White Knight

Epilogue



 アムステラ軍基地の敷地外、人目につかない地球人の廃屋。ホバーバイクを運んできたアレスが、中に声をかけると、イリヤナが顔を出す。

「時間がかかってすみません。コートも持ってきましたから着てください」
「悪いね」

 アレスが持ってきたホバーバイクでイリヤナは所属する部隊に戻ることになった。ご丁寧に、道中の水と食料がいくらか積んであるところに、アレスの心遣いが感じられた。

「このバイク返せなくなるけど……」
「構いませんよ、私の私物ですから」
「いや構わなくないだろ」
「返してくださると言うのなら、いつでも、後日で構いません。また会えるでしょうから」

 何でもないように言うアレスに、イリヤナは言葉を言い淀む。

「……会えないよ、戦争してる相手だから」
「そんなことはありませんよ、イリ」

 相変わらずアレスの声は優しく、確信とともに放たれる。

「戦争は必ずしも、人間の関係を終わらせるものではありません。断ち切られた想いは、時間をかけて取り戻せます」
「……簡単に言うなよ」
「そう信じていますから」

 イリヤナは自分が恥ずかしくなった。アレスは常に信じて行動し、誠意で応え、優しさで接してくれる。そんな青年に、自分は何をしてきただろうか、と思うと。
 自分も、何か伝えたい。だがイリヤナの心が、上手く言葉を紡いでくれない。

「あの、さ……」
「何です?」
「……」
「……」
「また、会おう」
「はい。その日が来るのを楽しみにしています」
「それと……」

 風が吹いた。二人の間を吹き抜け、草木のざわめきが囁き声のように聞こえる。本当に人の声が聞こえてくる。ついでに轟音としか言いようのない足音も聞こえてくる。


「アレスちゃぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!!」
「はっ!? エリザベート様!?」

 イリヤナは目を疑った。ローブを着た若い女が、遥か遠くから高速で駆けてくる。いや、気づいたときはもう間近、飛び上がるとアレスに抱きついた。

「やっと見つけたー! 一晩帰って来なくて心配したんだからー! 何かあったのどうしたのとにかくおかえりー!!!!」
「うごじぇぢうわえあ! エリザベート様待ってください痛い!」

 イリヤナの目の前でエリザベートと呼ばれた女は、アレスの頬にキスを連発する。

 説明しよう。白盾騎士団のエリザベート枢機卿はアレスの師である。国教会に伝わる特殊な波動の修練を修めた彼女は、肉体年齢をある程度任意で操ることが出来るのだ。気が最高潮に達すればその姿は20代の瑞々しさを取り戻すこともできる。ついでに心も若返る。気がする。

「なになに、どこか痛いの怪我したの? すぐお医者さんいこっか、ほら肩貸してあげるから、抱きついてもいいのよ?」
「だーかーらー待ってください! ちょっとそっちで待ってて!」

 女を引き剥がしたアレスは、襟を正してから改めてイリヤナに向き直った。

「コホン、イリ。何か言いたかったのでしょう」
「……」
「イリ?」



「いいから 乳 く り あ っ て ろ ぉぉぉ!!!!!!」


 高速の右フックがアレスを遠き地平へと吹き飛ばした。





「あぁぁんの野郎ぉぉぉぉ、帰ってきてるのか? ぜってぇぇぇ許さねえ!」

 損傷した邪蠍蟲とともに回収されたアクートは、治療もそこそこに基地内をうろつく。標的は、自分の顔に泥を塗ってくれた若造である。

「あの野郎の機体が戻ってるんだろ? ならどこかにいるはずだ、探せ!」
「は、はい!」

 部下が駆け出そうとしたその時、廊下の先からストレッチャーで誰かが運ばれてくる。

「アレスちゃぁぁぁん、あの子なんなのぉぉぉぉ!? 何がどうなってるの〜!?」
「ババア、ここまでだ。アレスのことはは医者に任せろ」
「シアンちゃん! ババアなんて呼んじゃいやん!!」
「るせぇ、90過ぎは神が否定しようとババアだ」

 縋りつくエリザベートをシアンが引き止めている。アレスを乗せたストレッチャーは、そのままアクートの目の前を通り過ぎ、緊急治療室へ運ばれて行った。アレスの顔は見る影もなく腫れ上がっていた。

