしてそれは常人には理解し得ない近道である事がほとんどである。

故に、これは兵士として優秀であるほどに、そして戦場での経験が多ければ多いほど嵌まるジレンマ。


『こんな事象は有り得ない』と思い込んでしまった時点で、勝利への道筋は険しきものと変わるのだ。



「もう解ったであろう? 我輩に余っている機体を貸せ、ローラン。

そして前線の者達を呼び寄せよ。負け戦に付き合わせて若い命を散らせる必要は無い。

殿は務めてやる。

如何に今の我輩が無力に等しいといっても、お前達が逃げる時間くらいは作ってみせるぞ」


 ローランは眉間に苦渋の皺を寄せ、親指の爪を噛み締める仕草を見せている。



「…それには及びませんよ。まだ勝敗を論ずる様な段階ではない。

負けないための保険。策ならばもう一つ残っている。既に手は打っています」



「何?」


 苦悶の表情とは裏腹に飛び出す、強気な発言。

その言葉に嘘偽りは無さそうだ。

この男に限って根拠の無い悔し紛れの負け惜しみを言うことは無い。

それは長い付き合いの中で十分に理解していた。


 しかし、依然として彼は苦々しい表情を崩さない。

サンジェルマンは訝しげに彼の様子を窺う。

そして口元に手を当てて何やら呟き続けるローランの言葉を盗み聞き、納得すると共に心底呆れてしまう。


「…現状ではコッペリオンの性能は陵鷹を凌駕しうるものではなかったということか?

いいや、地力では決して負けてはいない。操縦者の力量も劣ってはいなかった。

これはイレギュラーだ。不運(バッドラック)が重なっただけに過ぎない。

だが、それを限りなくゼロに近づけるだけの改良を。更なる改良を。

根本から練り直す必要がある…」


 戦術的に負けは無いと豪語しつつ、彼の研究の結晶とも言うべきコッペリオンが遅れを取ったこと。

それが彼にとっては何にも勝る悔しさであり、敗北に等しい事象だったのだ。

この男は軍人である前に、性根から骨の髄までサイエンティストであったのである。


「ローラン、貴様! この期に及んでそんなことを論じている場合か!

策とやらがあるのならとっとと見せよ!」


 サンジェルマンの怒号に促され、ローランは現実に引き戻された様にはっと顔を上げる。


「おっと、これは失敬。

ベロニカ君! 動けるかね?

ただちに後退し、後詰の部隊と合流だ」


 負傷兵たちの多くは既に応急処置を済ませており、動ける者は既に無傷の機体に搭乗し、戦艦を囲む形で陣取っている。

これが彼らを命運を握る最後の防衛線であった。


 それを知っているベロニカは気丈にも声を張り上げてローランへと反論する。


「損傷は軽微。私はまだ負けたわけではない。

まだやれます。

今、この陵鷹の侵攻を阻むほどの戦力は我が部隊に残されてはいないはず。。

どうかこのまま、戦闘続行の許可を」

 
 その言葉とは裏腹に、コッペリオンの装甲は焼け爛れ、今にも崩れ落ちんばかりの痛々しい姿を晒している。

至近距離からの砲撃を正面から受けて、無事で済むはずが無い。


「それのどこが軽微だ。中破と言っても差し支えない傷だぞ。

損傷の問題ではないよ、ベロニカ君。

遺憾ながら敵の力の目算を見誤っていた。認めよう。これは僕のミスだ。

このまま戦闘を続けても、勝率は限りなくゼロに近い。

徒にパイロットの生存率を下げるだけの戦いは認められない。

つまらん意地は捨てたまえ。そして帰投しなさい」


「…『普通に』シミュレートすれば、それが妥当なところでしょうね。

では大佐。こう言い換えましょう。

『勝つ為の術を思いつきました』

勝算は十二分にある。

秘蔵の新型機体を無様に壊されて逃げ帰っただけのデータにどの程度の価値が?

大佐もこのままでは引けないでしょう。

私もコッペリオンも、まだ終わってはいない。

使い方次第でアムステラの指揮官クラスの機体をも凌駕する所を実証してみせます」


 もしもこれがただの量産機であったならば、先ほどの手痛い一撃にて粉々に四散してしまっていた。

あれ程の攻撃が致命傷に至らず、未だこうして起動し続けている事こそがこの機体のスペックを証明しうる要因の一つ。

つまり、勝負に敗れるとするならば自らの技量が相手に劣っている、ということなのだ。

ベロニカにはそれが我慢ならなかった。

黒き悪魔への再戦の長い道のりの、その第一歩で躓いてなどいられるか、と。


「………ふむ」

 ローランは口元に手を当てて、そう呟きを漏らす。

このままでは実戦投入の結果は不完全燃焼のまま終わる、というのは彼自身も遺憾に感じていたことだし、甚だ不本意な事であったからだ。


「貴方の事だ。

まだ隠し持っている何らかの策があるのでしょう?

それが発動するまでの時間稼ぎでも良い。

もう一度だけチャンスを下さい、ローラン大佐」


 ローラン=ド=アトレーユが噂通りの曲者である事は、ここに至る前の戦闘から良く理解できた。

ここに来て初めて、この怪しげな男に対しての信頼が芽生えたと言ってもいい。

少なくとも、勝つ為の策は尽きてはいないはず。そうでなければそんな風に落ち着き払ってなどはいられないはずなのだから。

その思いは確信に近かった。

故にベロニカは命令違反にも近い嘆願をこの局面で訴えた。


 ローランは険しい顔で時計を見やる。

そして意を決した様に頭をあげた。


「よろしい。ベロニカ君。

やってみたまえ。

ただし君に与えるタイムリミットは10分。10分間だけだ。

それを超えたら嫌が応にも帰投してもらう。

それで良いかな?」


「それで結構。

…ありがとうございます。私のわがままに付き合って頂いて」


「なぁに、例には及ばんさ。

だが、これ以上、僕のコッペリオンを傷つけることは許さないぞ。

今から少しでも破損させたら、その分の修理費は君の給料から天引きだ」


 冗談めかしてローランは語る。


そして心の中で呟く。

この娘は面白い、と。

やはりセドリック=サンギーヌの元で埋もれさせるには惜しい人材であった、と。


 ローランは彼女の父親を、勝敗と出世にしか野心を示さない古い軍人と軽蔑していた。

部下を自らの野心の駒としか捉えられない男。

それでは柔軟な思考をもったパイロットは育たない。

あの時、ベロニカに白羽の矢を立てた事は間違いではなかった、と。

もっとも、セドリックが娘に対して抱く感情はもっと複雑な心境に根ざしたものであったのだが。


「了解。では行きます!」

 ベロニカの気合のこもった声を最後に通信は切られた。
 

「サンジェルマン卿。今のやり取りは聞いていましたね?

状況が変わりました。お望み通り、機体をお貸しします。

格納庫に無傷の6型が配置されていますので、直ちに出撃し彼女のサポートを…」


 言葉を投げかけ、振り返るが、そこに居るはずの人物はどこにも見当たらない。

忽然と姿を消している。


と同時に、ドォン! と艦内部から響く爆音。

モニターには無残に破壊された格納庫の扉と、勢い良く飛び出していく6型の姿が映し出された。


「ローラン! 貴様の悠長な演説を聞いている暇は無い!

余っている機体は勝手に借りていくぞ!

ベロニカ嬢の援護に向かう! 文句は聞く耳持たぬ!

シャルル=ド=サンジェルマン、出るぞ!

道を開けよ!

戦場に三度目の雷鳴を轟かせてくれようぞ!!」


 咆哮にも近い音声通信が一方的に入り、一方的に切られた。


ローランはわなわなと震えながら握り拳をコンソールに打ち付けた。


「シャルルッ!! 随分大人しく聞いていると思ったら、あの男は!

他者の指示を仰ぐという言葉を知らんのか…

何もハッチを壊して出て行く事は無いだろう?

余計な損害を増やしてくれおって!」


 結果的には彼の出そうとした指示と同じ展開になったのだが。

この幼馴染がもっとも扱い辛い存在である事を再確認させられる羽目になった。
 

「大佐! 入電です!」

 怒り冷めやまぬローランの耳に入ってきた、通信士からの報告。

それを聞いて幾分落ち着きを取り戻す。


「…発信元は?」


「空軍中佐アンドレ=ボンヴジュターヌ殿です」


 ローランの口元が嬉しそうに歪む。


「ふん、やっと来たか。随分と遅いご到着だ。

思ったとおり。手柄を独り占めするつもりで今の今まで待っていたな?

相変わらずハイエナの様に狡猾な男だ」


 そう言い放ち、眼鏡のフレームを中指と人差し指で持ち上げる。


そして直ちに通信を繋ぐように指示を出す。


 同時に、モニターには派手な装飾と厚い化粧を施した若い男の姿が映し出される。

続いて響き渡る、どこか嫌らしい口調の甲高い声。


「コマンタレヴゥ〜〜〜?(ごきげんいかが?) アトレーユ大佐。

援軍要請に応じて馳せ参じさせて頂きましたよぉ? カマハドゥ?(わが盟友)

ンフフフフフフゥ〜〜〜」



*****



 再び対峙するコッペリオンと陵鷹。


「ほう? その損傷でまだ戦うつもりかよ?

随分としぶといじゃねえか、マドモアゼル。

フランスという国の戦士はみんなそうなのか?

まるでゾンビを相手にしてるような気分だぜ」


 完全に勝敗は決したと判断し、踵を返していたエドは、立ち上がり戦闘の意思を見せたベロニカに対し、そう言い放つ。


「ああ、そうかも知れんな。

だが、残念ながら不死身ではない。

詰めが甘いぞランカスター。

完全に破壊し尽くすまで止めを刺すべきだったな」



「馬鹿を言え。そんなエレガントじゃねぇ真似、できるかよ。

それに敵はお前だけじゃない。ぐずぐずしてたら、お前らの親玉を逃がしちまう。

こっちは急いでるんだ。

大人しく倒れてれば良かったものを。そうすれば命までは取る気は無かったのに」



「舐めるなよ。敵を前に倒れたふりまでして生き延びたいなどとは思わん。

だが、時間が惜しいのはこちらも一緒だ。

終わりにしよう、ランカスター。

次が私の渾身の攻撃だ。

行くぞ!」


 先の交戦を繰り返すかの様にお互いに構えを取り、間合いを計る。


「何度来ようが同じだ。

この陵鷹の攻撃に死角はねぇ!」


 確信があった。

敵の攻撃が自分に届くことは無い、と。

どのような一撃が来ようとも、全て迎撃して見せる。

そのシミュレートは完全に頭の中に思い描かれていた。


 怖いのは予測の外からの攻撃のみ。

故にデュランダールとの戦いでは、変幻自在の攻撃に翻弄された。

目の前の敵は優れた腕を持っている。機体も油断なら無い性能を持っている。

だが、それは十分に想定しえる実力だ。

こいつは『強い』。しかし、『怖く』は無い。


 コッペリオンは前のように懐に飛び込もうとはしない。

恐らくは先の戦闘での手痛い反撃を恐れている為か。

常に一定の距離を保ったままこちらへと攻撃を仕掛けてくる。


「ふん、その程度か。

さっきまでの方が余程威圧感を感じたぞ、マドモアゼル!」


 恐れるのは当然の事。

何故ならば既にコッペリオンはその強固な装甲のほとんどを焼き尽くされ、剥がされ、丸裸も同然。

一撃でも食らえば致命傷は必至。

近づきたくとも、近づくことは適わないのだ。

エドはベロニカの消極的な攻めをそう判断した。


「近づいてこないのなら、こっちから行くぜ?」


 そもそもが中〜遠距離こそ陵鷹のもっとも得意とする間合い。

次々放たれる強烈な砲撃に、コッペリオンはそれを防ぐのが精一杯という様相を呈す。


彼女に出来るのは両腕にシールドを形成させたまま攻撃を防ぎ続けることのみ。

もはや完全に封殺されたかのように見えた。

そして放たれ続けるガトリング砲の連弾が、ついにコッペリオンのバランスを崩させ、足を止めさせた。

その隙をエドは見逃さない。


「これで終わりだ、ベロニカ=サンギーヌ!!」


 拡散ビーム砲の巨大な砲門が眩いばかりの光を内包する。

近距離から食らえば形すら残らぬほどのエネルギーを秘めた、悪夢の一撃が今、放たれんとしている。

コッペリオンは地に膝をついたまま。到底避けきれるタイミングではない。

エドは自らの勝利を確信した。


 しかし、この体勢こそがベロニカの思いついた『勝算』へと繋がる布石!

彼女はこの状況になる事をずっと待ち構えていた。


 咄嗟に放たれるワイヤーナックル。

今にも照射されようとするビーム砲を避けようともせず。

否、避けるつもりなど最初から無かったのだ。


 彼女がナックルにて狙い打ったのは、機体の急所たるエンジン部でもコックピットでもなく……『腹部拡散ビーム砲の砲門』!!

ピンポイントバリアを表面に張ったまま、発射寸前の砲門に深々と食い込む拳。

そして彼女は残った片腕に形成させたソードで即座にワイヤーを切り離し、全速でバーニアを噴出させ、後方に飛びのいた。


 例えば、ライフルの砲身に石を詰めたまま、トリガーを引いたとしよう。

そこに待つのは幼児でも容易に理解できる結末だ。


『暴発』


 出口を塞がれ、行き場を失ったエネルギーは内部にて、敵を焼き払う為に蓄えられたその恐ろしい力を発散する。

その威力は大きければ大きいほどに…その身を地獄の業火で焼き尽くす。


 エドがその意図に気づいたのは、拳が砲身に着弾してすぐの瞬間。

時、既に遅く。


「馬鹿な…こんなクレイジーな方法で…」


『有り得ない』と思い込んでしまった時点で。

勝利への道筋は険しき獣道へと変わる。

定石は過去の遺物へと退化する。



 優位に立ったエドは知らず知らずのうちに、とるべき選択肢を狭められていた。 

故にベロニカの、少しでもタイミングを計りかねれば、自分の身すらも危うくさせるこの企てに気づくことが出来なかった。

 
今度はベロニカがチェス盤をひっくり返したのだ。


 陵鷹の腹部が、溢れ出そうとするエネルギーの奔流に耐えられず崩壊を始め…

そして爆ぜる。膨大な熱量と光を伴って。


「お、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


 エドの絶叫。

それを掻き消すように巻き起こる激しい爆発。


そして彼女は乱れた呼吸を整えながら、はっきりと声を発する。


「これにて終幕だ、エドウィン=ランカスター。

お前は紛れも無く、あの悪魔に準ずる強敵だった」



*****



「エド様…?」


 パン=アルバードは自らの中に突如走った、電撃にも似た戦慄を感じた。

虫の知らせ、というものであろうか?