「……」
「ん、お前アクートか? お前らも誰かにやられたそうだな。アレスは白兵戦で殴り倒されたようだが、あいつをあそこまで打ちのめすたぁ、どんなゴリラだか……」

 シアンが首を傾げる。

「俺はやってねえ……」
「あん?」
「なんでもねぇよ……」

 先程までの荒れ様を収めたアクートは、基地の奥へ姿を消して行った。

「……何が何だか」

 シアンの呟きに答えてくれる者はいなかった。答えを聞いたところで呆れるだけだが。





 イリヤナがO.M.Sの駐屯地にこっそり戻ると、仲間のレッドスネーク隊員たちが戦場に出ようとしていたところだった。

「あん、イリヤナか!? お前なんてカッコしてんだよ!?」
「色々あったんだよジーン」
「おーい皆、捜索中止中止! 本人帰ってきたぜ!」

 ジーンが呼びかけると、エトゥ、グエン。そして隊長のイブラヒムが義足を急がせながら、ついでにもう一人がぞろぞろとやって来た。

「無事だったかイリ」
「ま、まあな」
「良かった……」
「隊長……」
「心配したんだぜ、ボウズよぅ」

 仲間たちはそれぞれに安堵の色を浮かべていた。そのことがイリヤナには少し意外だった。まだチームを組んでから間もない者が多く、イリヤナの方では深い感情も抱いていなかったのが事実だ。
 なのに、自分の為に戦場まで探しに行くつもりだったらしい。これは、素直に嬉しかった。

「ボウズ? こいつ女じゃねえのか?」
「これから一緒に入れば分かるのさ、こいつの女郎っぷりがな」

 後列にいた見慣れない男の疑問に、ジーンが本人には不服な回答をしていた。
 イリヤナの見たところ、30歳前後か。片目に眼帯をした顔には、見かけ以上の年輪と戦歴を重ねた風格を漂わせている。身長は隊員の中で抜けて高く、鍛え上げているのだろう鋼のような筋肉を纏っている。

「誰だ?」
「昨夜合流した6人目の隊員で、メイズっつう奴だ」

 108ターボ戦車の操縦者、グエンが紹介した。この老人も歴戦の傭兵だ。

「よろしくな嬢ちゃん」
「ん、よろしく」

 その後、状況を確認したところ、レッドスネーク隊は損傷が激しいため、一度後方へ退き装備を整えることになったようだ。
 その命令に食い下がりながら、イブラヒムたちはイリヤナの捜索を強行しようとしていたらしい。

「まったく、今回は嫌な敵に当たっちまったなぁ。せっかくBクラスに上がったってのに、またCクラスに落ちるかもしれねえな」

 残念そうにぼやくジーン。それに対し、エトゥが宥める。

「仕方がありません、命あっての物種ですから。生還できたことを吉としましょう」
「そうだな、お前とイリは今回やばかったからな」
「そういえば――」

 グエンがイリヤナの方を見る。

「あのムカデが現れる前、ボウズが何か言ってたっけな」
「ああそうだった、それで周囲を警戒したんだったよな」
「ジーンも覚えてるか。このボウズのおかげで、難を逃れられたのかもしれねえな」
「そうだなあ。じゃあこいつはうちのラッキーボーイだな、幸運を運んでくれるんだ」
「ボーイとかボウズとか、お前らなぁ……」

 脇で聞いていたイリヤナが年長二人を睨みつけると、グエンとジーンは笑いながら距離をとっていつでも逃げられる体勢を取った。

「なるほど、ジャジャ馬のようだな」

 メイズの微笑混じりな声。イリヤナが顔を赤くすると、取り巻く一同が明るい笑い声を上げた。





 どこまで行っても漆黒の宇宙空間を、アムステラの艦船が亜光速で切り裂いていく。長距離巡航モードで航行する船は、次第に距離を落とし、通常の航行モードに移行した。
 アムステラ正規軍の船ではない。黒色の艦体に固有のエンブレム。国教騎士団の保有する、それも特定の騎士団にのみ与えられる専用艦だ。
 阿羅帆級突撃艦・5番艦『摩季獅』。
 国教会・幻魔騎士団が5番隊の旗艦である。

「通常航行へ移行完了。位置確認」
「位置確認了解。座標にズレ無し。中継基地まで距離350000」
「了解。ヘルストローム卿、他の艦にも異常見られません」
「分かった。ドックに着艦後、24時間の休憩に入る。交代で休息を取れ」
「了解しました」

 指示を出し終わると、黒衣に黒髪の騎士・ヘルストローム――ヴァイサリィ・ヘルストローム卿は、眼を閉じてしばし黙考に浸った。。
 基地に着くと、上陸や補給等の手続きが行われ、各艦に物資が次々と積み込まれていく。
 一通り執務を終えたヴァイサリィが自室に戻ると、従卒が封筒を差し出して来た。「何か?」と問うように、ヴァイサリィの鋭い眼光が従卒を射ぬく。

「た、隊長、御手紙が届いております。アレス様からです」
「……置いておけ」
「はい。では失礼します……」

 一礼した後、そそくさと従卒が退室する。ヴァイサリィの側に仕える者は一ヶ月で胃に穴が開くと言われているが、かの従卒も長くもちそうになかった。ヴァイサリィは封筒を開け、手紙を始めの数行読んだ後、手で握りつぶした。
 ヴァイサリィの手から黒い炎が迸り、手紙は瞬く間に灰になった。




「まだ、“そんなこと”に現を抜かしているのか、弟よ……」




 ヴァイサリィの闇のように暗い瞳が、同じく漆黒の宇宙を見据える。彼らが目指す地球まで今しばらくの時を要する。彼らが炎に包むべき星まで、今しばらく……。


<終>