 彼女は自らの主君に何らかの危機が起こった事を悟り、陵鷹へと通信を入れる。


「エド様…エド様! 応答なさいませ」


 通信機からはノイズが聞こえるのみで繋がらない。

何かが起こったのは間違いない。

激しい不安に駆られる。

一刻も速く、主の元に駆けつけなければ、と。



 交戦中の白い新型は、攻撃をかわす事に関しては一線級の力を持っているようだった。

故に、決定打を入れることが出来ず、終始こちらが有利な戦況でありながらここまで戦闘を長引かせてしまった。

文字通り足止めを食らった形である。


歯痒い。

パンは悔恨の念に囚われる。

自らにもっと卓越した力があれば、すぐにエドの援護に向かうことが出来たものを、と。


 一瞬ではあったが、エドが向かった戦場の方角に顔を向けたパンの絶璃の隙をつき、リリィは攻撃を仕掛ける。

絶妙のタイミングではあった。

しかし、内心の焦りとは裏腹に、パンの集中力は極限にまで高められていた。

一刻も速く目の前の敵を倒し、エドの元へ駆けつけること。

それのみが彼女の脳髄に刻み込まれていた。


 ワイヤーナックルを超人的な速さでしゃがみ込んでかわし、そのまま月牙鑽の一薙ぎでコッペリオンの両脚を切り落とした。

そして即座に繰り出された強烈な蹴りが、リリィ機を大きく後ろに吹き飛ばす。

ほとんど無意識下に行われた一連の動作。


 戦闘時間の長さに反して、勝敗は驚くほどあっさりと決した。

勝敗を決めたのは、経験の差以上に背負っているものの重さの違いが影響した、と言っても過言ではない。


「ご、ごめんなさい、お姉様っ…」

 呟き、その場に崩れ落ちるリリィ。


 勝利の余韻にひたることも無く、振り向きもせずに崖を滑り降り、エドの元へと推参しようとするパン。

主人の身を守れずして何が一の直臣か。


既に彼女の目的は戦術的勝利を収めることにあらず。


「どうかご無事で…エド様!」


 機体を疾駆させるパンの頭上から降り注ぐ陽の光に影が射した。

見上げればそこには、地球軍の物と思しき戦闘機の編隊。

機影が、次々に恐るべき速度で通り過ぎていく。


彼らの向かう先は、自分が目指す所と同じ方角。

突き抜ける絶望感が体を支配する。

風切る羽の轟音は即ち、この戦いに終わりを告げる角笛の音。



*****



 死闘繰り広げられし戦場に奇妙な静けさが漂う。

死力を尽くして戦ったベロニカを襲う疲労感は、彼女の体に鉛の様な重さを感じさせた。
 

「ベロニカ嬢! 無事か!? 生きておるならば返事をせよ!」


 救援に駆けつけたサンジェルマンの、耳に響く怒鳴り声。

それが今は気付剤の役割を果たしていた。


「問題ありません、サンジェルマン卿。

薄氷の差ながら、陵鷹、何とか討ち果たしました」


「そうか! 良くやった。

立てるか? 早々に艦に戻って休むのだ」


 6型が差し出した手を取ろうにも、先ほどの交戦においてコッペリオンは利き腕を失っている。

装甲は焼け落ちて最早鎧の意味をなさず。

それがこの戦いの凄まじさを物語っていた。


「いえ、まだコントロールは利きますし、一人で歩けます。お構いなく」


「何を愚かな。いつ起爆するかも解らん損傷では無いか。

そのままでは危険だ。

機体を捨て置いてこちらのコックピットに移れ。

ローランの馬鹿めはテスト機は持ち帰れだの何だのとグダグダと文句を言うだろうが、気にすることは無い。

我輩がきつく言い聞かせて黙らせてやる」



「お気遣い感謝致します。

でも、そういう事では無いんですよ…

私はこの機体のお陰でここまで戦えた。

この機体のお陰でまだ生きている。

だからこの戦いが終わるまで、一緒に居てやりたいんです」



 自らの意思を固辞しようとするベロニカの様子に呆れたように、サンジェルマンは差し出した手を引っ込める。


「ふむ、そうか。ならば好きにするが良い。

君のその頑固さはお父上譲りのようだ」


 にこり、と笑みを浮かべ、立ち上がるベロニカ。


爆発によって巻き起こった土煙が晴れ始めた。

そこに土石に塗れ、外部装甲パーツを四散させ、その身から煙を立ち上らせる満身創痍の陵鷹の姿が見え始める。

両膝を地に付き、腕はだらりと垂れ下がったまま微動だにしない。

パイロットの生死は不明である。


「あの爆発でまだ原型を保っているとは。アムステラの科学力には舌を巻くばかりだな。

……ベロニカ、先に戻れ。

我輩は彼奴に用がある」


「…ランカスターを、助けるつもりですね?」


 陵鷹の元に近づくサンジェルマンの6型の背中に、躊躇いがちに声をかける。


「敵に情けをかける事を非難するか?

さもありなん。この先、生かしておいては確実にフランスの…否、地球軍の脅威となるであろう強敵の命を助けるなど、大局的にみれば愚行以外の何者でもなかろうな。

だがな、この男は『勇者』だ。殺すには余りに惜しい。

……ふん、理由はそれだけだ。愚かと呼ぶならば呼ぶが良い。

報告も自由にせよ。咎めは我輩一人で受ける」


「見くびらないで貰いたい。卿の行動、誰が非難などしましょうか。

…コックピットの損傷から推測するに、パイロットの命に関わるような状態では無さそうです。

救護してすぐに手当てすれば大事に至らない。急ぎましょう」


 そう言いながら、6型の後に続く。

サンジェルマンはその言葉をいたく気に入ったらしく、高らかに笑って見せた。


「はっはっは。君も騎士道を解する立派な武人のようだ。

好敵手の居ない戦場など、役者不在の寸劇よりもつまらぬ。

君はその若さで良く解っているな。戦場の作法を」


「ち、違います。私はただ、生かして相手の将を捕えた方が我が軍の為にもなり、戦略的にも有利であり、上層部からの評価も…」


 その瞬間。

陵鷹のカメラアイに火が灯った。


ぐぐぐ…と、頭部が稼動し、こちらを睨みつけるように停止する。



 一瞬の驚きと警戒の後、サンジェルマンが声をかけた。


「お目覚めのようだな、ランカスター。

いまだ闘争心を失わぬとは、やはり貴公は我が好敵手に相応しい男のようだ。

だが、その有様では最早何も出来ん。

大人しく投降せよ。悪いようにはせん」



「うるせーぞ、おっさん。

横から入ってきて邪魔をするな。すっこんでろ。

俺はそこのマドモアゼルとダンスの真っ最中なんだよ。

野暮な真似をしてくれるな」


 その声に覇気はあれども、苦痛に震える声色は隠し切れぬ。

必死で痛みに耐えている事は一目瞭然であった。


「ランカスター。戦いはもう終わりだ。

ほんの僅かな差で、勝利の女神は私に微笑んだ。

死神の掌に我らの命が飲み込まれなかった事を感謝しつつ、舞踏を止めることは出来ないか?」



「随分つれねぇじゃねーか。

俺様はまだ負けてねえ。

ポイントは1対1のイーブン。

お互いに未だ死なずにここに立っているんだ。

勝負はこれから。そうだろう?」


 ベロニカの説得に大しても、強気な発言で返すエド。


「ランカスター、貴様程の男が見苦しいぞ。

これ以上の問答はただの負け惜しみにしかならん」



「…ふん、納得いかんようだな。

ならばこう言い換えよう。

『俺様の陵鷹にはまだ奥の手が残されている』

そこから一歩でも動けばそのカードを切る。

お前らを道連れにして華々しく散る事くらいは出来るんだよ」


 鬼気迫る迫力でエドは続ける。

これは敗戦の将が最後に見せる意地であろうか?



「ありませんよ。もう貴方の手元に切り札など」


 突如割って入ったのは、ローランの間延びした声。

全戦場に向けて開かれた通信回線。


「最後のカードは『嵐陵鷹』…と呼ばれるあの最終形態のことですかな。

貴方が日本での決戦において見せた、究極の姿。

確かにあれを使えば、この戦況を逆転できる可能性はある。

…しかし、それならば何故、すぐにお使いにならないのですか?」


「………」


「『使いたくても使えない』のでは無いですか?

あの戦いの詳細は、僕も興味があったので調べさせて頂きました。


『敵は地上戦艦一つ分のエネルギーを全て消費して、ナノマシンによる機体の再構築を行った。』

今と同じ、大破に近い状態から、不死鳥のように生まれ変わり、顕現した巨大な決戦兵器。

それが『嵐陵鷹』。


だが、それは裏を返せば、『戦艦一つをパワーダウンさせるほどのエネルギー量が無ければ使用する事が出来ない』事を意味する。

…この山中のどこに、そんな供給施設が存在するんでしょうかね」


「………ッ!」


 エドの声がかすかに震える。

 
「図星のようですね。結構。ならばもう一点。

そんな風に頭に血が上ったフリをして、切り札をちらつかせる行動。

貴方がそんな時間稼ぎを続けるのは、これも推測ですが、貴方が非常に部下思いの将である事の証明。

…残念ながら、貴方のその行為は徒労に終わったようですよ。

10時の方角を御覧なさい」



「エド様っ!」


 ローランの言葉が終わるか終わらぬかといったタイミングで重なる音声通信。

指し示された方角からその姿を現したのは、忠臣パン=アルバードの駆る絶璃の姿。



「パン! 何故来た? 早々に逃げろと、伝えたはずだぞ!!」


「主君を捨てて自分だけ逃げる。そんな事が出来るとお思いですか!?

貴方が逃げる為の血路を開くのは我らの役目です!」


 あの瞬間。

エドウィン=ランカスターが昏倒状態から目覚めた時、まず最初に行ったのは、部下たちに暗号通信を送ることだった。


『総員、直チニ散開シテ逃走セヨ』と。


 ベロニカとサンジェルマンを相手に、長口上を続けていたのも、その時間を稼ぐため。

だが、皮肉な事に忠義の臣下であるパンは、その命令に従う事を由としなかった。


「馬鹿野郎…最後まで俺様にかっこつけさせやがれ」


「お断りします。そんなエド様をまったく素敵だとは思いませんから。

少しは成長したと思ったら、全然駄目ですね、エド様。やっぱり私が傍に付いていないと。

…お供致します。地獄の底までも」



 その手に鑽を携え、心に決意を抱き、彼女は疾走する。

主の元に駆けつけるため。そして共にこの戦局に一縷の光明を見出すために。



 だが、その歩みを止めたのは、けたたましい爆音と共に上空から浴びせられる銃爆撃だった。

いつしか戦場の空には、遥か彼方から飛来した多数の小型戦闘機と、可変機が所狭しと飛び回っていた。


後ろには、大型戦闘空母と輸送艇が続く。

中隊規模で言えば最大級の軍勢である。



 パンはここに向かうときに見た、地球軍の戦闘機編隊の姿を思い返す。

あれは戦力のほんの一部に過ぎなかった。

そして自分の感じた嫌な予感が的中していた事を確信した。



『敵は、まだ十分な戦力と余力を残していた』



 それを自分達に全く気づかせずに…というよりは前線の味方達にすら恐らく援軍がある事すらも伝えていなかったのだろう。

そうでなければあのような決死の攻防は望むべくも無く。


 攻撃開始直前まで、僅かもその姿を現すことなく何処かに潜み。

戦局が終わりを告げる頃になって漸く姿を現し、攻撃を開始する。

例え前線の仲間がどれほど傷つき、倒れても。顧みることなく。


この采配。


悪魔の所業だ。



 そして、上空を飛び回っていた機体の一部が、ゆっくりと地上へと降り立ち始める。

翼持つ鳥の姿からヒトの姿へとその身を変化させ。次々に。



 国連機構開発の高性能可変型量産機『グラニM』。

フランス軍のシンボルでもある白を基調としたカラーリングを施されたその機体が、パンとエドの周囲を取り囲んだ。


 万事休す。

そんな言葉が彼らの頭をよぎる。


そして最後に着陸した一際過大な装飾で身を飾る指揮官機と思しき、ゴールドカラーのグラニMが通信を開き、勧告する。



「ンッ♪ ンー… 麗しき愛と忠義だなァ…

片や部下を助ける為に体を張り。片や主人の為なら死すら厭わず。


でもねぇ、無駄無駄無駄無駄なんですよゥ。ぜぇんぶガスピヤージュ(無駄ァ)!!

我ら大空の覇者、フランス空軍最強の『飛鮫騎士団』が来たからには、これにてラ・フィィィン(お仕舞い)!


大人しくこの麗しきアンドレの前にひれ伏して、お命乞いなさってはいかがです? デュ・ポォォォル(アムステラの豚共)」



 甲高く、嫌らしい声が鳴り響く。

金色のグラニMのコックピットを開き、わざわざその姿を現したのは、ド派手な格好をした厚化粧の青年。



『天空にその人有り』と謳われし、元・フランス空軍の英雄ヴァルル=ボンヴジュターヌの実子にして、鋼翼の大軍団を束ねる者。

その名をアンドレ=ボンヴジュターヌ。

その風貌は遠きアフリカの地、レゼルヴェの争乱にて死した父の面影を色濃く残し。

浮かべた残虐な笑みは潔さの欠片も感じさせぬ。


 戦場を見渡したアンドレは、サンジェルマンの6型に目を留めて、その止む事の無い毒舌を振るう。


「おやおやァ? そこにおわすは英雄シャルル大先生ではあーりませんかァ?

随分と貧相なお馬さんに乗ってらっしゃるのですね?

いつものバケツ頭の愛機はどうなされたのです?


……あァ! これは失敬。『またしても』撃墜されてしまわれたのですねぇ!?

ンッンー♪ 不様。不様。ブッ!ザッ!マッ!ですねぇ!! インフォミッテ(不様極まりない)!!」



「黙れ、厚顔無恥の道化者が!

アンドレ、貴様っ…この期に及んで何をしに来た?

我らの闘いの邪魔をしにここまでやってきたとでも言うのか?」



「ンー♪ ノンノンノン。これは心外ですなァ。

遠きスペインの地にて激戦中の我らに、援軍要請を出したのは貴方達の方じゃないですかァ?


そこを、これは友軍の一大事! と早々に戦闘を終結させ、援護に来たんじゃないですか。

感謝こそされ、恨まれる筋合いなど、全くありませんねぇ。


全く、陸軍が無能だとこうやって我ら空軍にお鉢が回ってくるのですよ。

地を這うアンセクトゥ(蛆虫)の皆さんは、もう少し謙虚さを弁えた方が宜しいかと。


さあ早く『ボクちゃん達を助けてくだちゃい』って泣きながら助けを乞うてはいかがですかァ?

それとも三遍回ってワン!と言いながらの方が相応しいですかね? ペルダァァァン(負け犬の皆様)?」


 この二人、まさに犬猿の仲であった。

反目する陸軍と空軍の有力な将同士、という以上に、徹底的に性格が合わないのだ。


故に、サンジェルマンにとっては最も招かざる援軍であり、ここに来る事を予想だにしていない存在だった。



そして、このアンドレの言葉には、大きな偽りがある。


スペイン空軍と合同でアムステラ軍の侵攻を阻む任を受けていたのは事実。

それを見事に撃退せしめたのも事実。


だが、ローランからの援軍要請を受けたのは、時間軸にして、サンジェルマンの『蒼雷騎士団』が先行突撃が終わり、教導団が戦場に到着したのとほぼ同時期。

その時には既にその任務は終了し、フランスへ帰還の最中だったのだ。


つまり、十分すぎる余裕を持って、サンジェルマン救出作戦に参加できるはずのタイミングである。

空軍内最速の部隊である『飛鮫騎士団』の足を持ってすれば、尚更の事。


 だが、彼は報を受けてすぐに鉄火場に向かうという行動を取らなかった。

彼は、『戦闘継続中。終わり次第援護に向かう。しかし到底間に合いそうに無い』とだけ返し、悠々とコックピットの中で足を組み鼻歌を歌っていた。

 
そして偵察機のみを先行させ、戦況を注意深く窺いつつ、状況を静かに見守っていた。


即ち、双方が疲弊しつくし、自軍が犠牲を払う事なく漁夫の利を得られる状態になるまで。



 ローランは、彼のその性格を知り尽くつつ、敢えて援軍要請を飛ばした。

余力を残した部隊が『戦場に遅れて到着』する事、こそが彼の掛けた保険の一つであり、二重三重に張り巡らせた策謀の一つであったからである。


結果、オペレーター達は、『来る事は望めない』状態であると判断し、後に来る戦力としてはカウントしないまま。


『敵にも味方にも予想しえない援軍』の完成である。

ただ一人、ローラン=ド=アトレーユその人を除いては。



 アンドレのハイテンションな語りは尚も続く。


「そこの赤い新型。噂のコッペリオンとやらですかァ?

コマンタレヴゥ、ベロニカ少佐。


……おおっと、今は中尉でしたか? ンッフゥ♪ これは失礼。

こっぴどくお負けになって、降格させられたんでしたねぇ?

とっくに引退されてると思えば、君も諦めの悪いひとだなァ。


私は前から忠告してたはずですよゥ。

女の子が軍人の真似事などするもんじゃありません! ってねぇ。


女性の幸せはねぇ、子供を産んで育てる事なんですよ、ンマドモアゼェル♪

そのでっかいお乳とおケツはその為についてるんじゃあ、ないんですかねェ?」



「………」


 ベロニカは沸き起こる怒りを抑え、セクシャルハラスメント紛いのアンドレの挑発を聞き流した。

過去に何度もこの男からこの様な嫌がらせを受けて来た。

こちらがむきになって反論する度に、相手は喜び付け上がるのだ。

どうやらこの男は、相手を怒らせる事で性的な悦びを感じる性癖の持ち主らしい、と悟ったとき、全身に寒気を感じたのを覚えている。

つまり、冷たく無視する事が最良なのだ。




「ボンヴジュターヌ中佐。

おしゃべりはその位にして頂きたい。

我々にはやる事が山ほど残っているのです。時間が惜しい」



 一方的に喋り続けるアンドレに、痺れを切らしたローランが横槍を入れる。


「ンッ、ンー? 解っておりますよぉ、アトレーユ大佐。

でもねェ? 言葉は慎んで頂きたい。

仕切るのは貴方ではなく、このアンドレなんですよゥ。

こちらは遠路遥々と貴方がたの援護に駆けつけたのですからねェ。それをお忘れなく。

……『例の物』は、約束どおり頂けるのでしょうねェ?」



「…ええ、滞りなく。

件の機体の設計データはここに。

何年もかけて蓄積した研究データをお渡しするんですから。

手塩にかけて育てた我が子を差し出すようなものなのです。

だから、その分は働いてもらいますよ」


 ローランの手には、新型機体の研究データの詰まったメモリが握られている。

彼はそれをブリッジに上がってきたアンドレ配下の者に、名残惜しそうに譲渡した。



 この策、成立するのには実は一つの大きな懸念があった。

自分の手を汚す事を徹底的に嫌うアンドレ=ボンヴジュターヌの事である。


自分達に益無し、と判断すれば、『救援にやって来ない』という選択肢を取る事も考えられたのだ。

この戦いの手柄を掠め取る事だけでは足りぬ、と考える可能性もあった。


 故に、彼は一つの裏取引を掲示した。

協力の暁には、開発中の新型機のデータを渡す、と。


走る馬の眼前に人参をぶらさげるように。


こうして、彼の宣言する『勝率7割の丁半博打』は完成に至ったのである。




「結構結構。これで我が騎士団も、更なる強さの高みに上る事が出来ますねェ。ンッフッフゥ。


さーて、それでは遊びは終わりとしましょうかァ!?

エドウィンさんとやら! この圧倒的な戦力を目の当たりにしても尚、未だ交戦の意思は費えないのですかァ?」




「…少なくとも、お前みたいな不埒なカマ野郎の前に屈するのは愉快な話じゃねーな。

何にもしてねぇ癖にべらべらと偉そうに語るなよ、チキン」


 エドの心は怒りに震えている。

サンジェルマン、ベロニカと2人の好敵手と刃を交え、死力を尽くして戦い、結果として敗れた。

この二人に捕らわれるならまだ、納得も行くだろう。

だが、後からやってきたこの男は、物量に物を言わせ、ふんぞり返って勝利を宣言するだけだ。


 そして、川下に流された八旗兵たちや執事の安否は不明。

自分が時間を稼げば彼らが逃げ延びる可能性も上がるだろう。


ならば最期まで、抵抗してやろうか? という気にもなろうものだ。


「ンッ、ンン。口の利き方には気をつけた方が宜しいかと。

養豚場に並ぶ寸前のデュ・ポール風情が!


…おっと、失敬。そうですねぇ、このまま力を持って叩き潰して差し上げてもアンドレは一向に構わないのですけど。

それじゃあ芸は無い。それにこのアンドレはとても慈悲深い傑物なのです。


故に、君が我らに投降する決心を促すものを、お見せしましょうかねぇ!」



 そう言い放ち、アンドレは腕を振り下ろす。


同時に、低空飛行していた輸送艇から、7つのパラシュートが降ろされた。

目を凝らしてそれを注視したエドは、思わずうめき声を上げる。

その先に結び付けられているのが、他ならぬ彼の部下・八旗兵達であったからである。


地に不時着した彼らに向けて、グラニM達が一斉に銃口を突きつけた。



「ここに来る途中でですねぇ、こんなものを拾いましたよ。ンッフフゥ。

そして手厚〜く『保護』させて頂きましたァン。

そのまま迷子になって、野生の動物にでも襲われたら大変ですからねェ!

ああ、なァんて優しいんでしょ、アンドレは!」



「貴様っ! 奴らを人質にっ!?」「恥を知れ、アンドレ! 騎士道精神を忘れたか!」


 異口同音に叫んだのは、エドとサンジェルマン。

アンドレのまさかの下劣な振る舞いに、敵のみならず友軍である彼らすらも驚きと怒りを隠せないようだった。



「ノンノンノン。『保護』しただけ、と言ったでしょう?

人聞きの悪いことを言うなあ、テュー(君たちは)


でも、エドウィン君があんまり聞き分けの無い事をすれば、もしかして手が滑っちゃうかもね!

…なーんてね、冗談だよ、冗談。


ともあれ、結果的にこれで貴方も抵抗する理由が無くなった訳ですよねェ?

アンドレの好意、解っていただけますよねェ??

むしろ感謝して欲しい所ですよ、これはァ」




「も、申し訳ございませんエド様!」

「エド様っ! こんな卑劣な真似をする連中に屈しないで下さい!」

「エド様、パン様! 我らに構わずお逃げ下さい!」


 銃口を向けられた状態にあって、八旗兵達は死を恐れず、尚も抵抗する。

もののふの意地。恐らく、これ以上自分達が足手まといになる様ならば自害すらも厭わないだろう。



 それをエドは悟っていた。


故に、長い沈黙を経た後。

苦悶の表情を更に歪めつつ、彼は遂にその言葉を発した。



「………投降する。そいつらを放せ」



*****



「これも…貴方の策ですか? ローラン大佐」


 ベロニカは怒りに燃える瞳をモニターに向けた。


「…あの男に交渉権を譲った事で起こりうる、想定の範囲ではある。だが、最後のアレはボンヴジュターヌ中佐の独断だよ。

誓っても良い。僕ならば徒に捕える相手の神経を逆撫でするような下策は取らない」


 人質など取らなくても、勝っていた勝負なのだ。

エドウィン=ランカスターは愚鈍な男ではない。

故に、もう少し交渉を上手く進めていれば、投降を決意するのに時間はかからなかったはずなのだ。


「では何故、あの男の暴走をお止めにならなかったのですか? これでは余りにも…」



「ベロニカ君。君は一つ思い違いをしているよ。

戦争に『絶対的な正義』などは存在しない。

極論すれば、勝ち残った方が正義を語る資格を手にするのだ。

あるのはどちらが勝利したか。それによってどのような結果が残ったか、のみだ。

結果としてランカスターは投降し、無駄な血が流れる事は無かった。

それで満足は出来ないか?」


 ローランの諭す言葉は、理屈では理解できた。

だが、心情的には頷く事は出来なかった。


 そこに、サンジェルマンの怒声が割り込んでくる。

「納得できん!

こんな結末は認めん。我輩は認めんぞ、ローラン。

血を流したのは我らだけ。卑劣な振る舞いをした彼奴らの良いとこ取りではないか。

これでは死力を尽くして戦った我らも、ランカスター達も浮かばれんではないか!」


 
 ローランはその言葉に対し、薄く笑みを浮かべて返す。


「ええ、貴方の言うとおりです。

ご心配なく。彼らには既に十分過ぎるほどの報酬を与えましたから。

これ以上何もくれてやるつもりはありませんよ。

少々、痛い目を見て頂くとしましょう」


 その言葉を聞いて訝しげに首を傾げるサンジェルマン。


と、その時、陵鷹のコックピットが開き、エドウィン=ランカスターが堂々とその姿を見せた。

捕縛しようとする空軍の兵士たちを払いのけ、逃げも隠れもせん、とばかりに自ら敵の空母に向かって歩き出す。




 ベロニカはその姿を見て、反射的にコッペリオンのコックピットから飛び出して、彼の元に走り寄った。


「ランカスター!」


 叫び声に振り向いたエドの顔はどこか涼しげな雰囲気を醸し出している。


「すまない、ランカスター。

こんな形で決着をつけなければならないなんて…私は不本意だ。

お前とは最後まで正々堂々と戦い続けたかった。信じてくれ」


 感情のままに飛び出したベロニカに、エドは優しく返答する。


「ああ、気にするな。

人質作戦があのカマ野郎の独断だってことくらい、解ってるさ。

第一、馬鹿正直なお前らにそんな器用な真似できるとは思えないしな。

今回は俺様達の負けで良い。次は勝つ。ただ、それだけだ。


…だから、頭を上げろよおっさん。そういうのちょっとうぜぇぞ」


 その言葉にベロニカははっと振り向く。

そこには彼女と同じように飛び出したサンジェルマンが、地に膝を付き、謝罪の意を表しているのが見て取れた。

 ゆっくりと頭を上げたサンジェルマンが、最敬礼をしたまま宣言する。


「いずれ、また戦場に戻って来い、ランカスター。

その時は誰の邪魔も入らぬ所で存分に再戦をしようぞ」



「ああ、受けて立つ。達者でな」


そう言って再び踵を返すエドの背中に、ベロニカが声を投げかけた。


「最後に、一つだけ聞かせてくれ。

…何故、そんなにあっさりと負けを受け入れる事ができるのだ?

お前は実力では我々に決して負けていなかった。

お前にとって、『敗北』とは何だ? エドウィン=ランカスター男爵候」


 振り向きもせず、エドは答える。


「明日の勝利への糧さ。

今日の敗北は俺様を更に強くする。

自分が成長するためのツールだ。

次に会う時には、もうあんたの手の届かない場所にいるかもな」


 ドクン、と心臓が波打つ。


敗北は勝利の糧。


 同時に脳裏にリフレインする、父・セドリック=サンギーヌの言葉。


『良いか、ベロニカよ。敗北に価値など無い。

負けてしまえばそれまでに積み重ねた全ての物を失うと知れ

決して、負けてはならぬ。何人たりとて後塵を拝すな』



 価値観が、揺らぐ音がする。

ならば、黒き悪魔に敗北を喫したことも、決して恥などではなく…


「ああ、そうならぬよう、精進しよう。

…時間は誰にも平等だ。私も今よりもっと強くなる」


 静かな決意と共に呟く。いずれ追いつき、追い抜くべき目標たちを見据えながら。




主と同じように、潔く絶璃から降りてエドの傍に続くパンの姿が見えた。

彼女の歩みにも、些かの迷いも感じられぬ。


遠ざかっていく彼らの背中に、ベロニカはもう一度敬礼を向けた。



*****



 フランダル隊の残党たちを空母に収容したアンドレは、満足気に口の端を歪めて笑う。

日に二度の勝利。

最小限の犠牲で数多くの物を手にする事が出来た。

これで自分の勇名も更に轟くことになるだろう、と。



「…それでは、どうあっても破損した陵鷹、および敵機の残骸はお譲り頂けないと言う事ですか?」


 ローランがモニターの中で泣き言の様に訴えているのも心地よい。

誰が渡すものか。この戦いで得たものは、全て自分の所有物だ、と心の中で呟いてみせる。


「ンッンー…残念ですが、それは無理ですねぇ。

そもそも、そちらの旗艦の損傷も馬鹿にならないでしょう?

廃棄寸前のスクラップみたいな、そんな艦に大事な捕虜や鹵獲機体を積んでは置けませんよォ?

違いますか? カマハドゥ(我が同士)?」


 アンドレの言っている事は事実である。

彼らの機動陸上戦艦は早急に修理が必要な状況で、新しい艦を用意する方が速いという状況であった。


「解析はこちらで済ませてから、技術開発研究所にお送りしますよォ?

…ああ、もしかして手柄を取られると思って警戒していらっしゃる?

ンッフッフー♪ そんな汚い真似をアンドレがするわけないじゃないですかァ?

ちゃあんと、今回の戦いの功労者は貴方がたであって、我々はサポートをしただけです、って証言しますって。

捕虜達も本国に送り届けるだけです。空から輸送したほうが速いに決まってますからねぇ。

それで、ご満足頂けませんかねぇ?」


 アンドレは更に心の中で舌を出す。


 捕虜は当然、自分達が捕えたと言い張るつもりである。

データを正直に渡すつもりも無い。


 わざわざ応援に駆けつけてやって、この戦いは自分のお陰で勝った、という意識がアンドレの中にある。

故に、報酬としてもらった新型機のデータ位では釣り合わない、と思っていたのだ。


「はあ、では仕方ありませんねぇ。

ではこれだけは認めて下さい。『実際に基地を占拠したのは我々技術開発教導団』ということで」


 のんびりとした口調で、言質を取ろうとしてくるローランに、アンドレは心の中で舌打ちをする。

この男、やはり油断がならない。

この戦いの第一目標は、最初から重要拠点奪取であった。

それを認めるのは、最も重要な役目を果たしたのが彼らだということを認める事になる。


だが、ごねて突っぱねるのは危険だ。全て自分達の手柄にしてやろうという下心が露呈してしまう。

…場合によっては、人質作戦という非人道的な行為を行った事を上層部に持って行かれるかもしれない。

勿論、彼は飽くまで捕虜を保護しただけだと言い張るつもりであったが。


 アンドレは頭の中で素早く算盤を叩く。

…そして結論を出す。

考えようによっては、自分達は無傷で手にした勝利。

それによって得たものは数多い。

ならば、手柄の一つ位はくれてやるのも良かろう。

敵の大将を生け捕ったのは自分であり、その身柄が手元にある限り、自分達がMVPであるという主張は揺るぎ無いのだから。


「勿論ですよォ。

認めますとも! 貴方たちあっての勝利ですからねぇ!」


 
 その言葉を聞いて、ローランがニヤリと微笑む。

そして、こう続けた。


「結構です。

ならば道中お気をつけて。


…最後に、軍の先輩として、2つほど忠告させて頂きますね、ボンヴジュターヌ中佐。


『欲はかき過ぎない事』。そして、『周囲はしっかりと観察する事』

まあ、聞き流してくれても結構ですがね」



「……???

ン。まあ、お言葉、ありがたく頂いておきましょう。

それでは、オー・ルヴォアール(さようなら)、教導団の皆さァん!」


 最後の忠告はアンドレには今ひとつ理解しがたい言葉だったが。

前者の方から推測するに、手柄を奪おうとするなら容赦しないぞ、という意思表示に思えた。


 だが、アンドレはかねてより軍上層部に根回しをしていた。

その普段の素行の所為で、上の人間からの信頼が薄いローランが何を主張しても、こちらに有利な状況に持っていける自信はあった。


故に、そんなものは全く怖くは無かった。


しかし、この決め付けが後に命取りになる事を、まだ彼は知らない。



*****



 空母内に設けられた捕虜収容室の中に、後ろ手に手錠をかけられたまま入れられたエド達。


八旗兵達は男泣きに泣いた。

自分達の所為でこのような事態になってしまった、と悔いているからだ。


だが、エドは彼らに責任を追及することは無かった。

むしろ、自分の見通しの甘さの所為でこの結果を招いたことを、部下達の前で謝罪した。



「これからどうなさいますか? エド様」


 パンが室内に重々しく充満する沈黙を破って発言する。


「どうする、って言ってもなあ。

…まあ、なるようになるさ。

隙を見つけて逃げ出す事を考えようぜ。

お前ら、それまでしっかりメシを食って体力蓄えておけよ。

つーか、一般兵をのすくらい造作も無いだろ? 

頼りにしてるぜ、快王の弟子ども」



 努めて明るく振舞うエド。

どんな時でも希望を捨てては行けない、と言う事を体で示すために。



 と、その時。

収容室の小窓から、こちらを覗き込む人物が居る事に一堂は気づく。


「ンッフッフ♪ ご気分いかがですかァ? アムステラのデュ・ポール(子豚さんたち)」


 響く、甲高く嫌らしい声。

室内が殺気でざわつく。

自分達をここに放り込んだ張本人である、アンドレ=ボンヴジュターヌだ。



「ああ、最悪だな。何をしに来た? カマ野郎。

司令官自らこんな所に来て、得意の嫌味でも言いに来たのか?」


「おやおやァ? 随分と連れない事をおっしゃいますねぇ?

さぞかし落ち込んでいるだろうと思って、慰めに来たんじゃありませんかァ。

仲良くしましょうよ? ねぇ?」


 明らかに、道中の退屈を紛らわせる為に捕虜をいびりに来たという意図が見え見えだった。

見下げ果てた男だ、とエドは呟く。


 アンドレの後ろから警備兵が近づく。

そして彼の軽率な行為を見咎めて声を掛ける。


「いけませんぞ、中佐。

このような所に護衛も付けずに参っては。

余り部屋に近づいては危険にございます」


 老齢の兵士の声に、アンドレは軽口で返す。


「心配性だなァァァァ、テュー(君は)。

このドアはね、バズーカ砲でも打ち抜けない程の強度を誇る逸品だよォ?

中から開けることは絶対に、ぜぇぇぇぇったいに不可能だ。

この豚どもがどんなに鳴こうが喚こうが、アンドレには指一本も触れる事が出来ないんだよォ!!

悔しいかい? ねえ? 今どんな気分だい? ンハハハハハハッ!!」


 警備兵は、やれやれ、と首を振ってみせ………『アンドレのこめかみに銃口を突きつけた』


「ンハハハハ…ハッ!!?? ななな、何をするんだい? 気でもおかしくなられたのですかァ?」


 アンドレの哄笑が凍りつき。


そして、室内のエドが満面の笑みを浮かべてこう言った。


「よう、今までどこに隠れてたんだ? 声を聞くまで全然気づかなかったぜ…すげーな、『執事』」


「ほっほっほ…執事は神出鬼没なものなのですよ。

エド様達が投降の意思を見せる直前辺りで、兵士の一人と入れ替わらせて頂きました。

それにしても、私の変装もまだまだ捨てたものでは無さそうですなあ」


 飄々と言い放つ執事。

形勢は完全に逆転した。


「イ、イイイイイイ、イディオットゥ(馬鹿なァ)!!

だだだ、誰も気づかなかったのか!! こ、この…」


「…部下の顔と仕草くらいは、司令官としては把握しておくべきでしたな。

そうすれば違和感に気づくくらいは出来たかもしれませんのに」


 ここに来て、アンドレは別れ際のローランの言葉を思い出す。


『周囲はしっかりと観察する事』


あの男は、こうなることに気づいて…!?


 騒がしく、他の兵士たちが駆けつけ始める。

だが、執事は動じることなく、しっかりとアンドレの身柄を押さえ、銃口を離そうとはしない。


「動かないで頂きたい。

貴方達の司令官殿の優秀な頭脳に風穴が開くところを見たくなければ、ですな」



「貴様!! ひ、卑怯だぞゥ!! ひ、人質を取るなんて…」


 情けなく、鼻水を流しながらアンドレが訴える。


「おやおや。ご自分の数時間前の行動をもうお忘れになられたのですか?

貴方の脳はデュ・ポール(豚)並のご様子のようだ。


…先に言っておきます。私、年甲斐も無く少々頭に来ております故に。

いやあ、本気で怒ったのは何十年ぶりでしょうかね?

だから…ただの脅しだとは思わない方が賢明ですぞ」


 こめかみを押す力が増す。

アンドレは体からあらゆる体液を撒き散らしながら、泣き叫ぶ。


「わ、わ、わかったァーーーーーッ。

言う事を聞く。だから殺さないでくれ…頼む!」



「結構。

ならばまず、そのバズーカにも耐えうるドアの鍵をこちらにお渡し頂けますかな?

それから、輸送機を一つ。我々に譲って頂きたい。

…陵鷹はフランダル家の魂も同然。

おいそれとくれてやる訳には行きませんゆえに。

持ち帰らせて頂きたく。


…ああ、心配ご無用。

追撃さえしなければ、貴方にも貴方の部下達にも危害は加えませんから。

黙って国境を越える辺りまで見逃して頂ければ、そこで降ろして差し上げますよ。

私共は約束を守ります。…貴方とは違ってね」



「い、い、言うとおりにしろォォォォォ

こいつらを全力で見逃せぇぇぇぇぇ」


 もはや、威厳の欠片も余裕も見当たらず。

その不自然な語尾すらつけるのを忘れて。

アンドレはただ、泣き喚くのみ。


 檻から出された仲間たちを横目に、執事は嘆息する。


「なんとまあ、同じフランス軍でも、部隊が違えばこうも違うものなのですか。

先に交戦した連中は、もっと潔かったですぞ。

自分に構わず撃て、と言う様な将でなくて助かりましたが」



「それはどこの軍も一緒だろうな。

どんなにお偉い役職の奴でも、腐ってる奴は腐ってるってことさ。


…助かったぜ執事」


 エドの言葉に執事は微笑み返す。


「いえいえ、大事な御身に何かあっては、お屋形様に申し開きが出来ませぬ故に。

ふむ、敵陣からの脱出は何年ぶりでしたかな? 昔の血が騒ぎますなあ」




「さあて、約束どおり輸送機を頂こう。

…よお、カマ野郎、いい様だな?

自分が不利な状況下で見下される気分はどうだい?

しばらく、俺様達の逃避行に付き合ってもらうぜ?

なあ、デュ・ポール(豚野郎)」


 アンドレに意趣返しを済ませたエドは、仲間達を見渡し、気炎を吐いた。


「よし、脱出する。

とりあえず、今は何も考えずに走れ。


後のことは無事に逃げ延びてから考えよう。


…また一からのやり直しになりそうだがな。

お前ら、それでも俺様に付いてきてくれるか?」



 その言葉に異を唱えるものが居ようはずはなかった。



*****


 
「では、お前は、アンドレの艦にあの狙撃手が乗り込んでいる事を知っていて、捕虜を渡したというのか? ローラン」


 今回の戦いについての不満をローランに爆発させていたサンジェルマンが、呆気に取られた表情で呟く。


「ええ、まあ。狙撃手の顔は知りませんがね。

捕まった捕虜達の中に、狙撃手と思しき人物が見当たらなかったものですから。

多分、そうなんだろうなーと思ってた程度ですけどね」


 悠々と紅茶を啜るローラン。

「今頃、空母の中は大騒ぎでしょうねえ。

あの御仁、人質なんて取るもんですから、敵の心象も最悪でしょうし。

これで、ボンヴジュターヌ中佐も、みすみす捕まえた敵を逃した失態に対する処罰を免れないでしょうねえ。

まあ、生きて帰れればの話ですが。

人間、欲をかくとこういう事になる、という教訓ですよ。」


 蛇の様にぺロリ、と舌を出す。


「ふ、ふはははは。それは気の毒にな。

因果応報。悪事には必ず神罰が下るものだ」


 溜飲を下げて笑うサンジェルマンに、ローランが釘を刺す。


「貴方も人の事は笑っていられ無いでしょう?

独断先行の責任は必ず問われますよ?

最低でも、降格くらいは覚悟しておいたほうが良い」


「なあに、そんなものはいつもの事ではないか。

失敗は新たな手柄を持って帳消しにするだけだ。

我輩は何度でも這い上がるぞ。人生はこれだから面白い」


 抜け抜けと反省も無く言い放つサンジェルマンに呆れつつ。

ローランは自問自答する。


「……勝利は我らの手に。

そしてコッペリオンの戦闘データも十二分に取れた。

及第点だ。

…だが、陵鷹のデータをとれなかった事が悔やまれるな。

そして、こちらの被害も甚大。

艦は新しく新調する必要がある。

…ボンヴジュターヌ中佐に、失態の口止めとして少し費用を要求するとするか。


まあ、しばらくは派手な任務を避けて、小さな案件を受けていくとしよう。

パイロット達の経験にもなるしね」



 案件リストの一番上にあった『フェスティバルの護衛』というタイトルに目が留まる。

軽い気持ちで受けたこの任務が、大事件への幕開けになるとは露知らず。



*****



 ベロニカは救護室のベッドに横たわるリリィの手を握り、彼女が寝付くのを待つ。


「ごめんなさい。私、何の役にも立たなくて…」


 しきりにそんな言葉を呟いていたリリィに、戦いは勝利で終わった事。彼女が敵を足止めしてくれていたお陰で助かった事を伝える。

安心したのか、いつしか彼女はすやすやと眠りについていた。

傷は浅い。単に慣れない戦場での疲れが溜まっていただけの様だ。

一晩寝ればいつもの元気な彼女に戻るだろう。


 その寝顔を見届けた後、ベロニカの体にもどっと疲れがのしかかってきた。

そのままうとうとと、前のめりにベッドに寄りかかり、顔を埋める。



 甘美な眠りの世界に誘われる彼女の脳裏によぎった物。


それはエドウィン=ランカスターが別れ際に放った言葉。



『敗北は明日の勝利の糧』



 いつしか、あの黒い悪魔の領域に足を踏み入れるために。

今は静かに横たわろう。

全ての経験は、明日へと繋がる燃料となるのだから。



続く